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2022/01/07

第4部 花の風     10

  テオはロジャー・ウィッシャーの顔を眺めた。

「それで、貴方が俺を探していた理由は? 大統領警護隊と仲良くしている元アメリカ人を探していると言うアメリカ人は、貴方のことでしょう?」

 ウィッシャーが苦笑した。

「随分失礼なことをしてしまった様です。父親の手掛かりを求めてアメリカ大使館に協力を要請した折に、セルバ共和国で人探しをする時は大統領警護隊に動いてもらわないと無駄だと言われたのです。それで大統領府へ行って、警備している兵隊に声を掛けたのですが、全く相手にしてもらえませんでした。ここの大統領警護隊って、インディアンばかりなのですね?」

 テオは眉を顰めた。中南米を渡り歩く人らしくない物言いだ。

「インディアンではなく、インディヘナと呼びますがね。」
「ああ、そうでした・・・」

 ウィッシャーが頭を掻いた。

「アメリカ人ばかりで集まる傾向があるので、白人も黒人も先住民をインディアンって陰口叩いてしまうんですよ。何しろ、こちらが思う様に動いてくれないものだから。メスティーソの人達は愛想が良いんですけどね。」

 それは先住民の習慣を理解していないからだ、とテオは思ったが黙っていた。本当はインディヘナの呼び方よりも部族名を一つ一つ呼ぶ方が礼儀に適っているのだが。
 ウィッシャーが話を続けた。

「大統領警護隊が相手にしてくれないので困っていたら、隊員と親しくしている元アメリカ人がいると噂で聞いたんです。グラダ大学で講師をしていると聞いたもので・・・」
「准教授です。」
「そうでした。失礼しました。准教授でした。だから、前置きが長くなってしまいましたが、父の足取りを調査してもらえるよう頼んで頂きたいのです。父の名前は、アンドリュー・ウィッシャー、愛称はアンディでした。スペイン風に名乗ればアンドレアになるかな?」

 ウィッシャーは名刺入れから写真を一枚出した。机から降りて、テオの前に来た。

「同じものをコピーして沢山持っていますから、差し上げます。これが父のアンドリューです。20年前の写真なので、今はもっと歳を取っていますが。」

 スーツを着て、カメラに対してちょっと斜めに体を置き、顔を正面に向けて笑っている中年の男性だった。髪の色はロジャーより薄い茶色で、金髪に近い。目は息子と良く似て、薄い青、セールスマンらしく人懐こい顔だ。テオは何処かで見た顔だ、と言う印象を持った。

「これをコピーして配れば良いんですか?」
「大統領警護隊でなくても良いんです。隊員が協力しろと言ったら警察も動くと聞いたので。」

 テオは頷いた。大使館はそれなりのセルバの常識を持っているのだ。大使館員を動かしてこの国の守護者達を怒らせたくないのだ。
 テオは足元に置いてあった鞄を教卓の上に置いた。

「もしよろしければ、ここにDNA 採取セットがあります。貴方のサンプルを採らせていただけたら、お父さんらしき人を見つけた時に比較しますよ。」

 するとウィッシャーが奇妙な笑顔を見せた。

「父らしき死体と言う意味もありますね?」

 テオは肩をすくめて見せた。

「可能性もあります。」

 ウィッシャーが口を開けた。テオは笑って鞄を開き、箱を出した。綿棒で頬の内側を擦ってもらい、それをビニル袋に入れた。

 

2022/01/06

第4部 花の風     9

  ロジャー・ウィッシャーは話を続けた。

「僕のC I Aの活動は現地の社会情勢の調査でしたから、あまり危険なことはしていません。映画に出てくる様なスパイ活動じゃないですよ。毎日新聞やテレビのニュースを本国に送信するだけでした。まぁ、政情が不安定な国ではちょっとやばいこともありましたがね。でも僕の本当の目的は父親探しでした。父が行方不明になった前後のそれぞれの国の、アメリカ人の入国記録を調べていたんです。だが、父は手紙を出したガテマラを最後に足跡を消していました。僕はガテマラ国内をしらみ潰しに探したかったのですが、ニカラグアへ派遣された。そこでかなり危険な目に遭いまして・・・何とか乗り切った後で辞めました。普通のビジネスマンに戻ったんです。」
「それなのに、ガテマラではなくセルバへ来た理由は?」

 ウィッシャーは少し躊躇った。

「父の最後の手紙の内容が奇妙だったと言いましたね。父は『黄金の都を見つけるかも知れない』と書いていたのです。」

 テオは思わず「ハァ?」と声を出してしまった。

「黄金の都? エル・ドラドですか?」
「そうです。馬鹿みたいでしょう?」
「エル・ドラドを探すなら、アンデスへ行かないと・・・」
「僕もそう思ったのですが、父はセルバの伝説を聞いて、エル・ドラドの存在を確信したと書いていました。」
「セルバの伝説?」
「何でも、地の底に黄金の湖があって、宝石でできた魚が飾られている、と言う・・・」

 テオはドキリとした。それは、「太陽の野に星の鯨が眠っている」聖地のことではないのか? ”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなった後、のんびり悠久の時を過ごしている地下の世界・・・。
 ウィッシャーはテオの微妙な顔色の変化に目敏く気づいた。

