2024/03/03

第10部  粛清       16

  コーエン少尉がテオを見たので、テオは簡単に名乗ってから、本題に入った。

「セニョール・サバン、貴方はオラシオが行方不明になった後、グラダ大学の考古学教授ムリリョ博士と電話で話をされましたね。」

 サバンがピクリと体を動かした様に見えた。ムリリョ博士との通話は仲介を頼んだ”ティエラ”のンゲマ准教授しか知らないと思ったのだろう。テオはサバンの反応に気がつかなかったふりをして続けた。

「ムリリョ博士はマスケゴ族の族長です。そして大長老の一人でもある。」

 普通のセルバ人が知らない”ヴェルデ・シエロ”の内部事情を言ったので、サバンは勿論のことコーエン少尉もちょっと驚いてテオをまじまじと見た。テオはそれも気づかないふりをした。

「彼はある特殊な技能職を持つ人々とも深いつながりがあります。セニョール・サバン、貴方は息子さんを殺害した犯人グループのことを博士に伝えましたか?」

 コーエン少尉がサバンに向き直った。大統領警護隊ではないが、憲兵も国民から畏怖と尊敬の目で見られている。サバンは先ほどの気を放った人物が目の前の若い憲兵だとわかっていたので、嘘や誤魔化しは効かないと観念したのだろう、渋々ながら頷いた。

「スィ。”アキレスの一味”が息子をどうにかしてしまったらしいと博士に伝えました。」

 何故考古学の博士にそんなことを伝えたのか、サバンは説明しなかった。どうしてムリリョ博士の裏の顔を知っているのかも言わなかった。そしてコーエン少尉の方は、博士の裏の顔に思い当たって一瞬動揺した。しかし憲兵はどうにかその動揺を抑えて、年長者のサバンに気づかれずに済ませた。ここで相手に弱みを見せてはならない。それにケツァル少佐のパートナーである白人のテオは何もかもお見通しの様だ。馬鹿にされたくなかった。
 テオはさらに尋ねた。

「”アキレスの一味”のことをどうしてご存知だったのですか?」

 するとティコ・サバンは部屋の隅へ歩いて行き、そこに置かれていた棚の引き出しから一冊のノートを出した。最近購入したらしいノートで、表紙もまだ綺麗だったが、テオはサバンがそれをめくっている紙面にびっしりと書き込みされているのを見た。

「息子は密猟から野生動物を守る仕事をしていました。プンタ・マナ周辺の森で暗躍する密猟者グループの調査をしていたのです。」
「これがその記録なのですね?」
「ここに犯人と思しき人間数名の名前が書かれています。グループの名前も書いてありました。」

 サバンはノートを憲兵に手渡した。

「密猟者が警察と繋がっているかも知れないと思い、今までこのノートのことは黙っていました。けれど、一族の人間が憲兵にいるのだから、私はこれを貴方に託します。」

 コーエン少尉はパラパラとノートをめくり、大きく頷いた。

「グラシャス、セニョール、捜査に役立てます。読み解いていくとボスの正体もわかるかも知れません。もしや、ボスのことも書かれていませんでしたか?」

 サバンは首を振った。

「ノ、ボスがいるのは確かだ、と書いていますが、名前はわからない様でした。でも手がかりはあると、最後に書いてあったのです。」


第10部  粛清       15

 「エンリケ・テナンはジャガーを撃ち殺した時に、ジャガーが人間になるところを目撃してしまったでしょう? ”砂の民”はそれを言い広められるのを阻止しようとしている・・・」

 テオが言いかけると、コーエン少尉は「違います」と遮った。

「今の時代、誰もそんなことを信じたりしません。セルバの国民ですら信じませんよ。」
「では、”砂の民”が密猟者を粛清しているのは・・・」
「1番の理由は、神聖なジャガーを撃ったことへの天罰だと国民に見せつけているのです。森を荒らすと後悔するぞと警告しているのです。そして2番目は・・・」
「一族から密猟者への報復?」
「そう言うことでしょう。」
「だがどこから”砂の民”は密猟者の情報を得たのか・・・」

 コーエン少尉がクスッと笑った。

「それを訊く為にこれからサバンの父親に会うのでしょう?」
「ああ・・・そうだった・・・」

 テオも苦笑した。
 やがてサバン親子が住んでいた古いアパート群が見えてきた。テオは記憶にある建物の前に駐車した。アパート群はまだ照明が付いている部屋が多かった。そんなに夜遅い訳ではない。
 サバンの家のドアをノックする直前にコーエン少尉が囁いた。

