2022/04/26

第6部  虹の波      16

  ルカ・パエス少尉はセプルベダ少佐と共に地下神殿に降り、そこで蒸し風呂で1時間潔斎した。身体を清め、精神を落ち着かせ、褌1丁だけの姿になった。
 セプルベダ少佐が説明した。

「これから祈りの部屋に入る。承知している筈だが、我々が”名を秘めた女性”のご尊顔を拝することは許されていない。」
「スィ。」
「祈りの部屋の中では好きな場所に座って良い。体を横たえても良い。そこで瞑想に入る。”名を秘めた女性”がグラダ・シティを地域毎に区切って君に見せて下さる。どんな形で見せて下さるのか、私にはわからぬ。君が見て、そこから爆弾を探せ。恐らく、悪き者が物体に残した悪き心が君に見えるだろう。君はその場所が何処か考える。」
「私はグラダ・シティに詳しくありません。」
「地名は考えなくて良い。”名を秘めた女性”に現代人が付けた地名など意味がない。君はその場所の特徴を見るのだ。私は君の横にいて、君が目的の場所が何処か分かれば感じる。もしグラダ・シティに何もなければ、”名を秘めた女性”はセルバ全土にヴィジョンを拡げられる。君はかなり消耗するだろう。もし耐えられなくなったら、我慢せずに”名を秘めた女性”に申し上げろ。君が我慢すれば、”名を秘めた女性”も消耗なさるからだ。」

 パエスは意見を述べてみた。

「もし私が、グラダ・シティで爆弾を見つけ、まだ他の土地にもあるかも知れないと思ったら、探索を続けてよろしいのですか?」

 セプルベダ少佐が厳しい顔に微笑を浮かべた。

「勿論だとも! これはかなり体力と気力を要する任務だが、君はそれを敢えて恐れずに請けてくれるのだな?」

 パエス少尉は右手を左胸に当てて、一族へ忠誠を誓う言葉を呟いた。

「我等が空の為に。我等が守る地の為に。」

 セプルベダ少佐がそれを賞賛する言葉を囁いた。

「太陽の野に星の鯨が眠っている。汝が星の一つとなることを願わん。」

 即ち、いつの日にか貴方がこの世から去る時に、英雄として讃えられることを願っていると言う意味だ。それは”ヴェルデ・シエロ”の戦士にとって最高の戦意高揚の言葉だった。
 パエス少尉は、若者の様に、大声を腹の底から発した。

「ほーーーーい! いやぁは!」

 セプルベダ少尉も同じ言葉を発した。

「ほーーーーい! いやぁは!」

 戦士達が敵陣へ乗り込む時に互いに掛け合う激励の声だった。
 パエスは理解していた。彼がママコナの結界の元で爆弾探索をしている間、彼の隣に座ってひたすら瞑想するセプルベダもかなりの消耗を強いられるのだと言うことを。
 既に壮年に入っている2人のエル・パハロス・ヴェルデスは祈りの部屋の重い扉を一緒に押し開いた。小さな入り口の奥は、広い空間があった。太い7本の柱に囲まれて中央に高い台座があり、そこに白い影が立っていた。パエスとセプルベダは顔を伏せ、中に入った。冷たい印象の石の床だったが、実際は人間の体温に近い温かさだった。パエスは無言で歩いて行き、やがて彼の本能が「ここ」と示した場所で腰を下ろした。あぐらをかいて座ると、横にセプルベダも無言で座った。
 パエスは目を閉じ、深呼吸した。頭の中に虹色の光が流れ込んで来る様な錯覚に襲われた。脳の中を掻き回される? 目を閉じているのに目眩がした。苦しい、と感じ掛けたその瞬間、彼は脳に直接呼びかける声を聞いた。彼の真の名前を呼ばれた。途端に苦しさは消え去り、彼は心地良い感覚に全身を包まれた。虹が波の様に彼に押し寄せ続けたが、目眩は止んだ。そして虹の波の中に、”曙のピラミッド”が一瞬見えて、それからいきなり俗世が現れた。一番最初は、グラダ・シティ国際空港だった。


