2021/09/04

第2部 地下水路  3

  広場から徒歩15分、入り組んだ路地の奥に奇妙な家があった。入り口に獣の頭蓋骨が飾ってある。牛なのか鹿なのか、よくわからない。中に入ると薄暗く、薬の匂いがした。ケツァル少佐が「オーラ!」と声をかけると、先住民の男が現れた。くたびれたTシャツに短パンの軽装で、頭髪は短く刈り上げている。年齢は40絡みか? 少佐が先住民の言葉で話しかけると、向こうも同じ言語で答えた。テオが通訳を求めてギャラガを見たが、ギャラガにも理解出来ない言語だった。”シエロ”の言葉なら大統領警護隊に入隊してから習ったので話すのはイマイチだが聞き取りは出来る。だが、これは未知の言語だ。つまり、”ティエラ”先住民の言語に違いない。絶滅したと考えられている種族の言語を知っていて、現代も生きている言語を理解出来ないなんて奇妙だが、それが”ヴェルデ・シエロ”なのだ。
 少佐が振り返って、ドブ臭い男達を家の主人に紹介した。そしてやっとテオとギャラガに主人を紹介した。

「薬屋のカダイ師です。体を洗ってくれます。1時間後に迎えに来ますから、ここで綺麗にしてもらって下さい。」

 そしてさっさと家から出て行った。呆気に取られている2人にカダイ師が来いと合図した。ついて行くと中庭に出た。石造りの小屋があり、薬の匂いはそこから漂っていた。カダイ師が服を脱げと身振りで命じた。どうやらスペイン語は話さないようだ。2人が服を脱ぐと、小屋の入り口を開けて、中に入れと言われた。
 蒸し風呂だった。入り口に香油が入った瓶が置かれていて、全身に塗るようにと命じられた。ミント系の匂いがする香油を塗りたくり、木製のベンチに座って、そこで蒸された。空腹に高温が辛くなったので、途中で戸を開くと、カダイ師は何かを燃やしていた。水を要求すると、家の中から水の瓶を持ってきてくれた。

「エル・ティティの家も週末は街の共同浴場で蒸し風呂を使うんだ。」

と言うと、ギャラガが微笑んだ。

「大統領警護隊も週に一回蒸し風呂の日があります。」
「やっぱり蒸されるのか。」
「スィ。この地方の伝統です。」
「北米でも先住民の文化にある。医療行為だったり、社交だったり、宗教的意味合いがあったり、色々だね。」

 素っ裸で話をした。テオは遺伝子学者だと言い、バス事故で記憶喪失になったことでセルバ共和国と大統領警護隊文化保護担当部と繋がりが出来たのだと言った。詳細を語らなかったが、母国を捨ててセルバ共和国の国籍を取得し、やっと1年半経ったと言った。

「亡命当初は内務省の監視がついていたけど、やっと自由になれたんだ。今はセルバ国内、何処でも好きな場所に行ける。国外に出る許可をもらえるのはまだ半年かかるらしいが、今のところ外国に用事はないしね。」
「国内何処でも自由に行けるんですか・・・羨ましいです。」
「君も休暇は外出出来るんだろ?」
「そうですが、外に知り合いも友人もいませんし、何処に行けば良いのかわからないので、1人で海岸で海を眺めるか、官舎か訓練施設で過ごします。」
「その若さで籠っているのか?」

 テオが呆れた顔をした。

「それじゃ、次の休暇は俺のところに来いよ。」
「え?」
「大学で学生達と過ごすなり、俺の家で寝泊まりして昼間は何処かへ遊びに行けば良いさ。週末は俺と一緒にエル・ティティに行こう。親父は警察署長で、若い巡査が4人いる。彼等と過ごしても面白いぜ。田舎の警察は市民が職務にくっついて来ても平気だから、警察業務の見物も出来る。」

 ギャラガは何と答えて良いかわからなかった。黙っていると、テオが肩をポンと叩いた。

「兎に角、今はカルロを探し出して、コンドルの目の謎を解くのが先決だな。」

 小屋の戸が開いて、カダイ師が外に出ろと合図した。庭に出ると中年の先住民の女性がいた。素っ裸だったので赤面したが、彼女は一向に気にせずに2人に水を掛け、石鹸を手渡し、香油を洗い流すようスペイン語で命じた。頭のてっぺんから足の爪先まで綺麗になり、臭いも取れた。タオルを手渡され、体を拭いていると、女性が衣服を持ってきた。古着だがサイズは2人それぞれにぴったりだった。靴もあった。

