2022/09/23

第8部 チクチャン     3

  テオはその日授業がなかったので、研究室で医学部から依頼された遺伝子の分析をしていた。遺産相続に関係する親子関係の鑑定依頼が最近多くなった。依頼される度に彼は心の中で「どれだけ隠し子を作っているんだ?」と毒づいていた。
 遺伝子マップを読み疲れたので、休憩のためにカフェに行くと、偶然考古学部のケサダ教授を見つけた。ケサダ教授はテーブルの上にタブレットと書物を広げ、仕事をしている様に見えた。テオは隣のテーブルに席を取って、「ブエノス・ディアス」と声をかけた。教授が顔を上げ、振り返って微笑んでくれた。

「ブエノス・ディアス。休憩ですか?」
「スィ。顕微鏡と遺伝子マップで眼が疲れたので。」

 そして新しい家族が増えた教授に、「おうちが賑やかになりますね」と言うと、相手は苦笑した。

「初めての男の子なので、娘達が大はしゃぎで、五月蝿いんですよ。」

 テオは4人の活発な娘達を思い出した。伝統を重んじる先住民の家庭で育った少女達は、お淑やかに見えるが、親が見ていないところではやはり普通の女の子だ。ケサダ教授の家庭では娘達はのびのびと育っているのだろう。

「ムリリョ博士はまだご機嫌ななめですか?」

 心配事を尋ねると、教授は首を振った。

「生まれてしまった者は仕方がありません。マスケゴの男として育てることに力を入れてくださるでしょう。」

 彼は小さくニヤリと笑った。

「アブラーンが、私の家を増築してやろうと申し出てくれたのです。息子が生まれる前は、あんなに反対していたのに。」
「息子さんの部屋を造ってくれるのですか?」
「スィ。しかし、息子が自分の部屋を持つ頃には、娘達が成長して家を出て行くでしょう。妻も私も娘達が家から出たいと言えば、結婚しようがしまいが、彼女達の自由にさせるつもりです。娘が出ていけば部屋が空きます。」
「では、断ったのですか?」
「そんな無礼なことはしません。義兄の申し出は有り難くお受けしますよ。娘のピアノの練習室が欲しかったのでね。」

 教授が楽しそうに笑った。テオも笑いながら、ふと思った。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは建設会社を経営している。所謂大手ゼネコンだ。ダムも造ったんじゃないか?

「教授、アブラーンの会社はダムを造ったことがありますか?」
「ダム?」

 教授はちょっと考え込んだ。義兄の会社とは仕事で接点がないので、テオの質問に直ぐに答えられなかったようだ。

「セルバでダムを必要とするのは西部の方ですね。ロカ・エテルナ社は主に東部でビルや港湾施設を建設していますから、西部のダムはオルガ・グランデの業者の縄張りではありませんか。」
「アスクラカンは・・・」
「アスクラカンはロカ・エテルナが入っていますが、市庁舎や教育施設が主だったと思います。アブラーンに訊いてみますか?」

 テオはマスケゴ族の主流家族を巻き込みたくなかった。家長は”砂の民”だ。ややこしくなりそうなことは避けるべきだ。

「ノ、教授がご存じないのでしたら、きっと大規模な工事でない小さなダムをロカ・エテルナ社が請け負うこともないでしょう。」

 ケサダ教授がじっとテオの額を見た。本当は目を見たいのだろうが、礼儀に反するし、テオは目を見つめられても”ヴェルデ・シエロ”に思考を読まれたりしない。だから教授は直接質問した。

「どこのダムのことをお訊きになりたいのです?」
「遺跡とかに関係ないダムです。」

とテオは言った。考古学者は遺跡がダムに水没することを心配すると思ったからだ。

「上水道とか、工業用水とか農業用水とは関係ないダムで、なんと言うか、土砂対策の砂防ダムです。」

 喋りながら、テオはある可能性を思い付いた。忘れぬうちに行動しなければ。彼は教授に「失礼」と断って携帯電話を出した。急いで押した短縮はアスルの電話のものだった。

ーークワコ中尉・・・

 アスルの声が聞こえたので、テオは早口で喋った。

「アルストだ。アスル、アスクラカン市役所でダムのことを調べただろ? 建設会社の名前を見たか?」

 アスルが数秒間沈黙した。そしてテオの言葉を確認するかの様に復唱した。

ーーダムの建設会社?
「スィ。ロカ・エテルナだったか?」
ーーそんな大手じゃない。アスクラカンの地元の・・・

 アスルが口を閉じた。彼も何かを思い付いたのだ。そして、「そうか」と呟いて、いきなり電話を切った。テオは電話を見つめた。言いたいことは伝わっただろうか。アスルは動いてくれるだろうか。
 気がつくと、ケサダ教授が書籍やタブレットを片付け始めていた。