第6部  虹の波      15

  次の日の午後、グラダ・シティにある大統領警護隊本部に1台のタクシーが到着した。タクシーは1人の軍人を下ろすと、そそくさと逃げるかの様に本部敷地から出て行こうとした。ゲイトで止められた時は不安に満ちた顔のドライバーだったが、「忘れ物だ」と料金を渡され、気絶しそうな程安堵の表情になった。国境の町クエバ・ネグラからの往復の運賃をもらい、ドライバーはロス・パハロス・ヴェルデスは想像したより怖くない人々なんだな、と思った。
 タクシーから降りた軍人の方も緊張の面持ちで早朝に指示された司令部の建物へ向かった。訪問者用入口でI Dを提示して名乗った。

「北部国境警備隊クエバ・ネグラ検問所警備班、ルカ・パエス少尉です。副司令のご指示で出頭しました。」

 彼を呼んだのはエルドラン中佐だったが、もし勤務交代の時間が過ぎていればトーコ中佐が副司令官室にいる。パエス少尉はどちらの中佐に会えば良いのか少し戸惑っていた。勤務交代すれば非番になったどちらの中佐も官舎へ入ってしまうのだと知っていた。受付の警備班将校は彼に副司令官室へ行くよう告げただけで、どちらの副司令官がいるのか情報をくれなかった。
 パエス少尉は緊張したまま通路を歩いた。太平洋警備室から国境警備隊への転属を命じられた時は、リモートによる指令で、サン・セレスト村から直接新しい任地へ赴いた。グラダ・シティに行くことはなかった。本部帰還は太平洋警備室に配属された若き日以来だ。だが訓練施設も警備班の宿舎も神殿の礼拝広間も全て鮮明に記憶に残っていた。

 あれから20年近く経っているのに、ここは全く変わっていない・・・

 彼はすれ違う事務官と何度か敬礼を交わし、副司令官室の前に立った。軍服の埃を払い、皺を伸ばし、背筋を伸ばしてからドアをノックした。「入れ」と低い声が聞こえた。
 パエス少尉が入室すると、そこにエルドラン中佐とパエスが知らないずんぐりとした将校がいた。ずんぐりした将校の肩章は少佐だ。中佐は座ったままだったが、少佐が立ち上がって自己紹介した。

「遊撃班指揮のセプルベダ少佐だ。楽にして座りたまえ。」

 パエス少尉は敬礼して、指された椅子に座った。エルドラン中佐が声を掛けた。

「遠路遥々来させてしまい、ご苦労だった。申し訳ないが、ゆっくり近況を聞く時間があまりない。レグレシオンを知っているな?」

 パエス少尉は頷いた。

「スィ。武器の密輸を行う恐れがあるグループの一つとして警戒しております。」
「そのレグレシオンが国内で爆弾を製造し、公共施設に仕掛けた恐れがある。既にシティ・ホールで7個回収したが、逮捕者達はまだ残っているのか、もうないのか、口を割らない。”操心”で自白させた爆弾がシティ・ホールのものだけだった。しかしまだ逮捕されていないメンバーもいる。」

 パエスは上官が彼に何を求めているのか理解出来ず、ただ無言で中佐の額を見つめた。

「君は機械いじりが得意だそうだな?」
「恐縮です。得意と申しますか、機械の方から私にどうすべきか伝えてくれる様な気分で触っています。現在の任務ではあまり使う機会がありませんが・・・」
「要するに、君は機械の光が見える訳だ。」

 エルドラン中佐の言葉にパエス少尉は黙り込んだ。”ヴェルデ・シエロ”に伝わる古い言葉で、「・・・の光が見える」と言うフレーズがある。ある特定の分野に秀でた人間は、その分野に関係する物質が発する光を見分けられると言うものだ。”ヴェルデ・シエロ”なら誰でも、と言うことではない。本当に名人級の職人でしか見えない、尊敬を込めた言葉だ。そして実際にその名人は光が見えるのだと言う。
 パエスがやがて尋ねた。