「俺たちの元の衣服と靴は?」

とテオが尋ねると、女性は素っ気なく答えた。

「燃やした。」

 庭の隅の黒い灰の塊を見て、それ以上言うべきことはなかった。所持品を返してもらい、紛失した物がないか調べた。どうやら無事だ。
「店」に戻ると、ケツァル少佐が待っていた。恐らく少佐が衣料品を購入してくれたのだ、とテオには見当がついた。彼女はカダイ師に料金を支払い、しっかり領収書を取った。

「誰に請求するんだ?」

とテオが尋ねると、少佐は領収書をポケットに仕舞いながら答えた。

「本部です。これは捜査の必要経費です。」

第2部 地下水路  2

  どれだけ歩いたのかわからなかった。時計では午前5時だ。8時間も歩いたのか? テオは空腹を感じた。ギャラガも同じだろう。しかしこの悪臭と汚物まみれの世界で食べ物の想像をしたくなかった。本当にカルロ・ステファンはこの下水道へ来たのだろうか。全く見当外れの場所に来てしまったのではないのか?
  疑問に思ううちにいきなり行き止まりになった。細い支流が集まって主管になっているのだった。歩道も行き止まりで、支流は人間が立って歩ける高さではない。その代わり天井から鉄梯子が下りているのがギャラガにはわかった。

「行き止まりです。しかし鉄梯子があるので、上に出られます。」

 テオも微かに上から光が差し込んでいる様な気がした。梯子がぼんやり見えた。

「取り敢えず上に上がろう。ここが何処か確認しなければ。グラダ・シティだったら、一旦ケツァル少佐に連絡を取って、俺の家に送ってもらう。見知らぬ場所でも電話が通じれば、何とかなるさ。」

 楽観的なテオの意見にギャラガはもう驚かなくなっていた。この人は落ち込むことがないのだろうか。いつも前向きで、だから大統領警護隊文化保護担当部はこの人を守り神だと位置付けているのか。彼等は梯子を上っていった。
 グラダ・シティは複雑な街だ。古代都市の上に先住民の町が出来て、そこにスペイン人が植民地を築いた。独立してから近代化が進み、高層ビルが海岸線に並び、オフィス街はピラミッドを超えない高さのビルがひしめき合い、植民地時代の建物を利用した官庁街、商店街、平屋の家屋が建ち並ぶ庶民層の住宅街、瀟洒なコンドミニアムが点在する高級住宅地、それにスラム街もある。
 ギャラガが押し上げるとマンホールの蓋は簡単に開いた。幸い朝が早いので車の通りは少なく、石畳の広場に出た。まだ店開きする前の屋台がシートを被って並んでいた。低い家屋の向こうにグラダ大聖堂の尖塔が見えて、グラダ・シティにいるのだとわかった。ギャラガはテオが這い出すのに手を貸した。

「おめでとうございます。グラダ・シティです。」

 思わず冗談が出た。テオが苦笑して周囲を見回した。何処だか見当がついた。ポケットから電話を出すと、アンテナが立ったのでケツァル少佐にかけた。午前6時前だった。少佐は起床している筈だ。
 5回の呼び出し音の後で、彼女の不機嫌な声が聞こえた。

「ミゲール・・・」
「アルストだ。」
「何か御用ですか?」

 当然少佐はテオがラス・ラグナスにいると思っている筈だ。まだデネロスはオルガ・グランデ基地に戻っていないだろう。テオは言った。

「今、ラ・コンキスタ通りとメルカトール通りの交差点広場にいる。アンドレ・ギャラガと2人だ。迎えを頼む。」

 少佐が30秒沈黙した。いる筈のない場所から電話をかけて来た彼の、そこにいる理由を考えたに違いない。そして言った。

「部下を迎えに遣ります。」

 テオはビニルシートを用意しろと言おうと思ったが、その前にせっかちな少佐は電話を切ってしまった。
 泥だらけで立っている2人の男を、街行く人々が胡散臭そうに見ながら通り過ぎた。何処かで体を洗わなければ、とテオは思った。