「教授・・・」
「研究室に戻ります。」

 教授は鞄に書籍やタブレットを入れてしまうと立ち上がった。そしてテオを見下ろして囁いた。

「建設省のマスケゴが何かを嗅ぎ回っていましたが、貴方が追いかけているものと関係ありますか?」

 セニョール・シショカの動きを、考古学教授は知っていた。やはりこの先生はただの学者じゃない、とテオは緊張し、また感心した。

「彼の依頼でケツァル少佐が動いています。でも貴方を巻き込むつもりはありません。どうか無視してください。」

 

2022/09/21

第8部 チクチャン     2

  文化保護担当部の業務は全て副指揮官のロホに任せてある。だからケツァル少佐は余計な口出しをして彼の顔を潰すことを決してしない。彼女自身の任務が終了する迄、本業を全面的に部下に任せてしまった。文化・教育省に立ち寄らずに彼女はビルの前でカルロ・ステファン大尉を拾うと、そのままハイウェイをアスクラカンに向かって走り出した。”ヴェルデ・シエロ”各部族の長老達が集まる偶数月毎の新月会議は既に終わっており、次の会議まで長老達は首都に来ない。だから少佐はサスコシ族の長老に会いに、これからアスクラカンへ行くのだ。ステファンはあの内陸の商都が好きでない。純血至上主義者が多い土地柄だからだ。しかし、アルボレス・ロホス村は行政区分ではアスクラカン市役所の管轄だった。それはこのセルバ共和国を裏で支配する”ヴェルデ・シエロ”の都合から言えば、アスクラカンの主力部族であるサスコシ族の一員がアルボレス・ロホス村に住んでいた可能性を示していた。だから少佐はグラダ・シティのブーカ族ではなく、アスクラカンのサスコシ族に最初に当って見ることにした。
 昼過ぎにアスクラカンのバスターミナルに到着すると、少佐はステファンに昼食を買いに行かせた。そして彼女は車内からサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴに電話をかけた。アラゴは昼食の最中で、突然のグラダ族の族長からの電話に驚き、また喜んだ。長老会議は2ヶ月毎に開かれるが、族長会議は年に1度だけだ。滅多に出会えない仲間からの電話と言うことで、楽しげに時候の挨拶を始め、ケツァル少佐は礼儀を守って辛抱強くお喋りに付き合った。やがて、

ーーところでグラダの友よ、今日はどんなご用件かな?
「サスコシの尊敬する兄へ・・・」

と少佐は礼儀上の呼称を使った。

「教えて頂きたいことがあります。貴方の一族に蛇を名乗る家族はいますか?」
ーー蛇?

 少しの間沈黙があった。アラゴは考え込んだのだろう。そして50秒程してから、答えた。

ーーサスコシに蛇を名乗る家族はおりませんな。
「では、チクチャンと言う名に心当たりはございませんか?」
ーーチクチャン? どこの国の名前ですか?

 アラゴに外国の考古学の知識はなかった。それにセルバ共和国に居住していないマヤ族の言葉も知らなかった。マヤ族がどう言う民族かは知っていても、その文化に関心がなかったのだ。
 ケツァル少佐は質問の方向を変えた。

「では、アルボレス・ロホス村と言う所をご存じですか?」
ーーアルボレス・ロホス・・・ああ、ジャングルの中に政府が造った入植村ですな。確か、泥に埋まってしまったと聞きましたが?
「スィ、その村に住んでいた人々が現在どこにいるか調べています。」
ーー”ティエラ”のことは役場でお訊きなさい。
「あの村に一族の人が住んでいたと言うことはありませんか?」

 電話の向こうでアラゴがちょっと笑った。

ーーどうしてサスコシがわざわざジャングルの奥地へ畑を耕しに行かねばならんのです?

