2024/07/31

第11部  石の目的      15

  ケツァル少佐がテオの電話に迎えを求めて来たのは1時間後だった。ウイノカ・マレンカは既に自転車で走り去っており、テオは車内でウトウトしかけていた。電話で目が覚めると、大きく伸びをして、鞄の中の小瓶の存在を確認してから、大統領警護隊本部の通用門前へ行った。少佐は既に門の外で待っていて、車が停まると素早く助手席に乗り込んで来た。

「早く帰って寝ましょう。」

と催促した。テオが車を出すと、彼女が言った。

「誰かが嘘をついています。或いは情報が複雑になっている感じです。」
「誰が何を言ったんだ?」

 それで、彼女は整理してみた。

「アスマ神官は、”サンキフエラの心臓”はカイナ族が支配していた”ティエラ”の求めに応じて病を癒す目的で作った石だと言いました。 祈祷師が住民の病を石で治療していたのだ、と。」

 テオも語った。

「カイナ族のブリサ・フレータ少尉は、あの石はカイナ族の支配下の祈祷師や族長の為のもので、敵に毒を盛られた時に使われた、庶民のためのものではなかった、と言った。 庶民には、病を治す力がある石の存在が知られていたが、1個しかない石を大勢の治療に使うことはしなかった、と。」

 少佐が暗がりの中だったのでどんな表情をしたのか、テオには見えなかったが、きっと愉快な気分の時の顔ではなかっただろう。

「フレータ少尉は当事者の子孫で、彼女が聞いた言い伝えが正しいのでしょう。アスマ神官はカイナ族出身の神官からの又聞きです。現在神官の中にカイナ族が何人いるかわかりませんが、あの石を実際に見たのは、今回が初めてだった筈です。だから使い方を知っている神官はいなかったのです。」
「それじゃ、カイナ族の神官があの石の効力と使い方を試したって?」
「石を使うのに呪文が必要なのか、石はどの程度治療効果を持つのか、浄化はどの様に行うのか、試したと思います。」
「実際の人間の体を使って?」
「スィ! 厨房スタッフを犠牲にして・・・」

 許せない、とテオは感じた。これは”ヴェルデ・シエロ”の驕りだ。

2024/07/30

第11部  石の目的      14

 「神官がこの国の政治についてどんな考えを持っているのか、直近で仕えている我々にも見当がつきません。」

 ウイノカ・マレンカは大統領府がある方角を見た。そちらには当然”曙のピラミッド”も大統領警護隊本部もある。

「彼等は普段国政に口出しをしないように見えます。実際に政治家達に影響を及ぼすのは長老会です。しかし神殿は長老会の上に位置しており、神官の考え、と言うか、彼等の言葉を借りれば、神託が絶対なのです。今回の事件を事前に知っていたのであれば、阻止を大統領警護隊に命じるのが神官の本来のあり方です。しかし彼等、もしくは誰かが、それを知っていながら放置し、対処法を一人の警備隊員だけに伝えていた。」

 テオも己を考えを口に出した。

「知っていたのではなく、神官の誰かが起こした、と言うことですか?」
「恐らく・・・しかしその目的がわかりません。厨房スタッフを入れ替えるのが目的なのか・・・」
「或いは・・・」

 テオは馬鹿な考えだと思いつつも、頭に浮かんだことを言った。

「”サンキフエラの心臓”の効力を試した、とか・・・」

 ウイノカが彼を振り返った。

「あの石を試した・・・?」
「俺が今思いついたことを言っただけです。」

 ふむ、とウイノカが片手を顎に当てた。

「試すと言うことは、あれを使わねばならないことが起きる可能性がある、と誰かが考えたのか?」

 陰謀の匂い。テオは手をウイノカに差し出した。

「その瓶の中身を分析しましょう。生物由来の毒なら、遺伝子で正体と産地を探してみます。」

 ウイノカが彼の手に小さな瓶を2つ、置いた。

「私とここで話したことはくれぐれも他人に語らぬよう願います。神官の耳に入れたくありませんし、貴方自身も危険に曝されます。」
「承知しています。ケツァル少佐にもロホにも話しません。」

