2022/06/29

第7部 取り残された者      15

  2日目の夜も外のテントで寝た。テオはケサダ教授やコックのパストルはどんな風に寝るのかと興味があったが、2人共普通に折り畳みの簡易ベッドや地面にマットレスを置いて寝ていた。ケツァル少佐みたいに木に登って寝るのではなさそうだ。尤も彼等は軍人ではないし、町で暮らしているのだ。ハンモックよりベッドで育った口だろう。村人はどうしているのかと思ったが、家族が多い家はハンモック、そうでない家はベッドの様だ。
 3日目の朝食時にテオがその話をすると、教授とボッシ事務官が笑った。中米では普通に両方の寝方があるのだ。寧ろ・・・

「あの女性少佐は変わり者なんですよ。」

とケサダ教授に言われてしまった。

「アンドレに聞いてみなさい、大統領警護隊は木に登って就寝など教えていない筈です。野外作戦の時に身を守る為に樹上で休むことはあるでしょうが、平時に木に登って寝たりしません。」

 別のテーブルでカタラーニ、運転手と一緒に食事をしていたギャラガが自分の名前が聞こえたので振り向いた。テオは何でもないよと手を振って見せた。ボッシ事務官が別の方向で興味を抱いてテオに質問した。

「ドクトルはその少佐とお付き合いされているのですか?」
「ああ・・・」

 テオはプライベイトな話をどこまでするべきか迷った。しかしケサダ教授は知っている筈だ。だから支障のない範囲で明かした。

「彼女と婚約しているんです。一応、親公認で・・・」
「それは、おめでとう!」

 ボッシ事務官はお気楽に祝福の言葉をくれた。テオは照れてみせた。
 検体採取3日目も何事もなく無事作業が終了した。住民の半分が採取に応じてくれたことになった。採取リストを見て、ボッシ事務官がちょっと考え込んだ。

「ペドロ・コボスの母親と兄はまだ来ていません。狩猟民の家だと聞いているので、カブラ族の末裔の可能性があるのですが。」

 カブラ族がセルバと隣国の両方に分布していた証拠を確認する為の検体採取だ。コボスの家族が今回の調査の、セルバ共和国政府にとっての「本命」だった。大統領警護隊にはハエノキ村全員が「本命」だから、テオは黙っていた。
 ボッシ事務官がリストから顔を上げて、テオとケサダ教授に提案した。

「明日、シエスタの時間にコボスの家に行ってみましょう。どうせここから歩いて行ける距離です、用件は直ぐ済みますよ。」

 テオはちょっと気がかりなことがあった。

「コボスの家の者は、ペドロがセルバで殺されたことを良く思っていないんじゃないですか?」

 ボッシ事務官は村長から聞いた情報を思い出して首を振った。

「ペドロの母親は朦朧していて下の息子が死んだことを理解していない様です。上の息子は家に閉じこもって近所付き合いもしない。村長と警察が弟の死亡を伝えても部屋から出てこなかったそうです。」
「それじゃ、死んだペドロが一家を養っていたことになります。」
「そうです。しかし、村人が母親を憐れんで食べ物の差し入れをしているそうです。田舎では珍しくありません。少なくとも生きて行ける程度には助けてやっているのですよ。」

 テオは引きこもりの兄と言うホアン・コボスの存在が気になった。


2022/06/28

第7部 取り残された者      14

  夕方は午前中より大勢の村人が検体採取にやって来た。農作業が終わって夕食迄の時間潰しだ。景品も何もないのに、協力的だったので、セルバ人の方が戸惑ってしまう程だった。だがコックのパストルが調理をしながら村人達と世間話をして、「軍隊に早く帰って欲しいから」と言う理由を引き出した。ハエノキ村の住民達はセルバ人が教会前でキャンプをしていることはそんなに気にしていなかった。寧ろ自国の軍隊が村を取り巻く様に野営しているのが嫌なのだ。
 人口530人の村で検体採取初日に100人以上から採取出来たことが意外で、テオは単純に喜んで見せた。ボッシ事務官も安堵しているようだ。検体の整理と分類で大忙しのカタラーニをギャラガが手伝った。考古学的調査はまだ大きな発見と呼べる収穫がなかったので、ケサダ教授は採取の順番を待つ村人の交通整理をしてくれた。運転手のドミンゴ・イゲラスもビールのご褒美を教授からチラつかされ、教授を手伝った。

