2022/11/22

第8部 シュスとシショカ      19

  土曜日の朝、テオのアパートに泊まった大統領警護隊文化保護担当部の男達は、隣のケツァル少佐の部屋のダイニングで早い朝食を取り、同じく少佐のアパートに泊まったデネロス少尉と共に少佐に引き連れられて週末の「軍事訓練」に出かけた。テオも同伴させてもらったが、行き先は近所ではなかった。
 まだ薄暗い早朝の通りで、”ヴェルデ・シエロ”達は空間の歪み、彼等が「入り口」と呼んでいる場所を見つけ、1人ずつ入って行った。最初に入った者と同じ場所に出る練習だと言う。当然ながら最初に入ったのは大尉であるロホで、少し時間を置いてから、中尉のアスル、少尉のデネロス、ギャラガの順に「入り口」に入った。テオは最後にケツァル少佐に手を引かれて入った。少佐はあまり空間移動が得意でない。目的地へは間違いなく到着したが、「着地」は下手だ。テオは最後に入った筈なのに、先に出てしまい、少佐が彼の背中に乗っかる形で地面に押し付けられた。

「君はどうしていつもこうなんだ!」

 思わずテオが呻くと、少佐が反撃した。

「すぐに場所を空けてくれないからです。」

 先に到着していた部下達がクスクス笑って見ていた。
 少佐が立ち上がり、軍服の泥を落とさずに部下達を見た。

「全員揃っていますね。」

 そしてテオが立ち上がるのを横目で見た。

「手足も全部ついていますね、ドクトル?」
「バラバラになって移動するなんて聞いたことがないぞ。」

 テオは周囲を見回した。見覚えがある風景だった。地面が斜めになっていて、膝までの高さの草が生えている。斜面の下は森が広がっていた。斜面の上は砂利と岩の山の頂だ。

「ティティオワ山か・・・」

 少佐がテオに大きなサイズの合羽を手渡した。頭からフードですっぽり入る形だ。

「私とドクトルはこの山の山頂から今いる高度までの間をぐるりと散歩します。あなた方は、今朝アパートで渡したカラーペイントのボールをドクトルに投げて下さい。ボールは1人5個。ドクトルに当てられたら、今夜夕食でビールを2本追加してよろしい。」

 つまり、少佐がテオにボールが命中するのを妨害するので、彼女の隙をついてみろ、と言う訳だ。いかにも”ヴェルデ・シエロ”らしいゲームだが、ちょっと子供染みていないか? とテオは内心感じた。しかし黙っていた。部下達が真剣な表情になったからだ。これは、上位の超能力者と戦う時の訓練だ。
 少佐が時計を見た。

「今、0700です。1130迄、訓練時間とします。休憩は各自の判断で取ること。1130にここへ集合。では、散開!」

 部下達が一斉に散って行った。緊張と楽しげな雰囲気が混ざっている。文化保護担当部の軍事訓練はいつもこんな調子だ。他の部署の隊員達からは遊んでいる風に見えるらしい。だが他部署の指揮官達はケツァル少佐も部下達も真剣なのを知っている。
 部下達が見えなくなると、少佐はテオを振り返った。

「頂上へ行きましょう。」
「ただ歩くだけかい?」

 標的にされてテオはちょっと不満だったが、この山には忘れられない思い出がある。

「歩くだけですが・・・」

 少佐が岩場を指差した。

「部下達が私の隙を突くために、土砂崩れや落石で攻撃して来ますから、斜面の変化に注意を払って下さい。油断すると死にますよ。」


2022/11/21

第8部 シュスとシショカ      18

  久しぶりにテオはロホ、アスル、ギャラガとゆっくり世間話が出来た。全員で夕食の後片付けをして、テオの区画のリビングで男だけの寛ぎの時間を持ったのだ。ケツァル少佐は一向に気にせず、デネロスと女のお喋りを楽しんでいた。金曜日の夜だ。
 ロホとグラシエラ・ステファンの交際がどこまで進んだか、とか、アスルが昇級に再び無関心でサッカーに熱中するので、少佐がトーコ中佐からお小言をもらったとか、ギャラガが大学の論文大会に出場することになって、壇上に立って話す練習をしているとか、そんな他愛ない話だ。友人達を揶揄ったり、笑ったりしているテオに、アスルがいきなり反撃に転じた。

