2022/08/26

第8部 探索      6

  マハルダ・デネロス少尉は上官の許可を求めなかったが、ケツァル少佐の携帯に留守電を入れておいた。テオと一緒にデランテロ・オクタカス郊外のぺグムと言う集落に行くと言う内容だった。それから空軍の知人に電話をかけ、本日中にデランテロ・オクタカスへ飛ぶ便はないかと尋ねた。電話を切ると彼女はテオを振り返った。

「半時間後に飛び立つそうです。飛行場へ急いで!」

 予定時間通りに飛び立つことは滅多にないセルバの航空業界だが、空軍がそうとは限らない。グラダ・シティ国際空港の端っこにある空軍用スペースにテオの車が滑り込んだのは25分後だった。ドアをロックして2人は走った。兵士ではなく物資を運ぶ小型輸送機に無理矢理乗り込む形だ。定員オーバーではないか、と心配したが、荷物は軽そうだった。
 乗員はテオ達に何をしに行くのかと訊かなかった。大統領警護隊が乗せろと言うのだから乗せる、それだけだ。
 小さな輸送機はガタピシ言いながらグラダ・シティ国際空港を飛び立った。空軍なのだから、もっとマシな飛行機を買って貰えば良いのに、とテオは思ったが、黙っていた。オルガ・グランデへ行く空路より気流の乱れが少ないと言っても、深い緑の密林の上を飛んで行く。もし墜落したら、救助が来るのに時間がかかりそうな土地の上を通過した。
 テオとデネロスは沈黙したまま、座席に座っていた。狭い空間で、動き回るスペースもあまりない。パイロットも副操縦士も殆ど喋らなかった。やがてガタガタの滑走路に着陸して、飛行機が停止した時、全員がホーッと大きく息を吐いた。
 テオとデネロスは乗員に礼を告げて、空港を離れた。出口でペグム村へ行く道を訊くと、意外にも乗合タクシーを教えてくれた。オクタカス遺跡へ何度か監視業務に出かけていたデネロス少尉だが、近隣の村々へタクシーで行けるなんて知らなかったらしく、ちょっと驚いていた。
 タクシーと言っても小型トラックを改造した車で、荷台に屋根が載っけてあり、ベンチが備え付けてあるだけのものだ。窓ガラスは前半分だけで、後は風通しがやたらと良かった。乗客は全部で7人、デランテロ・オクタカスで野菜を売った女性達が自宅へ帰るところで、朝は野菜を入れて来たであろう大きな籠に、帰りは日用雑貨を購入して詰め込んでいた。自宅用ではなく村で売るのだろうと見当がついた。
 デネロスがオスタカン族の住民のことを尋ねると、彼女達は即答で教えてくれた。テオは地方訛りがきつい彼女達の言葉を7割程しか聞き取れなかったが、デネロスはちゃんと理解出来たらしく、表情が穏やかになって、グラシャスを繰り返した。
 ペグム村は、予想したより綺麗なところだった。森が開かれていて、木造の民家が未舗装のメインストリートに沿って並んでいる。少し床を地面から上げて離してあるのは虫などを避ける為だろう。どの家も2、3段の階段を上がって家に入る。家の前では女性達がお喋りしながら屋外キッチンで夕食の支度をしていた。男性達は日中の仕事が再開される時間なので、民家の裏手で働いている様だ。
 乗合バスを降りた女性達は1軒の家を目指して歩いて行った。そこが村で唯一の商店で、食料品から日用雑貨、衣類などを販売していた。彼女達は野菜を売ったお金で仕入れた雑貨をその店に卸し、またお金を受け取って帰って行った。
 テオとデネロスはその店の主人が仕入れた品物を店頭に並べるのを眺めていた。やがてデネロスが声をかけた。

「ブエノス・タルデス! 貴方がセニョール・サラスですか?」

 主人が顔を向けた。よく日焼けしたメスティーソの男性で、60は過ぎているだろうか。商店主らしい人当たりの良さそうな顔で頷いた。

「スィ、儂がサラスです。何か?」

 他所者への警戒がなかった。綺麗な村だから、訪問者が多いのだろう。それにこの村は、オクタカス遺跡の側のオクタカス村への通過点だ。流通の途中の村なのだ。
 デネロスが徽章を出した。サラスは手の埃を払い、店の中の椅子を指差した。

