2022/06/27

第7部 取り残された者      13

  テオが昼寝から覚めると、カタラーニは既に起きて子供達と川で遊んでいた。時々昆虫などを捕まえて眺めているのは、いかにも生物学者らしい。アンドレ・ギャラガは姿を消しており、ケサダ教授は日陰で座って午前中の調査をメモした手帳を眺めていた。大学ではダブレットを使用するが、ここでは手帳だ。電源節約と、盗難防止の為に高価なタブレットは持ち歩かないことにしている。
 テオが午後の調査を何時から始めようかと考えていると、教授がボソッと呟いた。

「”感応”を使える者がいます。」

 テオはドキリとした。”感応”は能力が弱い混血の”シエロ”でも使えるが、教えられなければ使えない能力でもある。だから使う者がいるとすれば2人以上の能力者がいると考えるべきだ。テオは周囲を見回した。

「アンドレは応えたのですか?」
「ノ、ただじっと寝ていられなくてバスに戻った様です。水筒を忘れていたのでね。」

 教授は若者の忍耐の弱さにちょっと腹を立てている様子だった。
 テオは教会の方を見た。広場は河原からは見えなかった。低い塔が見えるだけだ。

「コックのダニエル・パストルは何系ですか?」

 そっと質問すると、教授は苦笑した。

「私は知りません。しかし一般的には、ブーカ系メスティーソでしょう。」

 旅の始まり、バスに乗り込む時に初めて対面したのだ、教授が一族全てを知っている筈がないことをテオは思い直し、「すみません」と言った。

「貴方ならなんでもご存じだと勝手に思い込んでいました。」
「機会がなかったので一族の挨拶をまだ交わしていません。今夜あたり、どこかで声をかけてみましょう。挨拶は”心話”ではなく言葉で行うものですから。」

 ”ヴェルデ・シエロ”のマナーなのだろう。恐らくパストルの方もケサダとギャラガは何族だろうと思っている筈だ。
 テオは最初の案件に戻った。

「”感応”を試みた人間は、俺達の中に一族が混ざっていると考えたのでしょうか。」
「セルバに一族がいると知っていると思って良さそうです。遺伝子調査の本当の目的に気がついたかも知れません。」

 それは拙いかも知れない、とテオは心配になった。向こうが友好的なら良いが、敵意を持っているなら、攻撃を仕掛けてくるかも知れない。彼は吹き矢で射られた腕の傷がすっかり治っているにも関わらず、針で刺された箇所がチクチクする感覚を覚えた。勿論錯覚だ。

「接触するのは、我々考古学者に任せて下さい。」

とケサダ教授が言った。

「政治や軍事の目的で来たことは確かですが、それは事務官に任せておけばよろしい。個人との接触は、私が文化の伝搬調査と言う形で会います。貴方は検体の分析が出来るセルバに帰る迄何もしない、それが安全です。」
「わかっています。だが、俺は時々好奇心を抑えられなくなる。」
「映画の中のアメリカ人みたいに?」

 教授が茶目っ気を出して笑ったので、テオも笑った。

「スィ、どうしようもない国民性です。」


第7部 取り残された者      12

 シエスタの時間はハエノキ村も護衛でついて来た軍隊も昼寝で静かだった。セルバ共和国の調査団も昼寝休憩に入った。バスの中は暑いので、テオも外に出た。教会前の広場では日陰が少なく、仕方なく村外れの川へ行った。数人の子供が水遊びをしているだけで、村人達は畑や家の影などで昼寝をしているのが見えた。遠くへ行くなと軍から言われていたので、村民が洗濯などで使っていると思われる河原へ下りた。木陰でケサダ教授とアンドレ・ギャラガが既に場所を取って寝ていた。テオとカタラーニも空いた場所を確保した。
 バスの番をしているのはコックのダニエル・パストルだ。”ヴェルデ・シエロ”だから1人でも大丈夫だろうと思われるが、テオは彼に何かあればすぐ連絡をくれるようにと携帯の番号を教えておいた。幸いなことにハエノキ村は携帯電話が使えた。

