2022/06/12

第7部 取り残された者      6

  大統領府の敷地内にある大統領警護隊の建物は、一見すると大統領官邸より小さく見える。しかし裏に回れば広い訓練施設が併設されており、グラウンドでは毎日兵士達がランニングをしたり障害物レースをして訓練に励んでいるのが見られる。そして市民は誰も知らないが、それらの施設の地下には数層になった居住施設やピラミッドに繋がる神殿がある。
 大統領警護隊本部の正門からテオの車は施設内に乗り入れた。初めてだ。門衛を務める兵士は敬礼して通してくれたが、恐らくテオにではなく助手席のステファン大尉に敬礼したのだ。大尉は規定通り緑の鳥の徽章を提示し、テオも大学のI Dカードと運転免許証を見せた。民間人が何故通るのか門衛は理由を知らないだろうが、ステファン大尉が一緒だったので、無言で通過許可を出した。
 車は来客用のスペースに駐車するよう大尉が指示した。そこには1台乗用車が駐車しており、テオはシーロ・ロペス少佐の車だと判別した。ロペス少佐は大統領警護隊の隊員だが、普段は外務省で働いているので、来客スペースを使ったのだろう、と思った。

「どこに連れて行かれるんだい?」

と尋ねると、ステファン大尉はやっと答えてくれた。

「司令部の来客用応対室です。」

 司令部の建物は特に「司令部」と看板が出ている訳でなく、ただ入り口に兵士が立っていた。門衛と同じだ。彼はステファン大尉にもテオにも身分証の提示を求めず、敬礼して2人を通した。廊下は明るく、低い位置にある窓から夕陽が差し込んでいた。入り口から入ってすぐの扉の前にステファン大尉は立つと、ドアをノックした。「入れ」と声が聞こえ、彼はドアを少し開くと、中の人物に声をかけた。

「ドクトル・アルスト・ゴンザレスをお連れしました。」

 そしてテオに入れと手で合図した。テオがドアの中に入ると、彼は入らずにドアを閉じた。
 テオは室内をパッと見て、普通の応接室だな、と感想を抱いた。壁に大統領警護隊の華々しいパレードの様子や訓練披露の写真が飾られ、過去の功績で隊に贈られた勲章やトロフィーが棚の上に並べられていた。別の壁には額入りの小さな写真がずらりと貼られていたが、それらは隊員の肖像写真で、どうやら在任中に殉職した者達と思われた。テオは思わずそれらの写真に向かって右手を左胸に当て、敬意を表するポーズを取った。
 軽い咳払いが聞こえ、彼は我に返った。部屋の中央に応接室の家具にしては実用的だが決して安物ではないテーブルと椅子があり、そこに軍服を着た初老の男性とスーツ姿の男性、スーツ姿の女性が1人ずつ座っていた。長方形のテーブルだが、その左半分に3人はそれぞれの辺に位置を占め、軍服の男性ではなくスーツ姿の女性が短い辺の上座に座っているのだった。スーツ姿の男性はテオがよく知っている男だった。彼はテオが入って来た時に立ち上がったのだ。テオが室内の様子に見惚れていたので、咳払いをして注意を自分達の方へ向けた。
 「失礼」とテオは言った。シーロ・ロペス少佐が己の隣の椅子を彼に勧め、それからテオが座ってから残りの2人を紹介した。女性を手で指し、「外務省のアビガイル・ピンソラス事務次官」と言った。テオが挨拶すると、ピンソラスは微かに笑って「よろしく」と挨拶を返した。彼女は白人に見えた。ロペス少佐は軍服の男性を指して、「大統領警護隊副司令官トーコ中佐」と彼自身の上官を紹介した。テオは何度もトーコ中佐の名を聞いたことがあったが、実物に会うのは初めてだったので、ちょっと緊張を覚えた。純血種だが、部族ハーフだと聞いたことがあったので、どんな遺伝子構成になるのだろうと思ってしまった。トーコ中佐はテオの挨拶に優しい眼差しで頷いた。

「仕事の後で呼び立ててしまい、申し訳ない。」

と彼はよく通るバリトンで言った。そしてピンソラス事務次官に向かって頷いた。
 ピンソラスが書類を数枚テーブルの上に出した。その内の1枚に印刷されている顔写真を見て、テオはドキリとした。セルバターナと仮名を付けた吹き矢の男だ。彼の視線を感じて、彼女が微笑んだ。