「私に爆弾を探せと?」

 エルドランは次に彼が言うであろう言葉を察していたので、先にそれを遮った。

「現場に君が行く必要はない。何処にあるのか、存在するのかわからぬ物を実際に出かけて行って探す必要はない。」
「では?」
「神殿の祈りの間で、探せ。」

 セプルベダ少佐が言葉を添えた。

「”名を秘めた女性”がお手伝いして下さる。」

 パエスは新たな緊張を覚え、全身に震えが来そうになって必死で耐えた。

「私に出来るでしょうか?」
「試してみなければわからぬ。だが、ケツァルとガルソンが、君なら出来ると推薦している。」

 パエス少尉は眉を上げた。驚いたのだ。

「ケツァル少佐とガルソン大尉・・・いや、ガルソン中尉が?!」

 既にセプルベダ少佐はドアまで歩いていた。

「直ぐに神殿へ行こう。”名を秘めた女性”がお待ちかねだ。」


 

2022/04/25

第6部  虹の波      14

  レストラン、フラウ・ルージュを出ると、テオと3人の大統領警護隊隊員はケツァル少佐のベンツの中に入った。しかし少佐はすぐにエンジンをかけることはせず、暫く座席の背もたれに体重を預け、ぼんやりフロントガラスの向こうの夜景を眺めていた。後部席に座ったアスルとテオも眠くなって、そのまま目を閉じたら落ちてしまいそうだ。ロホだけが腕組みをして何か考え事をしている風に助手席に座っていた。
 数分後にロホが口を開いた。

「私は建築学の勉強をしていないので、当てずっぽうで意見を言います。」

 少佐が囁いた。

「どうぞ。」

 テオは聞き耳を立てた。アスルは目を閉じたままだ。ロホはいつもの静かな口調で語り出した。

「古代神殿の七柱は崩壊の為に立てられたのではなく、神殿を支えるのが本来の目的だった筈です。だから、崩壊させなければならない事態に陥った時でなければ倒れない様に立てられていた。倒すためには、柱が倒れる順番が決まっていて、その順番通りに倒さなければならない。ただ7本全部を倒しただけでは神殿は崩れなかった。順番を守らずに倒して崩れなければ、他の柱も全て倒さなければならなかったのです。ですから、現在遺跡となっている神殿跡を見ても、七柱の仕組みを用いて崩壊させたのか、地震や故意に破壊して柱を無闇矢鱈折った結果崩壊したのか、判明しないのです。恐らく建設したマスケゴ族の技術を伝承された者にしか見分けがつかないでしょう。雑誌記者や過激派が遺跡を見ても七柱の仕組みなど解明出来ないのです。
 しかしレグレシオンは破棄工作に自信を持っていた様です。恐らく現代建築工学の観点から爆弾を仕掛ける場所を計算で出したのでしょう。我が国の憲兵隊は優秀です。”シエロ”でなくても仕事は完徹させます。彼等は昨日グラダ・シティ・ホールに仕掛けられた7個の爆弾を発見、解除しました。」

 え? とテオは驚いた。そんなニュースは聞いていなかった。その証拠にケツァル少佐が首を動かして部下を見た。

「私は知りませんでしたよ。」
「私も1時間前迄知りませんでした。」

とロホはケロリとして応じた。

「カサンドラ・シメネスが”心話”で教えてくれたのです。」

 へぇ、と寝ていた筈のアスルが声を出した。

「女性にモテるお方は得だね。」
「アスル!」

 ロホが後部席を振り返って睨みつけた。少佐が咳払いしたので、彼は慌てて前へ向き直った。

「レグレシオンは他にも爆弾を仕掛ける計画だった様ですが、憲兵隊の動きが早かったので、彼等のアジトで未完成の爆弾や材料を押収した様です。勿論、何処かに仕掛けられた物がないか、現在も逮捕者を追及中です。捜査もしています。」
「1個でも残っていれば大変です。」

 ケツァル少佐が考え込んだ。レグレシオンのメンバー全員を逮捕出来た訳ではないだろう。明確な組織構成を持たない過激派だ。取り逃したヤツもいると考えた方が無難だ。あんな得体の知れぬ敵を相手にする時、”ヴェルデ・シエロ”はどんな対抗策を用いるのだ?
 テオが思考の森に入りかけた時、少佐が何かを思いついた。

