2024/05/22

第11部  紅い水晶     25

  フィデル・ケサダは純血のグラダ族の男で、恐らく現在生きている”ヴェルデ・シエロ”の中で最強のパワーを持っているのだが、それを微塵も感じさせない制御で、普通の人間のふりを続けている。同じ一族の者にも気取られないのだから、見事という他にない。
 彼は無表情なまま、駐車場に入って来て、ケツァル少佐の車のそばに来た。彼が口を開く前に、ファルゴ・デ・ムリリョ博士が声を掛けた。

「ケツァルから報告がある。恐らく”名を秘めた女”が危惧している物だ。」

 ケサダ教授は養父であり、舅であり、マスケゴ族の族長で一族の最長老の一人であるムリリョ博士に、右手を左胸に当てて無言で挨拶すると、少佐に向き直った。目と目を見つめ合わせ、一瞬で情報の伝達が行われた。博士が尋ねた。

「何だかわかるか?」
「ノ。」

 即答だった。

「呪術に使われた石であろうと推測は出来ますが、正体は分かりません。」

 ケサダ教授はムリリョ博士に顔を向けた。

「私の専門は交易で宗教や呪術ではありません。これは寧ろノエミの得意分野でしょう。」

 ノエミとは、宗教学部でセルバの民間信仰を研究しているノエミ・トロ・ウリベ教授のことだ。様々な民間信仰を扱っているが、呪い人形などの収集はかなりの数で、学生の中には「呪いの先生」と陰であだ名を付けている程だった。ただ、残念なことにウリベ教授は普通のアケチャ族、つまりセルバ共和国東半分全域に分布している普通の先住民の女性で、”ヴェルデ・シエロ”ではなかった。そして実際に”ヴェルデ・シエロ”がまだどこかに生き残っていると信じているが、本物と出会ったことがなかった。目の前にいる友人のケサダ教授や教え子の大統領警護隊文化保護担当部の隊員達が何者なのか知らないのだ。
 ムリリョ博士がぶっきらぼうに言った。

「彼女を巻き込む訳にはいかん。」

 つまり、自分達の正体を打ち明けるな、と言う意味だ。ケツァル少佐が提案した。

「私がウリベ教授に質問してみます。」
「”操心”は使うなよ。」

とムリリョ博士が釘を刺した。

「あの女は心を操れるとは思えん。固い意思の持ち主だからな。」


2024/05/20

第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。

「石か・・・」
「石の正体をご存知ですか?」

 少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。

「ノ。我々の先祖の物ではないのだろう。」

 少佐は駐車場の入り口を見たが、そこには誰もいなかった。

「ケサダ教授もお呼びしましたが、まだ来られませんね。授業中ですか?」
「あれは怒っているのだ。」

と博士が微かに皮肉っぽく笑った。

「自分の娘が危険のそばにいたのに、儂とカサンドラがその危険に気づけなかった、とな。」

 それでケサダ教授の今朝の愛想のなさの理由が判明した。

「教授なら、あの石の異常さに気がつけたのでしょうか?」

 少佐がちょっと意地悪な質問をすると、博士はまた皮肉っぽく笑った。

「無理だっただろうな。お前も技師の手から石が出て来るまでわからなかったのだろう?」

 少佐は認めた。

「石を見た後も、あれが禍々しい物だと言う感触はありませんでした。でも、ママコナは・・・」
「”名を秘めた女”はピラミッドの力で感じたのだ。彼女自身の能力ではない。」

 ケツァル少佐は”曙のピラミッド”が建つ方角を見た。

「ピラミッドに話が出来ると良いのですけどね・・・」
「はっ!」

と博士が声を発した。

「面白いことを言う女だ、お前は。しかし、その考えはあながち外れておらぬのだろう。ピラミッドの石達は、その砂漠の中にあった石が良くない物だとわかっているのだ。」
「あの紅い石は今迄眠っていたのですね?」
「恐らく技師の手に握られて目覚めたのだ。恐らく何らかの呪術に用いられたのだと思う。ラス・ラグナスが滅びる時に山に放置されたのだ。秘密を守るためか、あるいは人を守るためか・・・」