「遺跡の監視ですか? あちらで休まれませんか? お茶を出しますよ。」


2022/08/24

第8部 探索      5

「その修道女はアーバル・スァットに興味を持ったと思いますか?」
「どうでしょう・・・」

 アバスカルは首を傾げた。

「病気平癒の神様ではありませんし、とても古くて観光客も素通りしてしまうような小さな神像です。雨を降らせる力があるとも思えませんし・・・」

 学芸員にはそう見えるのだろう。それに神像に力があるなら、現代でも近隣の先住民などがお供えをしたりして崇拝しているのではないか。無造作に神殿の棚に置かれていただけだから、ロザナ・ロハスは盗めたのだ。

「アーバル・スァットを盗んだと言われている女性のことですが・・・」

 テオが女性犯罪者のことに触れかけると、アバスカルは肩をすくめた。

「あの麻薬業者ですか? あんな人はここへ来ないでしょう。ここには監視カメラがありますから、例え遊びに来るだけだとしても、映りたくないと思いますよ。」

 彼女は部屋の隅の天井に設置されているカメラを指差した。テオが見たところ、休憩スペースのカメラはそれ1台だけで、部屋の出入り口を撮影しているように見えた。
 デネロスが、修道女が来たのはいつ頃でしたか、と尋ねた。アバスカルはブログの日付を見て、5年前の月日を言った。ロザナ・ロハスがアーバル・スァットを盗掘する半年程前だった。 

「その人はそれっきり来なかったのですね?」
「来ませんでした。」
「他に呪術や願い事を叶えてくれる神様について質問した人はいませんでしたか?」
「博物館でそんな質問をする人はあまりいませんわ。大概は祭祀の方法や占星術の技術や、農耕と狩猟の関係などを調べている人が多いです。考えてもみて下さい、私たちが古代の呪術について遺跡から何を知ることが出来ます?」

 確かに、考古学は出土品を見て、それが何に使われていたのか、どう使われていたのか、誰が使っていたのか、考える学問だ。呪術の内容まで判明したりしない。
 アバスカルは修道女の名前を覚えていなかったし、どこの修道院かも聞いていなかった。
 テオとデネロスは彼女に礼を告げて、博物館を出た。
 車に乗り込むと、デネロスは考え込んだ。

「民間のシャーマンがセルバ共和国に何人いると思います?」
「数えた人はいないと思うが・・・」

 テオは絞り込む方法を思いついた。確実ではないが、ないよりマシな案だ。

「ピソム・カッカァ遺跡周辺のシャーマンや呪術師を当たった方が良くないか? アーバル・スァットの呪いを知っているのは、オスタカン族だと思うが・・・」
「オスタカン族はアケチャ族に同化されて、殆ど残っていません。少なくとも純血のオスタカン族なんて・・・」

 そこでデネロスは何かに思い当たり、電話を取り出したので、テオは車のエンジンをかけずに待った。デネロスがかけたのは、ウリベ教授だった。結局、あの福よかな人懐っこい教授に頼ることになるのか、とテオは思った。
 ウリベ教授はお昼寝の最中だったのか、電話に出ても少しばかりはっきり聞き取れない喋り方だった。デネロスは彼女のシエスタを邪魔したことを謝罪し、それからオスタカン族の伝承に詳しい人を教えて欲しいと頼んだ。

ーーオスタカン族? 何だか懐かしい言葉ねぇ。

 といつも陽気なウリベ教授が答えた。

ーーあの部族はとても古くて、人口も少なくなっているから、殆ど伝承も残っていないのよ。だからシャーマンと言うより、土地の古老に昔話を聞けたら幸運と言うことです。

 まだ生きているかどうか知らないが、と前置きして、教授はデネロスに3つばかり名前を告げた。テオはそれを素早く自分の携帯にメモした。住所は具体的に覚えていなかったが、住んでいた村は知っていると教授はデランテロ・オクタカス近郊の集落の名前を一つだけ言った。