「そうだ、彼がいるではありませんか!」


第6部  虹の波      13

「次に、オルガ・グランデの男について話さなければなりません。」

とアブラーン・シメネス・デ・ムリリョは言った。ベンハミン・カージョのことだ。

「あの男は占い師として日銭を稼いでいた様ですが、他人の未来を占うことも見ることも出来ない筈です。未来を見ることを許されているのは、ママコナだけですから。占いも詐欺まがいの行為だったのでしょう。所謂、”出来損ない”ですから、”シエロ”ではなく”ティエラ”として真っ当に働いて生きる方が楽な人間です。しかし、”シエロ”の血にしがみついている。 」
「しかし・・・」

 またテオはうっかり口を挟んでしまった。アブラーンが睨んだが、彼は構わず喋った。

「カージョは一族にも”ティエラ”の社会にも不満と不審を抱いている様子でした。自分が何者なのか、決めかねているのでしょう。」
「彼の年齢にもなって決めかねると言うのは意思が薄弱な証拠です。」

とアスルがボソッと言った。ロホが苦笑の笑みを浮かべたが何もコメントしなかった。ケツァル少佐が連れの男達の余計な口出しを謝罪し、続けて下さいとアブラーンを促した。アブラーンも「話が長くなって申し訳ない」と謝ってから、話を再開した。

「カージョがレンドイロ記者とネット上で古代神殿の建築方法について議論したのは、特にこれと言った目的があった訳ではなかったのでしょう。しかしレグレシオンが彼等の会話を見つけてしまい、彼等が興味を抱いていたことと同じテーマだったので、接触を図ったのです。カージョは、彼と会う約束をしていたレンドイロが行方不明になった後でしたから、警戒して姿を隠しました。だからレグレシオンは彼のルームメイトを拷問して彼の居場所を聞き出そうとし、死なせてしまいました。
 同じ頃、アメリカから、古代の民族が核爆弾を開発したと言う妄想に囚われた男がやって来ました。」
「マックス・マンセル」

 テオが名前を出すと、アブラーンは仕方なく頷いた。

「そのマンセルと言う男はレグレシオンとどんな関係にあったのか知りませんが、オルガ・グランデに現れ、古い坑道を探し始めました。恐らく町に古くから伝わる”暗がりの神殿”、一般に”太陽神殿”の名で知られている場所を探していたのでしょう。私は”砂の民”ではありませんが、彼等が仕事をすればその結果を知ることが出来る立場にいます。オルガ・グランデの”砂の民”達はマンセルの行動を疎ましく感じたのです。だから、マンセルを排除する為に、カージョを探していたレグレシオンにマンセルの存在を教えました。」

 テオは、”砂の民”が過激派組織にマンセルを粛清させたのだと気がついた。いつものことながら、彼等の仕事は耳にして気持ちの良いものではない。その時、ロホが初めて口を挟んだ。

「”砂の民”の仕事に文句をつけるつもりはありませんが、レグレシオンはマンセルをオエステ・ブーカ族の村の川で殺害しました。結果、川が死の穢れを被ってしまい、私は祓いをしなければなりませんでした。オルガ・グランデで仕事をされた方に直接申し上げることは出来ませんし、今この部屋の中にいる方々にも関係ないことではありますが、粛清の結果、不都合が起きることもあると、心に留めて頂きたいです。」

 アブラーンが厳粛な表情で大きく頷き、それを了解したことを態度で告げた。

「長老会に伝えておきましょう。」

 カサンドラが言った。

「カージョが今何処でどうしているか、私達にはわかりません。彼は私達には直接の害がない人間ですが、マスコミに捕まったら何を喋るか予想がつきません。恐らく、”砂の民”も同じ様に考えていることでしょう。」

 テオは新たな不安を感じた。

「彼を粛清すると言うのですか?」
「今すぐではないと思いますが、監視をつけていると思います。」

 アブラーンが溜め息をついた。

「我が家系は純血至上主義で知られています。ただ、子孫を保つ為に”シエロ”は純血ではいられない、それは理解しているつもりです。純血種と”出来損ない”の扱いの差が、カージョの様な不穏分子を生み出すのです。もう少し風通しの良い一族とならなければなりません。私も含めて、年寄りは反省すべきです。」

