2024/02/14

第10部  追跡       22

  結局エンリケ・テナンの逮捕は翌日の新聞の片隅に小さく「密猟者逮捕」と出ただけだった。テナンが犯した殺人の話は載っていなかった。

「まだ2人逃亡中ですから。」

とケツァル少佐はテオに言った。

「逃げている2人が自棄にならないよう、報道を抑えているのでしょう。憲兵隊は2人の氏名と写真を持っていますから、各地の警察に手配しています。」
「すると”砂の民”が連中の名前や顔を知っていると思って良いのだな。」
「仕方がありません。彼等は実際に目撃したのです。テナンと一緒にサバンの遺体を焼いて、コロンの遺体をバラバラにした。粛清は免れません。」
「テナンも捕まったと言っても安全じゃないだろう?」

 テオは麻薬関係で捕まった人間が口封じのために刑務所内で殺害される話を聞いたことがあった。麻薬組織と”砂の民”、どちらも執拗で執念深く、無慈悲だ。
 テオと少佐は大学のカフェで昼食を共にしていた。少佐はいつも食事を取るカフェ・デ・オラスが臨時休業だったので、安くてボリュームがある食事を取れる大学のカフェに来ただけで、特にテオに用事がある訳ではなかった。テオも偶々売店で買った新聞にエンリケ・テナンの記事があったので、話題にしただけだ。

「今日はあの掃除夫は元気にしていましたか?」
「彼は総合学舎のロビーを掃除しているのを朝見かけた。ちょっと元気がなかったが、それは父親が密猟で捕まったからだろう。まさか殺人を犯しているとは分からない筈だ。多分、昨日の夕方帰宅してアパートの住人から父親が憲兵隊にしょっ引かれたことを聞いたに違いない。憲兵隊に問い合わせても、会わせてもらえないだろうし、説明も密猟のことだけだったと思う。」
「憲兵隊の一族の人は上手く誤魔化せたと信じています。テナンの記憶から殺人の部分を消すことは出来なくても、世迷ごとで済ませるでしょう。」

 そしてちょっと怖いことを言った。

「テナンの父親を普通の殺人罪で済ませるために、逃亡中の2人には粛清を受けてもらった方が良いかも知れません。」

 テオは無言だった。ジャガーが人間になった、と同じ証言を3人がしたら、面倒なことになる。それは理解出来た。一人だけなら、そいつはちょっとおかしいのだ、と言えるから。
 ふとケツァル少佐が視線をテオの背後に向けた。一瞬彼女が警戒したことを、テオは空気の微妙な変化で気がついた。少し空気が固くなった感じがして、すぐに緩んだ。

「ブエノス・ディアス」

とケサダ教授の声が聞こえ、テオは後ろを振り返った。長身でハンサムな考古学教授が立っていた。但し、彼が声をかけたのはテオではなくケツァル少佐でもなかった。白いスーツに黒いシャツを着た建設大臣の私設秘書セニョール・シショカがいたのだ。テオはぎくりとした。シショカは筋金入りの”砂の民”だ。大学に何の用だ?

2024/02/13

第10部  追跡       21

  ムリリョ博士が溜め息をついた。

「手下達の仕事に細かく指図する権限は、儂にはない。」
「しかし・・・」
「お前は誤解している様だが、我々は上下の命令系統を持たない。儂は仲間に何が起きているのかを伝えただけだ。粛清するかしないかと決めるのは手下達だ。」
「では・・・」
「その掃除夫が父親とこれ以上接触せず、聞いた話を全て忘れているなら、お前が案ずる必要はない。マレンカの若造(ロホのこと)がどれだけ能力を発揮したか、それが決め手だ。」

 博士は立ち上がった。

「儂はこれから昼に行く。お前も来ると良い。」

 断れない雰囲気だったので、テオは博士に続いて部屋から出た。ムリリョ博士と食事だなんて、光栄なのだろうが、恐ろしい気もした。歩いて行くと、パティオに出る出入り口に差し掛かった。博士が外を見た。ロホがやって来るのが見えた。ホルヘ・テナンはどうしたのだろう。
 ロホがそばへ来るまで博士は立ち止まって待っていた。ロホはケサダ教授の直弟子で、博士から見れば孫弟子になる。大師匠にロホは右手を左胸に当てて敬意を表した。ムリリョ博士は頷いた。そしてロホの目を見た。”心話”だ。ホルヘ・テナンに対するロホの対処方法をそれで確認したのだろう。