「ここの連中は博打をするのかね?」

 イゲラスの着衣からタバコの臭いを嗅ぎ取った教授が、運転手の昼間の行動に対して鎌をかけて訊いてみた。イゲラスは肩をすくめた。

「博打をする人間がいない村なんてありませんぜ、先生。だけど・・・」

 彼はチラリと村の外の方へ視線を向けた。そして低い声で続けた。

「俺が遊んだのは、兵隊の賭場でした。村人の中にも数人誘われて来てました。常習的に賭場を開いている兵隊がいる様ですね。」

 恐らく移動する先々でこっそり賭場を開いて地元民からお金を巻き上げる兵隊がいるのだろう。指揮官は知っていて目を瞑っているか、全く部下の行動に無関心か、どちらかだ。教授は学者らしい質問をした。

「どんな博打をしていたんだ?」
「カードです。それからサイコロ・・・」

 イゲラスは苦笑いした。

「大金を賭けるような勝負なんて誰も出来やしません。賭場主もカモを身包み剥いじゃ、後でややこしい事態になっちまうってわかっているから、適当なところで切り上げちまう。慣れたモンです。」

 小悪党の賭場です、と運転手は言った。
 ケサダ教授は広場の端で側近と共に採取のための行列を眺めているアランバルリ少佐をチラリと見た。数年前の内紛で無実の国民をゲリラ扱いして拷問し虐殺した将校達は処分された、とセルバ共和国では伝えられていたが、上手く立ち回って責任逃れをした者もいるだろう。少佐の口髭を気に入らない、と教授は感じた。セルバ共和国の軍人達は髭を生やすことを好まない。だらしないと思われたくないからだ。口髭は政治家が生やすもの、と軽蔑する軍人もいた。それは”シエロ”でなくても、どんな人種でも同じだった。カルロ・ステファン大尉の様にゲバラ髭を生やしているのは特異なのだ。ステファンは素が童顔なので、上官から生やすことを許可されている特例者だった。そして純血種のインディヘナは種の区別なく男性の体毛が少ない。ケサダ教授も殆ど髭が生えない人間だ。頭髪だけがよく伸びる。隣国の住民も同じだと思っていたが、メスティーソの割合がセルバより高く、体毛が濃い男が多かった。

 殆ど白人の血が流れている国民なのか・・・

 ケサダ教授は明るい色をした髪の毛の女の子達をテントに誘導しながら思った。若い女性達はハンサムなインディヘナの彼に目配せしたり、微笑みかけて来たが、彼は気が付かなかった。

2022/06/27

第7部 取り残された者      13

  テオが昼寝から覚めると、カタラーニは既に起きて子供達と川で遊んでいた。時々昆虫などを捕まえて眺めているのは、いかにも生物学者らしい。アンドレ・ギャラガは姿を消しており、ケサダ教授は日陰で座って午前中の調査をメモした手帳を眺めていた。大学ではダブレットを使用するが、ここでは手帳だ。電源節約と、盗難防止の為に高価なタブレットは持ち歩かないことにしている。
 テオが午後の調査を何時から始めようかと考えていると、教授がボソッと呟いた。

「”感応”を使える者がいます。」

 テオはドキリとした。”感応”は能力が弱い混血の”シエロ”でも使えるが、教えられなければ使えない能力でもある。だから使う者がいるとすれば2人以上の能力者がいると考えるべきだ。テオは周囲を見回した。

