2022/04/25

第6部  虹の波      13

「次に、オルガ・グランデの男について話さなければなりません。」

とアブラーン・シメネス・デ・ムリリョは言った。ベンハミン・カージョのことだ。

「あの男は占い師として日銭を稼いでいた様ですが、他人の未来を占うことも見ることも出来ない筈です。未来を見ることを許されているのは、ママコナだけですから。占いも詐欺まがいの行為だったのでしょう。所謂、”出来損ない”ですから、”シエロ”ではなく”ティエラ”として真っ当に働いて生きる方が楽な人間です。しかし、”シエロ”の血にしがみついている。 」
「しかし・・・」

 またテオはうっかり口を挟んでしまった。アブラーンが睨んだが、彼は構わず喋った。

「カージョは一族にも”ティエラ”の社会にも不満と不審を抱いている様子でした。自分が何者なのか、決めかねているのでしょう。」
「彼の年齢にもなって決めかねると言うのは意思が薄弱な証拠です。」

とアスルがボソッと言った。ロホが苦笑の笑みを浮かべたが何もコメントしなかった。ケツァル少佐が連れの男達の余計な口出しを謝罪し、続けて下さいとアブラーンを促した。アブラーンも「話が長くなって申し訳ない」と謝ってから、話を再開した。

「カージョがレンドイロ記者とネット上で古代神殿の建築方法について議論したのは、特にこれと言った目的があった訳ではなかったのでしょう。しかしレグレシオンが彼等の会話を見つけてしまい、彼等が興味を抱いていたことと同じテーマだったので、接触を図ったのです。カージョは、彼と会う約束をしていたレンドイロが行方不明になった後でしたから、警戒して姿を隠しました。だからレグレシオンは彼のルームメイトを拷問して彼の居場所を聞き出そうとし、死なせてしまいました。
 同じ頃、アメリカから、古代の民族が核爆弾を開発したと言う妄想に囚われた男がやって来ました。」
「マックス・マンセル」

 テオが名前を出すと、アブラーンは仕方なく頷いた。

「そのマンセルと言う男はレグレシオンとどんな関係にあったのか知りませんが、オルガ・グランデに現れ、古い坑道を探し始めました。恐らく町に古くから伝わる”暗がりの神殿”、一般に”太陽神殿”の名で知られている場所を探していたのでしょう。私は”砂の民”ではありませんが、彼等が仕事をすればその結果を知ることが出来る立場にいます。オルガ・グランデの”砂の民”達はマンセルの行動を疎ましく感じたのです。だから、マンセルを排除する為に、カージョを探していたレグレシオンにマンセルの存在を教えました。」

 テオは、”砂の民”が過激派組織にマンセルを粛清させたのだと気がついた。いつものことながら、彼等の仕事は耳にして気持ちの良いものではない。その時、ロホが初めて口を挟んだ。

「”砂の民”の仕事に文句をつけるつもりはありませんが、レグレシオンはマンセルをオエステ・ブーカ族の村の川で殺害しました。結果、川が死の穢れを被ってしまい、私は祓いをしなければなりませんでした。オルガ・グランデで仕事をされた方に直接申し上げることは出来ませんし、今この部屋の中にいる方々にも関係ないことではありますが、粛清の結果、不都合が起きることもあると、心に留めて頂きたいです。」

 アブラーンが厳粛な表情で大きく頷き、それを了解したことを態度で告げた。

「長老会に伝えておきましょう。」

 カサンドラが言った。

「カージョが今何処でどうしているか、私達にはわかりません。彼は私達には直接の害がない人間ですが、マスコミに捕まったら何を喋るか予想がつきません。恐らく、”砂の民”も同じ様に考えていることでしょう。」

 テオは新たな不安を感じた。

「彼を粛清すると言うのですか?」
「今すぐではないと思いますが、監視をつけていると思います。」

 アブラーンが溜め息をついた。

「我が家系は純血至上主義で知られています。ただ、子孫を保つ為に”シエロ”は純血ではいられない、それは理解しているつもりです。純血種と”出来損ない”の扱いの差が、カージョの様な不穏分子を生み出すのです。もう少し風通しの良い一族とならなければなりません。私も含めて、年寄りは反省すべきです。」

 まだ中年のアブラーンがそう言うので、誰もが苦笑するしかなかった。
 アブラーンはこの会食のまとめにかかった。

「我が家系、我が部族は古代の秘密を守る為に現代の人間を害したりしません。考古学者が何を見つけようと、それが現代社会に影響を及ぼす恐れはないからです。ですから、文化保護担当部はこれからも学術的研究に協力してやって頂きたい。我々は妨害しません。それを理解して頂きたい、それだけです。」



