2024/06/06

第11部  石の名は     5

 「ところで、故買屋が警察にしょっ引かれた理由は何だ?」

 アスルが尋ねた。ギャラガは簡潔に答えた。

「最近東西サン・ペドロ通りで頻発していた空き巣が盗んだ宝石類をその男が所持していたのだそうです。」
「そいつが泥棒って訳じゃないんだな?」
「そうです。だから普通は逮捕される理由ではないのですが、内務大臣の奥方のネックレスを持っていたのが良くなかったみたいで・・・」

 大統領警護隊達は苦笑した。セルバ共和国では、窃盗は犯罪だが、盗まれた物を泥棒から買い取るのは罪と見做されない。ただ没収されることはありうる。泥棒に金を払い、物を没収されるのだ。官憲に没収する権利がない国も多いので、セルバ共和国は被害者に少しだけ親切だ。国によっては、買い取った人間の連絡先を被害者に伝えて、被害者が買い戻す交渉をしなければならないこともある。今回の故買屋は、警察機構を統率する内務大臣の妻の宝石を買い取ってしまったので、大臣に胡麻を擦りたい警察幹部の指示で逮捕された。釈放されたければ、無料で宝石を返さねばならない。

「その故買屋が謎の紅い石を救急隊員から買い取ったのなら、まだ石は故買屋の店か家にあるのね。」

とデネロスが言った。宝石に興味はないが、血を吸う石は見てみたい、そんな好奇心が彼女の中でムラムラと湧き起こっていることを、テオは感じた。

「君は君の任務に専念した方が良いよ、マハルダ、石の正体がわかるまで、関わる人間は少ない方が良いと思う。」

 彼がそう言うと、彼女はプーっと膨れた。

「わかっていますよ! 守るべき遺跡と発掘隊を見捨てる私ではありません!」

 上官達が笑った。アスルも護衛任務の最中だ。彼も石の追跡劇に関わるつもりはないのだ。だが面白い話は聞いて損しない。

「それで? 大尉は身内の爺様から何か聞いて来たんですか?」

とロホに話を降った。

2024/06/05

第11部  石の名は     4

  文化・教育省の4階の大統領警護隊文化保護担当部には「エステベス大佐」と書かれたプレートが付いたドアが一番奥にあり、その中で大統領警護隊達は会議を開く。実際には長机と椅子があるだけの小さな部屋で、モニターもホワイトボードも何もない。
 テオがそこに入ることは滅多にないのだが、その日はデネロスに案内される形で入った。

「遺跡から帰ったのかい?」

と訊くと、「報告の日です」と答えが返ってきた。中間報告をして、必要な物資を調達してまた遺跡に戻るのだ。アスルは近郊の遺跡に毎日通っている形だから、今日はスケジュールをちょっと変更しただけなのだろう。
 ロホとギャラガの昨日の任務は既に”心話”で隊員達は共有していた。だからテオが座るなり、少佐が言葉で簡単に説明した。

「アンドレは紅い石を拾ったと思われた救急隊員を追跡しました。そして彼を見つけたのですが、既に故買屋に売却された後でした。その故買屋はアンドレが居場所を突き止めた時、別件で警察に捕まっていました。アンドレは故買屋の持ち物を探りましたが、石の発見に至っていません。」
「今日はもう一度故買屋の家に行ってみます。」

とギャラガが追加した。

「その救急隊員と故買屋に石は悪さをしなかったのか?」

とテオが尋ねると、ギャラガは首を傾げた。

「2人共元気です。ただ、救急隊員が妙なことを言いました。」

 それは初耳だったらしく、全員が彼に注目した。ギャラガはいった。

「あの男は、紅い石を持っていると、妙に気持ちが良くなった、と言ったのです。」
「気持ちが良くなった?」

とアスル。 想像がつかないので、眉間に皺を寄せて見せた。ギャラガは肩をすくめた。

「”ティアラ”相手に気持ちを感じ取ることは、私には無理なので、どんな気分だったのかわかりません。ただ、その救急隊員は、頭がぼーっとする感じがして、何かおかしいと感じたそうです。恐らく、本能的に危険を感じ取ったのだと思います。」
「勘が鋭い男か、あるいは遠い祖先に一族の血が流れていたのかもな・・・」
「しかし、その頭がぼーっとする感じの原因が、紅い石にあると、その男は判断したのか?」
「あの男はディエゴ・トーレスが極度の貧血状態で倒れているのを実際に見ています。救急隊員ですから、貧血の症状はそれなりにわかったのでしょう。彼は迷信を信じていませんが、石が何か悪い物だと言う感じがしたので、さっさと金に変えようと、知り合いに教わって故買屋へ持って行ったのです。」