「アンドレは応えたのですか?」
「ノ、ただじっと寝ていられなくてバスに戻った様です。水筒を忘れていたのでね。」

 教授は若者の忍耐の弱さにちょっと腹を立てている様子だった。
 テオは教会の方を見た。広場は河原からは見えなかった。低い塔が見えるだけだ。

「コックのダニエル・パストルは何系ですか?」

 そっと質問すると、教授は苦笑した。

「私は知りません。しかし一般的には、ブーカ系メスティーソでしょう。」

 旅の始まり、バスに乗り込む時に初めて対面したのだ、教授が一族全てを知っている筈がないことをテオは思い直し、「すみません」と言った。

「貴方ならなんでもご存じだと勝手に思い込んでいました。」
「機会がなかったので一族の挨拶をまだ交わしていません。今夜あたり、どこかで声をかけてみましょう。挨拶は”心話”ではなく言葉で行うものですから。」

 ”ヴェルデ・シエロ”のマナーなのだろう。恐らくパストルの方もケサダとギャラガは何族だろうと思っている筈だ。
 テオは最初の案件に戻った。

「”感応”を試みた人間は、俺達の中に一族が混ざっていると考えたのでしょうか。」
「セルバに一族がいると知っていると思って良さそうです。遺伝子調査の本当の目的に気がついたかも知れません。」

 それは拙いかも知れない、とテオは心配になった。向こうが友好的なら良いが、敵意を持っているなら、攻撃を仕掛けてくるかも知れない。彼は吹き矢で射られた腕の傷がすっかり治っているにも関わらず、針で刺された箇所がチクチクする感覚を覚えた。勿論錯覚だ。

「接触するのは、我々考古学者に任せて下さい。」

とケサダ教授が言った。

「政治や軍事の目的で来たことは確かですが、それは事務官に任せておけばよろしい。個人との接触は、私が文化の伝搬調査と言う形で会います。貴方は検体の分析が出来るセルバに帰る迄何もしない、それが安全です。」
「わかっています。だが、俺は時々好奇心を抑えられなくなる。」
「映画の中のアメリカ人みたいに?」

 教授が茶目っ気を出して笑ったので、テオも笑った。

「スィ、どうしようもない国民性です。」


第7部 取り残された者      12

 シエスタの時間はハエノキ村も護衛でついて来た軍隊も昼寝で静かだった。セルバ共和国の調査団も昼寝休憩に入った。バスの中は暑いので、テオも外に出た。教会前の広場では日陰が少なく、仕方なく村外れの川へ行った。数人の子供が水遊びをしているだけで、村人達は畑や家の影などで昼寝をしているのが見えた。遠くへ行くなと軍から言われていたので、村民が洗濯などで使っていると思われる河原へ下りた。木陰でケサダ教授とアンドレ・ギャラガが既に場所を取って寝ていた。テオとカタラーニも空いた場所を確保した。
 バスの番をしているのはコックのダニエル・パストルだ。”ヴェルデ・シエロ”だから1人でも大丈夫だろうと思われるが、テオは彼に何かあればすぐ連絡をくれるようにと携帯の番号を教えておいた。幸いなことにハエノキ村は携帯電話が使えた。

「考えてみたら、可笑しな話だと思いませんか、先生?」

とカタラーニが話しかけて来た。テオが「何が?」と訊くと、彼は横になったまま言った。

「遺伝子を調べて、セルバ人と共通の遺伝子があれば越境を許可するって話ですよ。両国人の遺伝子が全く別物なんて有り得ないでしょ? 文化的に共通点があれば許可するってんじゃ分かりますけどね。」

 カタラーニの言葉は正論だ。だがテオが探すのは、”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子だ。越境許可云々は、調査の言い訳にすぎない。テオはカタラーニを宥めるために言った。

「政治家が腹の底で何を考えているのか、俺にもわからないさ。」

 カタラーニは論文のテーマになりそうもない調査に不満な様子だった。調査の本当の目的を教えればきっと大興奮するだろうが、それは口が裂けても言えない真実だ。
 テオとカタラーニが微睡の中に落ちた頃、アンドレ・ギャラガは頭の中で誰かに呼ばれた様な気がして目を開いた。

ーー北から来た者

 そう声は呼んだと思った。上体を起こそうとした瞬間、片手を抑えられた。目だけを動かして横を見ると、ケサダ教授が彼の手の上に己の手を重ねていた。

 え?