「この男性の名前はペドロ・コボス、隣国の国境近くにあるハエノキ村の住民でした。畑を耕して家族を養っていましたが、時々森で猟もしていたそうです。こちらでの調査では、それ以上のことは分かりませんでした。」

 ロペス少佐の方を向いたので、少佐が話し始めた。

「ハエノキ村は古くからある農民の村で、植民地時代前から人が住んでいました。恐らく、一族の子孫だろうと推測されますが、かなり血は薄いでしょう。しかし中には濃い者もいるかも知れない。いたとしても、己の血とセルバとの関係を考えたりしないでしょう。」

 彼は隣国の地図をピンソラスの書類の中から抜き出し、トーコ中佐とテオに見せた。

「隣の人口の99パーセントはメスティーソです。我が国のメスティーソより白人の血の割合が大きい。」

 彼がピンソラスに「失礼」と断ったので、テオは事務次官も”ヴェルデ・シエロ”の血を引く人間だと知った。ピンソラスは微かに苦笑し、テオに向かって言った。

「私も”シエロ”です。外観は白人ですし、能力もそんなに強くありませんが、一族が使える力は取り敢えず一通り使えます。それでも”出来損ない”の呼び名はもらってしまいますけれどね。」
「誰も貴女を”出来損ない”などと考えませんぞ。」

とトーコ中佐が優しく言った。ピンソラスは微笑し、「グラシャス」と言った。そしてロペス少佐に続きを促した。

「貴方の話の腰を折ってしまいました。続きをお願いします。」


2022/06/10

第7部 取り残された者      5

  吹き矢の男は、そのままセルバターナ(吹き矢)と呼ぶことに決めた。テオはその名を記入したタグを男のDNAマップに付けた。
 セルバターナは”ヴェルデ・ティエラ”ではなかった。しかし”ヴェルデ・シエロ”でもなかった。と言うより、”ヴェルデ・シエロ”と同じ遺伝子を持つ”ヴェルデ・ティエラ”だった。つまり、長い歳月の間に混血して血が薄くなった”シエロ”の子孫だ。珍しくないが、国境の向こうにもそんな人々が生きていることを考えて来なかったテオは、ちょっと衝撃を受けた。まだ”シエロ”の部分がどんな役割をしているのか不明だが、恐らくセルバターナは夜でも目が見えただろう。”心話”を使える”シエロ”の子孫のサンプルと比べると、ちょっと違っていたが、それが彼の個性なのか能力の差異を現すものなのか、テオはまだ掴みかねた。”シエロ”のサンプル自体が少ないので、比較出来る材料が乏しいのだ。国中の”シエロ”の遺伝子を集められたらなぁとテオは溜め息をついた。
 セルバターナがセルバ共和国内の”ヴェルデ・シエロ”に関する知識をどの程度持っていたのか不明だ。彼よりも”シエロ”の要素が濃い人がいるのかも不明だ。

 彼が生まれ育った場所に行きたい。

 テオはそう感じた。隣国との行き来は簡単だ。パスポートがなくても運転免許証などの写真付きの公的機関が発行した身分証明書を持ち、双方の国で身元引き受け人がいる証明があれば観光でもビジネスでも目的を告げれば国境を通してもらえる。但し、嘘をついてその嘘がバレると即逮捕されるので、証明書取得を面倒臭がって森の中から密出入国する連中もいた。セルバターナは先住民の猟師だったので、証明書取得免除対象だったのだ。両国の取り決めた範囲内なら自由に狩猟して構わない(捕獲する動物の種類や数は法律で制限されている)人間だった。しかし、彼はその制限範囲外に出ており、人間を射た。だからセルバの官憲、この場合は大統領警護隊に射殺された。隣国外務省は納得して彼の死に対する意見は述べなかった。
 テオが作成したセルバターナの遺伝子に関する報告書は大統領警護隊司令部に提出された。
 トロイ家殺人事件から10日経った。
 テオが大学での仕事を終え、帰宅するために駐車場へ行くと、カルロ・ステファン大尉が彼の車にもたれかかってタバコを吸っていた。久しぶりの再会だったので、テオは思わず「ヤァ!」と声をかけた。ステファン大尉も振り向いて「ヤァ」と返してきた。