「水が使える場所が近くにないかな?」

 ギャラガが通りの向こうを指差した。

「噴水があります。」

 2人は急いで噴水の池に走った。水浴びをしていると警察が近づいて来た。ギャラガは咄嗟に緑の鳥の徽章を取り出して見せた。警察官は、なんで白人が持っているんだ? と言いたげな顔をしたが、君子危うきに近寄らずを決め込み、立ち去った。
 泥を落とせたが、臭いは残っていた。日が上って服が乾くのを待っていると、やっと見覚えのあるベンツがやって来た。テオの顔が綻んだ。

「ヤァ、少佐自らお出ましだ。」

 え? とギャラガは仰天した。
 少佐のSUVが目の前に停車した。出勤前のジーンズにTシャツ姿のケツァル少佐が下りて来た。テオが彼女に駆け寄ろうとすると、彼女が両手を前に突き出して制止した。

「来ないで下さい。あなた方臭いですよ。」
「洗ったんだが、まだ臭うか・・・」

 テオは自分の腕を嗅いでみた。ギャラガが少佐の顔を見た。彼の動きに気がついて、少佐が彼の目を見た。ギャラガは昨晩の出来事から噴水で体を洗うまでのことを思い起こした。一瞬と言う訳ではなかったが、状況を彼女に伝えることに成功した。そして彼の頭に少佐の声が聞こえた。「わかった」と。彼は敬礼した。少佐が頷いた。
 彼女は携帯を出して何処かに電話をかけた。テオはロホにかけたのかと思ったが、違った。彼女は先住民言語で早口に何かを誰かに伝え、それから電話を切ると、男達について来いと手で合図した。
 

 


第2部 地下水路  1

  空間通路を通ったのは、アンドレ・ギャラガにとって初めての体験だった。ほんの一瞬だったが、アンドロメダ星雲と色々な惑星や恒星が見えた・・・と思った。
 いきなり悪臭の中に出た。知っている臭いだ。これは!
 1秒後に後ろに出現したテオドール・アルストに、と言うか、テオの出現によって、彼は前方に突き飛ばされ、汚水の中に落ちた。足元の地面が30センチあるかないかの幅だったのだ。ドボンっと言う水音と、ギャラガの「バスタルド!」と言う叫び声を耳にして、テオは自分がマズイことをやってしまったと知った。
 鼻が曲がりそうな悪臭だ。真っ暗だが、どんな場所なのか彼もわかった。

「大丈夫か、アンドレ?」

 ギャラガは立ち上がった。水は深くない。膝より下だが、まともに顔から落ちたので、全身ずぶ濡れ、汚物まみれだった。

「大丈夫じゃないです。ここは下水道だ!」

 彼の目には石組の長い水路が見えていた。天井が高い。幅もある。セルバ共和国でこんな立派な下水道があるのはグラダ・シティしか考えられない。セルバ共和国だったら、の話だが。
 彼は腕を振って汚物と水を払った。ザブザブ歩いてテオの横に上がった。テオがハンカチを出して、見えないまま彼に向かって差し出した。

「すまん! 横に出れば良かったが、君の真後ろに出てしまったようだ。」
「どんな出方をするのか、その時でないとわかりませんから、貴方が謝ることじゃないです。」

 まるで経験者の様なことをギャラガは言ってしまい、赤面したが、テオには見えなかった。 

「何処かの下水道の様だな。」
「セルバ共和国で下水道設備があるのはグラダ・シティとオルガ・グランデだけだと聞いています。この立派な施設はグラダ・シティでしょう。」
「ここがセルバだったら、だね。ウィーンだったらどうしよう。」
「ウィーンがどうかしましたか?」
「『第三の男』と言う映画を知らないか?」
「ノ。」
「じゃぁ、今の言葉は忘れてくれ。」

 ギャラガは所持品のチェックをした。拳銃が濡れてしまった。身分証は無事だ。セルバ共和国は奇妙なことにパスケースや書類入れなど文具は防水仕様が多い。恐らくバケツをひっくり返した様に雨が塊になって降るスコールや、地図にない場所に突然川が出来たり池が現れたりする土地柄だからだろう。拳銃ホルダーも防水にして欲しかった、と無理な願いを抱きながら、彼はパスケースの水を払った。
 テオが尋ねた。

