2022/10/17

第8部 チクチャン     25

  1回目の神像窃盗は複数の犠牲者を出してしまったにも関わらず、肝心の政治家達には呪いが届かなかった。チクチャン兄妹とカスパル・シショカ・シュスはロザナ・ロハスが神像をどうしたのか知る由もなかったが、西のオルガ・グランデの大きな鉱山会社の経営者が謎の死を遂げ、呪いで殺されたと言う噂が立つと、文化・教育省の大統領警護隊の動きに注意を払った。大統領警護隊の女性少佐と部下達はグラダ・シティを離れて何処かに出張していた。そして噂がまだ消えないうちに戻って来た。
 カスパルがピソム・カッカァ遺跡を見に行って、神像が戻されていることを確認した。呪いで鉱山会社の経営者が死んだと言う噂が真実であれば、あの神像は本物だ。あれなら、両親を死なせた政治家どもを地獄に送ってやれる。イキリ立つ兄妹をカスパルが宥めた。盗難から戻ったばかりの神像を再び盗めば大統領警護隊の警戒レベルが上がってしまう。ほとぼりが冷める迄待つべきだ、と。
 チクチャン兄妹は指図されるまま、大人しく日々を過ごした。その間に祖父は亡くなり、政権が代替わりして、マリオ・イグレシアスが建設大臣に就任した。アラムは先代の建設大臣を追跡してみたが、先代は大臣職を離任して間もなく病死した。呪いとは関係なく・・・。
 チクチャン兄妹は憎悪の標的を失ってしまった。無気力になりかけた2人にカスパルが囁きかけた。
ーーイグレシアスを次の標的にしよう。政治家は皆同じだ。
 アラムは違うと言ったが、アウロラは生き甲斐が欲しかった。顔も碌に覚えていない父親の仇を討ちたかった。母を失った悲しみをぶつけたかった。
 今度は他人を利用せずに自分達で神像を盗み出し、大臣に送りつけよう。兄妹は遺跡の近くでオスタカン族の末裔を見つけ出し、神像の正しい扱い方を教わることにした。カスパルも一緒に来て、質問した相手の記憶を消して兄妹の痕跡を消す手助けをしてくれた。アウロラはそんなカスパルを頼もしく感じ、好意を抱くようになった。だがアラムはカスパルにあまり懐いておらず、時々それは兄妹喧嘩の種になった。
 アーバル・スァットの神像を盗む決行日、思いがけない事故が起きた。遺跡にはオルガ・グランデのアンゲルス鉱石が雇った警備員がいたのだ。アラムが神像を慎重に抱えた時に、警備員に見つかった。咄嗟にアウロラがナイフを出すと、カスパルが止めた。そして警備員が突然倒れた。何が起きたのか、兄妹にはわからなかったが、カスパルは「呪いだ」と言った。
 警備員は気絶しただけだとカスパルは言い、彼等は遺跡から逃走した。
 アーバル・スァット神像は粗末に扱うとその周囲の人間に無差別に呪いを振り撒く。アウロラはグラダ・シティに向かう車の中で毛布にくるんだ神像を大切に抱きかかえた。グラダ・シティの外れにあるアパートに帰ると、そこで神像を箱に詰めた。カスパルはそれを建設省に運ぶと言った。砂防ダム建設を推進したのは前大臣だから、今の建設大臣は無関係ではないかとアラムが意見すると、カスパルはイグレシアスは前大臣の子分だったから、悪党と同じなのだと言った。アウロラは運送屋の配達員を装ったアラムとカスパルが出かけるのをアパートで見送った。
 2人は建設省の受付に箱を渡して戻って来た。そして大臣が亡くなるのを待ったが、メディアは何も報じなかった。カスパルは港の仕事に戻ってしまい、チクチャン兄妹も働かねばならなかった。呪いはどうなったのか。神像は働いてくれないのか。兄妹は落ち着かなかった。
 もう一度建設省に行って、神像を取り返そうと兄妹は話し合った。カスパルが「見えなくなる」術を使えるのだから、忍び込むのは簡単だと思ったのだ。しかしカスパルは「うん」と言わなかった。
ーー大統領警護隊が動き出した。今俺達が動くのは拙い。
 そして彼はこうも言った。
ーー俺は目的を果たした。大臣の秘書は神像を盗んだ犯人を探している。今は選挙どころじゃない。だから、このまま彼を足止め出来れば良いんだ。
 チクチャン兄妹には彼の言葉の意味が理解出来なかった。”ヴェルデ・シエロ”として育ったのではない。古代の神様の子孫達の裏社会の事情など知る由もない。ただ、アラムはカスパルが本当はダムのことなんてどうでも良いのだと言うことを察した。
ーー俺達はあいつに利用されただけかも知れない。
 アラムは遺跡で倒れた警備員が気になって、調べてみた。すると警備員は死ぬ一歩手前で奇跡的に回復したと知った。病院では大変驚いて騒いでいたが、彼等は「”シエロ”が助けてくれたのだ」と囁いていた。アラムはカスパルが本当は警備員を殺すつもりだったのではないかと思った。それを”ヴェルデ・シエロ”が警備員を助けた。
ーー俺達はとんでもない間違いをしているのかも知れない。
 アラムは妹を連れてカスパルを訪ねた。そして警備員に何をしたのか、自分達は「神」を間違ったことに利用しているのではないのか、と詰め寄った。