「何か用かい?」
「スィ。これから行って頂きたいところがあります。」

 テオは周囲を見回した。ステファンの連れの姿を探したが、誰もいなかった。それどころかステファンが乗ってきたらしい車両も見当たらなかった。

「君1人か?」
「スィ。私を乗せて下さい。ご案内します。」

 大統領警護隊の要件なのだろうと見当がついた。

「それじゃ、出かけることを少佐に連絡しておかないと・・・」

 携帯を出しかけると、ステファンが遮った。

「少佐には既に告げてあります。」

 それでテオは電話を諦め、車のキーを解錠した。ステファンが素早く助手席に乗り込んだので、彼も運転席に座った。

「何処へ行く?」
「大統領府へ向かって走って下さい。」

 ドキリとした。恐らく、あの吹き矢の男の件だ、と思った。大統領は選挙で選ばれた人だから、”ヴェルデ・シエロ”ではない。恐らく大統領警護隊の秘密を殆ど知らない人間だ。だから、これは大統領警護隊の要件なのだ、とテオは理解した。一般人を招待することなど殆どない大統領警護隊の本部へ行くと言うことだ。

2022/06/09

第7部 取り残された者      4

  グラダ・シティに帰ると、テオはロホが憲兵隊に引き渡し前に死体から採取した血液が染み込んだ衣服の切れ端を、自宅のD N A分析装置にかけた。ロホはこう言う細かいところに配慮出来る男だ。吹き矢を使った男が普通の人間なのか、それとも大昔にセルバから分派した”ヴェルデ・シエロ”の末裔なのか、テオは調べたかった。
 ケツァル少佐は彼に早く休むようにと言い、彼女自身は出かけてしまった。恐らく分派に関する知識を仕入れに誰か長老のところへ行ったのだろう。
 デランテロ・オクタカスの診療所ではクラーレの解毒剤を注射してもらった。森の中で死んでいても不思議でなかった状況だが、”ヴェルデ・シエロ”のお陰で助かった。医師は彼が気絶していたにも関わらず何故助かったのか、尋ねなかった。大統領警護隊が一緒にいた。その事実さえあれば、セルバ人は余計な質問をしないのだ。
 無理をしないようにと言われ、研究室から出て何もないリビングでぼーっとしていると、隣の居住区画から家政婦のカーラが軽食を運んで来てくれた。彼女は滅多にテオがいる第二区画に来ないので、少し珍しそうに室内を眺めた。

「何もないんですね?」
「ここは余計な物を置かないだけだよ。隣の部屋はゴチャゴチャと機械を入れてある。少佐すら入らない。ぶつかって機械を壊すと大変だと思っているらしい。」

 実際、高価な機械だから、壊れると大変だ。しかし少佐が物にぶつかるなんて想像出来なかった。カーラも早々に退散して行った。女主人の恋人と2人きりで一つの部屋に長居することを警戒したのだ。テオは彼女に子供がいることを知っているが、結婚しているのかどうか聞いたことがなかった。彼女はプライバシーを喋らない。彼も聞かなかった。
 軽食を腹に入れ、コーヒーを飲んで、食器を第二区画のキッチンで洗ってから返しに行った。トレイを受け取ったカーラが言った。

「壁をぶち抜いて通路を作れば便利ですのにね。」

 テオは苦笑した。

「だけど少佐はこのビルの所有者じゃないからな。そんなことをしたら彼女も俺も追い出される。」
「そうなったら、新しい家でも雇って下さいね。」

 2人で笑って、それからテオは研究室に戻った。分析が終了する迄、森であったことを報告書にまとめてみた。大学に提出する為の土壌分析結果も必要だ。土は大学の地質学教室に託してあった。そもそも何の為の土壌調査なのか理由がないので、成分を分析してもらうだけだ。赤い蟻塚の赤土と、普通の蟻塚の土の分析だった。悪霊がいるだけで土の成分が変化するのだろうか。
 大学から送られてくるデータ内容を表にまとめたり、文章にしたりしていると眠たくなってきた。遺伝子と関係ない研究は、彼にとって退屈なことでしかなかった。
 携帯の呼び出し音が鳴った。画面を見ると、アリアナ・オズボーンからだった。テオと同じ施設で生まれ育った、彼の唯一の「親族」だ。電話に出て、「ヤァ」と声をかけると、彼女が画面で満面の笑みを浮かべた。

