2022/07/03

第7部 誘拐      2

  教会前のテントに戻ると、アンドレ・ギャラガとアーロン・カタラーニは昼寝をしていた。村全体がシエスタを取っているのだから、細胞を採取してもらいに来る人がいないのだ。コックのダニエル・パストルと運転手のドミンゴ・イゲラスも近くの木陰で寝ていた。テオが採取してきたコボス家の2人の細胞サンプルを冷蔵庫に入れて記録を録っていると、いつの間にかギャラガが起きてそばにいた。

「コボス家の人々はペドロの死に関して何か言ってましたか?」

 ちょっと心配していた。ペドロ・コボスは大統領警護隊に射殺されたのだ。遺族が怨恨を抱いていたとしても不思議でない。テオは首を振った。

「何も・・・母親は耄碌していて、息子が死亡した知らせを聞いた筈なんだが、もう忘れていた。ペドロはまだ生きていて猟に出かけていると思っている。」
「気の毒に・・・」
「兄のホアンは無関心だ。今日の印象ではそう見えた。俺達に早く帰って欲しい、それだけだろう、素直に細胞を採らせてくれた。」

 それよりも、とテオはバスの外に目を遣った。誰もこちらを見ていないと確認してから、それでもその場にしゃがみ込んで、ギャラガにも同じ姿勢を取らせた。

「アランバルリ少佐は”シエロ”だ。」

 えっ!とギャラガが目を見開いた。小声で尋ねた。

「彼が名乗ったんですか?」
「ノ、コボスの家を出て直ぐに声をかけて来た。質問内容は何気ないものだったが、ボッシ事務官と村長を”操心”でその場に足止めした。ケサダ教授が素早く俺の注意を少佐から逸らして俺が”操心”にかけられるのを防いでくれた。」
「貴方は”操心”にかからないでしょう?」

 ギャラガはテオの特異体質を承知していた。テオは苦笑した。

「うん、だが教授は予防線を張ったんだ。そしてアランバルリと2人の部下を一瞬で”連結”にかけた。」
「”連結”? ”操心”ではなく?」
「”連結”だ。村長と事務官にかけられた”操心”をかけた本人に解かせないといけないから。」

 あ、そうか、とギャラガが自分の頭をコツンと叩いた。まだ超能力の種類の使い分けに混乱することがあるのだ。それに”ヴェルデ・シエロ”同士の場合、能力が同じ強さの者に技はかけられない。但し、グラダ族は別格だ。
 まだ修行中のミックスのグラダ族、アンドレ・ギャラガは本気を出せば純血種の他部族より大きな力を出せる筈だが、まだ完全に力の使い方を学習した訳ではない。

「でも、どうしてアランバルリはドクトルと教授に声をかけて来たんですか?」
「恐らく本命は俺じゃなくて、純血種の教授だったのだろう。しかし無関係な”ティエラ”の事務官と村長に少佐が技をかけたので、教授は怒ったんだ。」
「少佐は教授に何の用事があったのでしょう? 昨日のシエスタの時に”感応”をかけて来たのも少佐でしょうね?」
「恐らく。だが目的がわからない。教授は正体をバラしてしまったことを後悔されている。」

 テオはギャラガの肩に手を置いた。

「君も用心するんだ。力の大きさを頼んで戦おうなんて思わないでくれ。俺達は調査の為に来た。戦いに来たんじゃない。」
「承知しています。ケツァル少佐からも決して正体を明かしてはならぬと命じられています。」

 ギャラガはバスの外へ目を遣った。

「コックも一族です。彼にも伝えておいた方が良いですね?」
「そうだな。”心話”で教えてやってくれないか。彼にも正体を明かさないよう念を押してくれ。」

 午後からの採取は前日より人が減った。そろそろハエノキ村の住民達も慣れてしまって、義務ではない検査に関心を失ったのだろう。
 テオは村民よりアランバルリ少佐の部隊に興味を抱いてしまった。もしかすると隣国版大統領警護隊なのかとも想像したが、そんな特殊部隊を隣国が持っていればセルバ側も早い時期に察知していただろう。アランバルリの部隊の中のごく一部が、”ヴェルデ・シエロ”の末裔に違いない。今回のセルバ共和国から来た民族移動の調査隊の中に一族がいると知っていた訳ではなく、試しに”感応”を行ってみたと思われる。反応がなかったのだから諦めてくれたら良かったのだが、少佐は直接純血種の教授に近づいて試したのだ。
 アランバルリはとんでもなく危険なことをしている、とテオは感じた。あの少佐の目的が何なのかまだ不明だが、怒らせてはいけない男にちょっかいを出してしまったのだ。