 手に持つだけで吸血する石? テオは背筋が寒くなるのを感じた。

第11部  石の名は     3

 人間の生気を吸い取って殺してしまう石像がある。アーバル・スァットと呼ばれるそれは、ネズミに見えたが、実際は古代に作られたジャガー神なのだそうだ。だが生気を吸い取る神様は、物理的に人間の体を弱らせたりしない。血液を吸い取ったりしない。
 テオはそのあたりの神様の祟りの仕組みをよく理解出来ないが、今回の紅い石がアーバル・スァットとは異質の物であると、大統領警護隊文化保護担当部が考えていることはわかった。 
 職場へ向かう車中、ケツァル少佐はたった10分のドライブ中眠っていた。まだ疲れているのだろう。そして眠れる時はできるだけ眠ってしまう軍隊のスキルなのだろう。
 文化・教育省の職員用駐車場に入ると、既にロホとギャラガが来ており、車外で立ち話していた。アスルもいたし、デネロスもいたので、テオはそれだけ話は深刻なのか、と不安になった。車を停めると、彼等が近寄って来た。テオは少佐を下ろしたらすぐ大学へ向かうつもりだったので、車は通路に止めたままだ。

「ブエノス・ディアス!」

と部下達が挨拶して、少佐が目を開けた。

「ブエノス・ディアス。」

 彼女が伸びをしてから、車外に出た。そしてテオに「グラシャス」と言ったので、テオはドアを彼女が閉めるのを待った。しかし彼女はいった。

「私のスペースに車を置いて、オフィスに来て下さい。」

 そして彼の返事を待たずに部下達と共にビルの入り口に向かって歩き去った。
 テオは時計を見て、まだ授業まで2時間あると判断し、言われた通りにした。職員用駐車場は特に誰の場所と書いたものはなかったが、自然に定位置が決まっているのだ。テオは少佐のベンツがいつも停まっている場所に車を入れて、車外に出た。

2024/06/04

第11部  石の名は     2

 「そうだろうな、吸血する石なんて聞いたこともない。」

 テオは肉入りサラダをモリモリ食べる恋人を眺めながら、自分の携帯を出した。その日のスケジュールを確認した。

「まだ疲れが残っているなら、運転は止めろよ。俺が送って行ってやる。」

 断られるかと思いきや、ケツァル少佐は同意した。

「グラシャス、帰りは貴方の帰宅に合わせるよう努力します。部下達も昨日は歩き回った筈ですから。」
「アンドレは救急隊員を探して走り回っただろうな。ロホはどうなんだい?」
「彼は石を使った呪いが存在するのか、実家の年寄りに訊いてみると言ってました。彼の家の年長者達は結構忙しい人達ですから、家族と雖も簡単に面会出来る訳ではないのです。」

 ロホの実家がブーカ族の旧家、白人の世界で言えば貴族に当たる家系であることは、テオも何度か他の”ヴェルデ・シエロ”達から聞かされていた。宗教的儀式を執り行ったり、一族の人々の相談事に乗ってやったりして尊敬を集めている。古代から政治の方向を決める重要な役割を担ってきた家系だから、現代でも”ヴェルデ・シエロ”達は頼るし、普通の人間”ティエラ”の政治家達も彼等の正体に薄々気づいているのか、相談や頼み事をしに来ると言う。
 ロホはそんな家庭の子供だが、6人兄弟の上から4番目で、後継者として見做されていない。だから自由に生きている。自由だが、秘儀とも言える大切な儀式に関する重要な知識は教えられていない。それ故、どうしても自分が持っている知識では足りないと感じると、親や長兄に頼らなければならない。そして親も長兄も、四男の求めになんでも応じてくれる訳でもない。教えられないことは教えてくれないし、場合によっては「そんなことは”ティエラ”の問題だから、お前は気にしなくて良い」と突き放されることもあるのだ。