「ハロー、テオ。元気そうね!」
「元気さ。君も元気そうだね。」

 テオはまだクラーレの影響が少し残って気怠かったが、彼女には伝えたくなかった。アリアナ・オズボーンはグラダ大学医学部病院の小児科病棟で働いている。職場はテオに近いが最近は滅多に出会わなかった。彼女は忙しいし、オフの時は愛する夫シーロ・ロペス少佐と仲睦まじく過ごしているのでテオは邪魔をしたくなかった。だから余計な心配を彼女にかけたくなかったのだ。しかし、彼女は言った。

「ケツァル少佐から聞いたわ。クラーレを塗った毒針の吹き矢で射られたのですって?」
「ああ・・・スィ・・・」
「もし気分が悪くなったら、いつでも私に連絡して頂戴。」

 ケツァル少佐が気を遣ってアリアナに事件のことを喋ったのだ。女性同士の連携が強いので、男達はこんな場合打つ手がない。

「大丈夫だ。少しかったるいだけだよ。今日は一日家にいる。」
「それなら良いけど・・・」

 気のせいか、少し顔がふっくらして見えるアリアナが微笑した。

「少佐は君に電話したのかい?」
「ノ。彼女はシーロに密入国者の状況を訊きに外務省へ行ったのよ。シーロが事件を知って、私に教えてくれて、私はびっくりして彼女に電話して・・・」
「わかった、わかった。君達の連絡網は理解した。」
「悪霊だなんて、危ないものに近づかないで。貴方はただの人間なんだから・・・」

 電話では”シエロ”とか”ティエラ”とか、そう言う単語は極力使わないことにしていた。誰に傍聴されるかわからない。テオは言った。

「近づかないよ。俺は呪術師じゃないんだから。科学者だぞ。」

 アリアナが笑い、「じゃ、またね」と言い、投げキスをして画面を閉じた。
 テオは考えた。シーロ・ロペス少佐が関わってきたと言うことは、今回の件は大統領警護隊の司令部にも報告があがっているな、と。

 
 

2022/06/07

第7部 取り残された者      3

  テイクアウトの夕食を終えて管理人が帰宅した後に、ロホが格納庫へ戻って来た。射殺した吹き矢の男の死体を憲兵隊に引き渡し、憲兵隊が国境警備隊に死体の写真をメールで送って身元確認を行ったので、遅くなったのだ。結果は、トレス村の部隊が担当する国境から少し南にある村の猟師だと言う返答だった。猟師と言っても狩猟だけで家族を養えないので普段は畑を耕していた男だ。
 猟師と言う職業は厄介だった。先住民の権利で、国境を無視して二つの国を行き来して暮らしている。当然ながら獲物を獲る道具も持ち歩いているが、両国の取り決めで先住民の猟師は銃器の使用を禁止されていた。狩猟には昔からの吹き矢や弓矢、罠を用いること、となっていた。だから猟師が吹き矢を使用すること自体は違反でなかった。問題は人間を狙ったことだ。憲兵隊はテオの腕に刺さった矢から猟師の指紋を採取した。そして男とテオの関係を調べたが、大統領警護隊から得られた情報以上のテオの情報はなかった。

「外国人を殺して国際問題にならないか?」

とテオが心配すると、ロホは首を振った。

「なりません。男は両国間の取り決めで許可されている範囲を超えてセルバ側に入り込んでいました。そして人間を狙って吹き矢を射た。貴方が射られたことは医師の証言からも明らかですから、男が死んだのは男自身のせいです。」
「そうか・・・だが、どうして俺を狙ったんだろう?」

 テオはまだ体調が完全に回復していないことを自覚していた。クラーレは植物由来の猛毒だ。獲物の筋肉を弛緩させ、呼吸困難に陥らせて絶命させる。”ヴェルデ・シエロ”はその対処療法を知っていたので、少佐が咄嗟に彼の腕に局所的な衝撃波を送り、一時的に血流を止めた。そして毒を搾り出したのだ。それでもテオを気絶させる威力を毒は持っていた。

「矢に塗られていた毒が猿を殺す量で良かったです。」

とロホが慰めた。テオはむくれた。

「その猟師が何かに憑依されて、俺を猿と勘違いして射たとは考えられないか?」
「悪霊の気配はありませんでした。」

 ロホはケツァル少佐を見た。少佐も彼に同意した。

「猟師は獣に気取られないよう、己の気配を消していました。悪霊はそんなことをしません。眠っていても、私は悪霊が近づけば目覚めます。」
「君なら猟師の接近も気づいた筈だがな・・・」