 そして、ああ、と声を出した。

ーーチクチャンとか言う人が、その村に住んでいたのですな。
「スィ。それは役所の台帳で確認が取れています。その家族が何処へ行ったのか、知りたいのです。」
ーー生憎、一族の者でなければ私にはわかりませんな。
「長老にお尋ねしても、わからないのでしょうか?」
ーーマヤの名前を使う一族の人間がいたら、長老から族長に何か言ったかも知れませんが。白人の名前ならともかくも、そんな大きな勢力を誇った部族の名前を使うのであれば、何か呪術的なことをする家系でしょうから。

 ケツァル少佐はアラゴ族長に丁寧に礼を述べて電話を切った。
 呪術的なことをする家系、とアラゴは言った。それなら長老達が把握している筈だ。サスコシ族が知らないと言うなら、他の部族を当たらねばならない。
 ブーカ族は人口が多いが、殆どグラダ・シティ周辺に集まって住んでいる。ある意味、”ヴェルデ・シエロ”の中では一番近代化されている部族で、呪術で憎い相手に復讐を考えるとは思えない。
 オクターリャ族は世俗の争いに背を向けている。彼等なら呪術で復讐するより、時間を少しだけ遡って歴史を変えると言う形のテロを思いつくだろう。
 グワマナ族は東海岸の漁民が多いし、海辺の土地で生活している。わざわざ内陸のジャングルを開墾して畑を作ろうなんて思わないだろう。
 マスケゴ族も考えにくい。同じマスケゴ族のシショカが働いている大臣のところへ呪いの神像を送りつけるなど、命知らずも良いところだ。
 カイナ族も大人しいし、彼等はオルガ・グランデ周辺の乾燥地帯で暮らしている。だが、もし新しい農地を手に入れたいと思ったら・・・
 車のドアが開いて、カルロ・ステファン大尉が良い匂いを漂わせた紙袋を2つ抱えて入ってきた。

「ぼんやりして、どうなさったんです? 貴女らしくもない。」

 差し出された紙袋を、「グラシャス」と言って少佐は受け取った。

「考え事をしていました。サスコシの族長はチクチャンと言う名前の一族はいないと仰いました。では、どの部族なのだろう、と・・・」
「偽名でしょ?」
「セニョール・アラゴの考えでは、マヤ語で蛇を意味する名前を使うなら、呪術的なことをする家系だろうと。それなら族長が長老から教えられていない筈はありません。」
「ロホの実家みたいに有名な呪術師の家系ならともかく、庶民相手の占いや祈祷をする人なら、長老もいちいち気に留めないでしょう。」

 ステファンはバスターミナルの向こうに伸びる道を顎で指した。

「オルガ・グランデ方面へ行ってみませんか? 向こうにはカイナ、オエステ・ブーカ、それにマスケゴの残党がいる。」



2022/09/20

第8部 チクチャン     1

  翌朝、テオが朝食を取りにケツァル少佐の区画へ行くと、彼女は既に着替えて出来上がった食事をテーブルの上に並べていた。部下達は全員昨夜のうちに帰った。おはようのキスの後、2人は席に着いて食事を始めた。

「マヤ語で空を名乗る家族が”ヴェルデ・シエロ”の可能性があるんだろ?」

とテオはパンにジャムを塗りながら尋ねた。

「どうしてそんな名前を使ったのかな?」
「それは当人に訊いてみなければわかりません。」

 少佐は憶測でものを言わない。テオは質問を変えた。

「シショカにその家族のことを教えるのか?」
「必要ありません。」

 と言ってから、少佐は言い換えた。

「まだ教える段階ではありません。彼等が何処にいて、本当に神像を盗んだのか、確認しなければなりません。」
「どうやって探すんだ? 呼ぶのか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”は離れた場所にいる仲間をテレパシーで呼べる。但し、一方通行なので、呼ばれた方は返事をしないし、呼ばれたからと言って従う義務もない。下手をすれば、相手に「突き止めたぞ」と教えてしまうことにもなりかねない。
 少佐は溜め息をついた。