「考えてみたら、可笑しな話だと思いませんか、先生?」

とカタラーニが話しかけて来た。テオが「何が?」と訊くと、彼は横になったまま言った。

「遺伝子を調べて、セルバ人と共通の遺伝子があれば越境を許可するって話ですよ。両国人の遺伝子が全く別物なんて有り得ないでしょ? 文化的に共通点があれば許可するってんじゃ分かりますけどね。」

 カタラーニの言葉は正論だ。だがテオが探すのは、”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子だ。越境許可云々は、調査の言い訳にすぎない。テオはカタラーニを宥めるために言った。

「政治家が腹の底で何を考えているのか、俺にもわからないさ。」

 カタラーニは論文のテーマになりそうもない調査に不満な様子だった。調査の本当の目的を教えればきっと大興奮するだろうが、それは口が裂けても言えない真実だ。
 テオとカタラーニが微睡の中に落ちた頃、アンドレ・ギャラガは頭の中で誰かに呼ばれた様な気がして目を開いた。

ーー北から来た者

 そう声は呼んだと思った。上体を起こそうとした瞬間、片手を抑えられた。目だけを動かして横を見ると、ケサダ教授が彼の手の上に己の手を重ねていた。

 え?

 と思った時、教授が殆ど聞き取れない程の低い声で囁いた。

「呼び声に応えるな。寝ていろ。」

 教授は目を閉じたまま、ギャラガの手を離し、背を向けた。ギャラガは目を閉じた。”感応”を使える人間が何処かにいる。この村の中だろうか、外だろうか。住民なのか、それとも護衛の軍隊の中にいるのか。
 コックのパストルにも聞こえた筈だ、とギャラガはバスに残っている男を思い出した。彼は反応してしまったのだろうか、それとも用心して無視しているか? 彼は気になったので、結局起き上がってしまった。何気ない風を装って川縁に下り、水を手で掬って顔にかけた。喉が渇いたが、都会育ちなので川の水をそのまま飲もうとは思わなかった。軍隊で野外の水分補充方法を習ったが、ここは学生のふりをして、彼は水筒を出すために荷物を探し、バスに置き忘れたことに気がついた。彼は教授が枕代わりにしているリュックサックを見て、それからゆっくり立ち上がった。伸びをして、バスに向かって歩き始めた。
 川から教会前広場までは歩いて5分ばかりの距離だった。途中、数人の村人が木陰で昼寝をしたり、テーブルと椅子を置いてカード遊びをしている姿を見た。彼は遊んでいる男達と目が合うと、ちょっと微笑して見せ、「オーラ」と声をかけた。向こうも彼が何者かわかったので、「オーラ」と返してくれた。
 パストルは検体採取のために張ったテントの中でジャガイモの皮を剥いていた。近づいて来たギャラガと視線が合うと、彼は”心話”で尋ねた。

ーー呼び声を聞いたか?
ーー聞いた。だが無視しろと教授に言われた。

 そしてギャラガは声に出して言った。

「水筒を忘れた。水を飲ませてくれ。」

 パストルがナイフでバスの中を指した。

「好きに飲みな。」

 バスの中の給水タンクはバスのエンジンを停めてあるので冷却機能も停止していた。それでも外気に比べれば冷たい水を飲めた。ギャラガは乾いた喉に水を流し込んだ。それからアリエル・ボッシ事務官と運転手のドミンゴ・イゲラスの姿が見えないことに気がついた。

「事務官と運転手はどこに行った?」
「事務官殿はアランバルリ少佐と一緒に村長の家にお招きだ。お茶でもしているんだろ。ドミンゴは多分、兵隊と遊んでいるんだと思う。」

 運転手はバスを動かす仕事がなければ雑用をするだけだ。暇なのだろう。ギャラガはコックのそばに座り、広場を眺めた。気のせいか、セルバの田舎町とは少し雰囲気が違って見えた。何が違うのだろう、と思いつつ、彼は夕刻迄そこにいた。
 

 

2022/06/22

第7部 取り残された者      11

  国境を越えると思いがけない事態が待っていた。隣国の陸軍が護衛として小隊を派遣していたのだ。ボッシ事務官は戸惑ったが、他国で彼が他国の軍隊の護衛を拒否する権限はなかったので、バスの前後を走る軍用車両を追い払うことが出来なかった。