「呪いのプロはウリベ教授だったろ? 彼女に訊いてみたのか?」
「スィ。それとなく、石を使った呪いが伝わっている部族はありませんか、と訊いてみました。石を道具として使う儀式はあるそうですが、石そのものに呪いの力を与えることはない、と教授は言ってました。」
「多分、不可能なんだろう、普通は・・・」

 テオはコーヒーにクリームを入れた。

「その石が宇宙生命体だった場合は、吸血するかも知れないな。」
「地球外生命体ですか?」

 少佐がちょっと小馬鹿にした様に笑った。

「セルバに隕石が落ちた話がないか、訊いてみましょうか?」

2024/06/01

第11部  石の名は     1

  テオドール・アルストが目を覚まして、朝食を作るために彼のパートナーの区画へ行くと、リビングのソファの上で彼女が眠っていた。遅くに帰ったのだろう、着替えもしないで、靴だけ脱いでクッションの上に半分俯せになっていた。床にバッグと靴が放り出されたままだ。彼女が無防備で眠る姿を見せてくれると、テオは信頼されていることを感じ、嬉しくなる。本人はきっとクタクタなのだろうけど。
 テオはキッチンに入り、朝食の支度をした。昨夜は半分以上夕食が残ってしまったので、家政婦のカーラが気を利かせて残り物を少しアレンジして朝食用に作り直してくれていた。それで彼はお菜を皿に盛り付け、パンを切ってテーブルの上に並べた。そしてコーヒーを淹れた。
 コーヒーマシンの豆を砕く音に、ケツァル少佐が目を開いた。頭をもたげ、自分の家にいることを確認してから、彼女は起き上がり、バスルームに入った。
 テオは彼女が素っ裸で廊下を通って寝室へ着替えをしに行くのを、気づかぬふりをして、湯気の立つコーヒーをカップに注ぎ込んだ。朝のコーヒーはミルクをたっぷり入れる。昼間はブラックしか飲まない少佐の習慣だ。ミルクは少しだけ温めておいた。
 猫舌の少佐が服を着て食堂に入ってくると、コーヒーが程よい温度に冷めていた。

「ブエノス・ディアス。 昨夜は遅かったんだね。」

 テオが挨拶すると、彼女はまだ眠たそうに「ブエノス・ディアス」と返した。

「こそ泥を働いた救急隊員を探すのに手間取りました。」

と彼女は言った。そして彼が話を聞きたがっていることを見越して、簡単に説明した。

「ムリリョ博士達と一緒にラス・ラグナス遺跡に行ったカサンドラ・シメネスの部下が、遺跡近くの山で石を拾ったのです。その石の正体が何なのか、まだ不明ですが、その部下は石のために命の危険に曝されました。ロホと私は彼の家で彼を救助しました。その時、彼は石を握っていたのです。石の危険性にその時誰も気が付かず、石は床の上に落ちて放置されました。彼を運んだ救急隊員がその石を拾ったとしか思えないのですが、兎に角、私達が思い出した時、既に石は姿を消していました。アンドレが救急車を追跡しましたが、件の救急隊員は仕事を終えると姿を消してしまい、まだ見つかっていません。」
「すると・・・」

 テオは考えた。

「今度はその救急隊員が危険に曝されているってことか?」
「その可能性があります。或いは、彼はその石を誰かに売ってしまい、その買取主が危険に曝されている可能性もあります。」

 そこまで語ると、少佐は猛然と朝食に取り組んだ。テオはまだ考えていた。

「その石は、ネズミの神様みたいに人間の生気を吸い取るのか? それとも人に乗り移る悪霊みたいなものか? 」
「わかりません。」

 少佐は食べ物をオレンジジュースで流し込んだ。

「トーレスは・・・サンドラの部下ですが・・・全身の血を抜かれたみたいな状態になっていました。輸血でなんとか助かったとサンドラから昨晩連絡がありました。」
「輸血? その石は血を吸うのか?」
「血のような色をしていますが、人間の血を溜め込める大きさではなかったです。」