「掃除夫は一族にとって無害だと言うのだな?」

と言葉で博士が確認した。ロホが「無害です」と答えた。

「彼は清掃会社から派遣されて、この大学で毎日掃除をしています。父親と会ったのは2年ぶりだと彼の心が言っていました。昨日父親と会って聞いた話を記憶から消し去れば、彼は父親はまだ故郷の村にいると信じたままです。」
「では、憲兵隊が父親をどう扱うかが問題だ。」

 憲兵隊はセルバ野生生物保護協会の職員を惨殺した密猟者を逮捕したことを公表するだろうか。もし公表してテレビや新聞に出たら、ホルヘ・テナンは父親の罪を再び知ることになる。だが彼はショックを受けるだけで済む。父親が殺害した人間が何者だったのか知らずに済むから。
 問題は殺害犯のエンリケ・テナンだ。憲兵隊に何を喋るだろう。憲兵隊は彼の言葉をどこまで信じるだろう。
 ムリリョ博士はそこまで考えないことにしたのか、ロホも昼食に誘った。ロホはぎくりとしてテオを見た。テオは肩をすくめて見せるしかなかった。断って良いことでもあるだろうか。

第10部  追跡       20

  ムリリョ博士の部屋は、テオが想像していた通りの、一見乱雑でしかし整理整頓されている考古学者の部屋だった。書籍があちらこちらに山積みされ、古文書の様なものも置かれている。無造作に机の上で横たわっているのは、子供のミイラだ。勿論本物だろう。
 ムリリョ博士はテオに椅子を勧めるでもなく、己の席に座った。テオは仕方なく彼の机のそばに立った。目の前でミイラが目玉のない目でこっちを見ていた。

「サバンを殺害した人間がわかりました。」

とテオは要件は何かと訊かれる前に言った。その方を博士も望んでいるだろうと思った。ムリリョ博士は黙って彼を見返しただけだった。

「エンリケ・テナンと言うプンタ・マナ南部に住んでいた元農夫です。密猟で生計を立てていた様ですが、ジャガーを撃ったら人間になったので腰を抜かしたそうです。」
「エンリケ・テナン?」

と博士が低い声で復唱した。どうやら初耳の名前だったらしい。まだテオが憲兵隊に通報したことは伝わっていない様だ。テオは続けた。

「テナンは仲間の密猟者が最近続け様に3人、奇妙な死に方をしたので、”ヴェルデ・シエロ”の呪いだと怯えて、故郷を逃げ出し、グラダ・シティで働いている息子を頼って来ました。
 息子は掃除夫として働いていて、父親の密猟には関与していません。逃げて来た父親に罪の告白をされ、びっくりして俺のところに相談に来ました。彼はジャガーが人間に変身したことは信じていませんでしたが、父親が人を殺して死体を焼いて埋めたことは信じました。信じて、父親が変死することを恐れ、俺に相談に来ました。俺が大統領警護隊と親しくしているから、何か助けてもらえないかと頼って来たのです。」

 いつものことながら、ムリリョ博士は言葉を挟まなかった。まだテオが本題に入っていないと知っているからだ。テオは続けた。

「父親は罪の償いをするべきだと言う息子の言葉を聞いて、俺は息子の承諾の元で憲兵隊にエンリケ・テナンの現在地を通報しました。恐らく電話に出たのは一族の人の憲兵でしょう。俺は彼がエンリケがジャガーから変身した男の話を広めないよう手を打ってくれるものと信じています。」

 すると初めてムリリョ博士が口を開いた。

「エンリケ・テナンに手を出すな、と言いたいのか?」
「違います。」

 テオは速攻で否定した。

「エンリケ・テナンは粛清されて当然のことをしました。俺は密猟者のことはどうでも良いです。俺が心配しているのは、父親の罪の告白を聞いてしまった息子の将来です。さっき、ロホに相談して、ロホが息子の掃除夫から今から過去1日分の記憶を消してくれました。だから、息子のホルヘ・テナンには手を出さないで頂きたい。」


2024/02/11

第10部  追跡       19

  ロホが近づいて行くと、ホルヘ・テナンは少し警戒した様子で彼を見た。ロホは無言で緑色に輝く大統領警護隊の徽章を提示した。テナンはその場で固まった様だ。ロホは優しく声をかけながらさらに近づき、相手の目を見た。見ていたテオは少し冷たい風が吹くのを感じたが、それも一瞬のことだった。
 ロホがテナンから離れ、テオの元に戻って来た。