 まだ中年のアブラーンがそう言うので、誰もが苦笑するしかなかった。
 アブラーンはこの会食のまとめにかかった。

「我が家系、我が部族は古代の秘密を守る為に現代の人間を害したりしません。考古学者が何を見つけようと、それが現代社会に影響を及ぼす恐れはないからです。ですから、文化保護担当部はこれからも学術的研究に協力してやって頂きたい。我々は妨害しません。それを理解して頂きたい、それだけです。」



2022/04/24

第6部  虹の波      12

 「我が一族の当主のみに伝えられる建築工法の秘密について、”ティエラ”達が興味を抱き始めたのは、この一年程のことです。」

とアブラーン・シメネス・デ・ムリリョは始めた。

「当初は考古学関係の連中が最も古い神殿のいくつかに、他より太い柱の跡が必ず7つあると言う事実に気が付きました。彼等はその7つの柱がある神殿こそ”ヴェルデ・シエロ”が建設したもので、伝説の神々の痕跡だと学会で論じ合った様です。我等が長老会は、この件に関しては放置していました。古代の建築が研究されたからと言って、現代に生きる我々の存在が世間に知られる恐れはないと考えられたからです。
 ところが、考古学会で報告されたその研究が外国でも物好き達の注目を集めた様です。文化保護担当部の皆さんがご存じの様に、アメリカ合衆国からおかしな方向に考えを発展させた連中がやって来て、カラコル遺跡の撮影やら、古代の核爆弾探しやら、奇妙な競争を始めました。彼等はサン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボがカラコル水中遺跡の発掘許可を申請したと知ると、それに便乗して海に潜ろうとしました。私は遺跡がどの程度露出しているのか知りたく思い、モンタルボ教授の資料を盗ませましたが、それは杞憂で、文化保護担当部に余計な仕事を作らせてしまい申し訳なく思っています。」

 ケツァル少佐が肩をすくめた。

「偶には出張も気晴らしで良かったですよ。」

 カサンドラ・シメネスが苦笑とも受け取れる微笑を浮かべた。アブラーンは軽く頭を下げ、話を続けた。

「厄介なのは、外国人ではなく、セルバ国民です。殆どの国民は考古学にあまり興味を抱かず、祟りを恐れて遺跡に近づきません。敢えて立ち入るのは盗掘者か、祈祷を行う者です。しかし、オルガ・グランデに住む占い師ベンハミン・カージョがインターネットで余計な投稿をしました。オエステ・ブーカ族の末裔で、”心話”と夜目程度の能力しか持たない男ですが、先祖から伝わるカラコル崩壊の物語を知っていた様です。彼は、”シエロ”の遺跡の共通項は7つの太い柱の跡であると書き、それに考古学の記事を書いていた雑誌記者ベアトリス・レンドイロが食いつきました。2人はネット上で遺跡の形状に関して多くの意見を交換し合い、七柱の跡がある神殿は全て崩壊していること、七柱跡がない神殿は柱が残っていることもあるのに、”シエロ”のものと思われる遺跡は全て崩壊している謎について考えを述べ合ったのです。我々は彼等がどんな結論を導きだそうが構わなかったのですが、興味がない訳ではなかったので、見ていました。」

 テオはアンゲルス鉱石のアントニオ・バルデスに頼んで調べてもらったカージョとレンドイロのフォロワーを思い出してみた。バルデスの会社のI T分析者が見つけたフォロワー6人のうち、レグレシオンと思われる人間が3人いた。残りは普通の市民だったと言うことだが、ロカ・エテルナ社の社員が含まれるのだろう。その社員もきっと”ヴェルデ・シエロ”だ。

「レンドイロがカージョと実際に会って意見交換しようと言う約束を交わした時、私は部下に彼女を尾行するよう指示を出しました。彼女を見張ると言うことではなく、カージョと言う人物を特定したかったからです。雑誌記者と違って、彼は一族の末裔です。何をどこまで知っているのか、確認したかった。ネット上の暴露の度が過ぎると、彼も記者も”砂の民”に粛清されます。2人だけなら良いが、粛清の範囲が広がれば収拾がつかなくなる恐れもありました。
 ところがアスクラカンでバスが休憩停車した時に彼女はバスから降り、そのまま子供に誘われてバスターミナルを離れました。部下が尾行すると彼女は農地の外れで一人の男に会い、森へ入って行きました。」

