2025/01/16

第11部  内乱        3

 男性の姿が小さな部屋の反対側の壁際に立っていた。神官だ。大昔の壁画の様な裸に装飾品を付けた姿ではなく、白いざっくりしたチュニックに褐色のズボンをはいた服装で、神官であることを示す幅広のネックレスを首から掛けていた。彼はケツァル少佐を認めると声を掛けてきた。

「結界を破ったのは君か?」
「スィ。」

 少佐は相手が発する微かな気を読み取った。

「貴方が結界を張られたのですね?」

 その質問には答えず、彼は少佐の後ろを目を細めて見た。

「女達がきている様だが、ここは女人禁制だ。」
「現代的ではありませんね。」

 少佐は階段から離れ、前に数歩進んだ。

「神官達が神殿に集まり、次期大神官代理の選出方法を話し合われていると推測しますが、結界を張る必要があるのでしょうか。それも神殿の外に。」

 キロス中尉が少佐の横に来た。

「我々を遠ざける理由をお聞かせください、 カエンシット様。」
「中尉・・・」

 神官が溜め息をついた。

「君達を遠ざけたのではない、同僚を外に出さないようにしたのだ。」
 

2025/01/15

第11部  内乱        2

 「普段、私達近衛兵は神殿横の集会所と呼ばれる場所で待機しています。」

とキロス中尉が囁いた。

「神殿内部には女性が入ることは禁止されているのです。」
「旧態依然の問題ですね。」

 ケツァル少佐はあっさりと言い切り、神殿の中に足を踏み入れた。石の暗い通路が伸びていた。照明はない。 ”ヴェルデ・シエロ”には必要ないからだ。床は少し埃が溜まっていた。普段人が来ない神殿だから、掃除が行き届いていない。近衛兵も神官も掃除などしないのだ。その埃の中に数人の人間が歩いた跡が残っていた。入った跡はあるが出て行った跡はない。神官達は中に籠ったきりなのだろう。食事や排泄はどうしているのだろう、とデネロス少尉は素朴に疑問を抱いた。神官がエダの神殿に篭って何日経っているのだ? 神殿の周囲に結界を張った人間がいるのだから、力は保持しているだろう。備蓄食糧でもあるのか? それとも近衛兵に見つからないよう出入りする通路でもあるのだろうか。
 10メートルも行かないうちに通路は階段になった。地下へ降りるようだ。キロス中尉が後ろを振り返り、ナカイ少尉を指差した。 ”心話”で命令したようで、ナカイは敬礼すると足を止めたまま、そこに残った。見張りだ。もし仲間が戻らなければ、本部へ連絡する役目も与えられたのだろう。
 ケツァル少佐は中尉に頷き、彼女の判断を承認した。
 彼女達はさらに足を進め、階段を下って行った。デネロス少尉は微かに蝋燭が燃える匂いを嗅ぎ取った。珍しく照明を用いている部屋があるようだ。階段の途中の壁にニッチの様な棚があり、そこに蝋燭が1本点されていた。マリア・アクサ少尉が殆ど音にならない声でデネロスに教えてくれた。

「酸素があることを確認している。」

 デネロスは理解した、と頷いた。
 ケツァル少佐が階段の最後の段を降りて足を止めた。前を向いたままで手を後ろに突き出し、「待て」と合図した。近衛兵とデネロスは階段の中途で立ち止まった。
 

2025/01/12

第11部  内乱        1

  ケツァル少佐は空中に右手を差し出した。彼女の目には微かにシルクのカーテンのようなものが見えていた。そのカーテンは彼女の指先が触れると、そこからパッと円形に穴が開いてその口がスッと広がって行った。少佐の後ろに控えていたマハルダ・デネロス少尉とキロス中尉、その部下5人には見えなかったが、彼女達を神殿から遠ざけていた力がスッと後退して行くのが感じられた。

ーー結界が破られた!