「こちらの政府はハエノキ村に反政府勢力がいないか警戒しているのです。」

とバスの中でボッシ事務官が同乗者達に説明した。

「我々はセルバ共和国政府から派遣された調査団ですから、我々に何かあればこちらの政府の面子に関わりますし、我々がスパイ行為を行わないよう抑止する必要もあるのです。」
「理解した。」

とテオとケサダ教授は頷いた。自分達は他国にいる。自国内でいる時の様に自由気儘に行動すると危険だ。
 テオは住民のD N Aサンプルの採取が目的だし、ケサダ教授は住民の生活や習慣に古代のセルバ文化と共通するものがないか見るだけだ。軍隊の協力があれば早く済ませることが出来るかも知れない。
 コーヒー畑や藪が交互に連続する土地をバスは護衛付で進み、夕刻にハエノキ村に到着した。ボッシ事務官はテオと教授を連れ、陸軍の指揮官アランバルリ少佐と一緒に村長と面会した。村長には既に一行の訪問の目的が知らされていたが、陸軍が一緒だったので村人の警戒をテオは感じ取った。彼はケサダ教授に囁いた。

「もしかすると、俺達だけの方がスムーズにことが運んだかも知れませんね。」

 教授も同意した。

「貴方が今鑑定している古い死体はこの国の依頼でしたね。ここの軍隊は過去に自国民を虐殺した歴史がある訳です。村民が警戒するのは無理ないことです。」

 法律的手続きが終わったのは1時間後で、セルバ側のバスは村の中央にある教会前広場に駐車するよう村長から指示が出された。そこなら水も得られたし、教会のお手洗いも使用を許された。
 2日目、早速バスの外にテントを張り、頬の内側から細胞を採取する手順を書いた立て札を置いた。村長から命じられたと言う住民がパラパラとやって来て、カタラーニが名簿と身分証を突き合わせながら細胞を採取した。
 全然痛くない、と言う言葉に後押しされ、案外素直に住民達は順番にやって来た。欧米の様にプライバシーだとか拒否する権利がどうのとか言う人はおらず、順調に仕事は捗った。ただ緊張感が漂っているのは否めなかった。護衛の軍隊のせいだ。兵士に話しかける住民はおらず、兵士からも声をかけるシーンは見られなかった。ボッシ事務官はケサダ教授とギャラガ少尉と共に村の市場に出かけ、昔話をしてもらえる人を探した。教授は村人の持ち物、アクセサリーや衣装の模様を写真に収めた。セルバの遺跡から出た出土品の模様と比較するのだろう。
 コックのダニエル・パストルも市場に出かけ、野菜を仕入れながら”心話”を試みたようだ。彼は昼休みに教授と会った時に、結果を”心話”で報告した。教授とギャラガの表情を見て、空振りだったのだな、とテオは思った。ハエノキ村の住民に”心話”が出来る人はいないのか、警戒して”心話”に応じなかったのか、どちらかだ。人口530人の小さな村だ。
 吹き矢でテオを射てロホに射殺されたペドロ・コボスの身内は年老いた母親と独身で引きこもりの兄ホアンだけだった。コボスの家系は古いと村長は言ったが、ペドロが死に、ホアンも結婚しないのでこの代で絶えるだろうと彼は考えていた。

「セルバの部族との関係を調べていると聞いたが、私等の先祖は南から来た。セルバは北のジャングルの向こうだ。コボスの家が絶えれば、この村とセルバの関係は途絶える。軍隊が警戒しなくても、我々はセルバへ猟に行ったりしない。」


2022/06/20

第7部 取り残された者      10

  隣国への足は政府が用意したバスだった。宿舎も兼ねるので、大型の車両だ。そこにテオ、アーロン・カタラーニ、フィデル・ケサダ教授、アンドレ・ギャラガ少尉、ピンソラス事務次官の部下のアリエル・ボッシ事務官、そして雑用も行うコックのダニエル・パストル、そして運転手のドミンゴ・イゲラスの7人が乗って出発した。
 バスの後ろ半分をキャンプ道具が占めており、冷蔵庫も2台あった。DNAサンプルを保管するためのものと食糧を保存するものだ。発電機、1週間分の食糧、寝袋、調理器具、その他諸々・・・。
 護衛が大統領警護隊1人だけだと思ったら、ギャラガがテオに囁いた。