「何かご存知ですか?」

 テオは顔色を読まれたと悟った。だから言った。

「それは、セルバでは禁忌の文句です。『太陽の野に銀の鯨が眠っている』と言うフレーズで、犯罪組織などが敵対するグループに皆殺しの宣戦布告をする時に使うものです。」

 勿論、それは事実だった。何時の時代にか、「星の」が「銀の」と誤訳されて現代のセルバ人に伝わっているのだ。現代のセルバ人はただの呪いの言葉だと信じて疑わない。原文が地下深くに築かれた神殿に古代文字で刻まれた文言だと知らないのだ。

「太陽は黄金に光り輝いているから、黄金と誤解され、銀色の鯨は光っている宝石と取り違えられたんです。エル・ドラド伝説を求める人々が無理矢理な解釈をしたのでしょう。第一、セルバにはエル・ドラド伝説などありませんし、西部のオルガ・グランデに金鉱がありますが、大部分はアンゲルス鉱石と言う企業が所有しています。勝手に金を掘ると、連中に袋叩きにされます。」

 一気に喋ってから、テオは尋ねた。

「お父さんはその嘘の情報を信じてセルバに入ったと、貴方は考えているのですか?」
「それしか、今は思いつかないのです。メキシコ、ベリーズ、コスタリカ、エルサルバドル、ガテマラ、ニカラグア、パナマと探しましたが、父の手掛りは何処にもありませんでした。最後が、一番アメリカ人の入国が少ないセルバだったのです。ここで父の消息をつかめなければ・・・」

 ウィッシャーは溜め息をついた。

「コロンビアかボリビアに行ってみます。」


第4部 花の風     8

  翌日、テオが大学で初級生対象の遺伝子組み替えに関する講義をしていると、教室の最後列の机に遅れて入って来て着席した人がいた。学生かと思ったらそうではなかった。ロジャー・ウィッシャーだった。彼はテオと目が合うと、微笑して片手を顔の横の高さに上げて挨拶代わりにした。テオは軽く頷いて見せた。何となく心穏やかでなかったが、そのまま講義を続けた。彼の講義が終わると質問タイムだ。開講して1ヶ月経つと質問をする顔ぶれが決まってきた。将来の野外授業に参加するであろう学生達だ。テオは質問しない学生達にもわかりやすく答えを説明していったが、一体何パーセントがついて来るだろう。
 質問が出尽くし、彼が次回の講義までの課題を出すと、学生達はノートに書き留めたり、タブレットにメモしたりして、やがて騒々しく教室から出て行った。
 テオが黒板の文字を消していると、ウィッシャーが近づいて来た。「ハロー」の後、彼は言った。

「スニーカーのセイルスに来たんです。アメリカ人の准教授がいると聞いたので、覗いてみたら貴方だったので、驚きました。」
「遺伝子の組み替えにスニーカーは必要ありませんよ。」

 テオはわざとスペイン語で返した。検索した情報が正しければ、ウィッシャーは中南米をセイルスで渡り歩いて来た。スペイン語やポルトガル語を理解出来る筈だ。
 ウィッシャーが苦笑した。

「僕がスペイン語を話せるとご存知でしたか。」
「仕事で方々を歩いて来られたでしょう。」

 テオは黒板消しをクリーナーで綺麗にした。

「ここへ来られた本当の目的は何です?」
「本当の目的?」
「偶然この教室に来られたとは信じ難い。」

 彼はやっとウィッシャーの顔に真っ直ぐ向き直った。

「それとも、俺が何者か知ってて公園で声をかけて来られたのかな?」

 ウィッシャーが首をゆっくりと振った。彼は言語を英語に戻した。

「成る程、国立遺伝病理学研究所で一番の頭脳を持って生まれた人だと聞いていたが、流石に侮り難い。」
「C I Aですか?」

 テオがズバリと訊いた。ウィッシャーは再び首を振った。

「元です。ニカラグアで仕事をして、その後で辞めました。信じていただけないでしょうがね。」
「確かに、知り合って間もない貴方を信じる謂れはありませんが、差し支えなければ、C I Aを辞めた理由をお聞かせ願えませんか?」

 テオは相手の表情を窺った。嘘をついたら見破ってやる、そんな気持ちだった。ウィッシャーはそばの机の上に座った。

「僕がC I Aに協力した本来の目的を果たすためです。」
「貴方の目的?」
「そうです。僕は父親を探しているんです。僕が14歳の時に中央アメリカで消息を絶った父親をね。」

 ウィッシャーは教室の後方を振り返って誰もいないことを確認した。

「ここで話していても構わないですか? 次の授業とか・・・」
「この教室は午後の授業迄空いています。」

 だからと言って長話をするつもりはないテオは、チラリと天井に近い壁の時計を見た。

「お父さんが行方不明なのですか?」
「ええ、もう20年近くなるので、生きているとは思えませんがね。父はゴムの貿易商でした。中央アメリカの農園を新規開拓に出かけて、いつも留守ばかりしていました。ある時、手紙が母の所へ送られて来たんです。消印はガテマラでした。手紙には奇妙なことが書かれていて、母は笑っていました。しかし、その手紙が父からの最後の便りでした。父の消息はぷっつり途絶えてしまい、母は何度か国務省に父を探して欲しいと働きかけましたが、父の手がかりはガテマラで途絶えていると言う答えしかありませんでした。それで僕は学校を出てから今の会社に就職して、中南米をビジネスで歩き回りながら父の手がかりを探しているのです。C I Aに協力することになったのは、僕が色々な国に出入りしてそこそこ現地の内情に知識があったからです。」

 テオは黙って聞いていた。学校を出て就職した? では海兵隊は何時入隊したのだ?