 


第7部 誘拐      1

  コボス家の小屋の様な家屋から出て村へ戻ろうと森の端の小道を歩きかけた時、横手から声をかけて来た者がいた。

「コボス家の連中から上手く細胞を採れましたかな?」

 足を止めて振り向くと、護衛として来ている隣国の陸軍分隊長のアランバルリ少佐だった。後ろに2人部下を従えていた。パトロールの途中なのだろう。ボッシ事務官が大きく頷いて見せた。

「スィ、彼等は協力的でした。」
「それは良かった。」

 テオは少佐と事務官が目を合わせた様な気がした。村長が少佐に話しかけた。

「セルバの先生達の調査は予定通りに終わりそうだ。護衛の人数を半分に減らしても問題はないと思う。」
「それは私が決めることだ、村長。」

 少佐が村長の顔を見て、ちょっと笑って見せた。その途端、ケサダ教授がテオの手首を掴んだ。テオは驚いて教授を見た。教授は彼ではなく、アランバルリ少佐を見た。

「ご自分の職務を忠実に全うされるとよろしい。」

と教授が言った。少佐が数歩後退りした。彼は腰のホルダーに装備している拳銃に手を伸ばしかけ、そこで硬直した。テオは何が起きているのか直ぐに理解出来ず、少佐の後ろの兵士達を見た。兵士達も手を武器に伸ばしかけた状態で固まっていた。
 ケサダ教授が静かに言った。

「事務官と村長に掛けた”操心”を解きなさい。貴方がどう言うつもりなのか知らないが、我々は政府から命じられた仕事が終われば直ぐに帰る。このことは忘れよう。」

 テオはアランバルリ少佐と部下達が固まったままもがいているのを感じた。3人の軍人はケサダ教授の強力な”連結”で体を拘束されているのだ。普通、”ヴェルデ・シエロ”の”連結”能力は1人だけに対して有効だ。”操心”と違って脳を支配せずに体の動きだけを支配する能力だ。大統領警護隊が使うのを何度か目撃したことがあったが、一度に複数の人間に”連結”技をかけるのを見たのは、テオも初めてだ。ケサダ教授は最強と言われるグラダ族の純血種だった。
 突然ボッシ事務官と村長がそれぞれ瞬きして、3人の軍人達を見た。

「どうかされましたか、少佐?」

 アランバルリ少佐と2人の部下が脱力して腕をだらんと落とし、よろめいた。あ、いや、と少佐が呟いた。

「日に当たり過ぎた。」

 彼は部下に合図を送り、くるりと向きを変えて来た道を歩き去った。その後ろ姿を見送り、事務官が頭を掻いた。

「ええっと・・・何か話していたような・・・」

 ケサダ教授がテオから手を離して言った。

「仕事の進み具合のことを訊いて来ただけです。」

 4人は教会前広場に向かって歩き出した。テオがそっと教授に囁いた。

「あの3人だけでしょうか? 村人ではなく彼等軍人から細胞を採取すべきなのだと思いますが・・・」

 教授が肩をすくめた。

「採らせてもらえないでしょう。迂闊なことに、私の正体を教えてしまいました。」
「彼等には自覚がありますね。」
「スィ。しかし祖先が私と共通であると言う認識があるかどうかは疑問です。」
「気を感じられたのですね?」
「スィ。出会った時から微かに感じていました。ただ余りに微弱だったので、軽視してしまったのです。貴方に教えるべきだったと後悔しています。」
「抑制していたのでしょうか?」
「ノ、彼等は抑制を知らない様です。あれが彼等にとって精一杯の能力に違いありません。私も微弱な力しか使いませんでしたが、彼等は抵抗出来なかった。」
「大人しく引き退ってくれると良いですね。」
「そう願っています。」