 テオは慎重に小瓶をポケットに入れた。車に入ったら、すぐに鞄に移し替えよう。


第11部  石の目的      13

「秘密の部署ですか? そんな重要なことを、どうして白人の俺に教えるのです?」

 テオは用心深くなっていた。目の前の男が本当にロホの兄なのか確信が持てない。大統領警護隊の徽章は本物だろうが、ロホが身内に隊員がいると知らないなんて信じられなかった。
 ウイノカ・マレンカは辛抱強く説明した。

「初めのうちは、事件を隠して分析だけを貴方に依頼するつもりで、通用門まで行きました。そこへ貴方がケツァル少佐と共にやって来た。恐らく貴方は事件について何か彼女から聞いているだろうと推測したのです。彼女を降ろして貴方がすぐに行ってしまったので、急いで後を追いかけ、探したのです。」

 彼はチラッと後ろを振り返った、テオは暗がりの芝生の上に自転車が倒して置かれているのを見た。弟が中古のビートルで、兄が自転車なのか。夜の街に走り去った車を探して、この男は自転車で走り回ったのだ。

「秘密の部署の貴方が、秘密の依頼を俺に持って来られた理由を聞かせてもらえますか?」

 ウイノカが溜め息をついた。

「大統領府の厨房で料理人達が毒の入った料理を試食して倒れたことは聞かれましたね?」
「スィ。 10人中6人が倒れたと聞きました。」
「残りの4人も軽症ですが、毒を口にしてしまいました。ですから、厨房スタッフは全員明日から仕事が出来ません。」
「では、スタッフの入れ替えが必要ですね?」
「スィ。取り敢えず、大統領警護隊の厨房スタッフが臨時で働きます。大統領府側が代替要員を確保する迄の期限ですが、問題はもうすぐ大統領府でガーデンパーティが開かれることです。」
「あー、それは・・・不慣れなスタッフや外部からのケータリングを利用するのはマズいでしょうね。」
「この様な事態は以前にもあったので、それは問題ではありません。」

とウイノカは言った。

「問題は、この様な事態が起きることを、予想していた人間がいたことです。」

 テオはそこでケツァル少佐が電話で呼び出された理由を思い出した。

「”サンキフエラの心臓”とか言う石を、警備班の隊員が使ったことですか?」
「スィ。」

 ウイノカが重々しく頷いた。

「あの石はケツァルが回収して神官に提出しました。神官はあの石を宝物蔵に納めた筈です。それなのに、一介の警備班隊員が持っていた。そして素早く救護に使用したのです。」
「宝物蔵ってぇのは、誰でも近づける場所ではないのでしょうね?」
「勿論です。近衛兵立ち会いで神官自らが鍵の開け閉めをします。神官以外の人間は鍵を使えません。巫女達も使えないのです。」
「では、神官が何人いるのか知りませんが、誰かが石を無断で蔵から出して、警備隊員に渡していた・・・」
「件の警備隊員は現在司令部内部調査班によって調べを受けています。いずれどの神官に指示されたのか告白するでしょうが・・・現在神官全員がある場所に出かけており、連絡を取ることが許されていません。神官に直接確認する前に、どの神官がこの事態を引き起こしたのか、知りたいのです。」
「ちょっと待って・・・」

 テオは何か恐ろしいことをウイノカ・マレンカが考えている予感がした。

「貴方は、今回の毒の事件は神官によって起こされたとお考えですか?」


 

2024/07/29

第11部  石の目的      12

  ウイノカ・マレンカは肩から小さなポシェットの様な物を下げていたが、その中に片手を入れ、小さな小瓶を2つ掴み出した。

「これの遺伝子分析をして頂きたい。」

 テオは小瓶とウイノカを交互に見た。いきなりの仕事の依頼だ。真夜中に、市役所の駐車場で、しかもテオはそこにいるなんて誰にも教えていない。ケツァル少佐だって知らない筈だ。

「これは何か聞いて良いですか? 教えて頂けなければ、俺は分析しません。」
「その言葉はごもっともです。」

とウイノカは穏やかに言った。まるでロホと喋っているようだ。マレンカ家の人々は皆こんな感じなのだろうか?
 ウイノカはテオに数歩近づき、小瓶をよく見えるように差し出した。