 と思った時、教授が殆ど聞き取れない程の低い声で囁いた。

「呼び声に応えるな。寝ていろ。」

 教授は目を閉じたまま、ギャラガの手を離し、背を向けた。ギャラガは目を閉じた。”感応”を使える人間が何処かにいる。この村の中だろうか、外だろうか。住民なのか、それとも護衛の軍隊の中にいるのか。
 コックのパストルにも聞こえた筈だ、とギャラガはバスに残っている男を思い出した。彼は反応してしまったのだろうか、それとも用心して無視しているか? 彼は気になったので、結局起き上がってしまった。何気ない風を装って川縁に下り、水を手で掬って顔にかけた。喉が渇いたが、都会育ちなので川の水をそのまま飲もうとは思わなかった。軍隊で野外の水分補充方法を習ったが、ここは学生のふりをして、彼は水筒を出すために荷物を探し、バスに置き忘れたことに気がついた。彼は教授が枕代わりにしているリュックサックを見て、それからゆっくり立ち上がった。伸びをして、バスに向かって歩き始めた。
 川から教会前広場までは歩いて5分ばかりの距離だった。途中、数人の村人が木陰で昼寝をしたり、テーブルと椅子を置いてカード遊びをしている姿を見た。彼は遊んでいる男達と目が合うと、ちょっと微笑して見せ、「オーラ」と声をかけた。向こうも彼が何者かわかったので、「オーラ」と返してくれた。
 パストルは検体採取のために張ったテントの中でジャガイモの皮を剥いていた。近づいて来たギャラガと視線が合うと、彼は”心話”で尋ねた。

ーー呼び声を聞いたか?
ーー聞いた。だが無視しろと教授に言われた。

 そしてギャラガは声に出して言った。

「水筒を忘れた。水を飲ませてくれ。」

 パストルがナイフでバスの中を指した。

「好きに飲みな。」

 バスの中の給水タンクはバスのエンジンを停めてあるので冷却機能も停止していた。それでも外気に比べれば冷たい水を飲めた。ギャラガは乾いた喉に水を流し込んだ。それからアリエル・ボッシ事務官と運転手のドミンゴ・イゲラスの姿が見えないことに気がついた。

「事務官と運転手はどこに行った?」
「事務官殿はアランバルリ少佐と一緒に村長の家にお招きだ。お茶でもしているんだろ。ドミンゴは多分、兵隊と遊んでいるんだと思う。」

 運転手はバスを動かす仕事がなければ雑用をするだけだ。暇なのだろう。ギャラガはコックのそばに座り、広場を眺めた。気のせいか、セルバの田舎町とは少し雰囲気が違って見えた。何が違うのだろう、と思いつつ、彼は夕刻迄そこにいた。
 

 

2022/06/22

第7部 取り残された者      11

  国境を越えると思いがけない事態が待っていた。隣国の陸軍が護衛として小隊を派遣していたのだ。ボッシ事務官は戸惑ったが、他国で彼が他国の軍隊の護衛を拒否する権限はなかったので、バスの前後を走る軍用車両を追い払うことが出来なかった。

「こちらの政府はハエノキ村に反政府勢力がいないか警戒しているのです。」

とバスの中でボッシ事務官が同乗者達に説明した。

「我々はセルバ共和国政府から派遣された調査団ですから、我々に何かあればこちらの政府の面子に関わりますし、我々がスパイ行為を行わないよう抑止する必要もあるのです。」
「理解した。」