「居留守を使われる前に、一族の人間が来たことを知らせておきます。」

 彼は何も目立った動きをしなかった。恐らく、気を発して、存在を伝えたのだろう。テオがサバン家のドアをノックすると、すぐにドアが開いた。そしてティコ・サバンが現れた。

「こんばんは」

とテオは右手を左胸に当てて挨拶した。コーエン少尉は憲兵らしく敬礼した。ティコ・サバンは軽く頷いて、彼等を中へ案内した。
 誰もいない家だ。オラシオ・サバンの葬儀に出席していた母親と兄弟は別居していると聞いていた。父親は息子が死んだ後、一人でこの部屋に住んでいるのだ。テオはふと養父を思い出した。アントニオ・ゴンザレス署長もテオを拾う前はこんな侘しい寂しい生活だったのだろう。
 狭い居間の椅子を勧め、サバンは立ったまま質問した。

「ご用件は?」


2024/03/02

第10部  粛清       14

  密猟者のグループは「アキレスの一味」と呼ばれているのだ、とコーエン少尉は教えてくれた。2人はティコ・サバンのアパートに向かう車内にいた。テオは他人の家を訪ねるには遅い時刻ではないかと心配したが、憲兵のコーエン少尉には自由時間が余り残されていなかった。

「ドクトル・アルスト」

とコーエン少尉が助手席で話しかけて来た。

「貴方は我々の一族のことを理解してくださっている稀な白人だとお聞きしています。」
「どこまで真の意味で理解出来ているかわからないが・・・」

 テオは苦笑した。

「俺のことを大統領警護隊文化保護担当部の皆が理解してくれているから、俺も努力しているんです。」

 すると、少尉はテオにとって懐かしい名前を出した。

「貴方はビト・バスコ曹長の事件の解決に協力して下さったと聞きました。」
「ああ・・・」

 ビト・バスコ少尉は”ヴェルデ・シエロ”の憲兵だった。一卵性双生児の兄ビダル・バスコ少尉は大統領警護隊で、兄にコンプレックスを抱いていた。その細やかなコンプレックスの為に命を落としてしまった。だがその辺の事情は文化保護担当部と大統領警護隊司令部のごく一部の上官だけの秘密だった筈だ。コーエン少尉はバスコ曹長と親しかったのだろうか。

「少尉、貴方はビト・バスコ曹長と親しかったのですか?」
「ノ、所属していた部隊が違っていたので、顔は互いに知っていましたが、彼が一族の者であったと知ったのは、彼が亡くなった後です。彼と親しかった隊員が、彼と瓜二つの男が大統領警護隊の制服を着て街を歩いていたと噂を広めたのです。皆驚きましたが、それは彼が双子だったと知ったからで、私が驚いた理由とは違いました。」
「貴方はバスコが一族の一人だったと知ったから驚いたのですね。」
「スィ、肌が黒い一族の人間がいると聞いていましたが、身近にいたなんてね・・・残念です、彼の生前にそれを知っていれば、友達になれたかも知れません。」

 もしそうなっていれば、ビト・バスコ曹長は兄に劣等感を抱かずに、今も生きていたかも知れない。兄の制服を無断で持ち出すことなく、”砂の民”シショカから粛清を受けずに済んだかも知れないのだ。

「コーエン少尉、貴方は”砂の民”が密猟者達を闇に葬っていくことをどう思われますか?」

 テオの質問に、憲兵ははっきりと答えた。

「法律で裁ける犯罪者は、あんな殺し方をせずに捕まえて法の下で処罰するべきです。その為に憲兵隊や司法警察があるのですから。」


2024/03/01

第10部  粛清       13

  コーエン少尉の報告は続いた。

「エンリケ・テナンは誰が死体を焼くことを提案したか、誰が穴を掘ったか、誰が火をつけたか、そう言う細かなことは言いませんでした。恐らく連中は計画的に行動したのではなく、目の前で起きた殺人、或いは神殺しに恐怖して恐慌状態に陥っていたに違いありません。」

 テオはぼんやり思った。エンリケ・テナンがそんなにペラペラ喋ったのだろうか。コーエン少尉が”操心”で喋らせたのではないのか。兎に角、報告の内容に嘘はないのだろう。ケツァル少佐は何も質問せずに聞いていた。