「ボッシ事務官は陸軍出身です。確か、軍曹まで行って、退役された筈です。」

 確かにボッシ事務官はお役人にしては体格が立派だった。軍隊から外務省への転身はちょっとびっくりだが、軍服ではなく白い綿シャツから出ている腕は逞しかった。外務省職員のI Dも持っていた。

「それから、コックのパストルは”シエロ”です。」

とギャラガが小声で更に囁いた。

「恐らく、外務省内の”シエロ”の職員達からの繋がりで雇われたのだと思います。」
「いざと言う時の戦力って意味かな?」
「恐らくね。運転手は”ティエラ”ですが、両国間を頻繁に行き来する路線バスの運転も経験しているそうですから、道を知っているんです。」

 南の隣国とセルバ共和国の東海岸はミーヤの国境検問所を挟んでいるが、一つの経済地域になっていた。両国民は物資の取引を日常的に行い、買い物や教育の交流も盛んだ。セルバ側のミーヤの住民と隣国のスダミーヤの住民は互いに「外国人」と言う意識がないのかも知れない。スダミーヤにも”シエロ”の末裔がいたとしてもおかしくないのだ。しかし今回セルバ政府はハエノキ村の住民だけを警戒していた。セルバとの交流が少ない故に、却って警戒対象となっているのだろう。スダミーヤにいるかも知れない”シエロ”の支流は、いつでも本流と接触出来るのだから。
 バスの中で、テオの周囲にカタラーニとギャラガが集まる形で座っていた。コックのダニエル・パストルは最後尾に座って、時々積荷のチェックをしていた。彼が積み込む食材などを選んだに違いないが、道具が揃っているのか不安らしい。テオは彼が小声で「目的地の水はどんな水かなぁ」と呟くのを聞いた。
 ケサダ教授は静かだった。ずっと目を閉じており、一度アリエル・ボッシが飲み物を勧めた時に起きただけだった。ギャラガがそっとテオに教えてくれた。

「子供達の世話から解放されてリラックスされているんですよ。」

 テオは笑いそうになった。ケサダ教授は4人の娘を持つ父親だ。娘達はどの子も活発で、しかも強力な超能力を持っている。制御を教えながら子守をするのは重労働だろう。しかも・・・ボッシ事務官が教授にこんなことを言っていた。

「5人目のお子さんを授かられたそうですね?」

 それに対する教授の返事は短いものだった。

「まだ3ヶ月ですから。」

 コディア・シメネスは妊娠したのだ。テオはドキリとした。子供は男だろうか女だろうか。女の子だったら問題ないが、男の子だと成長してナワルを長老に披露する時に大変な騒ぎになるだろうことが目に見えていた。ケサダ教授は純血種のグラダ族だ。その息子は絶対に黒いジャガーに変身する。教授の出生の秘密が一族に明かされてしまうのだ。だから。
 ケサダ教授は素直に妻の妊娠を喜べないのだ。恐らく、今迄もずっとそうだったのだ。子供を授かる幸福と、己の正体がバレるかも知れない恐怖を、彼はずっと味わい続けてきたのだ。それなら子作りを止めれば良いのに、とテオは思い、しかし夫婦の愛を止めることも出来ないのだとも思った。
 ボッシ事務官は”ティエラ”だから、純粋に古代に行われた二つの国の民族交流の確認をしに行くつもりだ。彼の呑気な様子が、緊張を和らげてくれることが、有り難かった。
 バスはボッシが提出した書類が検問所でスムーズに通り、隣国に入った。


2022/06/13

第7部 取り残された者      9

  話が進んだのは2日後だった。テオは学部長の部屋に呼ばれ、政府から隣国の国境地帯に住む先住民の遺伝子調査を依頼された旨を告げられた。

「人口530人の村だそうだ。調査に何日かかるかね?」

 テオはちょっと考えた。

「あちらが協力してくれるのですね? 住民を病院か教会に集めて一斉に検体採取すれば2日か3日で終わると思いますが・・・」

 彼は中米人のおおらかさを思い出し、訂正した。

「1週間もあれば・・・」

 学部長は頷いた。

「君の方はそれだけあれば十分なのだな?」
「遺伝子の分析は大学に戻ってから行います。結果が出るのはもっと先になりますが、あちらでの滞在は1週間を予定していれば十分です。」
「助手が必要かね?」
「そうですね・・・」