「そこで、私の記憶は途切れた。」

とアウロラはベンチに座ったまま、目に涙を浮かべた。

「直前にカスパルと目が合った・・・と思う。思い出せるのはそれだけ。気が付いたら、カスパルはもういなくて、私は血まみれのナイフを手にして、目の前に血まみれのアラムが倒れていた。頭が真っ白になったけど、アラムはまだ意識があったの。私に医者へ連れて行けと言ったわ。どこの医者って・・・ドクトラ・バスコしか知らなかったから・・・貧しい人でも診てくれる先生って、あの夫婦しかいないでしょ?」
「それで、あの診療所にアラムを預けて、君は逃げたんだな?」

 アスルの問いに、彼女はコックリ頷いた。

「カスパルがまた襲ってくると思ったから、自分達のアパートに帰れずに、スラムに身を隠していた。他に行くところがなくて・・・それにアラムを置いて遠くへ行けない。」


2022/10/16

第8部 チクチャン     24

  大統領警護隊の屋外運動場は金網を張ったフェンスに囲まれた、ごく普通の運動場だった。他の運動場と違うのは、その金網に結界が常時張られていることだった。一般人は金網に手を引っ掛けて運動場でサッカーの練習をしたり持久走訓練を行なっている隊員達を見物出来るが、隊員と同じ”ヴェルデ・シエロ”には手を触れるだけでピリリと来るし、乗り越えることは出来ない。その事実を考えると、”ヴェルデ・シエロ”の敵は同じ”ヴェルデ・シエロ”なのだと思える。大統領警護隊は一般人を恐れてなどいないのだから。
 フェンスの中の駐車場に車を乗り入れたロホは、ドアを開いて車から降りた。ギャラガも降車して、座席の背もたれを倒し、後部席のアスルとアウロラ・チクチャンを降ろした。運動場では警備班の非番組がサッカーをしていた。休憩をしなければならないのだが、息抜きも必要だ。最長2時間と言う制限があるが、彼等にとっては貴重なリクリエーションだ。ロホもアスルもサッカーが趣味だし、ギャラガもアスルに誘われて習い始め、今ではかなりのレベルに上達していた。3人の姿に気づいた何人かの隊員が手招きしたが、アスルが「仕事だ」と手振りで応えた。
 アウロラをベンチに座らせ、彼女の横にアスル、前にロホ、後ろにギャラガが立った。ロホが彼女に水を飲まないかと尋ねたが、彼女は首を横に振っただけだった。