第4部 花の風     7

  午後になるとアスルも元気を取り戻し、共用の庭で長屋の子供達と遊んでいた。大人達は彼を「アルスト先生ちの軍人さん」と呼んでいた。名前を訊かれて、アスルは「キナだ。でもアスルで通っている」と言ったので、子供達は彼をアスルと呼んでいた。
 テオは近所の人から夜のお惣菜をもらい、お返しに余っていたワインを進呈した。ワインと惣菜では釣り合わないが、今迄何度も惣菜をもらっていながらお返し出来なかったのだ。これでなんとか収支がつくだろう。
 ケツァル少佐は日曜日をどう過ごしているだろうか。カタリナ・ステファンと買い物だろうか。それとも実家を訪問しているのか。養母のマリア・アルダ・ミゲールが新規の店をグラダ・シティ最大のショッピングモールに出して、店の経営を直接監督しているので、ずっとセルバ共和国にいるのだ。だから少佐は養母が国内にいる間はできる限りお淑やかに暮らしている。マリア・アルダ・ミゲールはカタリナ・ステファンが織る民芸品の小さなタペストリーが気に入って、店の装飾に使ったり、上得意への贈り物に使うので、カタリナへの仕事の注文が増えた。緑色を基調としたセルバ織と呼ばれる布だ。本当のセルバ織のプロはもっと大きなポンチョやカーペットの様な大きさの物を作るのだと謙遜しながらも、カタリナは喜んで仕事をしている、と少佐は語った。宝飾品のおまけや包装に使える大きさだから良いのだ、とマリア・アルダ・ミゲールは言い、決して娘の異母弟の母親だから仕事を発注するのではない、と強調した。
 夕刻、テオは食材の買い物に近くの食料品店に出かけた。アスルに頼まれたメモを見ながら食材をカートに入れて、レジに行くと、3人ばかり並んでいた。列の後ろに付いて待っていると、「ハロー!」と声をかけられた。振り返ると、ロジャー・ウィッシャーがいた。彼も冷凍食品を入れたカートを押していた。

「偶然だな、この近所に住んでいるんですか?」

と訊いて来たので、テオはそうだと答えた。貴方は?と聞き返すと、

「この坂の下の方にあるアメリカンハウスに部屋を借りています。」

と返事が来た。アメリカンハウスはグラダ・シティで仕事をするアメリカ人で1、2ヶ月の短期滞在をする人々が集まって住んでいるアパートだ。特に大家はアメリカ人限定で貸した訳ではないが、自然とアメリカ人が集まってしまい、今では市内全体で呼び名が通ってしまっているが、本当の名前は他にある筈だ。昨日公園で出会った時、ウィッシャーは1ヶ月の滞在予定だと言っていたので、アメリカンハウスに部屋を借りてもおかしくない。英語が普通に話せるアパートなら安心出来るのだろう。
 テオはウィッシャーの買い物を見た。冷凍食品のピザやスープだ。自宅に招いてやっても良さそうなシチュエーションだが、招きたくなかった。アスルだって嫌がるだろう。

「同居人がいて・・・」

とテオは言った。

「彼氏が嫉妬深いので客を呼べないんです。」

 別に恋人の意味で言った訳ではなかったが、「男友達」をウィッシャーはある意味に捉えた様だ。意味深な笑みを浮かべて、そうですか、と言った。テオは、ではまた、と言い、支払いを済ませて先に店を出た。真っ直ぐ帰った。
 男の恋人がいるのかどうか、昨日のデート現場を見ればわかるだろう。そしてさっきの会話をアスルが聞いたら、絶対に機嫌を損ねるだろうと確信した。
 帰宅すると、アスルが待ち構えていて、紙袋を受け取ってすぐにキッチンに入った。テオはその背中に言った。