 ”ヴェルデ・シエロ”にとって、他人の結界を破ることが出来るのは、結界を張った人間が己より下位の力しか持たない部族である場合だ。一般にブーカ族が現存する一族の中で最も強く、それにサスコシ族とオクターリャ族が続くと言われているが、その力の差はさほど大きくなく、修行を積んだ者なら部族間の差は殆どない。互いの結界を破れないことはないが、実行する時は己の脳への損傷を覚悟しなければならない。下位の能力者であるマスケゴ族、カイナ族とグワマナ族は上位能力者の結界を破れない。見えない壁の様なものにぶつかって先へ進むことが出来ない。脳の損傷以前の問題で物理的に無理なのだ。
 ケツァル少佐は「最強」と呼ばれるグラダ族最後の純血種と言われている。その力を、神殿近衛兵達は目の前で見せつけられたのだ。
 少佐にとっては、他人の結界を破ることはなんでもないことだった。張った人間は修行を積んだ神官だが、サスコシ族とカイナ族の神官だ。彼女にとっては「なんてことない」能力者達だった。

ーーもし、これがカルロやアンドレが張った結界なら、ちょっと難しいだろう・・・

と彼女は心の中で呟いた。弟のカルロ・ステファンは結界を張るのが苦手だし、アンドレ・ギャラガは他部族他人種の血が混ざっているが、グラダ族の力をしっかり持っている。彼等が本気で結界を張れば、彼女も少し覚悟が必要だったろう。脳への損傷を避けられても、エネルギーの消耗が大きくなった筈だ。ましてや、純血種のフィデル・ケサダなら、マスケゴ族として育てられていても結界は強力だ。実際にギャラガが彼の結界の強大さを証言していた。長時間にわたって動く大型バスを結界で包んで移動したと言うのだから、まともにぶつかれば、グラダ族同士でも被害を受けかねない。
 少佐は後ろの女性達を振り返った。

「私の後ろについて来なさい。遅れない様に。敵がすぐに閉じてしまう恐れがあります。」

 中にいる神官達を「敵」と表現した。神殿近衛兵達は槍を持つ手に力を入れ、足を踏み出した。


2025/01/11

第11部  太古の血族       32

 「対立の内容を貴方は知っているのか、マリア?」

とキロス中尉が尋ねた。マリア・アクサ中尉は神殿をチラリと見てから、上官に向き直った。

「噂話ですが、報告してよろしいでしょうか?」

中尉がケツァル少佐を見たので、少佐が「良い」と答えた。それで、マリア・アクサ中尉は「女官から聞いた話です。」と断りを入れてから語った。

「神官の間で、後継者の決め方を変えようと言う意見が出ているそうです。今までは神官に欠員が出た場合に、神殿が一族の中で修行を始めるのに適した年齢の子供を探し出し、親を説得して・・・こんな言い方は失礼でしょうが、殆ど誘拐同然に・・・神殿に連れて来て教育していました。しかし世代を重ねるごとに一族の人口は減少しています。純血種が減っていると言った方が正しいでしょう。ですから、これからは能力が高ければ混血の子供でも良いのではないか、と言う意見が出ました。」
「混血では”名を秘めた女の人”の声が聞こえない!」

と口を挟んだのはカタリナ・アクサの方だ。しかしキロス中尉に「黙れ」と注意されて、口を閉じた。マリアは中尉から目で促され、話を続けた。

「カタリナが言った理由で反対する神官が多かったのですが、その反対者の中でもさらに意見が割れました。新しい神官は現在いる神官の子供から選べばどうか、と言う意見です。」

 すると今度は副官のトーコ少尉が目を丸くして抗議した。

「それでは世襲になる。世襲は古代から禁止されている筈だ!」
「マリアに抗議してどうなる?」

とキロス中尉が彼女を宥めた。ケツァル少佐がまとめようとした。

「つまり、今、エダの神殿の中では、混血の神官でも良いと言う者と、神官を世襲制度にしようと言う者と、それに反対する者がいると言うことですか。」

 マリア・アクサ少尉が「スィ」と答えた。するとデネロス少尉が首を傾げた。

「そうなると、グラダを祖先に持つ子供を探せと言う者は、混血の神官にも世襲にも反対の人の中にいる訳ですか?」
「神官達それぞれの思惑があって意見がバラバラなのでしょう。」