「サバンを殺害して埋めた後、彼等は素知らぬ顔で生活を続けました。ボスには神殺しの報告をしなかった、とテナンは言っています。言っても信じてもらえないだろうし、神を殺したと言えば、ボスから処罰を受ける心配もあったのです。だが、恐怖心が消えた訳ではありませんでした。だから、次にイスマエル・コロンがサバンの行方を探して現れた時、先に述べたキントーと言う男がコロンを案内して森に誘導しました。テナン達は森で待ち伏せ、コロンを殺害しました。コロンはサバン殺害の手がかりを何も得ないまま、いきなり殺されてしまったのです。」
「酷い・・・」

と少佐が初めて呟いた。イスマエル・コロンが何か犯罪の形跡を見つけて、それが理由で殺されたと言うなら、まだ話はわかる。しかし、コロンは何も見付けなかった。森に連れて行かれ、そこでいきなり殺されたのだ。
 
「誰も反対しなかったんだな?」

とテオも確認のために尋ねた。コーエン少尉は首を振った。

「テナンはその点について何も言いませんでした。もう暗黙の了解でグラダ・シティから来るセルバ野生生物保護協会の人間を殺すと決めていたようです。」
「それはボスの指図だったのですか?」
「私も念を押して訊きましたが、ボスの指示を仰いだ感じはありませんでした。」
「コロンの遺体をあんな無残な姿にしたのは・・・」
「密猟した動物の解体と同じで、出来るだけ犯罪の痕跡を消そうとした様ですね。動物や虫に食わせて消してしまおうと・・・」

 少尉は、ハッと吐き捨てるような息を出した。

「だから連中をいち早く発見した”砂”の連中が、幻影を見せつけたに違いありません。サバンとコロンの幽霊を・・・」
「それにしても、彼等が密猟者を見つけ出したのは、早過ぎると思いませんでしたか?」

とケツァル少佐。コーエン少尉とテオは彼女を見た。

「・・・と言うと?」
「誰かが密告したと?」
「まだ推測を話す段階でもありません。しかし・・・」

 ケツァル少佐は視線を天井に向けた。

「ある方面から、サバンの父親が”砂の民”に粛清を依頼したらしいと言う情報を頂いています。」

 ンゲマ准教授やケサダ教授達からの情報だ。テオも思い出した。サバンの父親が犯人を知っていたのだろうか? しかし彼がどうして・・・?
 テオは少佐に言った。

「サバンの父親にもう一度会ってみたい。白人の俺一人では何も語ってくれないだろう。誰か同行してくれないか?」

 少佐が名乗り出てくれるかと思ったが、彼女は憲兵の方を見た。

「少尉、貴方にお願い出来ますか?」


2024/02/29

第10部  粛清       12

  憲兵隊のコーエン少尉は、密猟者の自供を報告していた。

「テナンは腰を抜かしたそうです。目の前で何が起きたか理解できなかったらしく・・・」
「そうだろうな・・・」

とテオは頷いた。誰だって、撃ち殺したジャガーが人間に変化したら、肝を潰す。逃げ出すかも知れない。
 しかし密猟者達は逃げなかった。

「誰かが、『”ヴェルデ・シエロ”だ』と言うのを聞いたとテナンは言いました。」
「彼等は信じたのですか?」
「テナンと一緒にジャガーが人間になるのを目撃したのは、もう一人、キントーと言う男でした。この男は、ミーヤの教会裏の森で首を括りました。」
「すると残りの密猟者達は・・・」

 コーエン少尉が首を振った。

「連中は見ていなかった、とテナンは言っています。銃声を聞いて現場に集まって来て、サバンが死んでいるのを見ただけだと。」
「サバンは当然裸だったでしょう。」
「スィ。全裸だった筈です。森の中で全裸のインディヘナが死んでいる、その光景を残りの4人は見たのです。」
「裸であることを疑問に思わなかった?」
「そこまでは分かりません。ただ、仲間でない人間を殺してしまった、それだけは理解したのです。だから、連中は殺人の証拠隠滅を図り、サバンの遺体を焼きました。死体をそのまま埋めたのでは、後で動物が掘り返しますからね。」