「追跡するしか方法はないでしょう。」

 昔、ロザナ・ロハスを追いかけてグラダ・シティからエル・ティティへ、エル・ティティからオルガ・グランデへと、彼女は移動し、途中でテオを拾ったのだ。あの時はテオが偶然ミカエル・アンゲルスの名刺を持っていたことから、ネズミの神様を見つけ出すことが出来た。テオはまだアメリカにいた時に、偶然未知の構造を持つ遺伝子を発見し、その持ち主がアンゲルス鉱石の従業員だと知って、オルガ・グランデに行こうとしていたのだ。
 尤も、その従業員が誰だったのか、今以って不明だし、今回のチクチャンと名乗る家族の行方は全く手がかりがなかった。

「取り敢えず、各部族の族長に順番に当たってみます。」

 少佐は文化保護担当部の業務を再開するよう、昨晩部下達に指示を出した。但し、カルロ・ステファン大尉はまだ遊撃班に帰らせてもらえず、アスルの家に預けられた。彼女は自分でチクチャンを探すつもりだ。そして助手に弟を選んだ。いずれ司令部に入りたいと野心を抱く彼に、族長達と交渉する経験を持たせるのも目的だった。ステファンの直属の上官であるセプルベダ少佐も、彼女がただ事務仕事の助っ人だけに大尉を使うと考えていない筈だ。文化保護担当部へ助っ人に出された彼の部下達は必ず何か新しいことを学んで戻って来る。セプルベダ少佐はケツァル少佐の教育の腕を見込んでいた。
 テオは溜め息をついた。

「俺も参加したいな・・・定職を持ってしまうと自由に動けんもんだ・・・」

 少佐がクスッと笑った。

「”ヴェルデ・シエロ”と他の部族との遺伝子の違いは直ぐわかるものなのですか?」
「直ぐ、とは行かないな。遺伝子の分析は俺がやっても最短2日は必要なんだ。」

 天才遺伝子学者がそう答えると、彼女はニヤリとした。

「蛇を捕まえたら、連中が本当は何者なのか分析して下さい。」

2022/09/19

第8部 探索      20

  アスルはビールで喉を潤してから続けた。

「市役所って人事異動が多いそうで、しかもダム工事当時の職員が退職していたので、名前を教えてもらって、自宅まで行きました。」
「あら・・・」
「アルボレス・ロホス村の住民のことを聞きたいと言うと、彼は渋ったんで、仕方なく”操心”を使いました。」
「その人しかいなかったのですか?」
「彼だけでした。一人暮らしで、退職後は公園の掃除をして暮らしているとかで。で、アルボレス・ロホス村にマヤ族が住んでいたのか、と尋ねると、マヤ族はいなかったと言う答えでした。」
「マヤ族はいなかった?」

 テオの復唱をアスルは無視した。

「マヤ語の名前だと言うことも知らなかったようです。それに住民16家族が何処に行ったのかも知らないとかで、支払った僅かな立退料だけ台帳に書いてあるって。」
「マヤ語を知らないが、マヤ族でないと言うのは知っていたのか?」

 テオの質問をまたアスルは無視した。

「チクチャン家は年老いた父親、その娘、その娘の子男女1人ずつの4人家族だったそうです。子供は恐らく今はどちらも20歳程、双子らしいです。母親は40過ぎ?」

 テオは他のメンバーがマヤ族にあまり拘っていないことに気がついた。少佐が考え、ステファンとロホの2人の大尉も考えていた。デネロスとギャラガはデネロスがスマホで何か検索して、ギャラガに見せていた。ほうっとギャラガが少し驚いた表情をしたので、テオは「なんだよ?」と訊いた。

「俺が知らないことを、君達だけで共有するなよ。」

 少佐が苦笑した。

「確信がないので、言わないだけです。よろしい、教えましょう。」

 彼女はビールをゴクリと飲んでから言った。

「チクチャンはマヤ語で蛇を意味しますが、マヤにとって蛇は空と繋がっていると考えられていました。つまり、チクチャンは『空』を意味する言葉でもあるのです。」
「ペグム村の雑貨店主は、彼に神像を訊いた人物が”ヴェルデ・シエロ”(空の緑)だったと伝えたかったのでしょう。」
「しかもその人物の名前が蛇だったと思い出した?」
「普通”操心”で消された記憶は戻らないものですが、素人で子供がかけた技なら時間の経過次第で解けてしまう可能性もあります。」
「その雑貨店主は用心深い人ですね。ウリベ教授にはわからなくても大統領警護隊にはわかる、と考えて、わざとスペイン語で連絡したのですよ。」