 最強と言われる能力を必死で隠して生きてきたフィデル・ケサダが後悔していた。テオは守らなければと感じた。ケサダもギャラガもパストルも守ってやらねばならない。彼等は異郷の地で正体を暴かれる訳にいかないのだ。

 

2022/06/30

第7部 取り残された者      16

  日数計算で言うと、グラダ・シティを出発して4日目、検体採取を始めて3日目になった。午前中にやって来る村人は少し減った。珍しさが減り、午前中に来られる人は来尽くしたと言うことだ。カタラーニが自ら買って出て、村の学校へ行き、採取がまだの子供達と教員から細胞を採取した。教員は村の外から来ていたが、調査の性質上それは問題でなかった。子供達も村外から来ている子が数人いたのだ。だからカタラーニは子供達の家の場所や家族構成をしっかり記録しておいた。
 考古学の方はあまり目敏い発見がなく、ケサダ教授とギャラガ少尉は壺や室内装飾を見せてもらえる家を回った。そして学者らしくもなく早々に「文化的に特徴がある共通性はなし」と結論を出してしまった。言葉もすっかりスペイン語に置き換わっており、カブラ語の片鱗も残っていなかった。
 昼食を終えると、半時間程昼寝をしてから、テオとケサダ教授はコボス家へ出かけた。ボッシ事務官と村長も同伴した。コボス家に調査の説明をしなければならなかったからだ。
 コボス家は村から少し外れにあり、狩猟で生活していた家らしく、あまり豊かとは思えない、バラックの様な家だった。軒先にかなり前に獲ったと思われる動物の皮が干されたままで、すっかりカラカラに乾ききっていた。もう売り物にならないのではないだろうか。
 村長が木製のドアを拳で叩き、ペドロ・コボスの母親の名前を怒鳴った。

「ビーダ、客だ!」

 ゴソゴソと音がしてから、蝶番の錆びついた音を立てながら、ドアが開いた。テオは彼の身長の半分もあるかないかの小さな老女が立っているのを見た。少し腰が曲がっている様だ。髪は少し黒い毛が残っているが殆ど黄ばんだ白髪だった。メスティーソの女性なのだろうが日焼けして皺だらけになった顔は先住民の高齢者とあまり違いがない様に見えた。彼女は村長を不思議そうに見た。

「ニック、いつの間にか歳を取ったみたいだね。」

 訛っているが聞き取れるスペイン語だった。つまり、先住民の言語は使用していないのだ、とテオは思った。村長はうんざりした顔で言った。

「今朝も会ったところだろう。」

 彼はテオとケサダ教授、そしてボッシ事務官を紹介した。

「お上からの指示だ。あんたとホアンの口の中のD N Aを取るそうだ。」

 ビーダと言う老女は手で口元を隠した。ボッシ事務官が素早く説明した。

「セルバ共和国のカブラ族と言う部族の親戚を探しています。口の中を綿棒で擦るだけです。数秒で済みます。痛くも痒くもありません。協力をお願いします。」

 元軍人の外務省職員は出来るだけ穏やかな口調で言った。ビーダはぼんやり客を眺め、そして手を振った。

「中で茶でも飲んでいきな。」

 屋内に入ると、暫く真っ暗で何も見えなかった。”ヴェルデ・シエロ”は見えるのかと横を見ると、ケサダ教授もちょっと立ち止まって目が慣れるのを待っていた。それが普通の人間のふりなのか本当の動作なのかテオは判別出来なかった。ボッシ事務官も村長も同様で、数秒ほどしてから彼等は狭い家の中に入った。
 木製のテーブルと椅子が木製の床の上にあり、右端に台所の様な空間があった。竈と大きな水瓶が置かれ、鍋や皿を積み上げた木製の棚が少し傾いていた。冷蔵庫もあったが、古い型で使用していないと思われた。モーターの音がしなかったからだ。
 食堂兼リビングはごちゃごちゃと物が置かれ、奥に分厚いカーテンが下がって仕切りになっていた。向こうが寝室なのだろう。家(と言うより小屋)の大きさを考えたら、2部屋しかなさそうだ。あの仕切りの向こうに引き籠りの長男ホアンがいるのだ。
 ビーダは古い薬缶に水瓶から水を汲んで入れた。上水道があると思えなかったので、雨水を溜めたのだろう。テオは衛生的問題を考慮してお茶を遠慮した。ガスコンロで湯を沸かす間に村長と事務官が再びビーダを説得して、頬の内側を綿棒で擦らせることに成功した。