 テオはレンドイロやペドロ・ウェルタから聞いた話とアブラーンの話に矛盾がないか注意して聞いていた。当事者であったレンドイロは疲労と恐怖で少し記憶が混乱していただろうし、ウェルタは”操心”での自白なので訊かれたことの返答しか語っていなかった。ウェルタが見た「レグレシオンの男を襲ったジャガー」は何者だったのか。
 アブラーンが酒を一口飲んで休憩した。礼儀としてケツァル少佐もロホもアスルも黙って彼が話を再開するのを待っていた。テオは焦ったかったが、ここで”ヴェルデ・シエロ”達の機嫌を損ねたくなかったで我慢した。カサンドラが気を利かせて冷たいソフトドリンクを注文した。飲み物が来て、給仕が個室を出て行くと、やっとアブラーンが話の続きを始めた。

「アスクラカンの森には、地元民がクアラと呼ぶ遺跡があります。ケツァル少佐とドクトル・アルストは実際に行かれたので説明を省きますが、一族の祖先が築いた町の遺跡です。男はレンドイロをそこへ連れて行って七柱を用いた建造物崩壊の仕組みを語らせようとしたのです。つまり、その男は、レグレシオンと呼ばれる反政府過激派組織の一員でした。レンドイロを尾行していた私の部下は先回りして、クアラの番を先祖代々しているウェルタと言う”ティエラ”の男に女を奪えと命じました。ウェルタは命令通り過激派の男から女を逃がしましたが、部下が過激派の後始末をしている間に女を見失いました。」
「後始末って・・・」

 テオはうっかり口を挟んでしまった。ウェルタが自白させられた時に「レグレシオンの男はジャガーに殺された」と言ったことを思い出したのだ。”ヴェルデ・シエロ”は滅多にナワルの状態で人を殺さない筈だが。
 アブラーンが溜め息をついた。白人は礼儀を守らないなぁと諦めた顔だ。彼は説明した。

「部下はジャガーを召喚したのです。動物のジャガーです。一族のナワルではありません。」

 テオは思わずケツァル少佐を見た。”ヴェルデ・シエロ”は一族の人間だけでなく動物も呼べるのか? 少佐は彼の視線を無視した。ロホもアスルも何もコメントしなかった。

「ウェルタは部下に女を見失ったと報告し、部下は森で彼女を捜索することを諦めました。過激派の男の血で汚された森の浄化に気を使い果たしたからです。そして我々はベアトリス・レンドイロは森で迷って命を失ったのだろうと考え、女の件はそこで終わったと判断しました。まさかウェルタが彼女をクアラの生贄の部屋で監禁していたとは想像していませんでした。」
「我々は遺跡の番人とは殆ど接触しませんから。」

とカサンドラが言い訳した。その時、初めてアスルが発言した。

「マスケゴの方々は、どこの遺跡にも番人を置かれているのですか?」

 カサンドラとアブラーンが同時に首を振った。

「若きオクターリャ、そこまで我々は手を回せないのです。はっきりムリリョ家が建設に携わった場所にのみ番人を置いています。他のマスケゴの家が建てた場所まで我々は世話をする余裕がない。過激派がクアラに目を付けたことは、レンドイロにとって幸運だったと思って欲しいぐらいです。他の家が建設した遺跡へ誘い出されていたら、彼女は既に生きていなかったでしょう。」
「ウェルタはあなた方に女の行方に関して嘘をついた訳ですね。」

とケツァル少佐が初めて口を挟んだ。カサンドラが悔しそうな表情で頷いた。

「少佐があの男を捕縛されたそうですが、記者を監禁した件に関してどんな言い訳をしていましたか?」
「ジャガーへの生贄のために捕まえていたと言いました。レンドイロに対して性的虐待をした形跡はなく、彼女もそれに関しては言及していません。」
「確かに、あの場所は生贄を祭祀の時まで留めおく部屋でした。しかし本来の期間は2日か3日です。1ヶ月も監禁する場所ではありません。長期の監禁場所は地上で、神殿から離れた所に牢獄があった筈です。あまりに時が長く、番人にも正確な建物の役割が伝わっていなかった。それにウェルタは生贄を扱う資格を持っていません。”ティエラ”の番人でしかないのですから。」