 テオは博士論文のテーマを考え中の弟子を思い出した。

「アーロン・カタラーニを連れて行こうと思います。彼の都合が良ければ、ですが。」

 学部長は頷いた。そして同行する考古学者のことを伝えた。

「考古学のケサダ教授も承諾された。助手を1人連れて行くそうだ。総勢4人になるな。」
「わかりました。因みに、その助手は男性ですか?」

 女性でも構わないが、宿舎の部屋割りなどを考えなければならない。学部長は「男だ」と答えた。

「教授の指名で、大統領警護隊に所属する学生だそうだ。」

 ああ、とテオは合点した。アンドレ・ギャラガ少尉だ。軍人には違いないが、正真正銘の学生でもあるし、外観は白人に近い。
 夕方、仕事を終えて文化保護担当部の仮オフィスであるシティ・ホールへ行くと、ギャラガ少尉がバス停に向かって歩く所を捕まえることが出来た。

「ハエノキ村の調査に指名されたんだってな?」

 ギャラガは肩をすくめた。

「ケサダ教授のご指名じゃないんです。私はムリリョ博士の学生なので、博士からの指名と言うか、命令と言うか・・・」

 ちょっと苦笑が混ざっていた。テオも笑った。

「つまり、俺達の護衛を命じられたってことだ?」
「スィ。」

 ギャラガは周囲を見回して、誰にも聞かれていないことを確認した。

「私より教授の方がずっと大きな力をお持ちだって知ってます。使い方もあちらの方がお上手です。護衛なんて、気が重いですよ。」
「素直に学生としてついて来れば良いさ。少佐は何て言ってる?」
「学べるだけ学んでいらっしゃいって・・・」

 テオは彼の肩を軽く叩いた。

「その通りだ。楽しんで行こうぜ。」

 マハルダ・デネロス少尉が歩いて来るのが見えた。テオは彼女にも声をかけた。

「1週間ほどアンドレを借りるぜ。」
「忙しい時に困るんですけどぉ・・・」

と言いつつも、デネロスも笑った。

「でもアンドレが留守の間は少佐がオフィスに詰めて下さいますから、平気ですよ。」

 彼女が舌を出すと、ギャラガもあっかんべーをして見せた。テオは車の後部席を指した。

「お詫びに今日は官舎まで送って差し上げよう。」

 2人の少尉は喜んでテオの車の後部席に座った。車を出してから、テオは後ろの彼等に尋ねた。

「国境の向こう側に同胞がいるって考えたことがあったかい?」
「ノ」

と2人ははっきり答えた。

「私達・・・って、”シエロ”だけじゃなくて、この土地に住む人間は部族の結束が固いんです。自分達の血族が離れた場所に移ったら、必ず昔話で残します。でもブーカ族にそんな話は伝わっていません。ロホ先輩の実家の様な由緒正しい家系は別でしょうけど・・・」

 とデネロスが言うと、ギャラガは苦笑した。

「私はどこの馬の骨ともわからない家系ですから、全く知りません。それに警備班時代も聞いたことがありません。私はあまり同僚と親しくしていませんでしたが、寝室の中で喋る話は互いに全部筒抜けでしたからね。伝説や神話の話をたまにする連中がいましたが、国境の向こうへ移動した一族の末裔なんて聞いたこともありませんでした。」