「それでは・・・」

 ロホは警備班の隊員達がサッカーに興じているのをチラリと見た。頼むからこちらに気がつかないでくれ、と思った。女の気を散らして欲しくなかった。

「まず、君達、君とアラムの身の上とカスパル・シショカ・シュスとの関係から話してもらおう。」

 チクチャン兄妹の身の上は、ケツァル少佐がアラム・チクチャンから「心を盗んだ」内容とほぼ同じだった。兄妹が物心つく頃に一家はアルボレス・ロホス村に入植し、他の村人達と共に畑を耕していた。細い川が流れており、乾季は良い畑だったが、雨季になると川が増水して度々畑が水に浸かった。だから村は貧しいままだったが、食べるには困らなかった。下流に砂防ダムが建設された時は男達も女達も日雇いで働いて一時的に村は潤った。しかし、そのダムが土を堰き止めるようになると、畑に泥が溜まっていくようになった。それはじわじわと下流から上流へと上がって来た。雨が降り、増水する度に作物が泥に埋もれていく。村人達は行政に訴えたが、打つ手なしと言われた。村人達は一旦アスクラカン市街地に引っ越したが、耕作地と村を諦めきれなかった。チクチャンの父親と村の男達数名はダムの堰堤を破壊しようとして、警察に見つかった。彼等は酷い暴行を受け、留置所に数日間入れられた。戻ってきたチクチャンの父親は寝込んでしまい、やがて亡くなった。夫を失った母親も苦労続きで、無理をした挙句、仕事中の事故で死んでしまった。
 兄妹は祖父に育てられたが、遠縁の者だと言う男が現れた。それがカスパル・シショカ・シュスだった。祖父の姓がシュスだったので、祖父の母方の親族である男の息子と言うことになる。カスパル・シュスは兄妹に親切だった。兄妹が義務教育を終える迄面倒を見てくれ、仕事も見つけてくれた。彼自身はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていた。兄のアラム・チクチャンは車の運転免許を取り、港でトラックの運転手として働いた。アウロラ・チクチャンは港の食堂で給仕の仕事をした。
 アラムは両親が死んだ原因となった砂防ダムの建設を決めた政治家達が許せないでいた。だが国の指導者達のところに殴り込みに行っても、相手に手が届くことはない。アラムは兄の様に慕うカスパルに相談した。

「カスパルは復讐に乗り気でなかったの。でも止めることはなかった。」

 カスパル・シュスは呪いを使うことを提案したのだと言う。
 ロホとアスル、ギャラガの3人は顔を見合わせた。カスパル・シショカ・シュスは”ヴェルデ・シエロ”だ。呪いを使わなくても、手を汚さずに敵を倒す方法ならいくらでも知っているだろう。だが彼はチクチャン兄妹に復讐させたかった。だから、能力を殆ど持たない兄妹に呪いの使用を持ちかけたのだ。アラムとアウロラは呪いの使用を勉強した。修道女に化けて国立博物館に勉強にも行った。そして、アーバル・スァットと言うピソム・カッカァ遺跡に祀られる古いジャガーの神像に行き着いた。
 一度目は欲深い白人の麻薬密輸業者の女に盗ませた。女を操るのはカスパルが担当した。彼が何故直接兄妹に盗ませなかったのか、その時兄妹は理由がわからなかった。だから悪党の女ロザナ・ロハスがしくじって別の標的に神像を送りつけてしまった時は、がっかりした。だがカスパルは慌てなかった。成り行きを見守れ、と兄妹に言った。

「カスパル・シショカ・シュスはアーバル・スァットの呪いの力を試したんだ。」

とアスルが呟いた。ギャラガも頷いた。

「そうだと思います。どう扱えば、自分達は安全か、あの神像がどれほど強い祟りをするのか、そして大統領警護隊があの神様を制御出来るかどうか・・・制御出来ない神様は危険極まりないですから、もし文化保護担当部の手に負えなければ、あの神像を諦めるつもりだったのでしょう。」