「そう言うドクトルは、いつ少佐と正式に結婚するんだ?」
「え・・・?」

 テオは固まってしまった。彼の顔を見つめ、ロホが吹き出した。

「一緒に住んでいるんでしょ? 結婚のお試し期間ってことなんだから、少佐のご両親も、ゴンザレス署長も早く結果を聞きたいと思いますよ。」
「そんなこと、言われても・・・」

 テオは撫然とした。

「俺1人で結論を出せる筈ないじゃないか。」
「でも少佐は出しておられる筈ですよ。」

 ロホがニヤリとした。

「女性が嫌だと言わないのは、O Kってことでしょ?」
「そ・・・そうなのか?」

 テオはアスルとギャラガを見た。2人とも澄ました顔で彼を見返した。ロホと違って女性との噂話が全くない2人だ。

「実を言うと、君達”ヴェルデ・シエロ”が求婚する時の作法を知らないんだ。」

 テオが白状すると、3人が笑った。

「古式床しいプロポーズの作法なんて今時流行りませんよ。」

とロホが言った。アスルが肩をすくめた。

「俺は習ったことがない。」
「私も作法なんて何も知りません。」

 ギャラガもあっけらかんと言い放った。

「軍隊ではそんな作法なんて教えてくれませんから。」
「知りたけりゃ、ケサダ教授に聞けば良いじゃん。ムリリョ博士の娘と結婚しているんだから、正しい礼儀作法で求婚したんじゃないか?」
「貴方の国のやり方で十分でしょう。」

 ロホが優しく言った。

「セニョール・ミゲールは奥様にスペイン流で求婚なさったのだと思いますよ。ゴンザレス署長だって、そうじゃなかったんですか? 少佐に限って言えば、どこの作法でも気になさらないでしょう。」

 それでテオは彼女の指のサイズを手を握って測ったことを告白した。3人の友人達は彼の才能を疑わなかった。

「それじゃ、石は何にするんだ?」
「ドクトル、ダイアモンドを買えるんですか?」
「ダイアモンドじゃなけりゃ、駄目なのか?」
「まさか!」

 するとロホが溜め息をついて教えてくれた。

「セルバでプロポーズに使う石は、オパールと言うのが定石ですよ。ティティオワ山の麓で算出する綺麗なヤツです。」



第8部 シュスとシショカ      17

  翌日、仕事を終えるとケツァル少佐は部下達を彼女のアパートに集めた。テオの帰宅を待ってから、カーラの美味しい手料理を味わい、それからアーバル・スァット盗難事件捜査の終結を宣言した。

「あなた方には中途半端な印象しか残らないでしょうが・・・」

 少佐は向かいに座っているテオにウィンクした。それでテオが言葉を継いだ。

「許される範囲で俺達・・・君達と俺が調べたことをまとめてみよう。事件の真相はかなり古くから根があって、それは君達の文化や掟の問題にも繋がるから、触れないことにする。
 簡単に言えば、シショカ・シュスと言う家族には2系統あって、昔から族長をどちらから出すか、どちらが主流になるかで争ってきたと言うこと。そして君達が突き止めたカスパル・シショカ・シュスと言う男性が、個人的な怨恨で恋人の実家であり、彼自身の近い親族であるシショカ・シュスを神像の呪いで殺害しようと考えたことだ。
 恋人の実家は、カスパルの恋人がカスパルを裏切って結婚した白人の家族を様々な卑怯な方法で殺害し、その家の財産を乗っ取っていた。カスパルがその家族を呪い殺そうと考えた原因は、財産乗っ取りでなく、ただ恋人を奪われた恨みだったらしいけどね。
 問題は彼の心の闇を、もう一つのシショカ・シュスの系統が何らかの形で知ったことだ。そっちの系統は、カスパルの恋人の実家を追い落とす機会を幾つかの世代を超えて狙っていた。だからカスパルに近づき、彼に神像を用いて報復する方法をそれとなく伝えたに違いない。
 カスパルはアルボレス・ロホス村の住民だったチクチャン兄妹を利用し、操って神像を盗んだ。2回盗んで、1回目は利用しようとしたロザナ・ロハスが想定外の行動を取った為に失敗し、2回目は遺跡の警備員を爆裂波で傷つけてしまった。何とか神像を建設省に送りつけたが、それは大臣を呪い殺すのが目的ではなく、セニョール・シショカに恋人の実家が犯した悪事を調べて欲しかったのだと、大統領警護隊の取り調べでパスカルは白状したそうだ。
 俺達から見れば随分ぶっ飛んだ方法と言うか、理屈だけど、カスパルはセニョール・シショカが神像を送りつけたのがチクチャン兄妹だと突き止めるだろうと予想した。兄妹の調査からアルボレス・ロホス村の不幸をシショカが知り、村に投資したマスケゴ族の家族、つまりカスパルの恋人の実家が投資に失敗して没落した筈なのに、直ぐに立ち直った理由を探るだろう、とそこまで考えたそうだ。つまり、シショカと言う家系の総帥であるセニョール・シショカを使って、恋人の実家に復讐しようとしたんだ。だが、君達文化保護担当部の捜査でカスパルの関与が判明し、彼は捕縛された。」