2022/04/24

第6部  虹の波      12

 「我が一族の当主のみに伝えられる建築工法の秘密について、”ティエラ”達が興味を抱き始めたのは、この一年程のことです。」

とアブラーン・シメネス・デ・ムリリョは始めた。

「当初は考古学関係の連中が最も古い神殿のいくつかに、他より太い柱の跡が必ず7つあると言う事実に気が付きました。彼等はその7つの柱がある神殿こそ”ヴェルデ・シエロ”が建設したもので、伝説の神々の痕跡だと学会で論じ合った様です。我等が長老会は、この件に関しては放置していました。古代の建築が研究されたからと言って、現代に生きる我々の存在が世間に知られる恐れはないと考えられたからです。
 ところが、考古学会で報告されたその研究が外国でも物好き達の注目を集めた様です。文化保護担当部の皆さんがご存じの様に、アメリカ合衆国からおかしな方向に考えを発展させた連中がやって来て、カラコル遺跡の撮影やら、古代の核爆弾探しやら、奇妙な競争を始めました。彼等はサン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボがカラコル水中遺跡の発掘許可を申請したと知ると、それに便乗して海に潜ろうとしました。私は遺跡がどの程度露出しているのか知りたく思い、モンタルボ教授の資料を盗ませましたが、それは杞憂で、文化保護担当部に余計な仕事を作らせてしまい申し訳なく思っています。」

 ケツァル少佐が肩をすくめた。

「偶には出張も気晴らしで良かったですよ。」

 カサンドラ・シメネスが苦笑とも受け取れる微笑を浮かべた。アブラーンは軽く頭を下げ、話を続けた。

「厄介なのは、外国人ではなく、セルバ国民です。殆どの国民は考古学にあまり興味を抱かず、祟りを恐れて遺跡に近づきません。敢えて立ち入るのは盗掘者か、祈祷を行う者です。しかし、オルガ・グランデに住む占い師ベンハミン・カージョがインターネットで余計な投稿をしました。オエステ・ブーカ族の末裔で、”心話”と夜目程度の能力しか持たない男ですが、先祖から伝わるカラコル崩壊の物語を知っていた様です。彼は、”シエロ”の遺跡の共通項は7つの太い柱の跡であると書き、それに考古学の記事を書いていた雑誌記者ベアトリス・レンドイロが食いつきました。2人はネット上で遺跡の形状に関して多くの意見を交換し合い、七柱の跡がある神殿は全て崩壊していること、七柱跡がない神殿は柱が残っていることもあるのに、”シエロ”のものと思われる遺跡は全て崩壊している謎について考えを述べ合ったのです。我々は彼等がどんな結論を導きだそうが構わなかったのですが、興味がない訳ではなかったので、見ていました。」

 テオはアンゲルス鉱石のアントニオ・バルデスに頼んで調べてもらったカージョとレンドイロのフォロワーを思い出してみた。バルデスの会社のI T分析者が見つけたフォロワー6人のうち、レグレシオンと思われる人間が3人いた。残りは普通の市民だったと言うことだが、ロカ・エテルナ社の社員が含まれるのだろう。その社員もきっと”ヴェルデ・シエロ”だ。

「レンドイロがカージョと実際に会って意見交換しようと言う約束を交わした時、私は部下に彼女を尾行するよう指示を出しました。彼女を見張ると言うことではなく、カージョと言う人物を特定したかったからです。雑誌記者と違って、彼は一族の末裔です。何をどこまで知っているのか、確認したかった。ネット上の暴露の度が過ぎると、彼も記者も”砂の民”に粛清されます。2人だけなら良いが、粛清の範囲が広がれば収拾がつかなくなる恐れもありました。
 ところがアスクラカンでバスが休憩停車した時に彼女はバスから降り、そのまま子供に誘われてバスターミナルを離れました。部下が尾行すると彼女は農地の外れで一人の男に会い、森へ入って行きました。」

 テオはレンドイロやペドロ・ウェルタから聞いた話とアブラーンの話に矛盾がないか注意して聞いていた。当事者であったレンドイロは疲労と恐怖で少し記憶が混乱していただろうし、ウェルタは”操心”での自白なので訊かれたことの返答しか語っていなかった。ウェルタが見た「レグレシオンの男を襲ったジャガー」は何者だったのか。
 アブラーンが酒を一口飲んで休憩した。礼儀としてケツァル少佐もロホもアスルも黙って彼が話を再開するのを待っていた。テオは焦ったかったが、ここで”ヴェルデ・シエロ”達の機嫌を損ねたくなかったで我慢した。カサンドラが気を利かせて冷たいソフトドリンクを注文した。飲み物が来て、給仕が個室を出て行くと、やっとアブラーンが話の続きを始めた。