 テオは聞いているだけで気分が悪くなった。犯罪の話はいつ聞いても胸が悪くなる。

2024/02/28

第10部  粛清       11

  憲兵隊のコーエン少尉がケツァル少佐とテオが住む西サン・ペドロ通りの高級集合住宅に現れたのは、夕食が始まる前だった。地上階の防犯カメラ前で、”ヴェルデ・シエロ”の憲兵は礼儀正しく、そして世間に正体を知られないよう、チャイムを鳴らして、マイクに向かって名乗った。少佐が応答し、ドアロックを遠隔操作で解除した。コーエン少尉は建物の中に入り、エレベーターではなく階段を使って7階まで上がって来た。”ヴェルデ・シエロ”がエレベーターを嫌うのか、軍人なので用心しているのか、テオにはまだわからなかった。少佐に言われて彼は共用通路に出て、少尉を迎えると、少佐ではなく彼の居住スペースに少尉を招き入れた。
 少佐が家政婦のカーラに午後8時迄は待つように、それ以降は帰宅して良いと言いつけて、テオのスペースにやって来た。
 テオの側のキッチンにも小さな冷蔵庫があり、テオはそこからミネラルウォーターの瓶を出した。簡素なリビングの質素な安楽椅子に少尉を座らせ、少佐とテオはソファに並んで座った。

「テナンの自供内容の報告です。」

とコーエン少尉が言った。彼は憲兵で、大統領警護隊に報告する義務はない筈だが、密猟者を最初に見つけたのは大統領警護隊で、そこから任務を引き継いだ形になっていたので、コーエン少尉は筋を通そうとしていた。

「密猟者のグループは実行隊が6人でした。そのうち3名は既に死亡。テナンが勾留中です。残りの2名は、テナンが言うにはまだプンタ・マナ近辺に潜伏しているだろうとのことでしたが、司法警察がグラダ・シティで1名を見かけたとの情報を得て捜査しています。最後の1名はまだ不明。」
「テナンは何と言っていますか?」

 それが重要だ。彼等密猟者は、何を見たのか。
 コーエン少尉が息を深く吸って吐いた。

「彼等は、ボスから指図をもらい、猟を暫く控えるつもりで、キャンプの撤収をしていたそうです。セルバ野生生物保護協会の会員が彼等の居場所を特定したらしく、捕まる前に隠れるつもりだったのです。だが、その作業中に、1頭のジャガーが現れました。密猟者達は森の中では保身用に常に銃を発砲出来る状態で所持しています。ジャガーが威嚇して吠えた瞬間、テナンは咄嗟に自分の銃を発射したと言っていました。」

 テオも少佐も黙っていた。何が起きたのか想像出来た。しかし彼等は口を挟まなかった。コーエン少尉が続けた。

「テナンが撃った弾丸はジャガーの額を撃ち抜いたそうです。ジャガーはその場に倒れ、人間になった、と・・・」

2024/02/26

第10部  粛清       10

  テオとケツァル少佐は喪服ではなく、地味なスーツ姿と簡素な制服姿だった。葬儀の正装ではない。親族でなく友人でもないから、軽い服装で故人を見送った。墓地までついて行ったが、埋葬には参加せずに離れた場所で見ていた。

「ロバートソン博士は、サバンが先に行方不明になって、彼を探しに行ったコロンも消息を絶ったと、貴方に言ったのですよね?」

と不意にケツァル少佐が囁いた。テオは墓穴に土を投げ入れる人々に気を取られていたので、彼女の言葉を聞き逃し、もう一度繰り返してくれと頼んだ。少佐は言葉を追加して言った。

「ロバートソン博士は、サバンが先に行方不明になって、彼を探しに行ったコロンも消息を絶ったと、貴方に言ったそうですが、あれほど憔悴する程サバンを想っていたなら、コロンが言い出す前に彼女がサバンを探す手配をした筈です。或いはコロンを想っていたなら、彼一人でサバン捜索をさせなかったでしょう。」
「彼女の憔悴は一度に仲間を2人酷い形で失ったからだろう?」
「そうでしょうか?」

 少佐はちょっと冷ややかな目でセルバ野生生物保護協会の人々を見た。

「博士以外の協会員達はショックを受けていますが、彼女ほど打ちのめされているように見えませんよ。」
「個人の心の中がどんな状態なのか、俺達にはわからないさ。」

 テオは少佐が何を考えているのだろうと気になったが、彼自身には些細なことに思えたので、その日の夕方にはすっかり忘れてしまった。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...