2022/10/13

第8部 チクチャン     23

「カスパル? 誰だ、そりゃ?」

 アスルが尋ねた。そこへロホが来た。

「マスケゴ族のカスパル・シショカ・シュスのことか?」

 アスルがアウロラ・チクチャンの腕を掴んだまま彼を見た。

「シショカ・シュス? ああ・・・煉瓦工場の・・・」

 アウロラが怯えた眼差しで2人の男を見比べているので、ロホが柔らかな口調で説明した。

「私達は大統領警護隊だ。建設大臣マリオ・イグレシアスの所に強い呪いの力を持つ神像が送り付けられた事案を調べている。」

 アスルは手の中のアウロラの腕が緊張したのを感じた。彼女は心当たりがあるのだ。
 ギャラガがそばに来たので、ロホは提案した。

「車でもっと安全な場所へ移動しよう。君も来なさい、アウロラ・チクチャン。」

 名前を呼ばれて、彼女は目に涙を浮かべながら診療所を見た。アスルが言った。

「アラムは大統領警護隊が保護した。診療所では守れないからな。それに何かあれば他の患者に迷惑だ。」
「何処へ行きます?」

とギャラガが助手席のドアを開けて尋ねた。アスルが女を捕まえたままなので、このペアを後部席に乗せて、自分は助手席に座るつもりだ。車はロホのビートルなので、後部席からは逃げられない。ロホがアスルを見た。アスルが提案した。

「本部の屋外運動場ではどうだ? 俺達はまだこの女性を逮捕していないから、本部内に連行出来ない。」

 逮捕などいつでも出来るのだが、アウロラを安心させるための言葉だ。ロホは頷いた。

「そこが良いだろう。指揮官のアパートに連れて行ったら叱られる。運動場なら本部が隣にあるから、カスパル・シショカ・シュスも手が出せない。」

 ギャラガが座席の背もたれを倒して、後部席に乗るよう、女に合図した。

「押し込めたくないので、自分で乗ってくれないか?」

 無骨だが紳士的な3人の男を見比べ、やがてアウロラ・チクチャンは素直にビートルの後部席に入った。アスルが素早くその隣に入り、ギャラガが座席の背もたれを直した。
 ロホが運転席に座り、車が動き出すと、アスルはアウロラに言った。

「お前の兄貴の怪我はバスコ医師と俺達の上官の力で治した。もう命の危険はない。ただ、お前達が何をしたのか、元気になれば本部で尋問を受けることになる。」

 既に尋問は受けたのだ。と言うより上級の能力使用者によって記憶を読まれたと想像出来た。本部はアラム・チクチャンからどんな情報を引き出したのか、文化保護担当部に教えてくれないだろう。政治が絡めば尚更だ。だから文化保護担当部はアウロラから事情を聞きたかった。何故神像を盗んだのか。何故建設大臣の所に神像を送りつけたのか。どこでカスパル・シショカ・シュスと出会い、どんな形で利用されることになったのか。遺跡の警備員を爆裂波で傷つけたのは誰か。

「ちょっと気になるんですが・・・」

と助手席でギャラガがロホに尋ねた。

「カスパル・シショカ・シュスって、セニョール・シショカの親戚ですか?」

 ロホはちょっと考えてから、「スィ」と答えた。

「セニョール・シショカの母方の親族だ。どちらもシショカを名乗っているからな。詳しいことは私もよく知らないが、セニョール・シショカは親族と交流を絶っていると聞いている。」


第8部 チクチャン     22

  ケツァル少佐がアラム・チクチャンから「心を盗み」、アウロラ・チクチャンの顔、容姿に関する情報は大統領警護隊文化保護担当部内で共有されていた。バスコ診療所のそばに現れた若い女は確かにアウロラ・チクチャンだった。普通の若い女性だ。Tシャツに草臥れたコットンパンツ、古いスニーカー。髪型は伸ばしている髪を頭の上でお団子に結っていた。暗い診療所と灯りが灯っている医師の自宅を眺めて立っていた。
 ロホ、アスル、ギャラガは車から出た。役割はそれぞれ既に決めてあった。ロホがそれとなくアウロラの背後から自分達の位置を含めて次の角まで結界を張り、ギャラガがその結界内にいる通行人の中に怪しい人物がいないか確認する。そしてアスルがアウロラに近づいて行った。

「この近所の人?」

と彼は声をかけた。アウロラが彼を振り返った。ノ、と彼女は首を振った。

「ちょっとそこのお医者さんに用事があって来たの。」
「もう閉まっている。」
「スィ。だから、どうしようかな、と迷っている。」

 アスルは女を警戒させない距離を保って足を止めた。

「俺も医者に用事があって来た。兄貴が腹を壊して・・・」

 彼はチラッと車のそばに立っているロホを振り返って見せたが、彼女を視野に入れておくことを怠らなかった。ロホは車にもたれかかっていたが、苦しそうではなかった。いきなり芝居をしても怪しまれるだけだ。彼はアスルに言った。