「アスクラカンの森には、地元民がクアラと呼ぶ遺跡があります。ケツァル少佐とドクトル・アルストは実際に行かれたので説明を省きますが、一族の祖先が築いた町の遺跡です。男はレンドイロをそこへ連れて行って七柱を用いた建造物崩壊の仕組みを語らせようとしたのです。つまり、その男は、レグレシオンと呼ばれる反政府過激派組織の一員でした。レンドイロを尾行していた私の部下は先回りして、クアラの番を先祖代々しているウェルタと言う”ティエラ”の男に女を奪えと命じました。ウェルタは命令通り過激派の男から女を逃がしましたが、部下が過激派の後始末をしている間に女を見失いました。」
「後始末って・・・」

 テオはうっかり口を挟んでしまった。ウェルタが自白させられた時に「レグレシオンの男はジャガーに殺された」と言ったことを思い出したのだ。”ヴェルデ・シエロ”は滅多にナワルの状態で人を殺さない筈だが。
 アブラーンが溜め息をついた。白人は礼儀を守らないなぁと諦めた顔だ。彼は説明した。

「部下はジャガーを召喚したのです。動物のジャガーです。一族のナワルではありません。」

 テオは思わずケツァル少佐を見た。”ヴェルデ・シエロ”は一族の人間だけでなく動物も呼べるのか? 少佐は彼の視線を無視した。ロホもアスルも何もコメントしなかった。

「ウェルタは部下に女を見失ったと報告し、部下は森で彼女を捜索することを諦めました。過激派の男の血で汚された森の浄化に気を使い果たしたからです。そして我々はベアトリス・レンドイロは森で迷って命を失ったのだろうと考え、女の件はそこで終わったと判断しました。まさかウェルタが彼女をクアラの生贄の部屋で監禁していたとは想像していませんでした。」
「我々は遺跡の番人とは殆ど接触しませんから。」

とカサンドラが言い訳した。その時、初めてアスルが発言した。

「マスケゴの方々は、どこの遺跡にも番人を置かれているのですか?」

 カサンドラとアブラーンが同時に首を振った。

「若きオクターリャ、そこまで我々は手を回せないのです。はっきりムリリョ家が建設に携わった場所にのみ番人を置いています。他のマスケゴの家が建てた場所まで我々は世話をする余裕がない。過激派がクアラに目を付けたことは、レンドイロにとって幸運だったと思って欲しいぐらいです。他の家が建設した遺跡へ誘い出されていたら、彼女は既に生きていなかったでしょう。」
「ウェルタはあなた方に女の行方に関して嘘をついた訳ですね。」

とケツァル少佐が初めて口を挟んだ。カサンドラが悔しそうな表情で頷いた。

「少佐があの男を捕縛されたそうですが、記者を監禁した件に関してどんな言い訳をしていましたか?」
「ジャガーへの生贄のために捕まえていたと言いました。レンドイロに対して性的虐待をした形跡はなく、彼女もそれに関しては言及していません。」
「確かに、あの場所は生贄を祭祀の時まで留めおく部屋でした。しかし本来の期間は2日か3日です。1ヶ月も監禁する場所ではありません。長期の監禁場所は地上で、神殿から離れた所に牢獄があった筈です。あまりに時が長く、番人にも正確な建物の役割が伝わっていなかった。それにウェルタは生贄を扱う資格を持っていません。”ティエラ”の番人でしかないのですから。」

 アブラーンが呟いた。

「あの男の件は父の耳に入っています。マスケゴの長老として父がどう判断するか、我々の口出し出来る段階ではなくなりました。」

 テオはアブラーンもカサンドラも父親が”砂の民”であることを知っているのだろうか、と疑問を感じた。”砂の民”は家族にもその役割を教えないと言う。子供達は父親のナワルがピューマであることを知らないのか? しかし、ムリリョ家の養い子であるフィデル・ケサダは養父の正体を知っている。いや、ムリリョ博士が自ら彼に明かしたのだ。フィデルの出自を教えた時に。
 クアラ遺跡の番人ペドロ・ウェルタは「行き過ぎた」行為をしてしまった。ムリリョ博士や長老会のメンバー達は彼にどんな判決を下すのだろう。ウェルタは誘拐犯として憲兵隊に逮捕され、今は裁判を待つ身だ。