 つまり、国境の向こう側の”ヴェルデ・シエロ”の子孫はセルバの本流と全く交流がなかったと言うことだ、とテオは思った。



第7部 取り残された者      8

 「何れにしても・・・」

とトーコ中佐が言った。

「ハエノキ村の住民がどの程度”シエロ”の要素を持っているか、我々は知っておきたい。そこで・・・」

 彼はやっと本題に入るようだ、とテオは思った。中佐が続けた。

「村民の遺伝子検査をドクトルに依頼したい。」
「・・・検査自体は構いませんが、隣国でしょう? どうやって・・・」

 すると外務省事務次官のピンソラスが中佐の言葉を引き継ぐ形で言った。

「ペドロ・コボスが越境したことを理由に、ハエノキ村の住民とセルバ共和国のカブラ族の近親度を調べたいと相手国に申し出ました。もし両者の間に遺伝子的共通点が見つからなければ、ハエノキ村及び隣国の他地域の住民が国境検問所を通らずにセルバに入国することを禁止します。遺伝子的共通点があれば、これまで通りの規定範囲内での入国を認めます。隣国政府はこちらの要請を受け入れました。あちらの政府にしてみれば、セルバ国民が同じ理由であちらの国に入り込んで問題を起こす方が迷惑なので、検問所以外の国境を封鎖したいのです。麻薬の販売ルートの封鎖にも繋がりますからね。」
「政治的に利害が一致しているのですね。」

 テオは調査にかかる日数はどの程度だろうと考えた。政府からの正式な要請の調査なので、大学は拒否出来ないだろうが、授業をどうしようか。
 すると、予想外のことをロペス少佐が言った。

「ハエノキ村の住民のルーツは古代の移動から始まると考えられています。それで、考古学者も同行させます。発掘などはしません。民間に残っている”シエロ”の風習や信仰をそれとなく検証させます。遺伝子の分布範囲と文化の分布範囲が重なる所の住民が警戒対象となる訳です。」

 考古学者? テオは考えた。大統領警護隊文化保護担当部に学者のふりをさせて潜入させるのか? それとも遊撃班のステファン大尉を使うのか? どちらも親友達だし、心強い護衛になってくれるが・・・。
 トーコ中佐が言った。

「本物の考古学者に依頼します。文化保護担当部の隊員達は考古学の学位を持っているが、現役の研究者ではありません。考古学者のふりをさせて、隣国政府にバレたら、ややこしいでしょう。軍人ですからな。」

 彼はテオに向き直った。

「グラダ大学で陸の交易路を研究されているケサダ教授に頼もうと思っています。貴方が承知下されば、ですが。教授自らか、あるいは弟子の方に貴方の同行を依頼してみますが、よろしいですか?」

 テオはドキリとした。グラダ大学のフィデル・ケサダ教授は確かに陸の交易ルートを研究している。どの時代にどの地域がどこと交易を行っていたか、どんな物品のやり取りをしていたか、互いの地域に格差はなかったか等だ。恐らく南北の隣国も研究範囲に入っているだろう。大学では休憩時間に世間話をする間柄だし、色々な事件で助けてもらったりもした。しかし、一緒に旅行する経験はまだなかった。それに、テロリストグループのレグレシオン事件以来ケサダ教授はグラダ・シティから出ていなかった。義父のムリリョ博士が何かと理由をつけて教授に大学の学部経営の厄介な仕事を押し付け、足止めしているとの噂だった。ケツァル少佐は「博士が過保護で教授を危険から遠ざけている」と評しているのだが。もしそれが真実なら、大統領警護隊と外務省はマスケゴの族長で”砂の民”の首領であるムリリョ博士を説得しなければならない。
 テオはトーコ中佐に言った。