「ホアンのサンプルも欲しいのだが。」

 村長がそう言った時、いきなりカーテンが揺れ、太った男が現れたので、客達は驚いた。事務官と村長は一瞬椅子から腰を浮かしかけた。ケサダ教授はジロリと男を見て、座ったまま右手を左胸に当てて「ブエノス・タルデス」と挨拶した。”ヴェルデ・シエロ”流挨拶とスペイン語の挨拶の混合形態だ。男は反応しなかった。母親をジロリと見て、ボソッと言った。

「頬の内側を擦るだけか?」
「スィ。」

 テオが答えると、男は母親を見たまま、また尋ねた。

「それをすれば、こいつらは帰るのか?」
「スィ。」

 テオがもう一度答えると、やっと男は彼を見た。そして無言でそばに来て、口を開けた。無精髭だらけの顔に黄ばんだ歯、口臭が臭かったが、目は濁っていなかった。テオは「失礼します」と声をかけて、綿棒で彼の頬の内側を擦った。そして綿棒をビニルの小袋に入れ、封筒に入れた。

「終了しました。」

 男は口を閉じ、無言でくるりと背を向けると、再びカーテンの向こうへ姿を消した。
 ビーダが客に言った。

「息子がもう1人いるんだけど、まだ猟から帰って来ない。」

 その息子はもう死んでいるのだ。しかし誰もそれを口に出さなかった。
 ケサダ教授が立ち上がったので、テオと他の2人も立ち上がった。教授が挨拶した。

「突然押しかけて申し訳ありませんでした。」
「グラシャス。」

 テオも挨拶した。そして彼等は異臭のする小屋から出た。結局誰もお茶を飲まなかった。



2022/06/29

第7部 取り残された者      15

  2日目の夜も外のテントで寝た。テオはケサダ教授やコックのパストルはどんな風に寝るのかと興味があったが、2人共普通に折り畳みの簡易ベッドや地面にマットレスを置いて寝ていた。ケツァル少佐みたいに木に登って寝るのではなさそうだ。尤も彼等は軍人ではないし、町で暮らしているのだ。ハンモックよりベッドで育った口だろう。村人はどうしているのかと思ったが、家族が多い家はハンモック、そうでない家はベッドの様だ。
 3日目の朝食時にテオがその話をすると、教授とボッシ事務官が笑った。中米では普通に両方の寝方があるのだ。寧ろ・・・

「あの女性少佐は変わり者なんですよ。」

とケサダ教授に言われてしまった。

「アンドレに聞いてみなさい、大統領警護隊は木に登って就寝など教えていない筈です。野外作戦の時に身を守る為に樹上で休むことはあるでしょうが、平時に木に登って寝たりしません。」

 別のテーブルでカタラーニ、運転手と一緒に食事をしていたギャラガが自分の名前が聞こえたので振り向いた。テオは何でもないよと手を振って見せた。ボッシ事務官が別の方向で興味を抱いてテオに質問した。

「ドクトルはその少佐とお付き合いされているのですか?」
「ああ・・・」

 テオはプライベイトな話をどこまでするべきか迷った。しかしケサダ教授は知っている筈だ。だから支障のない範囲で明かした。

「彼女と婚約しているんです。一応、親公認で・・・」
「それは、おめでとう!」

 ボッシ事務官はお気楽に祝福の言葉をくれた。テオは照れてみせた。
 検体採取3日目も何事もなく無事作業が終了した。住民の半分が採取に応じてくれたことになった。採取リストを見て、ボッシ事務官がちょっと考え込んだ。

「ペドロ・コボスの母親と兄はまだ来ていません。狩猟民の家だと聞いているので、カブラ族の末裔の可能性があるのですが。」

 カブラ族がセルバと隣国の両方に分布していた証拠を確認する為の検体採取だ。コボスの家族が今回の調査の、セルバ共和国政府にとっての「本命」だった。大統領警護隊にはハエノキ村全員が「本命」だから、テオは黙っていた。
 ボッシ事務官がリストから顔を上げて、テオとケサダ教授に提案した。