第6部  虹の波      11

 レストランはテオも教授会のパーティで利用したことがある高級フランス料理店フラウ・ルージュだった。正装しないと入れないドレスコードのある店だが、テオも大統領警護隊の友人達も普段着だった。しかしロホがレセプションで「ミゲール少佐と彼女の連れ」と名乗ると、丁寧な物腰で案内された。恐らく”幻視”で正装している様に店内の人間達には見えているのだろう。案内されたのは奥の個室だった。V I Pルームだ。そこにアブラーン・シメネス・デ・ムリリョと妹のカサンドラ・シメネス・デ・ムリリョがいた。2人のシメネス・デ・ムリリョは招待客が入室すると立ち上がって迎えた。

「呼び立ててしまい、申し訳ありませんでした。」

とカサンドラが挨拶した。ケツァル少佐がそれに対して、

「こちらからお訊きしたいこともありましたので、お招きに喜んで応じさせて頂きました。」

と返した。アブラーンが一同に着席を促した。

「先ず食事をしましょう。それから話をお聞き下さい。」

 料理が運ばれて来た。アスルがちょっと冷めた目でそれを眺めた。テオが尋ねた。

「フランス料理は馴染めないのか?」
「そうではない。カーラが同じ物を作ってくれたことがある。彼女の方が美味かった。」

 それはシェフの腕と言うより、舌に馴染んだ味付けになっていたのだろう、とテオは思ったが口に出さなかった。流石にこのお高く留まった店では、アスルも厨房を覗くことをしなかった。同じ物を作る気にもならないのだろう。テオも作って欲しいと思わなかった。高級フレンチは高級な店で食べるに限る。自宅で作ってもらうなら、セルバ料理で十分幸せ感を味わえる。焼きそばでも構わない。
 カサンドラが少佐に、養父のフェルナンド・フアン・ミゲール大使はサンシエラ財団の後継争いに無関係なのか、と尋ねた。テオはサスコシ系の富豪家族に3人の後継者候補がいることをニュースで聞いたことがあった。少佐は笑って、フェルナンドは支流の息子なので財団の経営から遠い位置にいます、と答えた。駐米大使として政治活動はしているが、財団の当主が誰になろうとセルバ共和国政府の対北米外交に変化がなければ、フェルナンドはこれまで通りのままです、と。 カサンドラは頷いた。跡目相続に巻き込まれなければ大使の外交に影響が出ない、と言うことはムリリョ家にとっても有り難い、北米に進出を考えている子会社の援助をしやすくなる、と言った。
 妹が熱心に仕事の話をするので、ロホとアスルを相手にサッカーの話をしていたアブラーンが注意した。

「食事中に政治や商売の話は良くない、カサンドラ。」
「スポーツの話も良くありませんわ、アブラーン。」

 兄妹で互いを注意し合ったので、客達は苦笑した。どちらも「良くない」話に付き合ってしまったのだから。
 食事が終わり、コーヒーと食後酒を楽しむ時間になって、やっとアブラーンが、「さて」と始めた。

「我等が祖先の遺跡を見て、テロリズムに利用出来ると考えた馬鹿どもを摘発するきっかけを作って頂いた大統領警護隊とドクトル・アルストに感謝します。」

 礼儀として大統領警護隊の隊員達が軽く頭を下げたので、テオも真似た。アブラーンは客達を見回し、何から話すべきだったかな、と呟いた。カサンドラが苦笑した。

「予習したんじゃなかったんですか、アブラーン。」



2022/04/23

第6部  虹の波      10

  どのくらいの時間眠ったのか定かでない。目が覚めたのは、上掛けが重たくて寝返りを打てなかったからだ。寝返りを打てない・・・?
 テオは目を開き、顔を上げた。彼の胸あたり、隣に頭を置いてケツァル少佐が寝ていた。テオは一瞬自分達は何処にいるのだろうと考えてしまった。首を動かし、自宅の己の寝室だと確認した。室内は暗かったが、住み慣れた部屋の様子はわかった。彼は体を横にずらし、なんとか上掛けから出た。寝るときに上掛けを被った記憶がなかったので、少佐かアスルが掛けてくれたのだろう。しかし、何故少佐がここで寝ているんだ?
 ケツァル少佐は仕事帰りなのかTシャツにデニムボトムだった。テオの靴が脱がされていたように、少佐も素足だった。穏やかな表情で眠っていたので起こすのは可哀想に思えたが、この現状を理解したかったので、テオは彼女の肩を軽く叩いた。