「カルロか遺跡荒らしがいた形跡はあるかい?」

 ギャラガは左右を見た。石組のトンネルが延々と伸びているのが見えた。天井はアーチ型で、人間が一人やっと通れる歩道らしきものが片側だけ造られていて、彼等はたまたまそこに出たのだ。

「人がいる気配はありません。」

 彼は上着を脱いだ。臭くて着ていられなかった。ジーンズと靴も脱ぎたかったが、これは我慢するしかない。気配でテオが彼が服を脱いだことを知った。

「ここがグラダ・シティなら、後で俺の家に行こう。突き飛ばしたお詫びに、服を進呈する。兎に角、外へ出よう。」

 闇の中では何も見えないテオはギャラガの肩に手を置いて、彼等は歩くことにした。上流へ行くか下流へ行くかと相談していると、上流の方が騒がしくなった。

「何だろう?」

 テオの問いにギャラガは耳を澄ました。

「多分、ネズミでしょう。群れで騒いでいる様です。」
「連中の巣穴に何かが侵入したってことか?」

 テオはステファン大尉に小動物が寄り付かないことを思い出した。

「上流へ行こう。ネズミが騒ぐ場所へ行って見るんだ。」

 ギャラガもその理由を悟った。立ち位置を入れ替わるために彼はもう一度汚水の中に下りて、テオの前に移動した。テオが「グラシャス」と礼を言った。
 水が流れて来る方角へ向かって歩いた。ギャラガの靴の中で水がジクジクと音を立てた。足元がぬるぬるで滑らないよう神経を使わなければならない。所々で細い送水管から地上の汚水が流れ込み、滝になっている場所では飛沫が飛び散っていた。テオもすぐに綺麗な状態でなくなった。壁に体を擦り付けるのも原因だった。

「警護隊の仕事は楽しいかい?」

とテオが話しかけてきた。真っ暗な悪臭の世界にいるので、黙っていると気が滅入るのだ。臭いは多少鼻の感覚が麻痺してきたが、暗闇は目が順応しない。光がないから彼には何も見えない。身軽にと思って携帯ライトをラス・ラグナス遺跡に置いてきてしまったのを彼は悔やんだ。ギャラガは適当に答えた。

「脱走を考えなくて済む程度です。」
「つまらないんだ。」
「そう言う訳じゃなくて・・・」
「文化保護担当部に空きがあるぜ。カルロが抜けたので、人手不足なんだ。」

 それはケツァル少佐の直属の部下になると言う意味だ。そうなれたら光栄だが、絶対に無理だ。

「私は考古学の知識がありませんし、本部の外で暮らした経験もありません。それに能力だって・・・」
「カルロの経験を聞かなかったのか?」
「聞きました。でも私はやっと3日前に”心話”が出来る様になったばかりです。」
「だが、いきなり”通路”で先導をやってのけたじゃないか。立派だぞ。」

 テオの声は耳に心地良かった。

「考古学だって、文化保護担当部の連中は少佐も含めて部を設置してから大学で学んだんだ。通信制で働きながら勉強したんだよ。君だって出来るさ。」
「出来ますか?」
「出来る。俺はグラダ大学の生物学部で働いている。わからないことがあればいつでも来いよ。マハルダだってそうしている。彼女は考古学部を卒業して、今は現代人類学を履修しているんだ。勉強家だよ。」

 テオはグラダ大学の先生なんだ! ギャラガはびっくりした。セルバ共和国の最高学府の先生と一緒に下水道を歩いているのだ。

「ケツァル少佐はこの半年間人手が足りないから補充人員を寄越せと本部へ陳情しているそうだ。だけどカルロが修行を終えたら戻るつもりでいるらしいから、司令部がなかなか新しい人を寄越してくれないと、少佐が俺にこぼすんだよ。」
「貴方は少佐と親しいのですね?」
「まぁ、腐れ縁ってやつだけど・・・俺は一応彼女を口説いているつもりなんだが、彼女はツンデレ女王だから、俺に甘えてくると思ったら冷たくなるし、なかなか落とせないんだ。」

 これまたびっくりだ。伝説のケツァル少佐に白人が求愛している。テオは誰に憚ることもなく堂々と明かしているのだ。

「もし、私が文化保護担当部に入ったら、ステファン大尉が戻る場所がなくなりはしませんか?」
「大丈夫だ。机を置くスペースは余っている。」
「そう言う問題ではなくて・・・」