ーーそこにオスタカン族の末裔が住んでいるわ。目で見てもわからないけどね。言葉もアケチャ語とスペイン語だけです。
「グラシャス、先生! 恩に着ます!」

 大袈裟ね、と笑ってウリベ教授との通話は切れた。
 デネロスが振り返ったので、テオは腹を決めた。

「デランテロ・オクタカスへ行くか・・・」


第8部 探索      4

 テオもデネロスも学芸員が耳寄りな情報を持っているとは期待していなかった。博物館は混雑する場所ではないが、週末は海外からの観光客も多い。職員達はその資格や肩書きに関わらず客の応対に忙しく、一人一人の客の顔を覚えていないだろう。 博物館に一番近いタコスの店で簡単に昼食を済ませ、コーヒーを飲んでから、テオとデネロスは博物館に戻った。
 マリア・アバスカルは2人が奥のスペースへ辿り着く前に彼等に追いついた。手にタブレットを持っており、休憩スペースのソファへ2人を誘導した。休憩スペースは広くて、近代のセルバ人画家が描いた遺跡や神話をモチーフにした幻想的な油絵が4、5点3方の壁にかけられた四角い部屋だった。その真ん中に背もたれのないソファが置かれているので、他の人が近づくとすぐ知ることが出来る。

「呪術のどう言うことをお知りになりたいのでしょうか?」

 アバスカルの質問に、デネロスが答えた。

「呪術の内容ではなく、呪術の使い方を調べに来た人がここ5、6年の間でいなかったか、覚えていらっしゃいますか?」
「呪術の使い方?」

 アバスカルが目を見張った。デネロスが説明した。

「つまり、どんな神様や精霊に、どんな方法で願い事を叶えてもらうか、その儀式の方法等です。」
「・・・」

 テオが周りくどい言い方がまどろっこしいので、ズバリ言った。

「誰かを呪殺したい場合の方法とか・・・」
「呪殺ですか・・・」

 アバスカルは口元に手を当てた。驚いた様子だが、ショックを受けたと言う感じではなかった。

「ええ、中南米の呪いの効果を期待して、そう言う不穏な情報を調べて来る外国人がたまにいますね・・・」

 彼女はタブレットを操作し始めた。面会者のリストかと思ったらそうではなく、彼女個人の日誌の様な感じだった。ブログ形式で日誌を毎日書いているのだ。彼女は検索ワードに「呪殺」と入れた。しかし出てきたのは、来館者との会話を描いた日誌で、若者達と冗談混じりで話をした様子ばかりだった。

「民間信仰で呪いを研究されているのは、グラダ大学のウリベ教授ですけど・・・」

とアバスカルは言い訳するように呟いた。

「でも私は教授にそんな遊び半分の観光客を紹介したことはありません。」
「勿論、貴女が軽薄な人々に真面目に取り合うなんて思っていません。」

 テオはデネロスを見た。彼女に主導権を戻したかったが、彼女はテオのペースに任せることにしたのか、黙って見返しただけだった。それで彼は更に突っ込んで質問した。

「アーバル・スァットと言う石の神像をご存じですか?」
「アーバル・スァット?」
「ピソム・カッカァと言う遺跡で祀られているネズミ・・・いや、ジャガーの神像です。」

 アバスカルはちょっと首を傾げ、それから思い当たることがあったのか、「ああ」と声を立てた。

「一度盗掘されて、それから大統領警護隊が取り戻した神像ですね?」
「スィ。その神像について、博物館では・・・いえ、貴女はどんな情報をご存じですか?」
「ピソム・カッカァはオスタカン族が7世紀から8世紀頃に築いた都市で、現在はその都市の10分の1だけが遺跡として現存しています。遺跡内には2つだけ神殿が残っており、ジャガー神アーバル・スァットが祀られているのは、西の神殿と呼ばれている場所です。あの神様はジャガーですから、雨を呼ぶ神様です。他人を呪う為の神様ではありません。」
「でも、神様は扱い方を間違えると、お怒りになりますよね?」
「スィ、とても恐ろしい祟りがあります。」