「少佐、起きてくれ。」

 うーん、と小さく声を立てて、少佐が目を開いた。滅多に見せない寝起きの表情だ。ぼーっと布団の表面を眺め、それからガバッと上体を起こした。

「今、何時ですか?」

 テオは照明を点けた。壁の時計を見た。

「午後8時17分? かな・・・」
「ああ、良かった。夜が明けたかと思いました。」

 テオは彼女を繁々と眺めた。

「君がそんなに眠り込むなんて珍しいな。」
「油断しました。」

 ケツァル少佐はベッドから降りた。テオのベッドで彼の隣で寝た言い訳をしないで部屋から出て行こうとしたので、テオは声をかけた。

「何か用があったんじゃないのか?」

 彼女が足を止めた。

「用がないと来てはいけないのですか?」
「それは・・・」

 テオは返事に窮した。交際しているのなら兎も角、まだそんな仲では・・・そんな仲になっているのか?
 彼が返事を躊躇っていると、少佐は髪を手で整えながら、廊下に出た。

「晩御飯に行きましょう。アスル、起きなさい!」

 アスルも寝ていたのか・・・。すると寝ていたのはほんの1時間程度だ。テオが帰宅した時、アスルは食事の支度をしないでテレビを見ていた。テオは、彼はもう夕食を済ませたのだと思っていたのだ。
 家の外にケツァル少佐のベンツが駐車していた。まだ疲れた顔をしていると自覚があるテオと、昼寝ならぬ夕寝を邪魔された、ちょっぴり不機嫌なアスルを後部席に乗せて、ケツァル少佐はベンツの運転席に座った。
 彼女は真っ直ぐ市街地に行かず、坂道をちょっと登り、そこでロホを拾った。助手席に座ったロホは後ろを振り返り、「お帰りなさい」とテオに挨拶してくれた。
 走行中、車内が静かだったので、テオは我慢出来ずに誰にともなく質問をしてみた。

「この夕食は計画的なものかい?」

 アスルは答えず、ロホはちょっと間を置いて「スィ」と答えた。それから解説した。

「当初は少佐と私だけで、ある人と面会する予定でした。けれど貴方が帰宅されたとアスルから連絡をもらったので、少佐に報告すると、少佐が面会相手に貴方の同席を打診されたのです。結局貴方とアスルも加えて食事をしようと言う話になりました。」
「すると、もう1人店で合流するんだな?」
「1人なのか、2人なのか、わかりません。」

と少佐が言った。

「先方は『私達』と言われたので。」

 テオは現在進行形の事柄を考え、なんとなくこれから会食する相手の正体に見当がついた。

「マスケゴ族の人だな?」

 彼が呟くと、少佐が首を振った。

2022/04/22

第6部  虹の波      9

  往路より復路の方が時間がかかった。1ヶ月間鎖で繋がれて体力のない女性と、捕虜を連れているのだ。デルガド少尉はペドロ・ウェルタを監視しながら後ろについていた。テオはベアトリス・レンドイロの補助と世話だ。ケツァル少佐は彼女から先刻のウェルタの尋問の記憶を消し去った。ウェルタはそのことに気がつかないが、レンドイロが彼の罪が重くなるような証言をしなければ余計なことを言わない筈だ。彼は大統領警護隊の2人が普通の人間でないことを勘付いていた。だから少佐と目が合いそうになると慌てて視線を逸らせたし、デルガドの手が彼の体に何かの弾みで触れた時は、ビクッと跳び上がった。レンドイロは彼の怯え方を、彼女を誘拐した罪の重さを心配しているのだろうと思っただろう。
 携帯電話の電波が届く場所まで来ると、ケツァル少佐はアスクラカンの憲兵隊に電話をかけた。だから森から出て出発地点に辿り着くと、憲兵隊の車両と救急車が待機していたので、テオはホッとして気が抜けそうになった。ベアトリス・レンドイロは彼と大統領警護隊に感謝して、救急車に乗せられ運ばれて行った。ペドロ・ウェルタは憲兵隊に引き渡された。それらの様子は耳聡いマスコミに撮影されたが、セルバ共和国のメディア関係者達は大統領警護隊を撮影してはいけないことを知っている。だからテオばかりがカメラに追いかけられることになった。
 何故グラダ大学の生物学部遺伝子工学科の准教授が遺跡で行方不明だった雑誌記者を救出したのか? それに関してテオは、「バスの中で出会ったすぐ後で行方不明になった知人が気になった。しかし遺跡に行ったのは、新種の生物を探す目的で、捜索活動をしていた大統領警護隊の友人について行っただけだ。」と語った。ケツァル少佐からペドロ・ウェルタの証言に関する記憶を抜かれているレンドイロは、救出された時の様子を語ったが、彼女自身実際に当時混乱していたので証言が二転三転し、状況がはっきりしなかった。
 テオはすぐに憲兵隊の事情聴取から解放され、ケツァル少佐とデルガド少尉に別れを告げてエル・ティティに戻った。帰宅した時は疲れていたので、家に入るなりシャワーに直行して、それからベッドに倒れ込み、すぐに睡魔の虜になった。
 目が覚めると朝が来ており、彼は一躍エル・ティティの英雄になっていた。テレビのニュースを見た住民達が続々とお祝いに訪れ、彼はゴンザレスや警察署に迷惑をかけては行けないと考え、結局教会で講演会を開き、彼が語ることが許される範囲で冒険談を語った。
 エル・ティティの騒ぎは3日もすれば沈静化したが、その間テオはテレビやネットのニュースでグラダ・シティでレグレシオンの本拠地が憲兵隊の奇襲に遭い、多くの逮捕者が出たと知った。テロを行った事実はなくても、準備していたら犯罪になる。憲兵隊はレグレシオンが製造していた時限爆弾やその材料、シティ・ホールや市役所、放送局の設計図を押収した。オルガ・グランデでは殺人罪で数人の学生や元学識者のホームレスが逮捕された。アメリカ人占い師と、セルバ人の男性を殺害した容疑だ。誰が実行者かなど憲兵隊は問題にしなかった。関わった全員が犯罪者だ。テオは中米のこの無茶振りを時々「行き過ぎだ」と感じるが、テロリストが相手の時は、問題にしないことにした。彼等は性別年齢貧富の差を考えずに市民を殺傷することしか考えていない悪魔だ。テオはそう割り切ることに決めていた。テロリストがそんな行動や思想を抱くに至った過程など問題ではない。そんなことを考えること自体が問題なのだ。
 ゴンザレスは義理の息子が有名になったことを心配していた。テオ自身がテロや誘拐の標的にされることを心配したのだ。