「閉まっているなら、どこか薬屋に行こう。昼に食べた物が悪かっただけだ。」
「こんな時間に開いている薬屋があるもんか。」

 アウロラは同じ車から出て通りの向こうへ歩いて行くギャラガを見た。

「あの人は・・・」
「他に医者の家がないか見るって・・・無駄だよな。」

 アスルはちょっと笑って見せた。小柄で少し童顔なので、女性は大概彼の笑顔に油断する。アウロラもちょっと苦笑した。

「ここしかないから、私も来たの。」

 ギャラガが離れた位置から怒鳴った。

「誰もいない!」

 つまり、他の”ヴェルデ・シエロ”はいないと言う意味だ。アスルがチェッと舌打ちした。

「仕方がないなぁ・・・」

 彼がアウロラに向き直った途端、彼女がパッと身を翻して走りかけた。男達の正体を悟ったのではなく、不良から逃げようと言う、そんな行動だった。しかし、アスルは素早く動いた。彼女に2歩で接近すると彼女の腕を掴んだ。

「逃げるな、結界を張っている。突っ込むと脳を破壊されるぞ。」

 アウロラ・チクチャンがフリーズした。アスルの言葉の意味を正確に理解したのだ。

「”ヴェルデ・シエロ”なの?」

 ”ヴェルデ・シエロ”が”ヴェルデ・シエロ”に向かって、”ヴェルデ・シエロ”かと尋ねることは、普通あり得ない。普通は、「どの部族か?」と訊くものだ。ミックスでも”シエロ”の自覚がある者はそう言う。アスルは彼女を自分に引き寄せ、正面を向かせた。

「どの部族だ?」

 目を合わせようとすると、彼女は下を向いた。ロホが近づいて来た。ギャラガも戻って来る気配がした。ロホは結界を維持したままだ。チクチャン兄妹を操った人物を警戒していた。そいつは、爆裂波で人間を傷つける大罪人だ。警戒しなければならない。
 アスルが囁いた。

「答えないなら、こちらが先に名乗る。そちらの男はブーカ族だ。こちらへ戻って来る赤毛は白人に見えるがグラダ族だ。そして俺はオクターリャ族だ。」

 アウロラが顔を上げた。怯えた目でアスルを見た。

「カスパルの仲間じゃないの?」


2022/10/12

第8部 チクチャン     21

  ピア・バスコ医師の診療所が見える位置に車を駐車したロホ、アスル、ギャラガは車内で軽食を取った。付近は路駐が多く、屋台も出ているので彼等がそこにいても誰も怪しまない。不審者がいると通報する人間もいない。だが夜が更ける前に仕事を完了したいのは3人共に同じだった。

「遊撃班はアウロラ・チクチャンにどんな呼びかけをしたんだ?」

とアスルが往来を眺めながら呟いた。ロホが肩をすくめた。

「ただ、出て来い、と言ったんだろ?」
「それじゃ誰も出て来ませんよ。」

とギャラガが口元に付いたケチャップを指で拭き取りながら言った。アスルが黙って紙ナプキンを彼に渡した。

「遊撃班の半数が一斉に『出て来い』なんて念を送ったら、受けた方は腰を抜かします。」
「それじゃ、俺達は何て念じる?」
「『直ぐに来てくれ』で良いんじゃないか?」

とロホ。

「単純な方が良い。恐らく”感応”を使い慣れていない連中だ。どの部族にもチクチャンと名乗る家族がいないと言うことは、逸れ者家族だってことだ。」
 
 アスルが軽く咳払いした。ロホは彼を見て、それから、ハッとギャラガを見た。

「すまん、君のことを逸れ者と思ったことがなかったので・・・」
「平気です。」

 ギャラガは苦笑した。

「私の名前は母親が勝手に名乗ったんです。母親の本当の名前すら私は知りませんから、逸れ者で結構ですよ。」
「ほら、拗ねちゃったじゃないか。」

とアスルがロホを揶揄った。ロホがまたギャラガに謝り、ギャラガも恐縮して焦った。そしてアスルに「拗ねてなんかいませんから!」と怒って見せた。部族も年齢も育ちも階級も全く違う3人の大統領警護隊の隊員が兄弟の様に狭い空間でワイワイやっていると、診療所の建物から看護師達が出て来た。待合室の灯りが消えて、業務が終了したことが外部にもわかった。
 バスコの家の個人住居の部分に灯りが灯った。ロホが部下達に声をかけた。