「例の不審なアメリカ人が、アメリカンハウスに住んでる。さっき店で出会った。」

 アスルが背中を向けたままで尋ねた。

「つけられたのか?」
「気をつけたつもりだ。それに向こうは冷凍食品を買っていた。」

 フンと言って、アスルは鍋に水を入れ始めた。


第4部 花の風     6

  関わるな、と言われてもやっぱり気になった。テオは自分で何とかするべきではないかと思った。ロジャー・ウィッシャーと名乗ったアメリカ人が、母国の諜報部員なら、危険な目に遭うのはテオではなくウィッシャーの方だ。彼は既に大統領警護隊と接してしまっている。警備班の中で噂になっているだろう。当然司令部にも話は伝わるし、司令官エステベス大佐が長老会に審理を依頼すれば当然の如く”砂の民”に指令が行くに違いない。このセルバ共和国内でアメリカ人に死んで欲しくなかった。不審な死を遂げたと本国が知れば、必ず調査する人が新たに派遣されて来る。そしてまた同じことが繰り返される。
 日曜日も天気が良かったが、アスルは出かける気力がないのか家でテレビを見てゴロゴロしていた。テオも寝室兼書斎でロジャー・ウィッシャーと言う名前で色々検索してみた。外務省に問い合わせてみたかったが、セルバ共和国の省庁は土日をしっかり休むので電話もメールも返事がない。ちょっと考えてから、アリアナの携帯にメールを送ってみた。シーロ・ロペス少佐と話がしたい、と。
 ロジャー・ウィッシャーの名前でテオが知っている男らしき人物は、靴製造会社の海外営業マンでヒットした。主に軍隊や登山関係の団体に靴を提供している会社だ。ウィッシャーはスペイン語が得意だと言うことで中南米と母国を行き来している。出身大学と海兵隊の所属部隊も書かれていた。元海兵隊か、とテオは男に感じた軍人の匂いに納得した。軍隊上がりだから用心しなければならないと言う訳ではないが、「大統領警護隊と仲良しの元アメリカ人」の存在を知っていると言うのは怪しい。テオはセルバ共和国在住のアメリカ人の団体とは距離を置いている。亡命したので、母国の人間に近づきたくないのだ。しかし彼もアリアナも研究者で、大学にはアメリカ人の研究者もいるし、訪問もある。嫌が王にも接しない訳にいかなかった。
 シーロ・ロペスから電話がかかってきたのは、お昼ご飯を食べ終わった頃だった。スープとパンだけの質素な昼食を終えて洗い物をしていると、テーブルの上の携帯が鳴った。アスルが煩そうに怒鳴った。

「外務省の少佐だ!」

 テオは急いで手を拭いて電話に出た。

ーー急ぎの用ですか?

とロペス少佐がいつもの冷静な声で尋ねて来た。

「急ぎかどうかわかりませんが、」

 テオはロジャー・ウィッシャーと名乗るアメリカ人が彼とアリアナを探っているかも知れないと伝えた。

「実際どんな人物なのか、俺は昨日ちょっと言葉を交わしただけなのでわかりません。無害なのか、それとも敵なのか・・・」
ーー貴方からは接触しないことです。向こうから近づいて来たら連絡して下さい。
「わかりました・・・」

 アリアナにも注意させてくれと言おうと思ったが、それより先にロペス少佐は電話を切った。
 アスルがテレビを見ながら言った。

「日曜日に仕事を持ち込むから怒ってるんだ。」
「そうなのか?」
「多分、明日の朝、外務省に彼が出勤したら大統領警護隊からの報告が上がって来ている筈だ。それから彼は動く。」
「だが、ウィッシャーが諜報活動をする人物なら、日曜日も祝日も関係ないぞ。」
「入国の時に目を付けられていれば、監視が付いている。」

 アスルはそれっきりテレビに関心を向けてしまい、相手にならなかった。
 テオは洗い物を片付けてしまい、昼寝のために寝室に入った。ベッドにゴロリと横になって、さっきのアスルの言葉を考えた。

 入国の時に目を付けられていれば 

 俺が初めてセルバへ来た時、監視を付けられたのだろうか? 俺が記憶を失ったバス事故は本当にただの事故だったのだろうか? 
 彼は首を振った。いや、そんな筈はない、あれはただの事故だ。”砂の民”は罪のないセルバ国民37人を、俺1人消すために一瞬で巻き添えにしてしまう筈がない。
 しかし胸がドキドキして、結局昼寝をゆっくりする気分でなくなった。彼は起き上がり、ウィッシャーが勤めていると言う靴製造会社の出張所を検索した。ベンダバル、疾風 と言う意味の運動靴メーカーとしてセルバ社会では紹介されていた。店ではないので、今日はオフィスは閉まっている。明日行ってみよう。
 テオはリビングに行った。アスルはサッカー中継を見ている。