「俺のことは心配しなくて良い。お前はグラダ・シティで”シエロ”の友人達の近くにいろ。ここへは休暇で帰って来てくれるだけで十分、俺は幸せだよ。お前がここにいる方が、俺は却って心配なんだ。」

 テオもゴンザレスやエル・ティティの住民が気掛かりだった。迷惑をかけてはいけない。彼はゴンザレスの厚意を受け容れることにした。
 新学期までまだ1ヶ月以上残っていたが、テオはグラダ・シティに帰った。予定より早い主人の帰宅に、留守宅で一人暢んびり夜を過ごしていたアスルはちょっぴりふくれっ面をしたが、腹を立てることはなかった。テオの自宅の中は綺麗に片付いていて、まるで誰も住んでいないみたいに見えた。元々アスルは物を持たない男だったし、散らかしたり家具を動かすこともしない。
 テオは荷物を寝室の床に置くと、ベッドの上に服を着たまま寝転がり、そのまま眠りに落ちた。


2022/04/21

第6部  虹の波      8

「貴方が知っている”ヴェルデ・シエロ”とは、誰です?」

 ケツァル少佐が落ち着いた声で尋ねた。テオは彼女が最前から”操心”を使っていることを知っていた。ペドロ・ウエルタと名乗った男は少佐に逆らえない。彼女の質問に対して嘘で答えたり、沈黙することは出来ない。ウエルタは目に薄っすらと涙を浮かべて答えた。

「ムリリョ・・・我が神の名前はムリリョだ・・・」

 テオはびっくりしたが、デルガドも目を見開いた。しかし彼等よりもベアトリス・レンドイロの驚きの方が大きかった。

「ムリリョ? まさか、あの考古学のムリリョ博士?」
「セニョリータ・・・」

とデルガドが彼女を呼んだ。レンドイロが彼を見て、視線を合わせた。テオはいきなり彼女がガクンと膝を折り、全体重を彼に掛けてきたので慌てた。デルガドが彼女を眠らせたのだ。
 ケツァル少佐はそんな小さな騒動など目に入らぬ様に、ウエルタに質問を続けた。

「ムリリョが貴方にレグレシオンのことを教えたのは、貴方がレンドイロを捕まえる前でしたか、後でしたか?」
「前だ。遺跡のことを調べに来る他所者がいたら知らせろと命じられた。特にレグレシオンと言う悪い連中は七柱のことを知りたがるから、警戒しろと言われた。七柱のことを調べている女記者や占い師が来たら遺跡に近づかせるなとも言われた。」
「その女記者をレグレシオンが誘き出したので、貴方が横取りしたのですね?」
「スィ。」
「彼女を奪われたレグレシオンの男はどうしました?」
「死んだ。」