「明日、シエスタの時間にコボスの家に行ってみましょう。どうせここから歩いて行ける距離です、用件は直ぐ済みますよ。」

 テオはちょっと気がかりなことがあった。

「コボスの家の者は、ペドロがセルバで殺されたことを良く思っていないんじゃないですか?」

 ボッシ事務官は村長から聞いた情報を思い出して首を振った。

「ペドロの母親は朦朧していて下の息子が死んだことを理解していない様です。上の息子は家に閉じこもって近所付き合いもしない。村長と警察が弟の死亡を伝えても部屋から出てこなかったそうです。」
「それじゃ、死んだペドロが一家を養っていたことになります。」
「そうです。しかし、村人が母親を憐れんで食べ物の差し入れをしているそうです。田舎では珍しくありません。少なくとも生きて行ける程度には助けてやっているのですよ。」

 テオは引きこもりの兄と言うホアン・コボスの存在が気になった。


2022/06/28

第7部 取り残された者      14

  夕方は午前中より大勢の村人が検体採取にやって来た。農作業が終わって夕食迄の時間潰しだ。景品も何もないのに、協力的だったので、セルバ人の方が戸惑ってしまう程だった。だがコックのパストルが調理をしながら村人達と世間話をして、「軍隊に早く帰って欲しいから」と言う理由を引き出した。ハエノキ村の住民達はセルバ人が教会前でキャンプをしていることはそんなに気にしていなかった。寧ろ自国の軍隊が村を取り巻く様に野営しているのが嫌なのだ。
 人口530人の村で検体採取初日に100人以上から採取出来たことが意外で、テオは単純に喜んで見せた。ボッシ事務官も安堵しているようだ。検体の整理と分類で大忙しのカタラーニをギャラガが手伝った。考古学的調査はまだ大きな発見と呼べる収穫がなかったので、ケサダ教授は採取の順番を待つ村人の交通整理をしてくれた。運転手のドミンゴ・イゲラスもビールのご褒美を教授からチラつかされ、教授を手伝った。

「ここの連中は博打をするのかね?」

 イゲラスの着衣からタバコの臭いを嗅ぎ取った教授が、運転手の昼間の行動に対して鎌をかけて訊いてみた。イゲラスは肩をすくめた。

「博打をする人間がいない村なんてありませんぜ、先生。だけど・・・」

 彼はチラリと村の外の方へ視線を向けた。そして低い声で続けた。

「俺が遊んだのは、兵隊の賭場でした。村人の中にも数人誘われて来てました。常習的に賭場を開いている兵隊がいる様ですね。」

 恐らく移動する先々でこっそり賭場を開いて地元民からお金を巻き上げる兵隊がいるのだろう。指揮官は知っていて目を瞑っているか、全く部下の行動に無関心か、どちらかだ。教授は学者らしい質問をした。

「どんな博打をしていたんだ?」
「カードです。それからサイコロ・・・」

 イゲラスは苦笑いした。

「大金を賭けるような勝負なんて誰も出来やしません。賭場主もカモを身包み剥いじゃ、後でややこしい事態になっちまうってわかっているから、適当なところで切り上げちまう。慣れたモンです。」

 小悪党の賭場です、と運転手は言った。
 ケサダ教授は広場の端で側近と共に採取のための行列を眺めているアランバルリ少佐をチラリと見た。数年前の内紛で無実の国民をゲリラ扱いして拷問し虐殺した将校達は処分された、とセルバ共和国では伝えられていたが、上手く立ち回って責任逃れをした者もいるだろう。少佐の口髭を気に入らない、と教授は感じた。セルバ共和国の軍人達は髭を生やすことを好まない。だらしないと思われたくないからだ。口髭は政治家が生やすもの、と軽蔑する軍人もいた。それは”シエロ”でなくても、どんな人種でも同じだった。カルロ・ステファン大尉の様にゲバラ髭を生やしているのは特異なのだ。ステファンは素が童顔なので、上官から生やすことを許可されている特例者だった。そして純血種のインディヘナは種の区別なく男性の体毛が少ない。ケサダ教授も殆ど髭が生えない人間だ。頭髪だけがよく伸びる。隣国の住民も同じだと思っていたが、メスティーソの割合がセルバより高く、体毛が濃い男が多かった。