 口々に喋る仲間を眺め、テオは故郷を追われた人々が復讐心に燃える姿を想像した。安住の地を求めて入植した村を泥の下に沈められて、どんなに悔しかっただろう。


 

第8部 探索      19

  アパートに到着したのはテオが一番乗りだった。彼は自身の区画へ最初に戻って、シャワーを浴び、着替えた。そしてケツァル少佐の区画へ移った。カーラがテーブルセッティングするのを手伝っていると、少佐がマハルダ・デネロスとアンドレ・ギャラガ両少尉を連れて帰って来た。旅から戻ったその足で来たらしい2人に、少佐がシャワーと着替えを命じた。それでテオはギャラガを己の区画へ案内した。デネロスは女性だから少佐の部屋で着替えだ。
 再び食堂へ戻り、カーラの手伝いを続けていると、アスルが入って来た。彼は一旦自宅へ立ち寄ったのだろう、さっぱりとした私服に着替え、食堂を通り越して厨房へ入った。カーラが彼に最後の味のチェックを頼むと、喜んで引き受けた。
 ロホはステファンと一緒にやって来た。ステファンは朝と同じ服装だから、職場からそのまま来たのかも知れない。ロホの服装に変化があったのかどうか、テオにはわからなかった。
 テーブルの周囲に全員が集合すると、取り敢えず乾杯した。

「命拾いした建設大臣に乾杯!」
「泥に沈んだ村に乾杯!」
「監獄で悠々自適の余生を送るロハスに乾杯!」

 みんなそれぞれ心にもないことを言いながら乾杯した。
 テオはまず気になっていたことを尋ねた。

「怪我をした警備員の容体はどうだい?」
「危機を脱しました。」

とロホが答えた。

「大叔父が処置をしてくれました。」

 それ以上の説明はなかった。

「助かったのか?」
「命は取り留めました。もう警備員の仕事は無理でしょうが、簡単な仕事なら出来る程度に回復するでしょう。」

 脳の損傷を受けたのだ。回復出来るだけでも上等だろう。テオは「良かった」と呟いた。
それから暫くはカーラに聞かれても差し障りのない、オフィスの仕事の話になった。ステファン大尉に留守中どんな書類が送られて来たか、文化保護担当部は聞きたがった。ステファンも申請書類の話だけに集中した。
 メインの料理を出してから、カーラが帰宅した。いつも通りアスルが見送りに出て、戻って来る迄、みんなゆっくり食事を楽しんだ。アスルが戻って来た時に、テオはその日の帰り際の出来事を思い出した。

「さっき大学を出る直前にウリベ教授に呼び止められたんだ。」

 少佐が彼を見た。ロホもステファンも、デネロスもギャラガも彼を見た。アスルが座りながら尋ねた。

「教授は何て?」
「それが、よく意味が理解出来ないんだが、ペグム村のセニョール・サラスからの伝言で、『蛇の尻尾』と言えば、君達にはわかる、って・・・彼女も意味がわからないので、それだけだ。」
「蛇の尻尾?」

 サラス氏についての情報はデネロスによって”心話”で少佐に報告が行っている。だからデネロスはロホとステファンにそれぞれ情報を分けた。だが少佐も2人の大尉もキョトンとしただけだった。しかし、ペグム村で雑貨店主の話を聞いていたアスルは反応した。

「チクチャンか?」
「はぁ?」

 テオは彼を見た。ギャラガが説明した。

「マヤ語で蛇のことです。」
「マヤ語? セルバの言葉じゃなく?」
「スィ・・・」

 ギャラガも少し困ってアスルを見た。言葉は知っているが、それが今回の捜査と何か関係があるのか?と目で問いかけた。アスルが少佐に顔を向けて言った。

「アスクラカンの市役所で、アルボレス・ロホス村の元住民を調べました。」

 少佐が頷いた。アスルは続けた。

「役所では最後に住んでいた住民の家長の名前と家族の人数が住民台帳に残っていました。全部で16家族、その中にチクチャンと言うマヤ風の名前の一家がいました。」
「マヤ族がいたのですか?」