 アブラーンが呟いた。

「あの男の件は父の耳に入っています。マスケゴの長老として父がどう判断するか、我々の口出し出来る段階ではなくなりました。」

 テオはアブラーンもカサンドラも父親が”砂の民”であることを知っているのだろうか、と疑問を感じた。”砂の民”は家族にもその役割を教えないと言う。子供達は父親のナワルがピューマであることを知らないのか? しかし、ムリリョ家の養い子であるフィデル・ケサダは養父の正体を知っている。いや、ムリリョ博士が自ら彼に明かしたのだ。フィデルの出自を教えた時に。
 クアラ遺跡の番人ペドロ・ウェルタは「行き過ぎた」行為をしてしまった。ムリリョ博士や長老会のメンバー達は彼にどんな判決を下すのだろう。ウェルタは誘拐犯として憲兵隊に逮捕され、今は裁判を待つ身だ。

第6部  虹の波      11

 レストランはテオも教授会のパーティで利用したことがある高級フランス料理店フラウ・ルージュだった。正装しないと入れないドレスコードのある店だが、テオも大統領警護隊の友人達も普段着だった。しかしロホがレセプションで「ミゲール少佐と彼女の連れ」と名乗ると、丁寧な物腰で案内された。恐らく”幻視”で正装している様に店内の人間達には見えているのだろう。案内されたのは奥の個室だった。V I Pルームだ。そこにアブラーン・シメネス・デ・ムリリョと妹のカサンドラ・シメネス・デ・ムリリョがいた。2人のシメネス・デ・ムリリョは招待客が入室すると立ち上がって迎えた。

「呼び立ててしまい、申し訳ありませんでした。」

とカサンドラが挨拶した。ケツァル少佐がそれに対して、

「こちらからお訊きしたいこともありましたので、お招きに喜んで応じさせて頂きました。」

と返した。アブラーンが一同に着席を促した。

「先ず食事をしましょう。それから話をお聞き下さい。」

 料理が運ばれて来た。アスルがちょっと冷めた目でそれを眺めた。テオが尋ねた。

「フランス料理は馴染めないのか?」
「そうではない。カーラが同じ物を作ってくれたことがある。彼女の方が美味かった。」

 それはシェフの腕と言うより、舌に馴染んだ味付けになっていたのだろう、とテオは思ったが口に出さなかった。流石にこのお高く留まった店では、アスルも厨房を覗くことをしなかった。同じ物を作る気にもならないのだろう。テオも作って欲しいと思わなかった。高級フレンチは高級な店で食べるに限る。自宅で作ってもらうなら、セルバ料理で十分幸せ感を味わえる。焼きそばでも構わない。
 カサンドラが少佐に、養父のフェルナンド・フアン・ミゲール大使はサンシエラ財団の後継争いに無関係なのか、と尋ねた。テオはサスコシ系の富豪家族に3人の後継者候補がいることをニュースで聞いたことがあった。少佐は笑って、フェルナンドは支流の息子なので財団の経営から遠い位置にいます、と答えた。駐米大使として政治活動はしているが、財団の当主が誰になろうとセルバ共和国政府の対北米外交に変化がなければ、フェルナンドはこれまで通りのままです、と。 カサンドラは頷いた。跡目相続に巻き込まれなければ大使の外交に影響が出ない、と言うことはムリリョ家にとっても有り難い、北米に進出を考えている子会社の援助をしやすくなる、と言った。
 妹が熱心に仕事の話をするので、ロホとアスルを相手にサッカーの話をしていたアブラーンが注意した。

「食事中に政治や商売の話は良くない、カサンドラ。」
「スポーツの話も良くありませんわ、アブラーン。」

 兄妹で互いを注意し合ったので、客達は苦笑した。どちらも「良くない」話に付き合ってしまったのだから。
 食事が終わり、コーヒーと食後酒を楽しむ時間になって、やっとアブラーンが、「さて」と始めた。