 殆ど白人の血が流れている国民なのか・・・

 ケサダ教授は明るい色をした髪の毛の女の子達をテントに誘導しながら思った。若い女性達はハンサムなインディヘナの彼に目配せしたり、微笑みかけて来たが、彼は気が付かなかった。

2022/06/27

第7部 取り残された者      13

  テオが昼寝から覚めると、カタラーニは既に起きて子供達と川で遊んでいた。時々昆虫などを捕まえて眺めているのは、いかにも生物学者らしい。アンドレ・ギャラガは姿を消しており、ケサダ教授は日陰で座って午前中の調査をメモした手帳を眺めていた。大学ではダブレットを使用するが、ここでは手帳だ。電源節約と、盗難防止の為に高価なタブレットは持ち歩かないことにしている。
 テオが午後の調査を何時から始めようかと考えていると、教授がボソッと呟いた。

「”感応”を使える者がいます。」

 テオはドキリとした。”感応”は能力が弱い混血の”シエロ”でも使えるが、教えられなければ使えない能力でもある。だから使う者がいるとすれば2人以上の能力者がいると考えるべきだ。テオは周囲を見回した。

「アンドレは応えたのですか?」
「ノ、ただじっと寝ていられなくてバスに戻った様です。水筒を忘れていたのでね。」

 教授は若者の忍耐の弱さにちょっと腹を立てている様子だった。
 テオは教会の方を見た。広場は河原からは見えなかった。低い塔が見えるだけだ。

「コックのダニエル・パストルは何系ですか?」

 そっと質問すると、教授は苦笑した。

「私は知りません。しかし一般的には、ブーカ系メスティーソでしょう。」

 旅の始まり、バスに乗り込む時に初めて対面したのだ、教授が一族全てを知っている筈がないことをテオは思い直し、「すみません」と言った。

「貴方ならなんでもご存じだと勝手に思い込んでいました。」
「機会がなかったので一族の挨拶をまだ交わしていません。今夜あたり、どこかで声をかけてみましょう。挨拶は”心話”ではなく言葉で行うものですから。」

 ”ヴェルデ・シエロ”のマナーなのだろう。恐らくパストルの方もケサダとギャラガは何族だろうと思っている筈だ。
 テオは最初の案件に戻った。

「”感応”を試みた人間は、俺達の中に一族が混ざっていると考えたのでしょうか。」
「セルバに一族がいると知っていると思って良さそうです。遺伝子調査の本当の目的に気がついたかも知れません。」

 それは拙いかも知れない、とテオは心配になった。向こうが友好的なら良いが、敵意を持っているなら、攻撃を仕掛けてくるかも知れない。彼は吹き矢で射られた腕の傷がすっかり治っているにも関わらず、針で刺された箇所がチクチクする感覚を覚えた。勿論錯覚だ。

「接触するのは、我々考古学者に任せて下さい。」

とケサダ教授が言った。

「政治や軍事の目的で来たことは確かですが、それは事務官に任せておけばよろしい。個人との接触は、私が文化の伝搬調査と言う形で会います。貴方は検体の分析が出来るセルバに帰る迄何もしない、それが安全です。」
「わかっています。だが、俺は時々好奇心を抑えられなくなる。」
「映画の中のアメリカ人みたいに?」

 教授が茶目っ気を出して笑ったので、テオも笑った。

「スィ、どうしようもない国民性です。」


第7部 取り残された者      12

 シエスタの時間はハエノキ村も護衛でついて来た軍隊も昼寝で静かだった。セルバ共和国の調査団も昼寝休憩に入った。バスの中は暑いので、テオも外に出た。教会前の広場では日陰が少なく、仕方なく村外れの川へ行った。数人の子供が水遊びをしているだけで、村人達は畑や家の影などで昼寝をしているのが見えた。遠くへ行くなと軍から言われていたので、村民が洗濯などで使っていると思われる河原へ下りた。木陰でケサダ教授とアンドレ・ギャラガが既に場所を取って寝ていた。テオとカタラーニも空いた場所を確保した。
 バスの番をしているのはコックのダニエル・パストルだ。”ヴェルデ・シエロ”だから1人でも大丈夫だろうと思われるが、テオは彼に何かあればすぐ連絡をくれるようにと携帯の番号を教えておいた。幸いなことにハエノキ村は携帯電話が使えた。