「アスル、ベンダバルと言う運動靴を知っているか?」

 アスルは振り向きもせずに答えた。

「知っている。だがマイナーだ。俺のチームはナイキを履いている。」

 そして全然関係ない質問を返してきた。

「今週はどうしてエル・ティティに帰らなかったんだ?」
「ああ・・・親父の方の都合だ。」

 テオは肩をすくめた。

「親父もやっとデートしたい女性を見つけたんだよ。」


2022/01/05

第4部 花の風     5

  テオはケツァル少佐のベンツで自宅迄送ってもらった。自宅の駐車スペースには今朝アスルに貸したテオの車が戻っていた。アスルが運転して戻った筈だが、それは酔っ払ってからなのか、酔っ払うために出かける前なのか、わからなかった。少佐がお休みのキスを両頬にしてくれて、彼はベンツから降りた。彼女の車が角を曲がって見えなくなる迄見送り、それからドアの前に立った。自動的に鍵が開いた気配がなかったので、自分で解錠した。
 リビングのソファの上でアスルが爆睡していた。”ヴェルデ・シエロ”らしくない無防備さだ。だがテオは嬉しかった。目を覚ましている時のアスルは気難しくて、テオに気を許してくれないのだが、酔っ払うと頭を撫で撫でしても目覚めない。テオの家の中で眠ると言うことは、信用してくれている証拠だ。
 テオはアスルの部屋のドアを開き、それからリビングに戻ってアスルをソファから引きずり下ろした。抱き上げるには重いので肩を貸す形で寝室迄引きずった。アスルの部屋となった客間は、誰も住んでいないかの様に殺風景だが、それでも監視役で出かける時のリュックや装備品が隅に置かれているし、棚には少しだけサッカー関係の書籍や考古学の文献がある。大きめのクッキーの空き缶もあり、どうやらそれが彼のコレクションの消しゴム入れの様だ。
 アスルをベッドの上に寝かせ、靴を脱がせてやった。薄い毛布をかけてやり、部屋を出た。彼のチームがサッカーの試合で勝ったのか負けたのか知らないが、アスルは気持ちよさそうに寝ている。テオは勝ったと思うことにして、シャワーを浴びて寝た。
 翌日は日曜日で、長屋の住人のうち3家族は習慣で教会へ出かけた。共用の庭を通して賑やかな話声が聞こえ、テオは目覚めた。
 リビングに出て、カーテンを開いた。朝日が眩しかった。キッチンでコーヒーを淹れていると、アスルが起きてきた。彼がテオより遅く起きるのは酔っ払った翌日だけだ。

「コーヒー飲むかい? それともクラマト飲むかい?」

 アスルはまだ辛そうな顔で椅子に座った。

「クラマトがあるなら頼む。」

 香辛料入りのトマトジュースを彼は一気に飲み干した。そしてテオが用意した簡単な朝食を文句を言わずに食べた。テオは彼の機嫌を損ねるかも知れないと思いつつ、尋ねた。

「試合結果はどうなった?」
「勝った。」

とだけアスルは答えた。祝杯の酒を飲み過ぎたらしい。
 
「アンドレは?」
「あいつは飯を食ったらさっさと帰りやがった。」

 ギャラガ少尉は先輩達の馬鹿騒ぎに付き合わなかったらしい。大統領警護隊のチームだから、ギャラガと同じ官舎組もいた筈だ。あまり人付き合いが得意でないギャラガは、大人数での宴会は好きでないようだ。何か理由を作って先に帰ったのだろう。

「ああ、そうだ・・・」

とアスルがスクランブルドエッグをフォークですくいながら言った。

「最近変なアメリカ人が出没するらしいぞ。」
「変なアメリカ人?」

 テオは何故かエルネスト・ゲイルを思い出してしまった。しかしアスルはゲイルとは全く別の人間の情報を得ていた。

「なんでも、大統領警護隊と仲良く付き合っている元アメリカ人を探しているとか言って、大統領府の警備にあたっている連中に話しかけていたそうだ。」

 テオはドキリとした。それって、俺とアリアナじゃないか? 

「勿論、大統領警護隊はあんたのことだとわかっているから、答えない。知らないと突っぱねるだけだ。」
「グラシャス。」
「用心しろよ。警備班は外務省に連絡したそうだ。」
「ロペス少佐にか?」
「スィ。亡命者を守るのはあの人の仕事だからな。それに奥方も元アメリカ人だ。」
「大袈裟にならなきゃ良いが・・・」

 テオは公園で出会ったロジャー・ウィッシャーを思い出した。

「俺が想像している人間と、その人探しをしていると自称する人間が同一人物なら、俺は既に彼に会っている。だから、もう警備班を悩ませることはない。」

 するとアスルの目が光った。警戒している。

「少佐にその報告をしたか?」

 アスルが言った少佐はケツァル少佐のことだ。テオは頷いた。

「俺がその人物と出会った時、彼女も俺と一緒だった。」

 アスルは気に入らなかった様だ。

「そのアメリカ人と関わらないでくれ。俺は大家がいなくなった家に住みたくないからな。」


第4部 花の風     4 

  スコールは20分程で終わった。短かったが、地面はびしょびしょで、もう寝ることは出来ない。テオは公園の駐車場から車を出した。

「次は何処へ行こうか?」

 と声をかけると、ケツァル少佐はセルド・アマリージョを指定した。陸軍基地周辺に集まっている飲食店の一つで、閉店時刻が他所より早い代わりに開店時刻も早い店だ。テオの認識では健全な店の一つで、値段も手頃で料理も美味しい。以前は少佐の妹がアルバイトで働いていたが、今はもういない。グラシエラ・ステファンはロホとの交際を兄のカルロに認めてもらう条件にバイトを辞めたのだ。
 ケツァル少佐が大統領警護隊の隊員だと言うことは、既に店の支配人やバーテンダーには知れ渡っている。初来店の時に軍服で来たのだから当然だ。テオはずっと私服なのだが、軍属と思われているのか、待遇が良い。
 普段少佐は外食する場合、バルで軽く飲んでからレストランへ移動するのだが、このセルド・アマリージョは1箇所で用が足りてしまう。2人共車があるのでアルコール類は控えめにして、ビールを注文した。オリーブと生ハムの角切りを摘みながら、彼女が尋ねた。