 その時、やっとケサダ教授が歩いて来るのが見えた。

第11部  紅い水晶     23

  ケツァル少佐はアンヘレス・シメネス・ケサダと別れて、グラダ大学へ向かった。シエスタの時間はとうに終わって午後の授業が始まっていた。車を駐車場に停めると、彼女はまずギャラガ少尉に電話をかけた。ギャラガはまだ救急隊員を捕まえていなかった。

ーー交通事故が発生して、トーレスを運んだ救急車も他の救急車と一緒にルート22に駆けつけているんです。トラック5台の事故で、怪我人が多数出ています。ちょっと隊員に声をかけられる状況じゃないですね。

とギャラガは少し弱音を吐いた。少佐はため息をついた。隊員が石を窃盗したかどうか、まだ確定していない。一刻も争う救命現場で疑いがあるだけの案件で邪魔をするのもどうかと思われた。

「わかりました。貴方はそのまま当該救急車を監視して下さい。隊員に余裕が出たと思えたらすぐに接触すること。”操心”を使っても構いません。」
ーー承知しました。

 次にロホに電話をかけた。ロホはトーレス邸に何も異常な物を発見出来なかったので、文化保護担当部のオフィスに戻るところだった。

ーー怪しいのは、あの石しかありません。私はオフィスを片付けてから、実家の父に石のことを訊いてみます。

 ロホの父はセルバ共和国でも権威ある祈祷師だ。 ”ヴェルデ・シエロ”社会だけでなく、普通の国家的行事に参加して神に祈りを捧げる仕事もしている。呪術や儀式の知識が豊富でその方面では生き字引の様な存在だった。少佐は「よろしく」と言って電話を切った。
 電話をポケットに入れてから、彼女は大きく深呼吸をして、それから”感応”で2人の考古学者に呼びかけた。大学の駐車場に来て欲しい、と。弟子の分際で師匠を呼びつけるのか、とムリリョ博士に叱られることを覚悟していた。最も博士が大学に出勤しているのかどうか知らなかったが。
 しかし、数分後、真っ先に駐車場の入り口に姿を現したのは、ファルゴ・デ・ムリリョ博士だった。少佐の車を見つけると真っ直ぐにやって来た。博士は、やはりあの技師のことを気にしているのだ。

2024/05/17

第11部  紅い水晶     22

  ケツァル少佐はトーレス邸の詳細な捜査をロホに命じ、自分はグラダ・シティの富裕層の子供達たちが通学する高校へ向かった。アンヘレス・シメネス・ケサダは彼女が校門の前に自家用車を停めた時に自転車を押しながら出て来るところだった。友人たちと喋りながら自転車に跨ろうとしたので、少佐は窓を開けて声をかけた。

「アンヘレス・ケサダ!」

 アンヘレスはビクッとして、声がした方を振り返った。普段、誰かに名前を呼ばれてもすぐに反応してはいけない、と親族の大人達から言い聞かされていたのだが、この声は彼女に従わなければならないと思わせる響きがあった。
 何となく見覚えのある顔の女性がベンツのS U Vから手招きしていた。アンヘレスは友人達に「また明日」と挨拶して、自転車を押したまま車に近づいた。ドアが開き、すらりと背が伸びた女性が降りて来た。迷彩柄のパンツを履いていたので、軍人だと少女は判断した。大統領警護隊だ、と思った。

「アンヘレス・ケサダです。何か御用でしょうか?」

 すると相手は緑色の徽章が入ったパスケースを出して、彼女にチラリと見せた。

「大統領警護隊の文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」

とケツァル少佐は名乗った。それでアンヘレスは彼女とどこで出会ったのか思い出した。文化保護担当部のオフィスに遺跡見学の許可申請に行ったのだった。少佐がすぐに要件に入った。

「先日ラス・ラグナス遺跡に行った時、一緒に出かけたロカ・エテルナ社の技師を覚えていますか?」
「スィ、出かける時は面白いお話とかして下さいましたから、良い人だな、と思ったのですが、2日目から体調を悪くしたのかあまり口を利かなくなって、伯母や祖父が心配していました。セニョール・トーレスがどうかしましたか?」
「貴女が覚えている彼の様子を教えてくれませんか?」