 少佐が意外そうな顔をした。テオも仲間達も驚いた。マヤ族はセルバに殆どいない。アスルは役所の係にマヤ族が住んでいたのかと訊いたそうだ。しかし、役人は知らなかった。

「その役人はアルボレス・ロホス村のことを何も知りませんでした。それでダム工事の頃を知っている職員を探してもらいました。それで時間を食ってしまって・・・」



2022/09/18

第8部 探索      18

  夕刻、テオは西サン・ペドロ通りのアパートに電話をかけて、家政婦のカーラに帰宅時刻を告げた。夕食の予定を伝えるためだ。するとカーラが言った。

「今夜は少佐と大尉がお2人、それに中尉と少尉がお2人、ドクトルで計7名ですね。」

 テオはざっと計算するまでもなく、全員が揃うのだと悟った。

「みんな帰って来たんだね! 全員で食事するんだ?」
「スィ、少佐からそう指示がございました。」

 嬉しくなってテオは真っ直ぐ帰ると彼女に告げた。大学の駐車場で車に乗り込み、エンジンをかけたところで、宗教学部のウリベ教授が彼に向かって手を振っているのが見えた。彼は窓を下ろした。教授が駆け寄って来た。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 彼女が彼の車の窓枠に手をかけた。

「ペグム村のセニョール・サラスから電話がありましたよ、あなたか女性少尉に伝えて欲しいって・・・」
「何です?」

 テオはデランテロ・オクタカスから遺跡へ行く途中の小さいが賑わっていた集落を思い出した。サラス氏は雑貨店の店主で、オスタカン族の末裔だった。何者かに神像のことを質問されたのだが、相手の顔も質問内容も覚えていないと証言した男性だ。”操心”にかけられて記憶を消されたのだ、とデネロス少尉は結論づけた。そのサラスが今頃何だろう。
 ウリベ教授が囁いた。

「私には意味がイマイチわからないんですけど、”蛇の尻尾”って言えばわかってもらえる、と彼は言いました。」
「”蛇の尻尾”?」

 テオはキョトンとした。

「俺達がその言葉で何かわかると、サラスは言ったんですね?」
「スィ。」

 ウリベ教授は窓から離れた。

「あなた方は私にお呪いのことを訊いて来られたでしょう? きっとその言葉もお呪いに関係しているのよ。」

 テオは頷いた。

「その様ですね。文化保護担当部に伝えておきます。グラシャス!」
「グラシャス! また明日!」

 現れた時と同様に消える時もバタバタとウリベ教授は走って行った。まだ仕事が残っているのだろう。電話でも良かったのに、と思いつつ、テオは車を出した。



2022/09/14

第8部 探索      17

  次の日、テオは普段通り大学に出勤した。西サン・ペドロ通りの少佐と暮らしているアパートからの出勤だ。昨夜はカルロ・ステファンも彼の区画の方に泊めてやった。ステファンは何処に泊まっても平気な様だ。彼は文化・教育省へ出勤して行った。
 テオが休む時にいつも授業の代行をしてくれるアーロン・カタラーニ院生が、引き継ぎの時に「今度はどんな事件だったんですか」と訊いてきた。すっかりテオが大統領警護隊と行動する時のパターンを理解したと言う顔だった。テオは「なんでもないよ」と答えた。

「デネロス少尉がデランテロ・オクタカスへ出張するので、向こうの人と合流する迄用心棒をしただけさ。」

 本当は彼女の方が用心棒になれるんだけど、と心の中で呟いた。授業を終えて、研究室に戻ったのは昼前だった。カタラーニを始めとする院生3名と5人の学生と共に医学部から依頼された遺伝子の分析をしていると、内線電話がかかってきた。院生の1人が電話に出た。彼女は「スィ」を3回程呟いてから、テオを振り返った。

「先生、考古学部のケサダ教授がお昼にお会い出来ませんかって・・・」

 声にちょっと失望の響きがあったのは、学生達はテオと一緒にお昼を過ごしたかったからだ。テオは時計を見て、12時半に、と答えた。院生は電話で先方に伝え、通話を終えた。そして准教授をちょっと睨んだ。