「昼間に話しかけて来たアメリカ人ですが、どんな風貌でした?」

 ”ヴェルデ・シエロ”同士なら”心話”で一瞬にしてイメージを伝えられるが、テオは普通の人間だ。言葉で説明した。

「白人で30代半ばぐらい。髪は栗色、目は青、俺より薄い青だな。身長は多分俺より親指1本分、2.4インチ低いかな?」
「メートル法でお願いします。」

 言われて、テオは黙って自分の指を見せた。ケツァル少佐はそれで許してくれた。

「顔は鼻筋の整った風貌で、イギリス系かな。鍛えているらしくて筋肉がTシャツの上からでも十分見てとれた。」
「名前はウィッシャーでした?」
「ロジャー・ウィッシャーと名乗った。ビジネスで先週来たばかりだとさ。」

 彼女はそれだけ聞くともう興味を失ったのか、メニューを開いた。

「亀のスープがありますよ。」
「俺は遠慮する。」
「ではテイルスープ?」
「OK !」

 前菜やメインディッシュを選び、テオはウェイターを呼んだ。量は「やや多め」だ。少佐は亀のスープを選び、スプーンにプルプルのゼラチン質の肉を載せて見せてくれた。

「ジャングルで監視活動をする時に、狩りとかするのかい?」
「ノ。そんな暇はありません。それに遺跡周辺は禁猟区指定になっているところが殆どです。」
「じゃぁ、ワニとか猪とか獲って食わないんだ。」
「そんな物を獲っても、1人では食べきれないし、かと言ってみんなで分けるには少ないでしょう。」

 テオはオクタカス遺跡に行かされた時に食べたフランス隊の食事を思い出した。

「フランス隊だからフレンチのコースでも出してもらえるかと思ったが、豆ばかりだったな。それも君が作る美味しい煮豆なんかじゃない。缶詰を温めてそのまま鍋にぶち込んだ感じの豆だった。」
「村の住民を雇って料理させていたのでしょう。十分なチップをあげれば、それなりに美味しい物を作ってくれた筈ですけどね。」
「マハルダは今頃何を食べているんだろ?」

 ブーカ族のマハルダ・デネロス少尉はオクタカスとグラダ・シティの間に空間通路を見つけたと言っていたが、彼女が帰ってきたと言う話をまだ少佐から聞いたことがなかった。もしかすると、気軽に帰って来るなと言われているのかも知れない。
 ケツァル少佐にとってはマハルダ・デネロス少尉は妹より付き合いが長い。どっちかと言えばデネロスの方が本当の妹みたいだ。だからテオの口からデネロスの名が出ると、彼女はちょっと寂しそうな顔をした。若い部下が成長していくと、上官の中には嫉妬する人もいるが、ケツァル少佐は姉や母親の気分で接しているので、寂しさを感じるのだろう。大統領警護隊文化保護担当部は一つの家族の様なものだ。
 テオは急いで話題を変えた。

「ロホはお祓いを無事に終えたかな?」
「SOSがこなかったので、大丈夫でしょう。」

 少佐はロホのことは心配していなかった。彼の得意分野なので任せているのだ。上官が任務で部下を信頼しなければ部下が可哀想だ。

「アスルとアンドレはサッカーの試合に勝ったかな?」
「今夜貴方が家に帰って、酔っ払ったアスルを見つけたら訊いてご覧なさい。」


第4部 花の風     3

  青い空の片隅にもくもくと湧き上がる雲が見えた。少し風が出てきた様だ。これは拙い。テオは体を動かし、ケツァル少佐に声をかけた。

「少佐、スコールが来るぞ。」

 少佐は目を開き、彼の体に腕をかけたまま頭を持ち上げた。空気の匂いを嗅いだ様だ。そして上体を起こした。空を見て、雲が到達する時間を計算したらしい。

「車まで走りますか?」
「そんなに早く降り出すのか?」
「あの雲はやばいです。」

 2人は立ち上がると芝生の上を走った。全力疾走する必要はなかったものの、急がねばならなかった。駐車場へ向かう人々の群れが見えた。セルバ人は雨に敏感だ。熱帯で体を濡らしたままでいると質の悪い風邪に罹る。時に生死に関わる風邪だ。テオが車を解錠する頃にポツポツと大粒の雨粒が落ちてきた。2人は素早く車内に滑り込んだ。
 ドアを閉めて直ぐに雨が降り出した。空は暗く、ほんの少し前迄晴れ渡っていたのが嘘の様だ。雷鳴も聞こえた。テオは音に敏感なので、雷鳴は好きでない。”ヴェルデ・シエロ”達も同様だ。毎日のように聞く音だが、動物が嫌う様に人間も嫌いな音だ。流石に少佐は雷鳴や稲妻で怯えて抱きついてきたりしないが、不快そうな顔でフロントガラスの向こうを睨んでいた。
 駐車場の車の中には同様に避難した人々がいた。そのまま帰ってしまう車もいたし、止むのを待っている車もいた。ガラスの向こうを流れる水を見ながら、テオは呟いた。

「さっきの親子は濡れずに避難出来たかな。」

 少佐が彼を見た。

「親子?」
「うん。公園で昼寝している時に、近くで遊んでいた親子がいた。女の子が4人と父親だ。一番小さい子が4、5歳かな? サソリを捕まえたんだ。」
「幼い子供がサソリを捕まえたのですか?」