とテオとケサダ教授は頷いた。自分達は他国にいる。自国内でいる時の様に自由気儘に行動すると危険だ。
 テオは住民のD N Aサンプルの採取が目的だし、ケサダ教授は住民の生活や習慣に古代のセルバ文化と共通するものがないか見るだけだ。軍隊の協力があれば早く済ませることが出来るかも知れない。
 コーヒー畑や藪が交互に連続する土地をバスは護衛付で進み、夕刻にハエノキ村に到着した。ボッシ事務官はテオと教授を連れ、陸軍の指揮官アランバルリ少佐と一緒に村長と面会した。村長には既に一行の訪問の目的が知らされていたが、陸軍が一緒だったので村人の警戒をテオは感じ取った。彼はケサダ教授に囁いた。

「もしかすると、俺達だけの方がスムーズにことが運んだかも知れませんね。」

 教授も同意した。

「貴方が今鑑定している古い死体はこの国の依頼でしたね。ここの軍隊は過去に自国民を虐殺した歴史がある訳です。村民が警戒するのは無理ないことです。」

 法律的手続きが終わったのは1時間後で、セルバ側のバスは村の中央にある教会前広場に駐車するよう村長から指示が出された。そこなら水も得られたし、教会のお手洗いも使用を許された。
 2日目、早速バスの外にテントを張り、頬の内側から細胞を採取する手順を書いた立て札を置いた。村長から命じられたと言う住民がパラパラとやって来て、カタラーニが名簿と身分証を突き合わせながら細胞を採取した。
 全然痛くない、と言う言葉に後押しされ、案外素直に住民達は順番にやって来た。欧米の様にプライバシーだとか拒否する権利がどうのとか言う人はおらず、順調に仕事は捗った。ただ緊張感が漂っているのは否めなかった。護衛の軍隊のせいだ。兵士に話しかける住民はおらず、兵士からも声をかけるシーンは見られなかった。ボッシ事務官はケサダ教授とギャラガ少尉と共に村の市場に出かけ、昔話をしてもらえる人を探した。教授は村人の持ち物、アクセサリーや衣装の模様を写真に収めた。セルバの遺跡から出た出土品の模様と比較するのだろう。
 コックのダニエル・パストルも市場に出かけ、野菜を仕入れながら”心話”を試みたようだ。彼は昼休みに教授と会った時に、結果を”心話”で報告した。教授とギャラガの表情を見て、空振りだったのだな、とテオは思った。ハエノキ村の住民に”心話”が出来る人はいないのか、警戒して”心話”に応じなかったのか、どちらかだ。人口530人の小さな村だ。
 吹き矢でテオを射てロホに射殺されたペドロ・コボスの身内は年老いた母親と独身で引きこもりの兄ホアンだけだった。コボスの家系は古いと村長は言ったが、ペドロが死に、ホアンも結婚しないのでこの代で絶えるだろうと彼は考えていた。

「セルバの部族との関係を調べていると聞いたが、私等の先祖は南から来た。セルバは北のジャングルの向こうだ。コボスの家が絶えれば、この村とセルバの関係は途絶える。軍隊が警戒しなくても、我々はセルバへ猟に行ったりしない。」


2022/06/20

第7部 取り残された者      10

  隣国への足は政府が用意したバスだった。宿舎も兼ねるので、大型の車両だ。そこにテオ、アーロン・カタラーニ、フィデル・ケサダ教授、アンドレ・ギャラガ少尉、ピンソラス事務次官の部下のアリエル・ボッシ事務官、そして雑用も行うコックのダニエル・パストル、そして運転手のドミンゴ・イゲラスの7人が乗って出発した。
 バスの後ろ半分をキャンプ道具が占めており、冷蔵庫も2台あった。DNAサンプルを保管するためのものと食糧を保存するものだ。発電機、1週間分の食糧、寝袋、調理器具、その他諸々・・・。
 護衛が大統領警護隊1人だけだと思ったら、ギャラガがテオに囁いた。