「1日分の記憶を消しました。でもまだ安心は出来ません。」

 彼は人文学舎の方向を見た。

「ムリリョ博士は今日は来られていますか?」
「それは確認していない。」
「彼に、息子は父親の罪と無関係だと知ってもらわなければ・・・」
「わかった。」

 テオは昼休みが近づいて人々が動き出した学内を歩いて行った。ロホはパティオの端に残った。テナンを暫く守るのだろう。
 考古学部は静かだった。もしムリリョ博士もケサダ教授もいなければ面倒だな、とテオは心配した。博士は”砂の民”の首領だから、彼を納得させればホルヘ・テナンは安全だ。彼の所在が不明ならケサダ教授に伝言を頼むか、居場所を教えてもらわねばならない。もしどちらもいなければ、掃除夫の身を案じなければならない。
 全くの幸運・・・学舎の入り口で、テオはまともにムリリョ博士と出会した。

「ブエノス・ディアス!」

 彼は思わず声を出した。博士はいつもの様にむっつりした顔で彼を見返しただけだった。

「貴方にお話を聞いて頂きたく、来ました。」

 テオが告げると、博士はチラリと彼の背後のパティオの方を見た。掃除夫を見たと言うより、ロホの存在を気にした様子だった。

「他人に聞かれて拙いことか?」

 博士が短く尋ねた。テオは「拙いです」と答えた。博士は顎で己の研究室の方を指した。

2024/02/10

第10部  追跡       18

  ロホが大学へ来たのは、電話を切ってから5分後だった。”空間通路”を通る訳にいかないので、車でやって来た。歩いても同じ時間で済む距離だ。ロホは仕事をアスルに引き継いで、車に乗って、大学の駐車場に車を置いて、と手順を踏んだので時間がそれぐらいかかったのだ。
 研究室のドアを開けるなり、テオは彼に尋ねた。

「掃除夫を見かけなかったか?」

 ロホは来た方角を振り返った。

「パティオで一人いました。」

 テオはすぐに部屋から出た。歩き出した彼の後ろを、ロホは無言でついて来た。学舎を出て、中庭に出た。芝生と低木の植え込みの向こうで、カートを置いて、ホルヘ・テナンが石畳の遊歩道を箒で掃いているのが見えた。
 テオは立ち止まり、ロホに説明した。

「彼の父親が密猟者だ。仲間が不思議な死に方をしたので、恐ろしくなり、住んでいた町を逃げ出して息子のアパートに転がり込んだらしい。親父の告白を聞いて、息子は仰天した。父親が密猟か何か良くないことをしていたことは薄々勘づいていたが、人を殺したと告白されて、彼も怖くなった。しかも父親は、ジャガーを撃って、そのジャガーが人間になった、と言ったそうだ。息子はどうすれば良いのか途方に暮れて、俺が大統領警護隊と親しいと噂されていることを思い出し、相談に来た。」
「父親はまだ息子のアパートにいるのですか?」
「わからない。俺は少佐に電話する直前に憲兵隊に通報した。少佐に教えられた憲兵隊の少尉に通報したんだ。まだ半時間経つか経たないかだ。」
「では、そっちは憲兵隊に任せましょう。」

 ロホは掃除夫を眺めた。

「彼の記憶から父親の話を消すのですね?」
「出来るかい?」
「まだ新しい記憶でしょうから、出来ます。でも、貴方と会話した内容も忘れてしまいますよ。」
「要するに1日分の記憶を消すんだな。」
「スィ。」
「今朝まで知らない者同士だった。だから今朝の会話を消されても彼と俺の関係に何ら支障はない。」

 ロホはわかった、と手で合図してパティオの中へ歩き出した。

2024/02/09

第10部  追跡       17

  ホルヘ・テナンが研究室から出て行き、たっぷり5分待ってから、テオはある人物に電話を掛けた。前夜、ケツァル少佐から、「もし事件に関連する情報があればここへ連絡を」と教えられた番号だった。10回近く呼び出しが鳴って、もう切ろうかと思った瞬間に相手が出た。