ついテオが愚痴をこぼすと、少佐もムッとして言い返した。

「貴方がそばにいたので、安心して眠ったのです。」

 2人が喧嘩を始めそうな気配だったので、ロホが素早く割り込んだ。

「憲兵隊が、猟師の仲間を調べるよう相手国の捜査機関に要請する、と言っていました。向こうが何処まで動くかわかりませんが、外国のことに我々は手を出せません。」
「国境の向こうの話か・・・外務省の協力が必要かな・・・」

 テオは大統領警護隊司令部所属で外務省出向組の隊員を思い浮かべた。

「外務省を動かさなくても・・・」

 少佐が少し悪戯っ子の表情を作った。

「様子を伺うだけなら、私達も出来ますよ。」



2022/06/06

第7部 取り残された者      2

  診療所を出ると、ケツァル少佐とテオはデランテロ・オクタカス飛行場の格納庫へ行った。大統領警護隊の格納庫だ。管理人が1人だけ待機していて、テオ達が中に乗り入れた車の掃除を始めた。荷台に死体を載せて戻って来たので、清めの香油を振りかけ、何かお祈りの言葉を呟いていた。裸電球の灯りの下で、少佐が携帯食を使った夕食の支度を仕掛けると、管理人が何か買ってきますと声を掛けた。それで少佐は幾らか紙幣を彼に渡し、彼とロホの分も含めて4人分の食事の調達を命じた。管理人は喜んで出かけて行った。
 テオは格納庫に常備してある椅子とテーブルを出し、腰を下ろした。

「俺が気絶していたのは数時間だったんだな?」
「スィ。息が詰まって死ぬ毒ですから、常に貴方の呼吸があるか確認しながら車を走らせました。」
「どうして狙われたんだろ・・・」

 まさかC I Aの手の者でもあるまい。隣国の大統領や麻薬組織の親分を怒らせた覚えもない。いや、犯罪組織はどこかで繋がっているのかも知れないが、テオの名前は犯罪者に知れ渡っていない筈だ。テロリスト関係だろうか? 

「貴方がテオドール・アルストだから狙われたのではないでしょう。」

と少佐がテーブルの上に足を置いて言った。レディらしからぬ行儀の悪さだ。

「白人を狙ったと思った方が良いと思います。」
「それじゃ、テロリストみたいなものか?」
「隣国からそんな情報は来ていませんが・・・」

 今朝、少佐は国境警備隊と電話で話をした。密入国して物資の売買をしている民間人や、麻薬の取引の話はあったが、反政府ゲリラやテロリストの存在を匂わせる情報はなかった。越境して生活する先住民の情報もなかった。それ故、もし不審な越境者を見たら直ぐに確保して欲しいと国境警備隊に少佐は要請した。

ーー奇妙な気を発する存在が国境に向かって去って行くのを感じましたから。

 彼女がそう告げると、国境警備隊の幹部は不快そうに言った。

ーー南には、昔我々と袂を分かった一族の分派がいると聞いたことがある。一族の気でなく、”ティエラ”でもない気を発する者がいるとするなら、その子孫が考えられる。その者が何を考えて国境を越えるのか、見当がつかないが。

 セルバから出て行った”ヴェルデ・シエロ”の子孫・・・今迄考えたことがなかったので、ケツァル少佐は内心ショックを受けた。
 ”曙のピラミッド”のママコナは地球上の何処でも”ヴェルデ・シエロ”に話しかけることが出来る。隣国で生きている一族がいるなら、彼等にも話しかけていた筈だ。しかし、歴代のママコナにそのことを伝えられていると聞いたことがない。長老達も隣国の一族について何も語ったことがない。隣国にも一族がいるなら、族長達にその情報が教えられて当然だと思うが、ケツァル少佐は聞いたことがなかった。

ーーその南へ移ったと伝えられる一族の分派は、何族なのですか?
ーー知らぬ。我等が一族は七部族のみの筈だ。分派なのだから、七部族のどれかだろう。地理的に一番近いのはグワマナ族だが。

 少佐からその話を聞いたテオはちょっと考え込んだ。確かに”ヴェルデ・シエロ”がセルバと言う限られた範囲の土地にしかいないのは、ちょっと不自然な気もする。世界中には人口が少なくて、消滅してしまった民族もいたし、居住範囲が限定される民族もいる。しかし”ヴェルデ・シエロ”は長い歴史の中で異種族と婚姻して混血の子孫を多く残している。彼等がセルバの外に出て行ってもおかしくない。それなのに、今迄セルバに住んでいる”ヴェルデ・シエロ”は隣国にいるかも知れない一族の末裔を想像したこともなかったのだろうか。 
 彼は少佐に言った。