「ボッシ事務官は陸軍出身です。確か、軍曹まで行って、退役された筈です。」

 確かにボッシ事務官はお役人にしては体格が立派だった。軍隊から外務省への転身はちょっとびっくりだが、軍服ではなく白い綿シャツから出ている腕は逞しかった。外務省職員のI Dも持っていた。

「それから、コックのパストルは”シエロ”です。」

とギャラガが小声で更に囁いた。

「恐らく、外務省内の”シエロ”の職員達からの繋がりで雇われたのだと思います。」
「いざと言う時の戦力って意味かな?」
「恐らくね。運転手は”ティエラ”ですが、両国間を頻繁に行き来する路線バスの運転も経験しているそうですから、道を知っているんです。」

 南の隣国とセルバ共和国の東海岸はミーヤの国境検問所を挟んでいるが、一つの経済地域になっていた。両国民は物資の取引を日常的に行い、買い物や教育の交流も盛んだ。セルバ側のミーヤの住民と隣国のスダミーヤの住民は互いに「外国人」と言う意識がないのかも知れない。スダミーヤにも”シエロ”の末裔がいたとしてもおかしくないのだ。しかし今回セルバ政府はハエノキ村の住民だけを警戒していた。セルバとの交流が少ない故に、却って警戒対象となっているのだろう。スダミーヤにいるかも知れない”シエロ”の支流は、いつでも本流と接触出来るのだから。
 バスの中で、テオの周囲にカタラーニとギャラガが集まる形で座っていた。コックのダニエル・パストルは最後尾に座って、時々積荷のチェックをしていた。彼が積み込む食材などを選んだに違いないが、道具が揃っているのか不安らしい。テオは彼が小声で「目的地の水はどんな水かなぁ」と呟くのを聞いた。
 ケサダ教授は静かだった。ずっと目を閉じており、一度アリエル・ボッシが飲み物を勧めた時に起きただけだった。ギャラガがそっとテオに教えてくれた。

「子供達の世話から解放されてリラックスされているんですよ。」

 テオは笑いそうになった。ケサダ教授は4人の娘を持つ父親だ。娘達はどの子も活発で、しかも強力な超能力を持っている。制御を教えながら子守をするのは重労働だろう。しかも・・・ボッシ事務官が教授にこんなことを言っていた。

「5人目のお子さんを授かられたそうですね?」

 それに対する教授の返事は短いものだった。

「まだ3ヶ月ですから。」

 コディア・シメネスは妊娠したのだ。テオはドキリとした。子供は男だろうか女だろうか。女の子だったら問題ないが、男の子だと成長してナワルを長老に披露する時に大変な騒ぎになるだろうことが目に見えていた。ケサダ教授は純血種のグラダ族だ。その息子は絶対に黒いジャガーに変身する。教授の出生の秘密が一族に明かされてしまうのだ。だから。
 ケサダ教授は素直に妻の妊娠を喜べないのだ。恐らく、今迄もずっとそうだったのだ。子供を授かる幸福と、己の正体がバレるかも知れない恐怖を、彼はずっと味わい続けてきたのだ。それなら子作りを止めれば良いのに、とテオは思い、しかし夫婦の愛を止めることも出来ないのだとも思った。
 ボッシ事務官は”ティエラ”だから、純粋に古代に行われた二つの国の民族交流の確認をしに行くつもりだ。彼の呑気な様子が、緊張を和らげてくれることが、有り難かった。
 バスはボッシが提出した書類が検問所でスムーズに通り、隣国に入った。