とキロス中尉が苦々しげに神殿を見た。

「いずれにせよ、長老会を無視して神官だけで制度を変えると言うのはとんでもないことです。」
「だから貴女達を締め出しているのです。」

 ケツァル少佐は神殿を睨んだ。

「私が結界を破って中に入ると不敬罪になるのでしょうね。」
「長老会を無視する方が不敬罪です。」

 キロス中尉も部下達も怒っていた。少佐はちょっと考えてから、仲間を振り返った。

「ご存知かと思いますが、私は罪人の子供として生まれました。親は二人共反逆者と呼ばれました。ですから、私が不敬を成しても、やはりあの男女の子供だ、と思われるだけでしょう。貴女達は私を捕まえようと追いかけて神殿に戻った、そう言うことにしませんか?」

 彼女の提案にびっくりしている神殿近衛兵達を横目で見て、それからデネロスが笑った。

「流石、我等が文化保護担当部の指揮官殿です!」


2025/01/10

第11部  太古の血族       31

  ケツァル少佐が「対立」と言う言葉を口に出すと、神殿近衛兵達がサッと緊張するのがデネロス少尉にはわかった。近衛兵達も神殿内の不穏な雰囲気を気にしていたのだ。

「何か情報を得て来られたのですね?」

とキロス中尉が用心深く尋ねた。デネロスは黙して上官に一任した。少佐が近衛兵達を見回した。

「大神官代理ロアン・マレンカ殿はお体の具合が良くないと聞いています。」

 反応がなかった。彼女達は知っていたのだ。少佐は続けた。

「ある隊員が、大神官代理候補となり得る男の子供を探し出すよう命令を受けました。」

 これには、反応があった。数人が互いの顔を見合わせ、キロス中尉も表情を強ばらせた。

「それは、マレンカ様が危ないと言う意味ですね?」

 遠回しではなく、ズバリと訊いてきた。少佐は頷いた。

「スィ。私はどの様なご病気なのか、聞いていませんが、神殿で療養なさっておられないのでしたら、ご実家に下がられたか、どこかの医療施設に入られたのだと思います。」

 キロス中尉は部下達を見てから、少佐に視線を戻した。

「一月前、神殿から御用車が出ました。普通の乗用車で、神官の何方かが私用で使われたのだと思っていましたが、恐らくそれに大神官代理様が乗っておられたのでしょう。と言うのも、それ以降、我々は大神官代理のお姿をお見かけしなくなったからです。」
「しかし、何故少佐が大神官代理の交代に口出しされるのですか?」

と尋ねたのは、セデス少尉と紹介された兵士だった。少佐は隠さずに言った。

「子供を探す命を受けた隊員はある条件を与えられています。祖先にグラダの血を受け継ぐ者、と言う条件です。」

 ザワッと声が聞こえた、とデネロスは感じた。実際は誰も声を発していなかったが、全員がちょっと驚いたのだ。

「神官に選ばれる子供は、親の承諾の下、純血種で能力の強い健康な子供、と定められていますが、部族の特定はありません。しかも先祖にグラダがいるなんて・・・」

 キロス中尉が少し困惑していた。

「どうやって調べるのです?」
「それは私も知りません。」

 少佐はさらに言った。

「私がここに来た理由は、その条件が神官全員の意見なのかどうかお聞きしたいと思っているからです。」

 ああ・・・とマリア・アクサ少尉が囁く様に発言した。

「だから、神殿内で対立が起きているのですね?」

2025/01/06

第11部  太古の血族       30

  彼等は数百メートル神殿に向かって進んだ。そして、デネロス少尉が前方に複数の人間の気配を察知した時、キロス中尉が言った。

「我々神殿近衛兵のキャンプです。」

 キャンプ? 言葉に疑問を感じて少尉はケツァル少佐を見た。少佐も不愉快そうな表情をした。

「貴方方は神殿に入らないのですか?」

 中尉が小声で答えた。

「入れないのです。」

 彼女が手で前進を促し、3人は開けた場所に出た。木の枝でカムフラージュされたテントが3基設営されており、4人の女性兵士がいた。4人共キロス中尉同様短槍を持っており、テントから出て来た5人目だけがアサルトライフルを持っていた。キロス中尉が訪問者を紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐とデネロス少尉だ。」