「もし、南の土地に移住した一族の子孫が本当にいるなら、俺が彼等のD N Aを調べてやろう。君達と同じ祖先を持つ人々なのかどうか、確かめることは出来る。」



第7部 取り残された者      1

  テオが目覚めた時、見知らぬ男性が彼の顔を覗き込んでいた。メスティーソだ。どっちだろう? ”シエロ”なのか、”ティエラ”なのか? 彼がぼんやり考えていると、男性が話しかけて来た。

「私の声が聞こえますか、ドクトル・アルスト?」

 テオは瞬きした。相手は俺の名前を知っている。彼は「スィ」と答えた。喉がカラカラに乾いて、声が出にくかったが、相手は聞き取ってくれた。微笑を浮かべ、頷いた。そして指をテオの目の前に差し出した。

「私の指を目で追って下さい。」

 言われた通りに指が振られる方を見た。男性はまた微笑んだ。

「意識が戻りましたね。もう大丈夫です。」

 彼は横を向いて、そちらに向かって再び頷いた。そして体を退けた。テオは再び瞬きして、それから視野が少し広がった気がした。男性がいた位置に、ケツァル少佐が現れた。

「私がわかりますか?」

 テオは微笑もうとした。多分、微笑みを作れた筈だ。

「スィ。俺の大事なケツァル少佐だ。」

 少佐が笑とも怒りとも取れる複雑な表情をした。そして椅子に腰を落とした。テオは目を動かして、薄汚れた感じのコンクリートの壁を眺めた。前世紀の病院の様に見えたが、多分現代の病院に違いない。
 医師と思われる先刻の男性が、少佐に「お大事に」と言って、部屋から出て行った。テオは上体を起こしてみた。眩暈が少ししたが、体は動かせた。少佐は彼が動くのを止めなかった。ただ彼の様子を観察していた。

「ここは病院?」
「スィ。デランテロ・オクタカスの診療所です。」
「俺はどうしたんだろ?」

 直ぐには思い出せなかった。カブラロカ遺跡のキャンプを出発したことを思い出してから、昼寝をしようと車の後部座席で横になったことまでを思い出せる迄数分かかった。その間、少佐は黙って彼の様子を見ていた。

「トロイ家のそばで昼寝をしたよな? それから・・・畜生! そこから思い出せない。」

 思わず悪態を吐くと、やっと少佐が微かに笑った。

「そこまで思い出せたのでしたら上等です。貴方はクラーレを塗った吹き矢で射られたのです。」
「吹き矢?」

 なんだか赤い物が頭に浮かんだ。そう言えば何かに刺されたような気もする。

「応急処置をして毒が回るのを止めましたが、貴方が意識を失ったままだったので、病院に運びました。」

 なんとなく少佐の口調には、”シエロ”なら直ぐ治るのに、と言うニュアンスが込められている様に聞こえた。どうせ俺は”ティエラ”だから、とテオはちょっと僻みを感じた。

「誰が俺を吹き矢で射たんだ? それからロホは?」
「犯人は直ぐにロホが射殺しました。今、憲兵隊に死体を運んで調べさせています。」
「先住民なのか?」
「服装は私達と変わりませんでした。アマゾンの先住民を想像しているのでしたら、間違いです。中米にそんな生活形態の人はもういませんから。」

 そして少佐は付け加えた。

「所持品は僅かで、所持していたお金は隣国の物でした。」
「それじゃ・・・やはり密入国者か?」
「恐らく。」
「だが、どうして俺を狙ったんだ?」

 少佐は肩をすくめた。射殺してしまったので、尋問出来ないのだ。銃撃する前に超能力で捕まえられなかったのか、とテオは訊きたかったが、きっとロホはテオが射られたタイミングで撃ったのだ。敵の存在に気がついた時は、「手遅れ」だったのだろう。