 そこまで言ってから、アバスカルは何かを思い出し、ブログを検索した。

「今でも神様へ祈りを捧げたら願いが叶うのかと訊いてきた人がいました。」

 彼女は古い記事を探し当てた。

「地方の修道院に入っている女性で、身内が重い病に臥せっているので、古代の呪術でも何でも良いから救いの手を差し伸べたいと言う人が訪ねて来ました。」
「修道女ですか?」

 デネロスが意外そうに言った。

「修道女なら、キリストや聖母に救いを祈るでしょうに・・・」
「奇跡を期待しても空い時はあります。」

 アバスカルが寂しい笑みを浮かべた。

「それにその女性は先住民でした。キリスト教の信仰より民族が古代から信じてきたことの方が彼女には重たかったのでしょうね。」
「彼女の質問に貴女は何と答えたのですか?」

 アバスカルはちょっと躊躇った。そしてデネロスを見た。

「”ヴェルデ・シエロ”が関わった神様なら、何らかの祈りの効果を期待出来るかも知れませんと・・・」

 アーバル・スァットは雨の神様で、病気平癒の神様ではない。デネロスが尋ねた。

「どこかの神様を紹介なさったのですか?」

 アバスカルが苦笑した。

「そんな無責任なことはしていません。私はただ現在観光客が近づける遺跡を紹介するパンフレットを彼女に渡し、それらの場所に置かれている神像や神の彫刻について一つ一つ簡単に説明しただけです。そして病気平癒は民間信仰のシャーマンの方が詳しいでしょうと言いました。」


2022/08/22

第8部 探索      3

  シエスタの時間は博物館も昼休みだ。そんな時に訪問すれば職員や学芸員は迷惑だろうが、見学者の邪魔をせずに済む。テオは午後の授業がないのでマハルダ・デネロス少尉を車に乗せてセルバ国立博物館へ行った。
 デネロスの緑の鳥の徽章を見せると、入館料なしで中に入れてもらえた。2人は真っ直ぐ事務室へ行き、ドアを開いた。職員達は昼食に出かけており、残っているのは3人だけだった。デネロスは一番近くにいた初老の男性学芸員に徽章を見せて、

「呪術に詳しい人がいると館長から聞いて来ました。面会を希望します。」

と要請した。すると男性学芸員は一番奥の机でお手製と思えるサンドウィッチを食べている中年のメスティーソの女性学芸員を指した。

「マリア・アバスカルのことを館長が仰ったのなら、そうです、彼女が呪術の研究をしています。」
「グラシャス。」

 テオとデネロスは部屋の奥へ進んだ。アバスカルはカップのコーヒーを飲みかけていたが、近づいてきた客に気がついて手をおろした。「こんにちは」とデネロスとテオは挨拶した。

「私は大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉です。」
「俺はグラダ大学生物学部准教授のアルストです。」

 アバスカルが微笑した。

「少尉も准教授も存じ上げています。時々ここを訪問されましたよね?」
「スィ。」

 個別に紹介されたことはなかったが、何度か用事があって博物館に来ていたので、テオもデネロスも職員達に顔を覚えられていた。なにしろ気難しい館長を訪ねて来る人だ。誰も忘れたりしなかった。

「今日は館長から貴女を紹介されました。呪術の研究をされているとか・・・」
「スィ。呪術と言っても色々ありますが、どんな要件でしょう?」

 テオは彼女の机の上の弁当を見た。

「先に食事を続けて下さい。俺達も外で食べて来ます。何時頃にお伺いするとよろしいですか?」

 アバスカルは大きな茶色の目をくるりと回し、ちょっと考えた。

「この近所で食事が出来るお店は3軒だけです。食べ終わったら、私からお店へ伺います。お食事なさりながらで良ければですが?」

 出来ればあまり部外者に聞かれたくない話だ。デネロスがテオを見た。テオは時計を見た。そして脅かすつもりはなかったが、声を低くして言った。

「館長の紹介と言う意味をお考えくださると嬉しいです。」

 アバスカルがハッと目を見開いた。そして1日の予定表をめくった。

「午後2時迄でしたら、空いています。」
「では、出来るだけ早く戻って来ます。この場所でよろしいですか?」
「展示室の一番奥に客の休憩スペースがあります。そちらへお越し下さい。戻られたら、誰かが私に教えてくれますから。」