 ウエルタは平然と答えた。”操心”に掛けられているとは言え、あっさりし過ぎている、とテオは感じたが黙っていた。支えているレンドイロの体が重たくなってきた。

「貴方が殺したのですか?」
「ジャガーに一撃された。俺はやっていない。」

 そのジャガーは誰かのナワルなのか、それとも野生のジャガーなのか。テオは野生のジャガーならタイミングが良すぎる、と思った。”ヴェルデ・シエロ”のナワルだ。ベアトリス・レンドイロを尾行していたのか、それともレグレシオンの男が尾行されていたのかわからないが、恐らくその”ヴェルデ・シエロ”は”砂の民”なのだろう、と彼は思った。だがムリリョ博士ではない、とテオは確信した。博士が変身して過激派の血で己の牙を汚すだろうか。それに博士はジャガーではなくピューマだ。ではウエルタが見たジャガーは? 
 ジャガーの詳細を聞きたかったが、少佐の”操心”術の邪魔をする訳にいかない。テオは我慢して彼女の質問を聞いていた。

「殺された男の死体はどうしました?」
「森の中に埋めた。」
「では、レグレシオンから助けたレンドイロを何故遺跡に監禁したのです。」

 ウエルタはテオが仰天するような返答をした。

「ジャガーに捧げるためだ。ジャガーが戻って来たら、彼女を生贄に差し出すつもりだった。」

 だがジャガーは戻って来なかった。だからレンドイロは殺されもせず、1ヶ月も鎖に繋がれていたのだ。
 ケツァル少佐がハァッと息を吐いた。ペドロ・ウエルタはハッと夢から覚めたかの様な顔をした。そして不安気に大統領警護隊の緑色に輝く徽章を胸に付けた男女の軍人を見比べた。”ヴェルデ・シエロ”と会話が出来ると言う大統領警護隊だ。
 少佐がレンドイロを振り返った。

「この女性をジャガーの生贄にするつもりだったのですか?」

 ウエルタは己が何を喋ったのか記憶にないのだろう、顔が土色になった。

「俺は何を喋ったんだ?」

 少佐がテオに尋ねた。

「この男をどうすべきですか? 誘拐と監禁の罪で憲兵隊に引き渡すことは出来ます。」
「”ヴェルデ・シエロ”の僕として遺跡の番人をしていたんだな? 口は固いと思う。神の話を他人にすればテメェの命がなくなるってことは理解しているだろう。」

 テオはウエルタに尋ねた。

「君はこの女性を誘拐したのか?」

 ウエルタはテオが支えているレンドイロを見た。ぐったりしている彼女を暫く眺め、それからテオや大統領警護隊を見ないように努めながら言った。

「そうだ。彼女が悪い奴に騙されて森に連れて来られたのを助けた。だけど美人だったので、俺の女にしようと思って閉じ込めていた。」

 簡潔な、しかし憲兵隊が納得する説明だ。嘘の説明だが、世間は信じるだろう。ウエルタは己の名誉が地に落ちても主人である”ヴェルデ・シエロ”の命令を守り抜くのだ。
 ケツァル少佐がレンドイロを見て、それからデルガド少尉を見た。

「少尉、彼女を起こしなさい。テオに担がせて行くつもりですか?」
「申し訳ありません、尋問を聞かれたくなかったので。」

 デルガド少尉はレンドイロの額に右人差し指を当てて、「起きろ」と囁いた。



第6部  虹の波      7

  ジャングルの夜は蒸し暑く、雨季らしくジメジメしていた。その日は雨が降らず、夜は冷え込まなかった。蚊に刺されるかと心配したが、2人の”ヴェルデ・シエロ”が故意に無防備に気を放出して寝たので、虫は寄って来なかった。ある意味、それは危険行為で、同じ”ヴェルデ・シエロ”の敵がいれば存在を察知されてしまうのだ。しかしケツァル少佐とデルガド少尉は2人の守るべき”ティエラ”を抱えていたので、敢えて「気を緩ませて」一夜を過ごした。
 朝は霧が出ていた。テオは太陽がどこにあるのかと天空を見上げ、微かに白い円形の光を霧の膜の向こうに見つけた。あっちが東なのか、と思った。彼の感覚では現場はアスクラカンの街より南だ。北へ歩いて行かねばならない。
 少佐が上の枝から手を伸ばしてアーモンド味のクランチバーをくれた。水分も欲しかったが、それはテオのリュックの中に入っているペットボトルの中に4分の1程残っているだけだった。
 地面に降りると、テオはデルガドの助けで降りて来たベアトリス・レンドイロに肩を貸し、アスクラカンへ戻り始めた。前夜勢いよく誘拐された過程を語った雑誌記者は、朝になると疲れがさらに酷くなっていた。デルガドが歩きながら見つけた木の葉を搾って苦そうな液体を彼女に飲ませた。すると彼女は少しだけ元気を取り戻して足を前に出して歩いた。