 少佐の声に好奇心の響きがあった。凄いだろ、とテオは言った。

「父親は驚きもせずに、尻尾に気をつけろ、とか、食うな、とか注意していた。顔は見えなかった。俺は寝ていたから。」

 少佐がクスッと笑った。

「”ヴェルデ・シエロ”の親子ですね。」
「やっぱりそう思うか?」
「日頃から子供にそう言う生き物の対処法を教えているのでしょう。幼い子供でも動きが速い虫を捕まえることが出来るのです。”ティエラ”の家族なら、常識的に考えて、そんな危険なことをさせないでしょう。」
「確かに。」

 女の子ばかり4人・・・テオはふと最近そう言う構成の家族を持っているらしい人の情報を聞いた気がした。それで言ってみた。

「”シエロ”なら濡れずに済む方法も教えるんだろうな。」

 少佐が肩をすくめた。

「それは大人の分別を持つ年頃になってからです。子供のうちからそんなことを教えると、周囲に正体がバレてしまいます。」
「そうか・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”の子供を育てるのは、いろいろ苦労がありそうだ。純血種ならママコナのテレパシーを受信出来るので、親の直接教育とママコナのリモート教育を受けられるが、他人種の血が入ると、ママコナの声が聞こえなくなる。だから親が1人で頑張って教えなければならない。テオはそっと少佐を見た。もし彼女が俺の子供を産んだら、教育を全部彼女に一任しなければならないのか。
 彼の気持ちを察したのだろうか、少佐がこう言った。

「普通の子供として育てていけば良いのです。必要なことはその都度教えていく。”ティエラ”だってそうでしょ?」

 だからテオは苦笑しながら言った。

「俺は普通の子供として育てられなかったから、その辺のコツがわからない。」


2022/01/04

第4部 花の風     2

 「起こしてしまったか?」

とテオが申し訳なく思いながら言うと、ケツァル少佐はまだ彼の膝の上に頭を載せたまま答えた。

「あの男が緊張しながら近づいて来たので目が覚めました。」
「そうか・・・俺は声を掛けられる迄、彼が近づくのに気づかなかった。」
「彼に敵意を感じなかったので、それで構わないのです。私が目覚めたのは私の習慣ですから。」

 彼女が上体を起こした。テオは彼女をリラックスさせられなかったことを悔しく思った。出来ればずっと眠っていて欲しかった。しかし彼女は寝る位置を変えて彼の横に並んだ。

「私の頭が重くて眠れないのでしょう? 」
「いや、気にしなくて良いさ。」

 テオはもう一度草の上に体を横たえた。少佐が彼の胴に腕をかけて来た。ピッタリ体を寄せて来たので、彼はちょっとドキドキした。動悸が彼女に聞こえやしないかと不安になる程だ。それを誤魔化すために、彼も彼女の体に腕をかけた。
 目を閉じて、うとうとしかけた時、今度は甲高い子供の声でテオは目を開けた。
 10歳に満たない年頃の女の子が2人、近くの芝生の上で転がって遊んでいた。緩やかな傾斜になっているので、転がりながら下って行くのが面白いらしい。互いに良く似た顔の先住民の女の子で姉妹と思えた。テオが草の上に頭を置いたまま見るともなしに見ていると、さらにもう1人、もっと小さい子が転がって来た。スカートが捲れてパンツが丸見えになっても気にしないで転がって行った。
 子供って良いな、と思っていると、男の声が子供達を呼んだ。

「アンヘリカ、アンヘリナ、アンヘリタ、何処まで転がって行くんだ! 戻って来なさい!」

 あれ?とテオは思わず視線を斜面の上へ向けた。空が眩しく、声の主をすぐに見つけられなかった。だが聞き覚えのある声だ。
 キャッキャと子供の笑い声が響いた。男が誰かに指図した。

「あの子達を連れて来なさい、アンへレス。」
「はい、パパ。」

 軽やかに芝生の上を走って行く足音が聞こえた。テオは少佐が目を覚さないかと気になったが、彼女は彼をしっかり捕まえた姿勢で眠っていた。平和な子供の声は気にならない様だ。
 力強い落ち着いた歩調の足音が離れた所で止まった。男が立ち止まったのだ。テオは目を閉じた。こちらは昼寝をしているカップルだ。幼女のパンツなんか見ていないぞ。
 男は多分こちらの存在に気がついた。しかし、直ぐにまた子供達の後を追って丘を下って行った。女の子の声が叫んだ。

「パパ、アンヘリタがサソリを捕まえたわ!」

 え? テオはびっくりした。

「またか。尻尾に気をつけなさい。」

 そんな悠長なことを言ってる場合か? テオはちょっと焦った。

「尻尾はちぎっちゃった。」

 子供がそんなことをするのか?

「食うなよ。」

 そうだ、食うな!

「持って帰って良い?」

 駄目だと言え、パパ。

「仕方がない、ママにちゃんと見せるんだぞ。」

 どんな家族なんだ? 
 子供達の賑やかな話し声や笑い声が遠ざかって行った。
 テオは父親の声を聞いた記憶があったが、誰の声だったか思い出せなかった。パパと呼ばれていたから、父親だ。4人も女の子がいる父親の知り合いっていたかな? 