 再会を約束して、テオとデネロスは博物館を一旦出た。


 

2022/08/21

第8部 探索      2

  12時になると、学生達も職員達もキャンパス内のカフェや学外の食堂へ向かって移動する。テオは考古学部へ向かった。午前中どこかで時間を潰していたマハルダ・デネロス少尉と建物の入り口で出会った。考古学部は特に変わった場所ではない。博物館のように遺跡からの出土物やミイラが廊下に並んでいるなんてこともない。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の研究室はケサダ教授の部屋の隣だった。ドアには「主任教授」と書かれているだけで、博士の名前はなかった。テオがノックするとドアが勝手に開いた。こんな些細なことで能力を使うなんて博士らしくないと思いつつ、テオとデネロスは挨拶をしながら中に入った。
 ムリリョ博士は机に向かって何やら書類仕事をしており、2人が入室しても振り返らなかった。デネロスが声をかけた。

「面会許可、有り難うございます。」

 博士は黙ってゆっくり椅子を回転させ、振り返った。テオはいきなり話題に入ると礼儀がどうのと言われそうな気がしたので、デネロスに任せることにした。ムリリョ博士は2人のどちらが主導権を持つのか見極めようとしているのだ、と思った。

「ピソム・カッカァからアーバル・スァットの神像が盗み出され、昨日それが建設大臣マリオ・イグレシアスの所へ送られて来ました。」

 デネロスは彼女が知っていることを喋り出した。

「幸い私設秘書のセニョール・シショカがその箱を受け取り、中の異様な気配を知って検めました。彼は神像を見て、大統領警護隊文化保護担当部に連絡して来ました。文化保護担当部は現在、盗掘者と大臣に神像を送りつけた人物を特定するために捜査に取り掛かっております。」

 するとムリリョ博士がジロリとテオを見て、それから視線をデネロスに戻した。

「アーバル・スァットは今どこにある?」
「建設省のセニョール・シショカの部屋だそうです。」

 博士は小さく頷いた。シショカは彼の配下ではないが、同業者で同族だ。信頼を置ける男なのだろう。博士は窓の外を見た。庭の植え込みが見えるだけだ。

「数日前から少し気が乱れていた。だから妊婦が不安定になる。この2、3日は出産が増えるだろう。」

 え? とテオは驚いた。あのネズミの神様は子供の誕生にも影響を及ぼすのか? コディア・シメネスが一月早く産気づいたのも、そのせいなのか? だがここで個人的な話を持ち出すのは拙いとテオは知っていた。ムリリョ博士は公私をはっきり分けて考える。
 デネロスが面会の目的を出した。

「博士にお尋ねします。ここ最近、古い呪術のことを調べている人はいませんでしたか? 一族の者でも”ティエラ”でも構いません、古代の神像と呪術の関係を研究している人をご存知ないでしょうか? 恐らくウリベ教授が研究されている民間信仰よりずっと古い時代のものを、調べていた人間がいる筈です。」

 すると博士はちょっと考えた。真剣に捜査に協力してくれているんだ、とテオは別のところで感動を覚えた。

「呪術は儂の分野ではない。」

と博士は言った。

「しかし博物館の学芸員の中に呪術研究をしている者がいる。彼女に訊くと良い。」

 その人の名前は、と尋ねる前に博士はクルリと椅子を回転させて机に向き直った。テオがデネロスを見ると、彼女はそれ以上質問してはいけないと思ったのか、「グラシャス」と声をかけた。それで、テオは博士の背中に声をかけてみた。