「そろそろ始めるぞ、最初に私が送ってみる。」

 ギャラガにはロホが何もしていない様に見えた。それほど”感応”は”ヴェルデ・シエロ”にとっては微細な力しか要しない軽度の能力なのだ。少し前まで力まなければ使えなかったギャラガは、先輩の表情を見て、自分はどうなのだろうとちょっと気になった。
 アスルが尋ねた。

「どれほど待つ?」
「10分かな? 直ぐ、と言うから、その程度で次の念を送ろう。」

 3人は自然な風を装って車内で世間話をしながら診療所の様子を伺った。ピア・バスコと伴侶は夕食の席に着いたのか、一つの部屋からなかなか移動しなかった。ギャラガがあることに気がついた。

「入院患者がいるなら、別の部屋にも灯りが点いていますよね?」

 ロホとアスルは顔を見合わせた。言われてみればそうだ。アラム・チクチャンが入院していることになっているなら、診療所の方の「休養室」に寝ている筈だ。しかし、彼は大統領警護隊に連行されてしまい、診療所は真っ暗だった。
 「まずったかな」とアスルが呟いた時、ロホの視野の隅に1人の女が入った。通りを早足でやって来て、診療所が見える角で立ち止まった。暗い窓を見て、ちょっと考え込んだ様子だ。ロホは囁いた。

「来たぞ。」



2022/10/11

第8部 チクチャン     20

  グラダ東港は貨物専用スペースだ。コンテナが並ぶ広大なスペースと貨物船に荷積するフォークリフトやクレーンが動き回る埠頭、倉庫群を見ると、捜査する人間は溜め息をつく。ケツァル少佐はステファン大尉を顔見知りの遊撃班隊員が立っていた車の横にドロップすると、すぐにそこからUターンして走り去った。
 遊撃班指揮官セプルベダ少佐からの要請には応じるが、副指揮官ステファン大尉の甘えには応じられない。以前アスルから「弟に厳しすぎませんか」と言われたことがあったが、少佐は「過ぎる」とは思わなかった。カルロは部下達の命を守る指揮官の修行中だ。結界を満足に張れない指揮官など要らない。部下を危険に曝すだけだ。死ぬ気で部下を守れ。
 遊撃班は昨夜アラム・チクチャンから謎の男の顔や声の記憶を引き出した筈だ。それを隊員達が共有して、捜査に当たっている。もし謎の男がマスケゴ族なら、ブーカ族やその系列の血筋が多い隊員達なら十分に対処出来る。ステファン大尉が恐れているのは、取り逃すことだ。
 ケツァル少佐は文化・教育省のオフィスへ出勤した。部下達と挨拶を交わし、「エステベス大佐」の部屋に彼等を集めた。遺跡・文化財担当課の職員達は、彼等が打ち合わせをしているとしか思わない。実際、打ち合わせなのだから。
 アラム・チクチャンがピア・バスコ医師の診療所に現れたことは部下達を驚かせた。しかし、チクチャンと妹アウロラ、そして謎の人物が仲間割れしたことには驚かなかった。

「アウロラを確保しないといけません。」

とデネロス少尉が言った。

「暴走するかも知れないし、謎の男の仲間がいる可能性もあるので、保護が必要です。」
「その通りです。」

 ケツァル少佐はロホを見た。

「カルロは遊撃班が”感応”で彼女を呼んだが反応がなかった、と言いました。でも、”感応”でなければ彼女と接触する方法はないと私は思います。」

 ロホは少し考えてから意見を述べた。

「普通の”感応”は、呼びかけられた人間は呼びかけた人が誰なのかわかりません。だから、アウロラ・チクチャンは恐れて出て来られないのです。でも、少佐、貴女は私達部下が危機に陥って貴女に助けを求めた時、誰が呼んだかお分かりになるのでしょう?」
「その時に危機に陥っている可能性が高い部下が誰だか知っているからですよ。」