 テオは口を閉じた、一気に喋ったので、喉がカラカラだった。彼が水のグラスを手に取って、口に冷たい水を流し込むと、マハルダ・デネロス少尉が質問した。

「チクチャン兄妹はどうなりますか?」

 ケツァル少佐が溜め息をついた。

「難しい質問ですね。彼等は一族ではありません。遠い祖先に一族の血が入っていて、”心話”や”感応”受信を使えますが、一族とは認められないし、一族のことを何も知りません。ですから、大統領警護隊は彼等に接触した警護隊の隊員に関することを一切口外しないよう言い含めてから、グラダ・シティ警察に引き渡すことにしました。セルバ人ですから、大統領警護隊に逆らうとどうなるか、彼等は承知しているでしょう。」
「つまり、ただの遺跡泥棒と言うことですか?」
「スィ。あまり罪を増やすと、箝口令を守ってくれなくなる恐れがありますからね。刑期を終えたら社会に戻れると言う希望を与えてやります。」
「理解しました。」

 デネロスがホッと肩の力を抜いた。彼女はチクチャン兄妹と直接対峙したことがなかった。しかし彼等を追跡調査したので、ちょっと思い入れがあるのだろう。アンドレ・ギャラガ少尉は別の人間を心配した。

「カスパルに爆裂波を喰らった警備員は、元の体に戻れますか?」

 これにはロホが答えた。

「記憶障害と言語障害が少し残るが、体はもう大丈夫だそうだ。アンゲルス鉱石は彼に簡単な仕事を用意して、これからも雇用すると約束した。」

 セルバ共和国では珍しいことだが、労災があまり補償されない国でその待遇はラッキーだ。

「カスパルは大罪人だから、当然の処分が下されるでしょうね?」

とアスルが確認した。少佐が無言で頷いた。それから、ちょっと思い出したように言った。

「バスコ診療所でアラム・チクチャンを治療した代金を、大統領警護隊はカスパルの口座から引き出してピア・バスコ先生に支払いました。」

 思わず一同は笑ってしまった。司令部ではなく、ステファン大尉がそう判断したのだろう、とその場にいた誰もが確信した。

「騒動の大元の2つの家系の方は何か処分とかあるんですか?」

 デネロスが興味を抱いて尋ねた。ロホが彼女を嗜めた。

「それは長老会レベルの話だよ、マハルダ。マスケゴ族の部族政治に絡むから、私達他部族は触れてはいけないんだ。」
「俺はセニョール・シショカが何かするんじゃないかと、心配だよ。」

とテオが正直に言った。

「族長のムリリョ博士が彼を呼びつけていたけど、あのシショカのことだ、シショカ一族の総帥として、あるいは”砂の民”として、きっと動くだろう。」
「動いても、あの男の仕事だ、誰も不自然と感じない形で粛清が行われるに決まっている。」

とアスルが囁いた。
 暫く一同は黙っていた。それぞれコーヒーや軽くワインを口にして、それからギャラガが思い出して尋ねた。

「アーバル・スァット様を遺跡に戻すのは誰です? セニョール・シショカが持って行くのですか?」

 全員が不安そうに少佐を見た。シショカは神像の扱い方を知っているだろうが、悪霊祓いや封印に関して素人だ。大統領警護隊文化保護担当部はそれが心配なのだ、とテオは理解した。少佐が大きな溜め息をついた。