「俺達が昼寝をしたので、敵の接近を許してしまったんだな。」
「貴方に落ち度はありません。私の落ち度です。」

 ケツァル少佐は苦々しい口調だった。彼女はあの時眠ってしまっていた。休憩すると決めた時は、周囲に異常なしと判断した。人の気配は全く感じ取れなかった。人以外の動物もいなかった。だから結界を張らなかった。油断した。彼女は己の重大なミスを認めざるを得なかった。部下でも同伴者でもない、指揮官の彼女のミスだ。
 テオはベッドから降りた。服装は運び込まれた時のままだ。左腕の袖がなくなっていた。吹き矢が刺さった場所を切り取って、腕の上部を縛ったのだろう。なくなったのが袖で良かった。腕を失っていたかも知れない。

「痺れとかありませんか?」
「大丈夫だ。多分・・・走らなければ平気だ。」

 

第7部 渓谷の秘密      17

  グラダ大学考古学部の考古学上の発見はンゲマ准教授と彼の弟子達に任せ、テオとロホは陸軍のキャンプに戻った。ケツァル少佐とアスルもアレンサナ軍曹と共にテントの外に出て来たところだった。

「国境警備隊に不審な出入国をする人物への警戒を要請しておきました。」

と少佐は報告し、それからちょっと苦笑した。

「向こうは、いつもしていることだと不機嫌でしたけどね。」

 きっと少佐は大統領警護隊の国境警備隊責任者に”ヴェルデ・シエロ”の言語でこちらの状況を説明した筈だ。その証拠に、”ティエラ”のアレンサナ軍曹はテオにそっと囁いた。

「スペイン語で喋って欲しいよな・・・」

 スペイン語で話すとマズい内容だったのだ。テオは肩をすくめただけだった。
 その夜、遺跡のキャンプ地でもう1泊した。朝になると、少佐がアスルとアレンサナ軍曹に挨拶した。

「お邪魔しました。発掘隊が無事に調査を終える可否は、あなた方に掛かっています。任務の成功を祈ります。」
「グラシャス。」

 アレンサナ軍曹とアスルが敬礼した。テオも別れの挨拶をした。軍曹とは握手したが、アスルにはいつもの様に素っ気なくそっぽを向かれたので、苦笑した。ロホは愛想良く陸軍の兵士達に声をかけ、彼等はジープに乗り込んだ。
 来た道を走って戻り、トロイ家のそばへ着いたのは午後になりかけた頃だった。運転していたケツァル少佐が、特殊部隊が野営した岩場に似た更地に駐車して、休憩を宣言した。携帯食と水で昼食を取り、1時間の昼寝をした。木陰が涼しく思えるのだが、案外虫などが落ちてくる恐れがあるので、そこは避ける。車の後部ドアを開いてタープを張った。3人並んで寝るのは狭いので、ロホが車から少し離れて場所を確保した。
 テオは少佐と並んだ。時間を無駄にしない少佐は直ぐに目を閉じて眠ってしまった。テオは眠れなかった。場所が場所だ。すぐそばに惨劇が起きた民家が見えていた。周囲に張り巡らされた黄色いテープがそのままだ。半月も経てば雨風で破れて切れてしまうだろう。民家は近隣の住民が犠牲者の弔いと浄化を兼ねて焼き払うのだと言う。そこで営まれていたトロイ家の平和な生活は2度と戻ってこない。テオは会ったこともない人々の不幸を思い、胸の内で冥福と未来の幸運を祈った。
 アベル・トロイに憑依して家族を殺害させた悪霊は浄化された。しかし別の悪霊の気配が近くにあった。これは偶然なのだろうか。それとも何か関係があるのか。大統領警護隊文化保護担当部は、カブラロカ遺跡の発掘がこれからも続くことを考慮し、この付近の悪霊の管理をしたい様子だ。今の所、悪霊が閉じ込められていると思われる塚は1基だけだった。まだあるのか、それで終わりなのか、全く見当がつかない。

 ドローンで調査してみようか?

 テオがそれを思いついた時、岩陰のロホがむくりと体を起こした。銃を掴んでいるのが目に入ったので、テオも思わず体を起こした。

 何かいるのか?

と思った直後、腕にチクリと痛みを感じた。
え? と腕を見ると、赤い鳥の羽が目に入った。同時にロホが藪に向けて射撃した。ケツァル少佐が跳ね起き、薮の中でこの世の物とも思えない悲鳴が上がった。
 テオは羽を掴んだ。細い小さな針が付いていた。

 吹き矢だ!

 彼は少佐を見た。少佐が彼の肩を掴んだ、彼女が何か言ったが、もう聞き取れなかった。テオの意識は急激に遠ざかり、闇に沈んだ。

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...