「薬草かい?」

 テオがそっとケツァル少佐に訊くと、少佐が彼にだけわかるようにドイツ語で答えた。

「麻薬成分を含む植物です。」

 レンドイロの疲労や苦痛を和らげるだけのものだ。
 小一時間歩いて、少佐が足を止めた。片手を挙げたので、テオとデルガドも止まった。テオは背後でデルガドがアサルトライフルを構え直す微かな音を耳にした。少佐が石像の様に固まったので、少尉も動かない。テオも息を潜めた。レンドイロだけがぼんやりと彼の体に腕を回し、もたれかかって立っていた。
 数分後に、やっとテオの耳にも足音が聞こえて来た。下草を踏み、木の枝を動かさぬ様砕心して歩いているが、ジャガーやマーゲイの耳には十分聞こえるのだろう。そして通常の人間より聴力の良いテオにも聞き取れた。不自然な音だ。樹上にいる猿や鳥が立てる音ではない。
 足音は片足を少し引きずった感じだった。怪我で足に多少の障害が残ったのか、引きずる癖があるのか定かでないが、特徴がある音だった。さあ来い、とばかりに少佐がライフルを音源の方向に向けた。
 レンドイロがやっと音を聞き分けたのか、テオの背中に回した手に力を入れた。微かな震えが伝わって来たので、テオは空いた手で彼女の手を軽く叩いて励ました。ここで怯えてパニックになってくれるな、と願いながら。
 戦闘態勢に入った2人の”ヴェルデ・シエロ”は完全に気配を消していた。目の前にいるのに人間が存在する気配がない。
 足音がすぐそこまで近づいた時、頭上で猿が吠えた。接近者に驚いたのだ。接近者が逆にそれに驚いて足を止めた。いきなり膠着状態に陥った。接近者も警戒して動くのを止めた。少佐とデルガドには相手の位置がわかったのだろう、彼等は焦らず、空気の一部になって向こうが動き出すのを待った。レンドイロもテオも息を止めてしまった。
 接近者が動いた瞬間、ケツァル少佐がクッと喉の奥で音を発した。テオはレンドイロを抱えて地面に伏せた。少佐も伏せ、最後尾のデルガドが3人を飛び越えて薮の中に踊り込んだ。
男の「わーっ!」と言う叫び声が上がると同時に、少佐が跳ね起き、彼女も藪に飛び込んだ。

「助けてくれ!」

 聞き覚えのない男の声が叫んだ。テオはレンドイロを助けながら起き上がり、泥を落として、ゆっくり藪へ歩いて行った。薮は激しく揺れていたが、テオとレンドイロが到着すると静かになっていた。
 無精髭の農民の姿の男が跪いていた。後ろ手に手錠をかけられている。デルガドの見事な捕縛術だった。男は顔は手入れをしていなかったが、服装はデルガドと格闘した際の汚れ程度で、荒んだ感じはなかった。少佐がライフルの銃先で男の顎を持ち上げて顔を見た。

「何者です?」

 男より先にレンドイロが震える声で言った。

「私を捕まえていた人です。」

 少佐は彼女を振り返らずに男の目を見つめた。

「名乗りなさい。」
「ペドロ・ウエルタ・・・」
「何処に住んでいますか?」

 男はアスクラカンの南の地区の名を告げた。低所得者が住む農村だ。所謂小作農が住む地区だった。

「貴方はベアトリス・レンドイロを誘拐しましたね?」
「・・・助けた。レグレシオンから・・・」

 テオは思わず少佐を見たが彼女は振り返らなかった。それで彼はデルガドを見た。デルガドは彼を見返し、それからまた少佐に視線を戻した。レンドイロを見ると、彼女はレグレシオンを知っているが、何故あの過激組織の名がここで出てくるのかわからない、そんな表情だった。

「彼女を最初に誘拐した男はレグレシオンの構成員ですか?」
「スィ。・・・彼女から七柱の仕組みを聞き出そうとして、彼女を誘き出した。」
「貴方はどうやってそのことを知ったのです?」
「村の古老に遺跡の場所を訊きに来た男がいた。遺跡に七柱があるか、まだ崩れずに残っているかと訊いてきた。古老は怪しんで答えなかった。後で俺に男のことを教えてくれた。」
「何故古老は貴方にレグレシオンのことを教えたのです?」
「俺が遺跡の管理者だから。」
「管理者?」
「ずっと昔から、俺の家は遺跡を管理してきた。ずっとずっと昔からだ。”ヴェルデ・シエロ”が去る時に、俺の先祖にそうしろと命じたからだ。」
「遺跡のことを訊いてきた男がレグレシオンだ、とどうして貴方は知っているのです?」
「”ヴェルデ・シエロ”がそう教えてくれた。」

 デルガド少尉がテオを見た。テオも彼を見た。レンドイロが呟いた。

「いるの? ”ヴェルデ・シエロ”が?」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...