「私が持って行きましょう。」



2022/11/20

第8部 シュスとシショカ      16

  アブラーンの妻がテラスへ出る掃き出し窓からカサンドラを呼んだ。カサンドラが振り返ると、彼女は来客を告げた。

「チャクエク・シショカさんが来られました。」

 テオとケツァル少佐が驚いていると、ムリリョ博士が娘の代わりに返答した。

「こちらへ通せ。」
「承知しました。」

 テオは博士に尋ねた。

「セニョール・シショカも呼ばれたのですか?」
「シショカ・シュスの人々の代表としてな。」

 ムリリョ博士は族長の顔になっていた。そして娘に言った。

「客人達を中の部屋へご案内しろ。」

 つまり、テオとケツァル少佐には話を聞かせたくないと言うことだ。族長と家系の代表としてではなく、”砂の民”としての話し合いなのだろうとテオは見当をつけた。
 カサンドラが立ち上がったので、テオ達も席を立った。3人がリビングに入ると同時に、セニョール・シショカが反対側の入り口からリビングに入って来た。テオ達を見ても驚かなかったのは、車を見ていたからだろう。

「今晩は」

と彼はケツァル少佐とカサンドラに挨拶した。それから、テオにも不承不承会釈して、テラスに出て行った。その後ろ姿をカサンドラは無言で眺め、それからテオ達に向き直った。

「今夜はこれでお終いにしましょうか?」
「そうですね。」

と少佐が応じた。何も意見することはなかったし、出来ることもなかった。
 テオは気になることを尋ねた。

「カスパル・シショカ・シュスと言う男は、やはり大罪を犯したとして処罰されるのですか?」
「人間に対して爆裂波を使いましたからね。」

とカサンドラが冷ややかに答えた。ケツァル少佐も頷いた。

「彼の行動には、何一つ同情の余地はありません。遺跡の警備員とアラム・チクチャン、2人に対して爆裂波を使ったことは、被害者が生存していようがいまいが、大罪です。それに恋人の家族を呪い殺すつもりだったのでしょう?」
「そうだけど・・・」

 テオはケマ・シショカ・アラルカンの必死な表情を思い出した。

「甥っ子の助命嘆願は無駄なのか・・・」
「減刑の理由がありません。」

 カサンドラは硬い表情で言った。

「助命嘆願に来た若者の母方の叔父がカスパルでしたね。若者の家族はこれから針の筵に座る思いで一族の中で生きていかねばなりません。大罪を犯した事実は、一族全般に触れられますから。」
「”ティエラ”として生きていけば良いのです。」

とケツァル少佐が言った。

「私もそうやって成長して来ましたから。」

 少佐の産みの両親は大罪人だった。母親は死ぬ間際に減刑されたのだ。父親は汚名を着せられたまま殺害された。ケツァル少佐は殆ど白人同然の養父に預けられ、何も知らない白人の養母に育てられた。少佐は・・・幸福いっぱいに育った。
 カサンドラが少佐を見て微笑んだ。

「大人になってから”ティエラ”として生きるのも楽ではないと思いますが、その若者は既に社会に出ているのでしょう?」
「市の職員です。」

とテオが答えると、彼女は頷いた。

「それなら乗り越えられますよ。親戚付き合いをしなければ良いと言うだけです。理性的に振る舞って、真面目に生きていれば、早晩一族の社会に戻れます。」


第8部 シュスとシショカ      15

 「ファティマのシショカに勝つことを目標としてきた煉瓦工場のシショカ達は起死回生を図って、投資をしたのです。」
「アルボレス・ロホス村・・・」
「スィ。馬鹿な投資です。今時生ゴムなど企業を立て直せるようなお金になりません。しかし彼等は賭けたのです。そしてご存知のように、あの村は泥に埋まりました。煉瓦工場は殆ど倒産寸前となりました。一族は金銭的な援助をしません。異種族から攻撃を受けて困っていると言うなら助けますが、経済的な援助はしないのです。そして我々は経済的に困窮しても一族に助けを求めません。自力で切り抜けるしかありません。」