「先生、考古学の教授と会われる時は、何だか嬉しそうですね。」
「妬いてるのかい?」

 テオはクスリと笑った。

「友人達が考古学関係の仕事をしているから、考古学部の人達と話すのが勉強になるんだよ。友人達の話題について行けるからね。なんなら、君達も来るか?」

 すると意外に彼等は遠慮した。

「結構です。」
「私達がケサダ教授に近づいたら、考古学部の連中が気に食わないみたいなんですよ。」
「そうか?」
「他の教授や准教授だったら構わない見たいだけど・・・」

 要するに、考古学部の女性達がハンサムな教授を生物学部に横取りされないかと気にしているのだ。テオはそう解釈して笑った。そして心の奥では、ケサダ教授の用事は何だろうと考えていた。
 12時前に研究室を閉めて、学生達と学内カフェに行った。食事を取る彼等に付き合ってお茶だけ飲むと、入口にケサダ教授が姿を現した。セルバ人らしくなく時間に正確な人だ。テオは学生達に「また夕方」と断って、教授の方へ向かった。教授は配膳カウンターまで行き、料理を選び始めた。テオもトレイを手にして、食べ物を取り、教授が選んだテーブルへついて行った。
 教授お気に入りのテラスのテーブルだ。パラソルの下でテオは彼と向き合うと、まず新しい赤ちゃんの誕生を祝福する言葉を述べた。教授は丁寧に感謝の言葉を返した。

「義父や義兄は私に息子が生まれることを喜ばなかったのですが、妻も私も男の子を持ちたかったので、やはり嬉しかったのです。」

と穏やかに微笑みながらケサダは言った。男の子は半分グラダの血を引いている。そのナワルは恐らく漆黒のジャガーだ。成年式でナワルを披露すれば、一族の長老達にその子の父親もグラダだったとバレるだろう。フィデル・ケサダの成年式で彼のナワルを目撃した長老達はもう年を取って鬼籍に入り、今は殆どこの世に残っていない。だから彼と息子がグラダだと知れば新しい長老達は腰を抜かす筈だ。それでも、黒いジャガーなら問題はない。しかし、フィデル・ケサダのナワルは黒くないのだ。
 ケサダ教授はそれ以上子供の話題に触れなかった。

「義父が不機嫌なのですが、新しい孫の誕生とは無関係の様です。貴方とデネロス少尉が義父と面会した時、どんな話をされたのです?」

 教授はムリリョ博士の機嫌の悪さを心配していた。ファルゴ・デ・ムリリョは”砂の民”の首領だ。怒らせると恐ろしい目に遭わされる。教授はテオの身を案じてくれていた。
 テオは周囲を見回した。そして小声で簡単に説明した。

「博士がどの程度事態を把握されているのか、俺には見当がつきませんが、不機嫌の理由はわかります。強い霊力を持つアーバル・スァットの石像が遺跡から盗掘され、建設大臣イグレシアスの元に送り付けられて来たのです。」

 ケサダ教授は無言だったが、眉をちょっと上げた。神像の盗難に驚いた様子だ。テオは説明を続けた。

「大臣の私設秘書が文化保護担当部にアドバイスを求めて来ました。ケツァル少佐と部下達は今盗掘犯を探して捜査中です。神像は例の秘書が保管しているので、目下のところは心配ないと考えられています。捜査の進展については現在進行形で俺の口から話せることはありません。ムリリョ博士は神像の祟りを利用しようとした人物の行為をお気に召さないのです。」

 まだ2人共料理に手をつけていなかった。ケサダ教授は冷めてしまった料理をぼんやり眺めながら囁いた。

「アーバル・スァットは一度盗まれましたが、あれは”ティエラ”の仕業でした。」
「スィ。しかし、今回の文化保護担当部の調査で、あなた方の一族の人間達がロザナ・ロハスを唆したのだと判明しました。その人間達が再び動いたのです。」
「一族の人間達・・・」

 教授が溜め息をついた。呪いを使って他人を害しようと図る者は、”砂の民”の粛清の標的だ。

「貴方は複数で言いましたね?」
「スィ。少なくとも2人以上が関わっていると思われます。」

 教授が皿から視線を上げてテオを見た。

「貴方は”ティエラ”です。これ以上、その件に関わってはいけません。例え友人でも義父は掟に従って知り過ぎた者を粛清します。貴方には特権が与えられていますが、謙虚でいて頂きたい。」

 純粋にテオを案じての忠告だ。テオは素直に頭を下げた。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...