 それは”心話”を要求しているのだ。アンヘレスはまだ大人の様に情報をセイブするコツを完全にマスターした訳ではなかったが、旅行の間の同行者の行動を見せることは出来た。
 アンヘレスの記憶には、トーレス技師の異変の原因を突き止める手がかりはなかった。だから少佐は言った。

「貴女がホテルで感じた嫌な気持ちを再現出来ますか?」

 アンヘレスは戸惑った。あの時の感情をどうやって再現したら良いのだろう。彼女はホテルの部屋を思い起こしてみた。夢を思い出せる限り思い出そうと努力した。それが”心話”で相手に伝わるのかどうか、自信がなかった。
 ケツァル少佐がふーっと息を吐いた。

「私はママコナが誰かに送ったメッセージを読み取る能力がありません。あるいは、まだ習っていないのかも・・・」
「ママコナからのメッセージですって?!」

 アンヘレスは驚いて声を上げ、思わず口を抑えて周囲を見回した。幸い彼女達に注意を向けている人間はいないと思われた。いても大統領警護隊に関心を持っていると思われたくなくて、離れて見ているだけだ。
 少佐が囁いた。

「貴女がホテルで感じた嫌な感触は、ママコナが貴女に危険を知らせようと送られたメッセージです。でも幸い貴女も貴女のお祖父様と伯母様、学芸員の方は無事でした。」
「では、トーレスは・・・」
「彼は今体調を崩して病院にいます。」

 アンヘレスは不安になった。

「どうしてママコナは私にメッセージを送られたのでしょう? 祖父や伯母は何も感じなかったのです。あ、祖父は何だか落ち着かなかったみたいですが・・・」
「理由はお祖父様かお父様に聞いて下さい。」

 ケツァル少佐はアンヘレスに血統の真実を話せないことをもどかしく思った。しかし、これはケサダとムリリョの家の問題で、彼女は口を出せないのだ。

「兎に角・・・」

と少佐は言った。

「貴女はもう安全です。トーレスのことは伯母様に任せておきなさい。」

2024/05/13

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。

「ギャラガです。」
ーーケツァルです。今、どこですか?
「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」

 すると少佐はそんなことはどうでも良いと言う声音で尋ねた。

ーー救急隊員はまだそこにいますか?

 ギャラガは救急車の進入口を見た。既に空っぽだった。彼が患者の搬送に気を取られている間に、救急車は基地へ帰ったか、別の患者の元へ去ってしまったのだった。

「もういません。隊員に何か?」
ーートーレスが握っていた紅い石が紛失しました。廊下に落ちていたのは、サフラ少尉が放射線検知を行った時に見ました。それ以降誰も石を見ていないのです。

 あちゃーっとギャラガは心の中で叫んだ。救急隊員は職務には真面目だが、稀に、患者の持ち物をちょろまかす人間がいることも確かだった。

「紅い石ですか?」

 ギャラガはその石を見ていない。どんな赤なのか、どんな大きさなのか、どんな形なのか、知らなかった。少佐もそれを思い出したのだろう、説明してくれた。

ーー男性の手で握って隠せる大きさです。形は涙型、色は・・・新鮮な血が集まった様な色で、水晶に似た材質に思えました。

 ギャラガは”心話”が電話で使えないことを残念に思った。”ヴェルデ・シエロ”は距離が開いた場合にテレパシーによる情報交換を使えない種族だ。呼びかけは出来るが、画像や映像を送ることは出来ない。出来るのはママコナ様だけだ。

「その石が、今回の出来事に関係しているのでしょうか?」
ーーわかりません。でもトーレスの衰弱の原因がその石である可能性があります。
「わかりました。すぐにさっきの救急車を探します。」

 通話を終えたギャラガは近くを通りかかった病院スタッフに声をかけた。

「大統領警護隊だ。さっきここへ患者を運んで来た救急車は、どこに基地を持っている?」


2024/05/12

第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。

「貧血ですか?」
「そう見えますか?」
「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」
「彼は怪我をしていません。」
「そうですか、兎に角代用血液を注入します。」