 カサンドラはそこで冷めたコーヒーを少し口に入れた。唇を湿らせてから、彼女は続けた。

「煉瓦工場が突然借金を完済した時、正直我々は驚きました。一族だけでなく、”ティエラ”の同業者や債権者も驚いたのです。彼等はどこからお金を調達したのかと。銀行からも見放されていた会社が生き返ったのですから無理もありません。アブラーンは私に調査を命じました。煉瓦工場のシショカ達が外国から資金を得たかも知れないと危惧したのです。外国人からお金を借りたら、外国人に会社を乗っ取られる恐れがあります。セルバ共和国の守護者を自負する我々にとって、それは憂うべき事態です。煉瓦工場への出資者が外国人であれば早急に手を打たねばなりませんでした。」
「でも、出資者はいなかった・・・」

 テオの言葉に、彼女は同意した。

「いませんでした。彼等は借り入れもしていませんでした。お金は奪ったものでしたから。」

 ケマ・シショカ・アラルカンがテオとムリリョ博士に語ったことは事実だったのだ。

「彼等は娘を金持ちの白人に嫁がせました。婿を操って財産の乗っ取りを企んだのです。しかし肝心の娘がお産に失敗して死んでしまいました。そこで彼等は暴挙に出たのです。」
「ケマ・シショカ・アラルカンが俺に言った、カスパルの言葉は真実だったと言うことですか?」

 すると初めてムリリョ博士が反応した。小さく頷き、吐き捨てるように言った。

「煉瓦工場の奴らは、白人の家族を事故や病気に見せかけて皆殺しにしたのだ。連中自身は娘の敵討ちだと自分達に言い訳してな。」
「勿論、我々は今までそんな悪事が行われていたことを知りませんでした。」

 カサンドラが言い訳した。

「私は彼等の取引先や銀行ばかり調べていました。姻戚関係となった白人の身元も調べましたが、スペイン系の金持ちだとわかった以外のことに、つまりその家族が次々と死んでいることに調査を及ばせることをしなかったのです。」

 ムリリョ博士はチラリと娘を冷たい目で見た。娘や息子の仕事が完璧でなかったことへの苛立ちだ。しかしカサンドラもアブラーンも”砂の民”ではない。父親の様に各地にスパイの様な手下を持っているのでもないのだ。会社の名前で動かせる人間はいるだろうが、”砂の民”の情報収集能力とは少し違うだろう。

「私達ロカ・エテルナ社にとって、件の煉瓦工場のシショカは無視出来る存在の筈でした。ですから私も真剣さが足りなかったのです。これは父に責められても仕方がありません。」

 この場合の「父」は”砂の民”ではなく”族長”だ。カサンドラは「しかし」と続けた。

「ロカ・エテルナ、或いはムリリョやシメネスにはどうでも良いことでも、別のシショカやシュスにとって、煉瓦工場の不思議な復活は重要でした。彼等の血族の中の主導権争いになりますから。だから、ファティマのシショカが動いたのです。彼等は煉瓦工場の死んだ娘の元の許婚だったカスパル・シショカ・シュスに接触して、彼女の死の真相を探れと持ちかけたのです。」

 だが、カスパルは恋人の死の責任は彼女の実家にあると信じ、白人の婚家の死人については重要視しなかった。ファティマのシショカが望んだ煉瓦工場の足を引っ張ることではなく、煉瓦工場の人々を呪い殺すことを思いついたのだ。呪いを使えば、己が大罪に問われることはない、と考えた訳だ。

「それでカスパルは、最も簡単に、最も早く呪いの効果が出せる方法を探り、アーバル・スァット様の神像を見つけたのですね?」

 ケツァル少佐の質問に、カサンドラは頷いた。

「アーバル・スァット様が非常に気難しく扱いにくい神様であることは、オスタカン族に神像を作って与えたブーカ族の氏族の間では今でも語り伝えられています。この氏族とシュスの家で配偶者のやり取りがありました。それでカスパルは遠い親戚であるブーカ族から神像の知識を得たのです。」
「彼はオスタカン族の子孫からも情報を集めたようです。そして恋人の実家が没落する原因となったアルボレス・ロホス村の元住民を利用したのですね?」
「スィ。用心深い男でした。」
「しかし間抜けだ。」