2024/05/28

第11部  紅い水晶     27

  夕刻、定時で役所が閉まる10分前に大統領警護隊文化保護担当部の隊員達はオフィスに戻った。
 椅子に座るなり、ケツァル少佐が命じた。

「報告!」

 最初にロホが片手を挙げ、言った。

「トーレスの家の中を捜索しましたが、怪しい品は何も出ませんでした。」

 これだけ聞いたら、隣の文化財遺跡担当課の職員達は、盗掘品の捜査だと思うだろう。ロホは上官の目を見て、”心話”で追加した。

ーー今夜に父に会って訊いてみます。

 少佐は頷き、次にギャラガ少尉を見た。ギャラガは肩をすくめた。

「例の救急隊員は臨時雇用のパートで、交通事故の怪我人を搬送した後、車を降りて姿を消しました。今夜、彼が盗品を持ち込みそうな故買屋を探してみます。」

 そして彼も”心話”で追加した。

ーー彼の同僚達は石を持っていませんでした。彼が救急隊に提出した住所はスラム街のもので、確実ではないので、そこも捜索します。
ーーご苦労。スラムは私が探してみます。貴方は故買屋をお願い。
ーー承知しました。

 アスルとデネロス少尉は遺跡に出ているので不在だ。少佐は業務終了を宣言して、彼等は解散した。
 階段を降りながら、少佐はパートナーのテオにメールを送った。

ーー厄介な仕事が発生したので、今夜は帰れません。

 車に乗り込む頃にテオからメールが返信された。

ーーわかった。カーラに残りの飯を持って帰らせて良いか?
ーーO K!

 まだ本当に禍々しい物なのか否か不明の石を探して、大統領警護隊文化保護担当部は夜のグラダ・シティへ散った。


2024/05/23

第11部  紅い水晶     26

 宗教学部に向かって歩き出したケツァル少佐は、背後でファルゴ・デ・ムリリョ博士とフィデル・ケサダ教授がなにやら静かに、しかし明らかに口論を始めたことを背中で感じ取ったが、介入せずに足を進めた。恐らく教授は博士がアンヘレスの近くに危険な禍々しい石があったことを見逃したと抗議しているのだ。博士は何も感じ取れなかったと言い訳しているのだ。ケツァル少佐でさえ実物を目の当たりにするまで、そんな石をトーレス技師が握っていたなんて知らなかった。

 あの石は何なのだ?

 セルバの歴史に名を残すことなく消え去ったラス・ラグナス遺跡に関する物であれば、どこで手がかりを求めれば良いのだろう。ノエミ・トロ・ウリベ教授が石に関する知識を持っているとも思えなかった。それに彼女になんと説明すれば良いのだろう。トーレスの身に実際に何が起こったのかさえまだわからないのに。
 ウリベ教授は研究室の中で学生2人と人形の整理をしていた。呪術に使用される人形で、実際に使われた物ではなく、未使用の物だ。殆どが木製か布製で、顔、手足、胴体だけの簡単な物だ。人形に呪う相手の持ち物や身体の一部、髪の毛や血がついた布などを取り付けて、針を刺したり、斧で叩き割ったり、火に焚べたりして、相手の不幸を願う。そんな類の不吉な人形ばかりだ。尤も一般人が使っても効果がない。然るべき修行をした呪術師が使ってこそ効果が顕れるのだ・・・と教授は学生達に常日頃説明していた。 

「オラ!」

とドアを半開きのドアをノックして、ケツァル少佐は声をかけてみた。ウリベ教授は開けっ広げな性格で、研究室のドアも開けっ広げが多い。誰でも興味があれば入って来いと言う訳だ。「呪いの先生」は部屋に篭って誰かを呪っているのではないよ、と言いたいのだろう。

「オラ! シータ!」

 教授が床から立ち上がったので、少佐は身構えた。そして予想した通りに、ふくよかな体格の教授に満身の力を込めてハグされた。息苦しさに耐えて、解放されると、彼女は突然の訪問を詫びた。

「授業のお邪魔をしてしまいました。」
「構わないわ。そろそろ休憩してお茶に行くつもりだったのよ。」

 教授が合図すると、学生達が人形を部屋の真ん中に置かれた段ボール箱の中に放り込んだ。呪い人形の割に扱いがぞんざいだ。教授が少佐を見た。

「貴女も一緒にどう?」
「では、ご一緒します。」

 どうせ真実は話せないのだ。少佐は教授と学生達と一緒に遅いお茶を飲むためにカフェに向かった。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...