 するとアスルが提案した。

「バスコの診療所から念を送りませんか? ひたすら来て欲しいと伝えるだけです。アウロラは兄の呼びかけだと思うかも知れません。」
「それなら、男性がやるべきだわ。」

とデネロスが言った。

「”感応”は性別は関係ないと思われていますけど、私は、兄や姉から呼ばれたら、男女の違いを感じます。上手く説明出来ませんけど・・・」
「遊撃班はみんな男だろ?・・・いや、1人だけ女がいるけど・・・」
「でも、診療所から念を送ったのではないでしょ? それに助けを求めた訳でもないと思う。」
「つまり・・・」

 ギャラガが言った。

「私達にアラムのフリをしろと?」
「スィ。」

 デネロスは男性隊員達を見回した。

「お芝居じゃない、ただ助けて、と念じるだけですよ。彼女に来て欲しいと思うだけです。だから嘘をつくのじゃなくて・・・」
「わかった。」

とロホが頷いた。彼は少佐を見た。

「3人で交代にやってみます。」


第8部 チクチャン     19

  睡眠時間は短かったが、シエスタの習慣がある国の人間は夜更かしをあまり気にしない。翌朝、テオとケツァル少佐はいつもの時刻に目覚め、一緒に朝食を取り、それぞれの仕事の開始時間に合わせて家を出た。
 少佐はテオより早く自宅を出たが、車で角を一つ曲がったところで、カルロ・ステファン大尉に呼び止められた。大尉は道端に立って、彼女の車が見えると片手を挙げて止まれと合図したのだ。彼女が停車すると、彼は素早く助手席に回って車に乗り込んだ。

「グラダ東港へ行って下さい。」

と彼は元上官であり、異母姉に要請した。少佐は車を発車させてから文句を言った。

「私は貴方の運転手ではありませんよ。どうして公用車を使わないのです?」
「昨夜貴女がアラム・チクチャンを確保して我々に引き渡された後、我々は彼の妹の捜索をしていたのです。」
「”感応”を使ってみましたか?」
「しました。しかし、彼女は応えない。それで、兄妹を操ったと思われる男が働いていると言う東港に、捜索に出ている隊員が集まることにしました。」
「私を使う理由はなんです?」

 ステファンはちょっと躊躇った。出来れば朝から姉を怒らせたくなかった。しかし正直に言わなければ彼女はもっと怒るだろう。

「東港を結界で覆って頂きたい。容疑者を我々が確保する迄の間、逃さないように港湾施設を囲って欲しいのです。広範囲なので、ブーカ族や、ミックスの隊員では手に負えません。純血種のグラダである貴女にしか頼めません。」

 少佐はハンドルを切って、職場オフィスとは反対方向へ車を向けた。

「それは貴方の考えですか? それともセプルベダ少佐の・・・」
「私の一存です。」

 少佐が溜め息をついた。

「カルロ、貴方は他部族を過小評価しているのではありませんか?」
「過小評価?」
「もっと部下達を信頼しなさい。」
「しかし、ブーカ族でも結界を張れる範囲は狭いです。」
「狭くても、複数を適所に配置してカバーし合えば十分守備を固めることが出来るでしょう。貴方は、あの”暗がりの神殿”でロホを信じて守りを任せた。現在の部下達もロホと同じように力を出せますよ。」

 少佐は路肩に車を寄せて停止させた。そして携帯電話を出した。ロホの番号にかけたのをステファン大尉は横目で見た。ロホが直ぐに出た。

ーーマルティネスです。
「ブエノス・ディアス、ケツァルです。少し遅れますから、業務の指示をお願いします。」
ーー承知しました。

 それだけだった。ステファン大尉は不満気に少佐を見た。

「すぐに終わるとは思えませんが?」
「当然でしょう。私は貴方を港に下ろしたら、すぐ帰ります。」
「少佐・・・」
「貴方もグラダ族なのです、港全体を覆う結界ぐらい張りなさい! 都市全体ではないのですよ。」

 姉に叱られて、ステファン大尉はムスッとした表情で前を向いた。
 少佐はかなり乱暴な運転でグラダ東港に向かった。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...