 とムリリョ博士が吐き捨てる様に言った。

「利用しようとした村人の遠い祖先に一族の血が流れていた。そしてマヤ人の血も流れていた。だから”操心”を完全に成し得なかった。己の力を過信して、誰でも操れると思い込んだのだ。」
「それでチクチャン兄妹に反抗された・・・」

 カサンドラが薄笑いを顔に浮かべた。

「ファティマのシショカ達が全てをカスパル・シショカ・シュスに任せた訳ではありません。彼等はずっとカスパルを監視していました。いつでも煉瓦工場のシショカ家族の足を引っ張る材料を見つけるためにです。だから2人のチクチャンからカスパルの不完全な”操心”を解くと言う妨害もしたのです。」
「それじゃ、チクチャン兄妹の反抗は・・・」
「ファティマのシショカの仕業です。カスパルが焦って恋人の家族に暴挙を仕掛けることを期待したのです。」

 少佐がテオに向かって言った。

「煉瓦工場の家族に騒ぎが生じれば、建設省の秘書が動きます。セニョール・シショカは送り付けられた神像と煉瓦工場の不祥事を結びつけ、煉瓦工場の家族に粛清を与える・・・そこまでファティマの連中は考えたのでしょう。」

 テオは頭をかいた。

「君達一族は人口が少ないじゃないか。それなのに身内でそんな蹴落とし合いをして、どうするんだ? 族長に選ばれる為に、もっと理性的に一族に尽くさなきゃいけないんじゃないのか?」
「私に言わないで下さい。」

 ケツァル少佐はそう言って、カサンドラにウィンクした。カサンドラが苦笑した。

「我が部族の女は投票権がありません。父は族長職を退くので、最後の同点の場合のみ投票します。ですから、今ここで話をしている4人は、投票をしない人間です。候補者がどんな人格なのか私は知りませんから、今した話が選挙に影響があることなのか否かもわかりません。ただ、長老会は部族に関係なく選挙が公明正大に行われたことを審査します。少しでも不正があると判断されたら、その疑われた人はもうお終いです。カスパルは大統領警護隊でどこまで喋るか知りませんが、煉瓦工場もファティマも良い結果を得られないでしょう。」


2022/11/17

第8部 シュスとシショカ      14

  ロカ・エテルナ社の副社長にしてファルゴ・デ・ムリリョ博士の長女カサンドラは、義理の姉にコーヒーをテラス迄運んでもらうと、当分の間そこに近づかないよう要請した。アブラーンの妻は黙って頷くと家の奥に去って行った。
 テラスは地面の上に露出した岩を削って作ったもので、4隅に篝火が焚かれていた。篝火は門の両脇にも置かれていたので、テオは客をもてなす一種の趣向だと思ったのだが、食事の時にケサダ教授が、あれは来客があると近所に伝えるものだと教えてくれた。大事な客だから、客が家にいる間は邪魔をしてくれるなと言う意思表示なのだと言う。しかしテラスの篝火は本当にただのもてなしの趣向だろう。”ヴェルデ・シエロ”は暗闇の中でも目が利くが、一般人のテオは明かりが必要だ。しかしライトの灯りでは無粋なので篝火を焚いてくれたのだ。それに”ヴェルデ・シエロ”が3人もいれば羽虫が寄って来ない。

「建設省のシショカの下に神像が送られてから、大統領警護隊が港の荷運び人のシショカ・シュスを確保する迄の、あなた方の調査の経緯と結果を、父から聞きました。」

とカサンドラが言った。

「そしてドクトル・アルストが大学で面会した文化センターの男の話も聞きました。同じ名前の人間が多い我が一族の欠点は、名前だけ聞いていると関係がよく理解出来ないことですね。」

 彼女はテオを見て苦笑した。ムリリョ博士は無言だ。無表情で娘を見ていた。

「現在、シショカを母姓に持つ家系は5つあります。全て同じ先祖を持ちます。シュスを母姓に持つ家系は7つです。こちらも同じ先祖を持っています。そしてシショカとシュスは互いに姻戚関係を結ぶ仲でもあります。」
「えっと・・・」