「考えてみたら、可笑しな話だと思いませんか、先生?」

とカタラーニが話しかけて来た。テオが「何が?」と訊くと、彼は横になったまま言った。

「遺伝子を調べて、セルバ人と共通の遺伝子があれば越境を許可するって話ですよ。両国人の遺伝子が全く別物なんて有り得ないでしょ? 文化的に共通点があれば許可するってんじゃ分かりますけどね。」

 カタラーニの言葉は正論だ。だがテオが探すのは、”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子だ。越境許可云々は、調査の言い訳にすぎない。テオはカタラーニを宥めるために言った。

「政治家が腹の底で何を考えているのか、俺にもわからないさ。」

 カタラーニは論文のテーマになりそうもない調査に不満な様子だった。調査の本当の目的を教えればきっと大興奮するだろうが、それは口が裂けても言えない真実だ。
 テオとカタラーニが微睡の中に落ちた頃、アンドレ・ギャラガは頭の中で誰かに呼ばれた様な気がして目を開いた。

ーー北から来た者

 そう声は呼んだと思った。上体を起こそうとした瞬間、片手を抑えられた。目だけを動かして横を見ると、ケサダ教授が彼の手の上に己の手を重ねていた。

 え?

 と思った時、教授が殆ど聞き取れない程の低い声で囁いた。

「呼び声に応えるな。寝ていろ。」

 教授は目を閉じたまま、ギャラガの手を離し、背を向けた。ギャラガは目を閉じた。”感応”を使える人間が何処かにいる。この村の中だろうか、外だろうか。住民なのか、それとも護衛の軍隊の中にいるのか。
 コックのパストルにも聞こえた筈だ、とギャラガはバスに残っている男を思い出した。彼は反応してしまったのだろうか、それとも用心して無視しているか? 彼は気になったので、結局起き上がってしまった。何気ない風を装って川縁に下り、水を手で掬って顔にかけた。喉が渇いたが、都会育ちなので川の水をそのまま飲もうとは思わなかった。軍隊で野外の水分補充方法を習ったが、ここは学生のふりをして、彼は水筒を出すために荷物を探し、バスに置き忘れたことに気がついた。彼は教授が枕代わりにしているリュックサックを見て、それからゆっくり立ち上がった。伸びをして、バスに向かって歩き始めた。
 川から教会前広場までは歩いて5分ばかりの距離だった。途中、数人の村人が木陰で昼寝をしたり、テーブルと椅子を置いてカード遊びをしている姿を見た。彼は遊んでいる男達と目が合うと、ちょっと微笑して見せ、「オーラ」と声をかけた。向こうも彼が何者かわかったので、「オーラ」と返してくれた。
 パストルは検体採取のために張ったテントの中でジャガイモの皮を剥いていた。近づいて来たギャラガと視線が合うと、彼は”心話”で尋ねた。

ーー呼び声を聞いたか?
ーー聞いた。だが無視しろと教授に言われた。

 そしてギャラガは声に出して言った。

「水筒を忘れた。水を飲ませてくれ。」

 パストルがナイフでバスの中を指した。

「好きに飲みな。」

 バスの中の給水タンクはバスのエンジンを停めてあるので冷却機能も停止していた。それでも外気に比べれば冷たい水を飲めた。ギャラガは乾いた喉に水を流し込んだ。それからアリエル・ボッシ事務官と運転手のドミンゴ・イゲラスの姿が見えないことに気がついた。

「事務官と運転手はどこに行った?」
「事務官殿はアランバルリ少佐と一緒に村長の家にお招きだ。お茶でもしているんだろ。ドミンゴは多分、兵隊と遊んでいるんだと思う。」

 運転手はバスを動かす仕事がなければ雑用をするだけだ。暇なのだろう。ギャラガはコックのそばに座り、広場を眺めた。気のせいか、セルバの田舎町とは少し雰囲気が違って見えた。何が違うのだろう、と思いつつ、彼は夕刻迄そこにいた。
 

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...