 そして訪問者に仲間を紹介した。

「私の部下達です。」

 つまり全員少尉だ。デネロスは奇異な印象を抱いた。

「全員女性ですね?」
「スィ。今回ここに来る任務を賜ったのは女だけです。」

 銃を持った兵士がキロス中尉のそばに来たので、キロス中尉が紹介した。

「私の副官のトーコ少尉です。残りは、アクサ、もう一人もアクサ、ナカイ、セデス、全員少尉です。アクサはマリアとカタリナ、名前で呼び分けています。」

 全員がブーカ族だ、とデネロスは思った。それも純血種だ。姓が同じなのは仕方がない。一族の人口自体が少ないのだし、家族の単位数も少ない。多分、全員がどこかの時代で親戚なのだ。
 ケツァル少佐が質問した。

「神殿に入れないとは、どう言う理由からですか?」
「わかりません。」

 中尉が腹立たしげに神殿の建物を見た。

「神官達が結界を張っているのです。」

 少佐がグラダ族の目で空中を眺めた。

「3、4人の共同作業の様ですね。一人の神官で神殿全体を覆うのは無理です。グラダでない限り。」

 彼女は微かに微笑んだ。

「私には破れますよ。結界を張っているのはブーカではない、サスコシとカイナです。どうやら、神殿の中で神官同士対立している様です。」


2025/01/01

第11部  太古の血族       29

  ケツァル少佐は直ぐに答えずに、神殿の建物の方を見た。

「神官達がこちらに集まっておられますね?」
「スィ。」
「でも大神官代理は居られない。」

 エダ神殿を守る神殿近衛隊のキロス中尉は無言で少佐を見つめた。

「重要な会議が開かれるのに大神官代理がいらっしゃらないのは、不思議ですね。」
「少佐・・・」

 キロス中尉が硬い表情で言った。

「我々は神官と会議に関する会話はしません。」
「そうでしょう、警護と議事内容は関係ありませんから。」

 少佐は中尉に視線を向けた。

「でも、おかしいと思われませんか? 大神官代理抜きで会議をなさるなど。」
「それは・・・」

 キロス中尉は少し困惑して、デネロス少尉をちらりと見た。

「こちらで会議をなさるなど、滅多にないことですし、ここで会議を開かれる場合は・・・」

 彼女が言い淀んだので、デネロスが口を挟んだ。

「この神殿で会議をなさるのは、神官が入れ替わる時ですよね?」

 上官同士の会話に口を挟んだので、キロス中尉がデネロス少尉を睨みつけたが、ケツァル少佐は無視した。

「大神官代理が来られず、会議を開くと言うことは、大神官代理が交代されると言うことですね?」
「私にはなんとも・・・」

 キロス中尉は困ってしまった様だ。そして改めて質問して来た。

「少佐は何が目的でこちらへ来られたのですか?」

 ケツァル少佐は今ではすっかり大統領警護隊文化保護担当部で出した推論の正さを確信した。

「大神官代理がご病気で引退されることを確かめに来ました。」

 キロス中尉はまた硬い表情に戻り、神殿を見た。そして囁いた。

「神殿から不穏な気が発せられています。私達近衛兵はそのために不安定な思いを感じています。」


第11部  神殿        10

  最長老と呼ばれるからには、彼女は高齢の筈だ。しかし長身のその仮面の女性は大股で素早く歩き、テオは遅れないようについて行く努力をしなければならなかった。石造の廊下は松明が灯っていたが、足元は滑らかで、滑らずに歩けるよう、微かな波状の処置がされている石畳だった。5分ほど歩き、彼ら...