 思わずテオは口を挟んでしまった。悪い癖だが、疑問が頭に浮かべば質問せずにおれない性格だ。ムリリョ博士が睨んだが、彼は怯まなかった。

「アラルカンやシメネスやムリリョの家系は彼等と姻戚関係を持っていないのですか?」

 カサンドラは、恐らく会社の重役会議や商談会議で割り込みの質問に慣れているのだろう。父親の不機嫌を無視してテオの質問に答えてくれた。

「どうしてもと望まれぬ限りは、娘を馴染みの薄い家系に嫁がせることはしません。伝統的に子供達に幼い頃から交流を持たせ、成長するに従って互いを意識するように大人が段取りするのです。現代は女性の行動範囲が広がり自由に恋愛する人もいますが、私達が子供の頃はまだ結婚は親が決めるものでした。ですから、シメネスとシュスが交わることやショシカがムリリョと婚姻することはまずありませんでした。」
「アラルカンはどことペアになっていたんです? 昨日会ったケマと言う若者は、シショカ・アラルカンと名乗っていましたが・・・」

 カサンドラが薄い笑を浮かべた。

「アラルカンはシュスと婚姻を結びます。ですが普通はシショカと結婚しません。元は別の家系がペアだったのですが、その家系は死に絶えたのです。」
「死に絶えた?」

 するとムリリョ博士が珍しく皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。

「アラルカンはケサダとペアだったのだ。」
「えっ!」

 これにはテオのみならずケツァル少佐も驚いた。テオはずっと以前にフィデル・ケサダの出生の秘密を博士から聞かされた時のことを思い出した。フィデルの母親は息子の出自を隠す為に、既に死んでしまったマスケゴ族の男の名前を出生届に書いたのだ、と。だから、今生きているケサダを名乗る男は、実際はケサダではなく、マスケゴ族でもないのだ。そしてフィデル・ケサダはシメネス・ムリリョの娘と結婚した。2人の間の子供達は十中八九シメネスの名を受け継ぎ、ケサダの名はやがて消えるだろう。それを承知でフィデルの母親は息子に絶えた家系の名を名乗らせたのだ。
 カサンドラが笑った。

「フィデルがまだ独身だった頃に、アラルカンから彼を婿に迎えたいと言う申し出がありましたの。でも父は門前払いしました。養い子には既に許婚がいると言って。勿論、私の妹のコディアが先に父に彼との結婚を許して欲しいと申し出ておりましたが、父はまだその返事をしておりませんでした。」
「その門前払いがコディアさんへの返事になったのですね?」

 テオは思わず微笑んでしまった。カサンドラは愉快そうに笑った。

「父は優秀な養い子を他所の家に取られたくなかっただけですよ。」
「アラルカン如きにフィデルをやる訳にいかなかった。連中ではあの男を扱えぬ。」

 フィデル・ケサダは純血のグラダ族だ。それを知られては困る。そして、その秘密はカサンドラも知らないのだ。彼女は単に父が養子を愛していて、他家に譲りたくないだけだと思っている。
 
「話の腰を折って申し訳ありませんでした。」

とテオは話題を修正しようと努力した。

「シショカとシュスの家系のお話でしたね?」
「スィ。」

 カサンドラは頷いた。

「大統領警護隊が捕らえた神像泥棒の男は、この家の南にある家の家族で、煉瓦工場のシショカと呼ばれている家の者です。現在はタイルを作っていますが、昔は耐火煉瓦の大手製造業社でした。」

 マスケゴ族は建築関係で古代から生業を立てていた部族だ。大手ゼネコンと言える大企業に成長したロカ・エテルナ社だが、中小の同業者や同分野の業者の情報は漏れなく収集していると見て良いだろう。そしてその情報収集が社長のアブラーンではなく副社長のカサンドラの仕事なのだ、とテオは理解した。

「煉瓦工場のシショカは過去2世紀、家族の中から族長を出していません。候補に立つのですが、その度に他の家系に負けていました。他の家系と言うのは、別のシショカやシュス、アラルカン、シメネス、そしてムリリョです。特に、別のシショカの家系とはかなり熾烈な争いをしていました。」