「左側の濁った液体は、今日、大統領府で倒れた料理人の嘔吐物です。」

 テオは思わずウイノカを見た。何故そんなものを、この男が持っているのか?
 ウイノカ・マレンカは続けた。

「右側は同じ人物から採取した皮膚片で、本人の了承を得ています。」

 本当に了承を得たのかどうかわかるものか、とテオは何故か反発心で思った。 ”ヴェルデ・シエロ”は相手の心を支配出来る力を持っているのだ。

「同一人物のものを2種類持って来られた理由は推察出来ます。遺伝子を比較して、異物の遺伝子だけを探せて言うのですね?」
「その通りです。恐らく、生物由来の毒が嘔吐物に入っていると思うのです。」
「その生物の正体を探れと?」
「正体は推測出来ます。それがどこで採れた物か知りたい。」

 ウイノカ・マレンカはさらにテオに近づいた。もう暗がりでも顔が見えた。ロホに似ているが、ちょっと目つきがきつい。

「事件のことは貴方はご存知だと思います。ケツァルと一緒に本部まで来られましたから。だから、私が何故こんな形で貴方と接触しているかを説明しましょう。」

 ウイノカ・マレンカは周囲を見回した。そして胸ポケットからパスケースを出して中の物を見せた。

「え?!」

 テオは緑色に光る鳥の徽章を見て驚いた。

「貴方も大統領警護隊なのですか?」

 ウイノカが微かに笑った。

「弟には内緒にしてください。私は、隊員の殆どが存在を知らない部署に所属しています、神殿近衛兵です。」



第11部  石の目的      11

 大統領警護隊本部の通用門で、テオの車は足止めされた。ケツァル少佐だけが降りて中に入ることを許された。テオは、帰りは電話をかけてくれと彼女に言い、車を市役所の駐車場へ走らせた。駐車違反で咎められずに長時間居座ることが出来るのは、そこが一番本部から近い場所だったからだ。
 駐車場の端っこに車を停めて座席の背もたれを倒し、暫く目を閉じると、少し眠ることが出来た。両足は行儀悪いがハンドルの上だ。
 目が覚めたのは、車の窓を誰かがノックしたからだ。目を開くと、窓の外から中を覗き込んでいる人物がいた。暗くて誰だかわからないが、テオはギョッとして足をハンドルから下ろした。相手は窓から離れ、彼が落ち着くのを待った。
 テオは車の窓を開けずに相手を見つめた。するとその人物はさらに車から離れ、彼に外に出るよう手を振って招いた。体格からして男性だった。細身で背が高い。テオは用心深く車のドアを開けた。

「休んでいる邪魔をして申し訳ない。」

と若い男性の声が言った。

「貴方は、グラダ大学のテオドール・アルスト・ゴンザレス准教授ではないかな?」
「スィ。そう言う貴方は?」

 男性は体の向きを少し変えて、顔に近くの街灯の灯りが当たるようにした。若い先住民だ。

「私は、ウイノカ・マレンカ、アルファットの兄です。」
「ああ・・・」

 テオはびっくりした。車から出たのは、相手を信用したと言うより、思いがけない出会いに驚いたからだ。

「ロホの・・・失礼、マルティネス大尉のお兄さんですか。」

 相手はちょっと微笑んだように思えた。

「弟は色々な呼び名を持っているので、貴方のお好きな名を使ってくれて結構。」
「では・・・ロホと呼ばせて頂きます。」

 ロホは6人兄弟の4番目で、3人の兄がいる。そのどの兄がこのウイノカと名乗った人なのか、テオは分からなかった。ロホは家族の詳細を友人に語らないのだ。

「ロホのお兄さんが、この俺にどのようなご用件でしょうか?」

 

2024/07/25

第11部  石の目的      10

  テオは時計を見た。午前1時前だ。彼は起き上がった。

「俺が車を運転する。」
「貴方は休んでいて・・・」
「いや、気になって眠れないだろう。どうせ俺は本部や神殿には入れないから、車内で寝る。」

 素早く服を着て、2人で駐車場へ降りた。”ヴェルデ・シエロ”はエレベーターの利用を好まないが、ケツァル少佐は急ぎの時はこだわらない。エレベーターを出て車に向かいながら、誰かに電話をかけた。彼女が「承知しました」と言うのを聞いて、上官にかけたのだとわかった。
 車に乗り込むと、テオは静かに道路に出た。少佐がやっと先刻の電話の内容を教えてくれた。

「大統領府の厨房でパーティーに出す料理の予行演習をしていたそうです。料理人の顔ぶれは昔からの人々で政権が変わってもスタッフは同じでした。彼等は作った料理を当然ながら試食しました。そして10人中6人が倒れたのです。」