「コディアさんの出産が無事に済むことを祈っています。」

 デネロスはさっさと部屋から出て行った。長居無用と言わんばかりだ。テオも博士の返事を期待していなかったので、「グラシャス」と囁いて出ようとした。博士が呟いた。

「男の子だ。フィデルは後継者を作りおった。」

 半分だけのグラダ族の男、しかし純血種の”ヴェルデ・シエロ”が生まれたのだ。テオは

「おめでとうございます。」

と挨拶して、部屋から出た。微かだが、興奮していた。

2022/08/19

第8部 探索      1

  テオドール・アルストがグラダ大学に出勤すると、マハルダ・デネロス少尉も来ていた。彼女はすぐに考古学部へ行きたかったのだが、男子学生達が美人を放置しておく筈がなく、早速何人かに声をかけられ、なかなか前へ進めずに困っていた。

「ナンパしていないで、勉強なさい!」

 彼女が緑の鳥の徽章を出して見せる迄、若者達のアタックは続いた。テオは彼女を援護してやりたかったが、見当違いの噂が流れても困るので、近くを通りながら軽く、

「ブエノス・ディアス、デネロス少尉!」

と声をかけた。デネロスはすかさずその救いの手に縋りついた。

「ブエノス・ディアス、ドクトル・アルスト!」

 彼女は学生達を振り切って彼に駆け寄った。

「今朝は考古学部の先生達にお会いになりましたか?」
「ノ、まだ来たばかりだから、誰にも会っていない。」

 テオは理系学舎に向かって歩いていた。デネロスは方向違いでもついて来た。

「ムリリョ博士が来られていると言うことは・・・?」
「予想がつかないなぁ。」

 テオもわかりきったことを喋り続けた。

「業務関連で面会を希望かい?」
「スィ、出来れば大至急お会いしたいのですけどぉ・・・」

 建物の中に入って学生達をまいてから、2人は立ち止まった。テオは携帯を出して、ムリリョ博士の番号にかけてみた。しかし博士はいつもの如く彼の電話には出てくれなかった。5分程粘ってから、テオは一旦切って、次にケサダ教授の番号にかけてみた。

ーーケサダ・・・

 聞き慣れた穏やかな教授の声が聞こえた。テオは急いで名乗った。

「テオドール・アルストです。今日は大学に来られますか?」

 すると思いがけない返答が聞こえた。

ーー今、病院にいます。コディアが出産するので・・・
「あっ!」

としか言いようがなかった。ケサダ教授の愛妻コディア・シメネスが5人目の赤ちゃんを孕っていることは知っていた。まだ予定日は先だな、と思っていたのだが、早く産気づいた様だ。

「出産がご無事に済むことをお祈りしています。」
ーーグラシャス。 ところで何用ですか?

 尋ねられて冷や汗が出た。

「あ、ムリリョ博士に面会を取り付けたくて・・・俺ではなくデネロス少尉が博士に用があるのです。」

 ムリリョ博士はコディア・シメネスの父親だが、娘の出産に立ち会うとは想像出来なかった。ケサダ教授は親切だ。

ーー博士に伝えておきます。デネロスの電話にかけて貰えば良いのですね?
「スィ、グラシャス!」

 ムリリョ家は伝統を重んじる家系だが、自宅や部族の出産のしきたりに従った施設ではなく、病院で産むのだな、とテオはぼんやりと思った。
 デネロスがテオを見つめていた。

「教授の奥様が出産ですか?」
「スィ、予定日より早いよう気がするが・・・」

 デネロスも指を折って数えてみた。

「一月早いと思います。コディアさんは産んでしまうのですね?」

 予定日迄安静にしているのではなさそうだ。もしかすると危険な状態なのだろうか。テオとデネロスは不安を覚えた。

「マスケゴ族も病院で出産するのが普通なのかな?」

 デネロスが苦笑した。

「勿論です。伝統的な産屋を使うのは田舎の人ですよ。それにグラダ大学附属病院の産科には一族の医者がいますから、出産に伴う儀式なども行います。」

 この国の最先端医療を誇る大学病院で、出産の儀式か、とテオはちょっと驚いた。だが”ヴェルデ・シエロ”の親達には重要なのだ。

「アリアナも出産の時は儀式を行うのかな?」
「当然です。」

とデネロスは微笑みながら答えた。

「ロペスの家系はブーカ族の重鎮ですから、必ず行います。そしてシーロの血を引く子供を産むことで、アリアナは白人であっても一族の一員として正式に迎え入れられるのですよ。」