 カサンドラは新素材の建築材を扱うファティマ工芸と言う会社のパンフレットをケツァル少佐に渡した。少佐はそれをテオにも見えるように広げた。

「煉瓦やタイルとは違う素材で壁を造る会社なのですね?」
「スィ。壁紙や擬似タイルも造っています。」
「つまり、煉瓦工場のライバル?」
「スィ。事業でも族長選挙でもライバルなのです。」
「でもずっとファティマのシショカが勝っていた・・・」
「スィ。煉瓦工場のシショカは焦っていたでしょうね。部族内での発言権が小さくなれば、婚姻にも支障が出ますし、仕事にも影響が出て来ます。勢いのある家族は白人社会にもメスティーソの社会にもどんどん入り込めますから。ところが・・・」

 カサンドラが顔から笑みを消した。


2022/11/16

第8部 シュスとシショカ      13

  玄関でテオとケツァル少佐を出迎えたのは、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの妻だった。テオ達はお招きに対する礼を述べ、土産を渡した。妻はにこやかに微笑みながら彼等をリビングへ案内した。そこにはムリリョ博士、アブラーン、博士の長女カサンドラ・シメネス・デ・ムリリョ、それにフィデル・ケサダ教授がいた。博士の次男が揃えばムリリョ家の代表者達が勢揃いになるのだろうが、次男はいなかった。
 形式通りの挨拶を交わし、少し世間話をしてからダイニングへ移動した。テオは出来るだけ室内をキョロキョロしないよう務めた。普通の家の普通の装飾だ。ミイラも遺跡からの出土品もない。落ち着いたスペイン風の陶器や絵画が飾られているだけだった。博士の個室はどんなだろうと想像したが、大学の研究室しか思い浮かばなかった。アブラーンの子供達は上の階にいるのだろう、声すら聞こえなかった。
 食前の挨拶を行ったのは、当主のアブラーンだった。

「正直なところ、父が客を招くのは滅多にないことで、本来は父が挨拶するべきですが、私にしろと命令が下ったので、僭越ながら挨拶をさせて頂きます。」

とアブラーンが茶目っ気たっぷりに喋り出した。恐らく取引先や重役達と会食する調子でしゃべっているのだ。テオはマスケゴ族の族長の家ではどんな会話が普段なされているのか想像出来なかった。だからアブラーンが普通に時候の挨拶をして、ちょっとした世間話をして場を和ませてから乾杯の音頭を取ったので、ちょっと肩透かしを食らった気分だった。そっとケサダ教授を見ると、教授も「なんで自分はここにいるのだろう」と言う顔をしていた。だがカサンドラは違った。冷ややかに兄を見て、それから少し緊張した面持ちで父親に視線を向けた。
 ムリリョ博士は口を利かなかった。食事が始まり、給仕の息子の妻や孫娘とちょっと言葉を交わしただけで、料理もあまり量を取らなかった。アブラーンが物音を立ててケサダ教授の注意を引いた。2人の義理の兄弟の間で”心話”が交わされるのをテオは見逃さなかった。微かに教授が肩をすくめた様で、アブラーンもがっかりした様子だ。

 もしかして、アブラーンと教授は何も知らされないまま、この食事会にいるのか?

 穏やかに食事が終わり、やっと博士が動いた。

「テラスでコーヒーでも如何かな、客人?」

 テオと少佐は同意した。彼等が立ち上がると、カサンドラも続いたが、アブラーンとケサダ教授は残った。驚いたことに、アブラーンが父親に苦情を言った。

「どうせ私とフィデルは除け者でしょう?」

 博士はジロリと息子を見た。

「お前達には関係ない話と言うだけのことだ。」

 するとケサダ教授が義兄に囁いた。

「選挙の話を他部族に解説するだけでしょう。」
「シュスとシショカの争いか?」

  博士がむっつりとした顔で言った。

「わかっておるなら、黙っておれ。」

 アブラーンも立ち上がると、教授に声をかけた。

「フィデル、上の階へ行こう。私達は向こうでコーヒーを飲むことにしよう。」
「良いですね。」

 教授は義兄に逆らいもせず、素直に立ち上がり、後について行った。テオはケツァル少佐を見た。てっきりアブラーンが博士の補佐を務めるかと思ったのに、その役目は娘のカサンドラが果たすようだ。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...