2022/06/13

第7部 取り残された者      9

  話が進んだのは2日後だった。テオは学部長の部屋に呼ばれ、政府から隣国の国境地帯に住む先住民の遺伝子調査を依頼された旨を告げられた。

「人口530人の村だそうだ。調査に何日かかるかね?」

 テオはちょっと考えた。

「あちらが協力してくれるのですね? 住民を病院か教会に集めて一斉に検体採取すれば2日か3日で終わると思いますが・・・」

 彼は中米人のおおらかさを思い出し、訂正した。

「1週間もあれば・・・」

 学部長は頷いた。

「君の方はそれだけあれば十分なのだな?」
「遺伝子の分析は大学に戻ってから行います。結果が出るのはもっと先になりますが、あちらでの滞在は1週間を予定していれば十分です。」
「助手が必要かね?」
「そうですね・・・」

 テオは博士論文のテーマを考え中の弟子を思い出した。

「アーロン・カタラーニを連れて行こうと思います。彼の都合が良ければ、ですが。」

 学部長は頷いた。そして同行する考古学者のことを伝えた。

「考古学のケサダ教授も承諾された。助手を1人連れて行くそうだ。総勢4人になるな。」
「わかりました。因みに、その助手は男性ですか?」

 女性でも構わないが、宿舎の部屋割りなどを考えなければならない。学部長は「男だ」と答えた。

「教授の指名で、大統領警護隊に所属する学生だそうだ。」

 ああ、とテオは合点した。アンドレ・ギャラガ少尉だ。軍人には違いないが、正真正銘の学生でもあるし、外観は白人に近い。
 夕方、仕事を終えて文化保護担当部の仮オフィスであるシティ・ホールへ行くと、ギャラガ少尉がバス停に向かって歩く所を捕まえることが出来た。

「ハエノキ村の調査に指名されたんだってな?」

 ギャラガは肩をすくめた。

「ケサダ教授のご指名じゃないんです。私はムリリョ博士の学生なので、博士からの指名と言うか、命令と言うか・・・」

 ちょっと苦笑が混ざっていた。テオも笑った。

「つまり、俺達の護衛を命じられたってことだ?」
「スィ。」

 ギャラガは周囲を見回して、誰にも聞かれていないことを確認した。

「私より教授の方がずっと大きな力をお持ちだって知ってます。使い方もあちらの方がお上手です。護衛なんて、気が重いですよ。」
「素直に学生としてついて来れば良いさ。少佐は何て言ってる?」
「学べるだけ学んでいらっしゃいって・・・」

 テオは彼の肩を軽く叩いた。

「その通りだ。楽しんで行こうぜ。」

 マハルダ・デネロス少尉が歩いて来るのが見えた。テオは彼女にも声をかけた。

「1週間ほどアンドレを借りるぜ。」
「忙しい時に困るんですけどぉ・・・」

と言いつつも、デネロスも笑った。

「でもアンドレが留守の間は少佐がオフィスに詰めて下さいますから、平気ですよ。」

 彼女が舌を出すと、ギャラガもあっかんべーをして見せた。テオは車の後部席を指した。

「お詫びに今日は官舎まで送って差し上げよう。」

 2人の少尉は喜んでテオの車の後部席に座った。車を出してから、テオは後ろの彼等に尋ねた。

「国境の向こう側に同胞がいるって考えたことがあったかい?」
「ノ」

と2人ははっきり答えた。

「私達・・・って、”シエロ”だけじゃなくて、この土地に住む人間は部族の結束が固いんです。自分達の血族が離れた場所に移ったら、必ず昔話で残します。でもブーカ族にそんな話は伝わっていません。ロホ先輩の実家の様な由緒正しい家系は別でしょうけど・・・」

 とデネロスが言うと、ギャラガは苦笑した。

「私はどこの馬の骨ともわからない家系ですから、全く知りません。それに警備班時代も聞いたことがありません。私はあまり同僚と親しくしていませんでしたが、寝室の中で喋る話は互いに全部筒抜けでしたからね。伝説や神話の話をたまにする連中がいましたが、国境の向こうへ移動した一族の末裔なんて聞いたこともありませんでした。」

 つまり、国境の向こう側の”ヴェルデ・シエロ”の子孫はセルバの本流と全く交流がなかったと言うことだ、とテオは思った。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...