 え?!とテオは運転しながら声を上げた。

「毒か?」
「わかりません。担当警備班は連絡を受けると直ちに厨房を封鎖し、病人を病院に搬送しました。今夜の司令部の担当はトーコ中佐で、中佐は報告を受けた時、すぐに神殿に連絡しました。彼は"サンキフエラの心臓”に言及しなかったのですが、何故か現場に駆けつけた警備班の隊員の一人があの石を持っており、倒れた一人の厨房スタッフの体に石を当てたそうです。石は本来の働きをして、血と共に毒を吸い出したのですが、使った隊員はそれを他の病人にも使おうとしました。」
「複数の人間にはあの石は使えないのか?」
「私にはわかりません。トーコ中佐が仰るには、吸い取った血と毒が浄化されていないのに次の病人に使ったので、4人目で石は飽和状態になって、5人目の時に豪雨になりました。」

 テオはドキッとした。そう言えば、彼等は雨の中を大統領警護隊本部に向かっていたのだ。

「毒が何の毒なのか、まだわかりません。石を使ってしまったら、手がかりが失われることにもなりかねません。」
「倒れた6人中4人は毒を吸い出してもらえたんだろ?」
「でも完璧とは言えないでしょう。それに・・・」

 少佐が憂の表情で呟いた。

「何故警備班の隊員があの石の存在と役割を知っていて、しかも持ち出せたのか・・・」


2024/07/24

第11部  石の目的      9

  その夜、ケツァル少佐からはムリリョ博士の話題が出なかったので、テオも忘れていた。雨季が始まり、蒸し暑い夜だった。2人が住んでいるコンドミニアムは西サン・ペドロ通りの坂道を登りきった高台にあり、しかも最上階だったので、いつもは窓を開け放って寝るのだが、その夜は雨が降り出したので窓を閉めてエアコンを点けた。シーリングファンが気怠く回る下に、テオはベッドを置いて寝ていた。珍しくケツァル少佐が彼のベッドに来て隣に寝ていた。結婚前なので、刺激が強過ぎるのだが、彼女が平気で裸になって横に並んだので、テオも上だけ脱いで横たわった。少佐はすぐに寝落ちしてしまった。誘うでなく、拒否するでなく、テオにとっては生殺しの様な状態だ。

 眠れないじゃないか・・・

 多分、彼女は彼が触っても怒らない。しかし彼女の方から誘って来ないから・・・いや、この状態は誘っているのではないか? テオはそっと彼女の体に手をかけ、自分に引き寄せた。彼女は無抵抗だ。これはO Kなのか? テオは自分に都合良く解釈して彼女にキスをした。そして手を・・・
 突然ベッドサイドのテーブルに載せた少佐の携帯電話が鳴った。彼が手を引っ込めるや否や少佐が飛び起きて携帯を掴んだ。

「オーラ?」

 彼女が呼びかけると、電話の向こうで誰かの甲高い声が捲し立てた。テオは脱力してその声をぼんやりと聞いていた。少佐は黙って相手の喋りを聞いていたが、やがて、

「わかりました。」

と言った。

「その石は祭壇に置いてください。手を触れないこと。長老会の人で連絡がつく人がいればすぐ来てもらってください。私もこれからそちらへ向かいます。」

 通話を終えると、彼女はベッドから出て、服を着始めた。テオはベッドに横になったまま尋ねた。

「あの石が何か悪さをしたのか?」
「石は悪くありません。」

と少佐は言った。

「大統領府でちょっと問題が発生して、その解決に石を使おうと持ち出した人がいたのです。でも正い使い方を知らなかったので、別の問題が発生しました。」

 テオは体を起こした。

「大統領府ってことは、”ティエラ”の血を石が吸ったってことだな?」
「今ここで説明している暇はありません。私も詳細を知らないので。兎に角、出かけて来ます。」
「部下も行くのか?」
「神殿の神官がいれば、人数は必要ありません。」

 少佐はそこで溜め息をついた。

「その神官全員が外出中なのです。」


第11部  石の目的      30

  「神官と言うのは、どうすればなれるんだい?」  テオが質問すると、ケツァル少佐とステファン大尉は顔を見合わせた。2人ともよく知らないんじゃないか、とテオはふと思った。 ”ヴェルデ・シエロ”社会は秘密主義が多い。一族の中でも知らないことの方が多いようだ。ましてや、この姉弟はそれ...