「ケサダ教授が同行して下されば心強いです。ですが、お忙しい教授が承諾してくれるでしょうか。」

 中佐が苦笑した。

「教授がうんと言わなくても、彼の義父を落とせば簡単でしょう。」

 その義父の方が難攻不落じゃないか、とテオは思ったが、黙っていた。

2022/06/12

第7部 取り残された者      7

  ロペス少佐はテオに向かって話をするようだった。

「これまで隣国に住む一族の子孫の存在を我々は無視してきました。理由は向こう側からこちらへ接触してこなかったからです。北側の隣国はご存知のように砂漠地帯が国境にあり、陸路での往来が古代から今日に至る迄殆どありません。北からの接触は、物品の交易で、人間の交流は皆無と言っても良いくらいでした。それに北部はオエステ・ブーカ族やマスケゴ族が多く、彼等は子孫の管理に厳しい部族です。砂漠の北側の人間との間に子を成すことを厳しく禁止していました。その分”ティエラ”との間に子供を作ることが多かった訳ですが。
 一方、南の隣国とは密林で繋がっています。現在の国境は植民地時代に支配者だったスペイン人が自分達の農園を守る為に互いに取り決めた境界線に基づいています。彼等は農地でもないジャングルにも強引に線を引いたのです。しかし白人が侵入して来た頃には、既に一族は南のジャングル地帯から退いていました。東海岸に住むグワマナ族以外に一族は国境付近を放棄していたのです。カブラロカもアンティオワカもミーヤも”ティエラ”の町で、一族は殆ど住んでいませんでした。近い過去の我々の先祖はグラダ・シティ近郊やアスクラカンに集中していました。ですから、国境の南に一族の末裔が住んでいるなどと誰も考えもしなかった。そんな状態が既に古代から今日に至る迄続いていました。
 交流が全くなかったのですから、南の一族の子孫達は”ヴェルデ・シエロ”の名も存在も知らない筈です。”曙のピラミッド”への信仰が残っているかも疑問です。しかし、我々は今、彼等の存在を知ってしまった。思い出してしまったと言った方が的確でしょうか。そして、我々は今、南の子孫達がどんな状況なのか気になり出しました。」

 少佐が休む為に口を閉じると、ピンソラス事務次官が言った。

「ドクトルが吹き矢で射られる迄、みんなが南のことを忘れていたと言っても過言ではありません。」
「つまり、俺がその男の遺伝子を分析したから・・・ですか?」
「スィ。」

 トーコ中佐が初めて発言した。

「ドクトルが提出された報告書を見て、大統領警護隊司令部は放置すべき事案ではないと判断したのです。このペドロ・コボスと言う男は農民で猟師でしたが、政治的な活動に無縁だと言う隣国からの回答でした。誤ってセルバ側の奥へ足を踏み入れ、間違って人間に向かって吹き矢を射たのだろうと。しかし、我々は素直にそれを受け取りません。隣国政府が何か企んでいると言うことではなく、ハエノキ村に住む”シエロ”の子孫の中に何か不穏な動きがないか、それを疑ってしまったのです。軍人の性だと言われればそれまでですが、少しでも敵対する動きがあれば、どこまでが安全なのか確認せずにいられないのです。」
「ハエノキ村だけに子孫がいる、と考えるのも楽観的過ぎますが、隣国で国境に近い居住地はあの村だけだそうです。ですから、あの村の住人がどれだけ我々に近いのか、確かめたいのです。」

 ロペス少佐の言葉で、テオはやっと己が大統領警護隊本部に呼ばれた意味を理解した。セルバ共和国の”ヴェルデ・シエロ”の支配階級達は、隣国に生きる一族の子孫がセルバの脅威になり得るのか否か見極めたいのだ。数千年の時を経て、再び交流を持ちたいとか、歓迎したいとか、そんな温かい気持ちではない。寧ろ有害か無害か区別したい、それだけだ。

「どんな方法でDNAサンプルを採取するのかは別の問題として、今一つ重要な問題があります。」

とテオは言った。

「俺の分析では、現在わかることは、被験者が”シエロ”の遺伝子を持っているかいないか、と言うことだけです。超能力の強さがわかる、と言うものではありません。」
「純血種とミックスの違いはわかりますね?」
「スィ。やっと部族毎の特徴も解析出来るようになりました。」

 彼はトーコ中佐とロペス少佐を交互に見た。

「多分、中佐と少佐の違いはわかります。個人の特定は当然出来ますし、部族の特定も可能です。」

 彼はピンソラス事務次官を見た。

「貴女の部族もわかると思います。でも、能力の強さや使える能力の種類迄はまだ研究が必要です。」

 ロペス少佐がトーコ中佐を見た。中佐が微笑した。

「素晴らしい。先祖の部族だけでもわかれば、攻撃を受けた時の対処法を考えられます。部族毎に得意な分野が違ってきますからな。」

 ピンソラスがテオに尋ねた。

「ナワルを使えるかどうかは、まだわからないのですか?」

 ナワルの変身能力の有無は、”ヴェルデ・シエロ”にとって重要だ。変身出来ない”シエロ”は”ツィンル”(人間と言う意味)と認められない。同時に、”シエロ”にとって対等な能力の敵とは見做されない。
 テオは頭を掻いた。

「まだそこまでの分析は出来ないのです。残念ですが・・・」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...