 その時、デネロスの携帯電話が振動して、彼女は慌ててポケットから電話を取り出した。非通知だが、彼女は相手が誰だか想像出来た。

「ワッ! きっと博士からですぅ・・・」

 緊張しながら彼女は通話ボタンを押した。そして相手の声を暫く聞いてから、「わかりました、グラシャス!」とだけ言って電話を終えた。
 テオを見て、彼女は告げた。

「1200に考古学部の博士の研究室へ来るようにと言われました。ドクトルも一緒に来て下さい。」
「え? 俺も行って良いの?」
「ご指名です。」

 それって、めっちゃ緊張ものじゃん、とテオは内心思った。

 

2022/08/18

第8部 贈り物     23

 「例え幸運をもたらしてくれるとしても、神様を贈られるなんて、真平ごめんです。」

とカルロ・ステファン大尉は言った。彼はケツァル少佐と共に陸軍オルガ・グランデ基地の、大統領警護隊が利用する「控室」にいた。携帯電話のメールを読んでいた少佐が、顔を上げずに言った。

「そんな奇特な友人など持っていないでしょう。」

 彼女はロホからのメールを見つけた。建設省の警備室に入り込めたとあった。彼が警備員のふりをして仮眠室で休んでいても、誰も気がつかないだろう。ロホはその気になれば大臣執務室にも入れるのだ。
 アスルはネズミの神様が本来祀られているべき遺跡ピソム・カッカァにギャラガと共に行くとメールして来た。但し、夜が明けてからだ。その夜は病院で重体の警備員の様子を見守るのだと書かれていた。ギャラガからのメールはなかった。報告はアスルが引き受けた様だ。警備員が”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波に襲われたらしいと言う文に、少佐は不快を覚えた。一族が関わっていることは明白だ。ネズミの神様は”ヴェルデ・シエロ”の能力で抑えることが出来るが、同じ”ヴェルデ・シエロ”を敵として戦うのは厄介だ。
 マリオ・イグレシアス大臣が誰からどんな恨みを買ったのか、調べる必要があった。シショカが調べている筈だが、あの男がそれを突き止めたとして、素直に情報を渡してくれる保障はない。”砂の民”として、さっさと仕事をしてしまうかも知れない。
 少佐はマハルダ・デネロス少尉がムリリョ博士と上手く接触出来ることを願った。博士はメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”を嫌っているが、デネロスのことは気に入っているのだ。物怖じしない勇敢な娘、と誉めていた。
 ステファンが毛布を被って寝転んだ。

「明日はグラダ・シティですか?」
「そのつもりですが、何か?」

 オルガ・グランデはステファンの生まれ故郷だ。しかし彼は故郷にあまり良い思い出を持っておらず、懐かしいとも感じない。任務で帰郷しても、仕事が終わるとさっさとグラダ・シティに帰ってしまうのだ。
 ステファンは、「別に」と呟いたが、すぐ言い訳した。

「ネズミの神像の石を切り出した川は、あの川ですよね?」

 あの川というのは、”暗がりの神殿”のそばを流れる聖なる地下川だ。少佐は「スィ」と答えた。

「言い伝えでは、川の石を切り出して、神像を作ったそうです。旱魃に苦しむ農民を救う為に。」
「昔の人々はそう言うことが出来たんですね。」
「今でもママコナなら出来るでしょう。」
「グラダ族でもないのに?」
「グラダ族でもママコナの修行をしなければ出来ませんよ。ママコナは最長老達に幼い頃に仕込まれるのです。」
「では最長老は神像を作れるのですか?」
「念を込める資格を持つのはママコナだけです。」

 ケツァル少佐はママコナではないし、最長老でもない。ステファンの質問に全部答えられる訳でなかったから、だんだん面倒臭くなってきた。

「明日は早いですよ、早く寝なさい。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...