「我等が祖先の遺跡を見て、テロリズムに利用出来ると考えた馬鹿どもを摘発するきっかけを作って頂いた大統領警護隊とドクトル・アルストに感謝します。」

 礼儀として大統領警護隊の隊員達が軽く頭を下げたので、テオも真似た。アブラーンは客達を見回し、何から話すべきだったかな、と呟いた。カサンドラが苦笑した。

「予習したんじゃなかったんですか、アブラーン。」



2022/04/23

第6部  虹の波      10

  どのくらいの時間眠ったのか定かでない。目が覚めたのは、上掛けが重たくて寝返りを打てなかったからだ。寝返りを打てない・・・?
 テオは目を開き、顔を上げた。彼の胸あたり、隣に頭を置いてケツァル少佐が寝ていた。テオは一瞬自分達は何処にいるのだろうと考えてしまった。首を動かし、自宅の己の寝室だと確認した。室内は暗かったが、住み慣れた部屋の様子はわかった。彼は体を横にずらし、なんとか上掛けから出た。寝るときに上掛けを被った記憶がなかったので、少佐かアスルが掛けてくれたのだろう。しかし、何故少佐がここで寝ているんだ?
 ケツァル少佐は仕事帰りなのかTシャツにデニムボトムだった。テオの靴が脱がされていたように、少佐も素足だった。穏やかな表情で眠っていたので起こすのは可哀想に思えたが、この現状を理解したかったので、テオは彼女の肩を軽く叩いた。

「少佐、起きてくれ。」

 うーん、と小さく声を立てて、少佐が目を開いた。滅多に見せない寝起きの表情だ。ぼーっと布団の表面を眺め、それからガバッと上体を起こした。

「今、何時ですか?」

 テオは照明を点けた。壁の時計を見た。

「午後8時17分? かな・・・」
「ああ、良かった。夜が明けたかと思いました。」

 テオは彼女を繁々と眺めた。

「君がそんなに眠り込むなんて珍しいな。」
「油断しました。」

 ケツァル少佐はベッドから降りた。テオのベッドで彼の隣で寝た言い訳をしないで部屋から出て行こうとしたので、テオは声をかけた。

「何か用があったんじゃないのか?」

 彼女が足を止めた。

「用がないと来てはいけないのですか?」
「それは・・・」

 テオは返事に窮した。交際しているのなら兎も角、まだそんな仲では・・・そんな仲になっているのか?
 彼が返事を躊躇っていると、少佐は髪を手で整えながら、廊下に出た。

「晩御飯に行きましょう。アスル、起きなさい!」

 アスルも寝ていたのか・・・。すると寝ていたのはほんの1時間程度だ。テオが帰宅した時、アスルは食事の支度をしないでテレビを見ていた。テオは、彼はもう夕食を済ませたのだと思っていたのだ。
 家の外にケツァル少佐のベンツが駐車していた。まだ疲れた顔をしていると自覚があるテオと、昼寝ならぬ夕寝を邪魔された、ちょっぴり不機嫌なアスルを後部席に乗せて、ケツァル少佐はベンツの運転席に座った。
 彼女は真っ直ぐ市街地に行かず、坂道をちょっと登り、そこでロホを拾った。助手席に座ったロホは後ろを振り返り、「お帰りなさい」とテオに挨拶してくれた。
 走行中、車内が静かだったので、テオは我慢出来ずに誰にともなく質問をしてみた。

「この夕食は計画的なものかい?」

 アスルは答えず、ロホはちょっと間を置いて「スィ」と答えた。それから解説した。

「当初は少佐と私だけで、ある人と面会する予定でした。けれど貴方が帰宅されたとアスルから連絡をもらったので、少佐に報告すると、少佐が面会相手に貴方の同席を打診されたのです。結局貴方とアスルも加えて食事をしようと言う話になりました。」
「すると、もう1人店で合流するんだな?」
「1人なのか、2人なのか、わかりません。」

と少佐が言った。

「先方は『私達』と言われたので。」

 テオは現在進行形の事柄を考え、なんとなくこれから会食する相手の正体に見当がついた。

「マスケゴ族の人だな?」

 彼が呟くと、少佐が首を振った。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...