第4部 花の風     1

  新学期が始まってもう直ぐ1ヶ月経つ。セルバは乾季だ。乾季と言っても砂漠の様に乾き切るのではなく、雨が降る時間が短いと言うだけだが。空気も少しだけ爽やかだ。
 土曜日の午後、テオは公園の芝生の上に寝転がってシエスタを楽しんでいた。大きな木がそばに生えていて、涼しい木陰を作っていた。彼の横でケツァル少佐もお昼寝をしているのだ。それがテオに幸福感を呼び込んでいた。
 土曜日は大統領警護隊文化保護担当部の軍事訓練の日だ。しかし、その日部下達は集合時間に集合場所に集まらなかった。
 ロホことアルフォンソ・マルティネス中尉はオルガ・グランデ陸軍基地に出張だ。水脈の変化で旱魃で悩んでいた北部のサン・ホアン村の移転が正式に決定し、新しく引っ越す場所で悪霊祓いを行い清める、と言う重大な任務を帯びて旅立った。彼の実家マレンカ家の役目なのだが、大統領警護隊は内務省と建設省から儀式の依頼を受けた時、「うってつけの人員がいる」とロホに白羽の矢を立てたのだ。それでロホは週末に重なることも利用して、なんと! グラシエラ・ステファンに「故郷へ一度遊びに行ってみないか?」と大胆にも声を掛けた。グラシエラは母親にお伺いを立て、許しを得て、彼と共に出かけた。勿論、夜の宿泊は、彼女がホテルでロホは基地だ。真面目なロホらしく、そこのところはきちんとケジメをつけている。
 アスルことキナ・クワコ少尉は所属チームのサッカーの試合があるので軍事訓練をパスした。サッカーはセルバ人にとっても重要なスポーツだ。大統領警護隊にもチームが2つあり、ロホは既に引退してしまったが、アスルはまだ現役で頑張っている。サッカーの試合に超能力を使うのはご法度なので、気を抑制する訓練となる。 司令部も若い隊員にサッカーを推奨しているのだ。
 アスルがサッカーをするので、当然後輩のアンドレ・ギャラガ少尉も引っ張られてチームに入った。だから彼もサッカー休暇だ。ケツァル少佐は文句を言えない。例え補欠でも選手として控えに入っていなければならないから。
 男達が軍事訓練を休んでしまったが、マハルダ・デネロス少尉は勤務中だ。彼女はオクタカスの遺跡にいる。発掘作業は週末休みなのだが、監視は休みがない。恐らく彼女はジャングルの中を探検しているのだろう。携帯電話がつながる様になったので、衛星電話の順番待ちをする必要がなくなり、彼女は毎日定刻に報告を入れる。模範的な監視役だ。
 部下達がいないので、指揮官ケツァル少佐は暇なのだ。だから、テオは初めて彼女とデートらしいデートを楽しんでいた。朝、彼女のジョギングに付き合い、(フルマラソン並の距離を走らされた。)ランチを取って、公園でお昼寝中だ。少佐は日陰で場所を確保すると、腰を下ろしたテオの横で何度も体の位置を変え、納得できる姿勢を求めてクルクル動き回った。そして最終的に彼の膝を枕に横になって寝てしまった。
 少佐が安心してお昼寝してくれることは、彼を信頼してくれている証拠だ。テオは動けなかったが、幸せな気分で我慢していた。

「ハロー!」

と英語で声を掛けられた。顔を上げると、少し離れた位置に立っている白人の男性がいた。年齢は30代半ばか? 栗色の髪と青い目をした鼻筋の整った、身長もそこそこあるスポーツマンタイプの男だった。筋肉も鍛えているのか、Tシャツの上からもその逞しさが窺えた。

「アメリカ人ですか?」

と訊かれたので、テオは答えた。

「セルバ人です。生まれはアメリカですが。」

 男はケツァル少佐を見た。

「成る程。」

と呟いた。セルバ美人と結婚してこの国に住み着いたか、そんな印象を持ったのだろう。
 テオは少佐を起こさない様に慎重に上半身を起こした。

「観光客ですか?」

と逆に質問すると、男は「ビジネスです」と答えた。

「先週来たばかりです。1ヶ月滞在する予定ですが、暑くてね。もう音をあげそうですよ。」

 男は苦笑した。そして手を差し出した。

「ロジャー・ウィッシャーです。」

 テオは手に付いた芝を払い、その手を握った。

「テオドール・アルストです。名前をスペイン風に改めました。」

 握ったその手は力強く、軍人達と普段付き合っているテオは、その男も同類なのでは、と思った。しかし敢えて相手の職業を尋ねなかった。代わりに言った。

「セルバでは握手を求めても応じてもらえないことが多いですが、気を悪くなさらない様に。彼等の風習に握手はないのです。」
「ええ、最初に戸惑いましたが、なんとか慣れてきました。」

 ウィッシャーは苦笑した。そして、「良い週末を」と言って、歩き去った。
 テオが、彼の姿が芝生の丘の向こうに消える迄見ていると、膝の上で少佐が囁いた。

「さっきの人は軍人ですね。」


 

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...