 救急隊員達はストレッチャーの上にトーレスを移動させた。素早くバイタルチェックを行い、代用血液の点滴を始めた。ロホは液剤が緩やかにチューブに落ちて行く様を見た。トーレスは生きている。
 患者を救急車に乗せると言うので、ロホはストレッチャーを階段から下ろすのに手を貸した。ギャラガも走って来て手伝った。
 ケツァル少佐は家の中が薄暗くなっていることに気がついた。時刻はまだ午後3時になっていなかった。空が曇っているのだ。
 ストレッチャーが階下へ辿り着いた時、窓の外で稲妻が光り、突然滝のように雨が降り出した。セルバではスコールがよく来るので珍しくないが、この時はまだ季節的にそんなに多くない時期だった。開放されたままの玄関から雨が降り込んで来た。

「面倒だな。」

と救急隊員の一人が呟いた。患者を雨で濡らしてしまうのだ。しかし雨が止むの待って患者の治療を手遅れにしてしまう訳にいかない。点滴のパックを手にしていた隊員が近くにいたギャラガに声を掛けた。

「2階からシーツを取ってきます。それまでこれを持っていて下さい。」

 ギャラガに点滴パックを押し付けると、彼は階段を駆け上がった。ケツァル少佐は、彼女に頼めば良いのに、と思いつつ、廊下の突き当たりの窓から見える空を見ていた。真っ黒な雲の向こうの端が白く見え、スコールは10分もすれば小降りになるだろうと思われた。
 トーレスの寝室からシーツを掴んで救急隊員が走り出して来た。彼はシーツの端を踏んだのか、一瞬足を止め、ちょっと屈んだがすぐに体勢を整え、階段を駆け下りた。
 トーレスの体にシーツを掛けると、救急隊員達は門の外に停まっている救急車に向かって走った。一緒に走ったギャラガが搬送先となる病院の名を尋ね、ロホが彼に救急車に同乗して行って来いと命じた。救急隊員は大統領警護隊が同乗することに一切文句を言わず、トーレスとギャラガを乗せると扉を閉じて走り去った。
 慌ただしく去っていく救急車の音を聞きながら、ケツァル少佐は電話を出し、カサンドラ・シメネスに掛けた。ディエゴ・トーレスを保護して病院に搬送させたことを告げてから、彼女はふと廊下に視線をやった。そしてギクリとなった。

 紅い石がない!


2024/05/10

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器を手にしていた。
 救急車の乗務員を門前で足止めしていたギャラガ少尉が2人に「2階だ」と告げた。リベロ少尉とサフラ少尉は彼に軽く敬礼して、家の中に入った。階段の下に来ると、階上からロホが声を掛けてきた。

「計測器を持つ者だけ上がって来い。もう一人はその場で待機。」

 サフラ少尉が一人で階段を上がった。そして倒れている男とそばに立っているケツァル少佐を見た。少佐に彼女が敬礼すると、少佐が頷き、

「放射線の有無を調べるだけだ。確認を取ったらすぐに下へ降りて待って欲しい。」

と言った。サフラ少尉は、少佐は部下達を放射線に曝したくないのだな、と理解した。電源を得てから、彼女は計測を開始した。しかし計器は電力を得てから一回「ポンッ」と音を立てただけだった。少尉が説明した。

「自然界にある放射線を感知しただけです。」

 ケツァル少佐が頷いた。サフラ少尉はトーレス技師の体を、頭から爪先まで端子で走査してみたが、計器は2、3回小さく音を立てただけだった。トーレスから放射線が出ている訳ではない。次に床に転がっている紅い石に端子を向けたが、やはり音はしなかった。
 ロホが彼女をトーレスの寝室に誘導し、トーレスが旅に持って行ったと思われる品々を測ってもらった。しかし放射線は検出されなかった。
 
「グラシャス。」

と少佐がサフラ少尉に言った。

「放射能の心配はありません。あなた方には無駄足を踏ませましたが、安全を確認するのに必要だったと理解して欲しい。」
「グラシャス、少佐。」

 サフラ少尉は敬礼した。

「では、本部に帰投します。」
「グラシャス、セプルベダ少佐によろしく。」

 ロホが彼女に伝言を頼んだ。

「救急隊にここへ来てくれるよう、伝えて欲しい。」
「承知しました!」

 サフラ少尉が軽々と階段を降りて行った。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...