ーー憲兵隊本部、コーエン少尉・・・

 テオは素早く名乗った。

「グラダ大学のアルスト准教授。」

 それだけ言えば、相手はわかる、と少佐は言った。恐らく、”ヴェルデ・シエロ”の憲兵隊員だ。果たして、相手は「ああ」と声を出した。テオは挨拶抜きで要件を述べた。

「ジャガーを撃って、死体を焼いたと言う男の所在がわかった。」

 テナンから聞いたアパートの住所を告げた。長い説明はしない。相手が今誰と一緒にいるのか、何をしているところなのかわからないから。

「息子は大学で掃除夫をしている。その息子からの情報だ。息子は父親の言葉を信じていないが、恐ろしいので俺に相談に来た。」

 相手は短く言った。

ーー情報に感謝します。出来るだけ穏便に対処します。

 そして通話が切れた。
 テオは深呼吸した。テナンの父親が”砂の民”に発見される前に憲兵隊に確保されて欲しかった。あの掃除夫の若者がこれ以上泣くことがないように。

 そうだ、ホルヘの記憶を消さなければ!

 テオは急いで今度は少佐の番号に掛けた。少佐はすぐ出てくれたが、忙しかったのか、テオが名乗る前に、自分の電話をロホに投げ渡した様だ。男の声が応えた。

ーーロホです。
「アルストだ。頼みがある。ある人の記憶を消して欲しい。彼の命がかかっている。」

 親切なロホはテオの切羽詰まった声を正く理解してくれた。

ーー承知しました。どこへ行けば良いですか。
「すぐ来てもらえるなら、大学へ・・・」
ーー承知。

 通話が切れた。テオは椅子に深く腰掛けた。まだ昼前なのに、疲れた・・・。

2024/02/08

第10部  追跡       16

  大事なことは、今目の前で震えながら泣いているホルヘ・テナンと言う若者を”砂の民”の粛清リストから外すことだ。テオはそう判断した。テナンの父親は罪を犯した。だから、粛清の対象になっても文句を言えない。それは全ての”ヴェルデ・シエロ”がそう判断する筈だ。しかし、ホルヘは違う。何も知らずに都会で掃除夫をしている若者が、父親に罪の告白をされて、それだけで粛清されてしまって良い訳がない。

「本当に人間が・・・いや、ジャガーが人間になったと、君は信じているのかい?」

 テオは若者に声をかけた。取り敢えず、ここはしらばっくれて、ホルヘの心を落ち着かせよう。ホルヘ一人なら、父親から聞いた話の内容を記憶から消し去ることなど、”ヴェルデ・シエロ”にとって朝飯前の筈だ。

「親父は・・・そう言いました・・・」

 ホルヘは泣きながら言った。

「信じられないでしょけど・・・」
「信じないさ。」

とテオはキッパリと言った。

「誰も君の親父さんの話なんて信じない。ジャガーは神様だが、人間になったりしない。君のお親父さんは、密猟の目撃者を撃ってしまった、それを誤魔化すために、ジャガーが人間に変身したと言ってるんだ。」

 ホルヘが顔を上げてテオを見た。

「あんたは白人だから・・・」
「白人でもセルバ人だ。先住民だってメスティーソだって、誰も君の話を信じない。神話の中の神様がこの時代に現れたなんて、誰が信じる?」
「でも、親父の仲間が死んでしまった・・・」
「仲間割れだろ? まともな人間じゃなかったんだ、麻薬のせいもあるだろうさ。」

 テオは立ち上がった。

「君の親父さんは君の家にいるのかい?」
「スィ。アパートに隠れています。絶対に外に出るなと言い聞かせています。」
「それじゃ、君は今日の仕事をするんだ。普段通りに振る舞いなさい。誰からも怪しまれないように。俺は大統領警護隊の友人に相談する。」
「えっ!」
「大統領警護隊は神と話が出来るんだろ? だから君は俺に相談に来た筈だ。」
「そうです・・・」
「俺の友人達に、君の親父さんがいる場所を教えて良いかな? 親父さんが奇妙な死に方をする前に・・・」

 ホルヘは蒼白になっていた。きっと神の祟りを考えているのだ。

「親父さんが殺人で逮捕されても、君は平気でいられるか? 神の罰を受けた方が良いと思うか?」
「僕にはわかりません・・・」

 ホルヘはテオを見つめた。

「でも・・・人間として罪を償って欲しい・・・」

 テオは頷いた。

「わかった。友達にそう伝える。だから、君はもう仕事に戻りなさい。」

 彼はポケットから財布を出し、紙幣を1枚つかみ出した。

「君の仕事を遅らせたから、チップを渡しておく。誰かに訊かれたら、アルスト先生の部屋の掃除を特別に頼まれた、と言っておくんだ。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...