 突然対岸で汚水の滝の水量が増して、飛沫が飛んできた。テオが英語で「シット!」と叫んだ。正に糞だ。

「ここを出たら、真っ先に熱いシャワーを浴びようぜ!」

 テオが怒鳴ったので、ギャラガは思わず反論した。

「お湯のシャワーがそんなに良いですか?」

 お湯が出るシャワーは金持ちの特権だ。だから、ロホの古いアパートでシャワーからお湯が出た時、ギャラガはびっくりしたのだ。お湯が出るシャワーは常夏の国では必需品ではない。少なくともグラダ・シティや東海岸地方では無用の長物だ。それが一般のセルバ庶民の感覚だった。テオは北の国から来たので、時々お湯のお風呂が欲しくなる。エル・ティティの家は水のシャワーしかない。その代わり町には共同浴場がある。伝統的な蒸し風呂の浴場だ。だからエル・ティティの暮らしに満足している。蒸し風呂がなければゴンザレスをグラダ・シティに引きずって来たかも知れない。

「この汚水はお湯で洗った方が綺麗になるんだぜ。家に帰ったらバスタブにお湯を張って、最初に君を入れてあげるよ。」

  

2021/09/03

第2部 涸れた村  13

  テオが現場へやって来た。石を踏んづけないように用心して歩いて来たので時間がかかった。石は危険だ。足を置いた弾みに石自体が滑って怪我をする羽目になる。石の下に蠍や毒蛇が潜んでいる場合もある。彼はあまり夜間に野外へ出る人間ではなかったが、エル・ティティの町は屋内でも毒がある生物が侵入することがあるので、用心深くなっていた。出来れば”ヴェルデ・シエロ”を一人巡査として雇って欲しいほどだ。ゴンザレス家に下宿させてやるから来てくれないかな、と思いつつ、彼はデネロスとギャラガの2人の少尉が待つ大岩の前へ辿り着いた。

「さっき空気がビーンと震動したが、カルロが気を発したのか?」
「スィ。でも消えてしまいました。」
「誰が?」
「カルロが・・・」

 テオは暗がりの中で光っている4つの金色の目を眺めた。”ヴェルデ・シエロ”の目だ。彼等は夜になると金色に目を光らせる。一人だけ例外を知っているが、そいつがここにいない。
 ギャラガがテオのために地面をライトで照らして見せた。

「大尉の足跡です。ここで引き摺られた様になって、ここで乱れています。抵抗した跡だと思います。」

 テオが犯罪捜査の刑事みたいに地面にかがみ込んで砂の上の痕跡を観察した。ステファン大尉の靴跡はあったが、他の人間の足跡はなかった。デネロスが岩を指差した。

「ここに”入り口”があるんです。カルロはここへ入ってしまったんだと思います。」
「足跡の状態から判断すると、自分から入ったんじゃなくて、引き込まれた感じだな。しかし誰かがいて、彼を捕まえた様な形跡がない。」

 テオは引きずった様な跡の最初の位置と、デネロスが示した空間の”入り口”の距離を見比べて推測った。大人の腕1本の長さしかない。彼はデネロスに尋ねた。

「”入り口”って吸引力があったっけ?」

 彼女は首を傾げた。

「多分、閉じかけている”穴”だったら・・・」

 ギャラガはその言葉を聞いて、空間をじっくり見つめた。心なしか”入り口”がさっきより小さくなっている様な気がした。

「この”入り口”、縮んでいるんじゃないか?」

 テオが立ち上がった。なんとなくカルロ・ステファンの身に何が起きたか想像出来た。

「あいつ、ドジを踏みやがったな。」

と彼は呟いた。

「カルロはその”穴”を見つけて、指か手を入れてみたんだ、きっと。”穴”は閉じかけているから、彼を吸い込もうとした。きっと勢いが強くて、彼は抵抗出来なかったんだ。咄嗟に彼はポケットの中の物を掴み出してばら撒いた。この場所に注意しろと俺達に伝えたかったんだ。恐らく一瞬の出来事だったんだろう。」
「彼、何処へ行っちゃったんでしょう?」

 デネロスの声が微かに震えた。泣き出しそうになっている。テオは暗闇の中の、彼には見えない”穴”を見つめた。これが閉じてしまったら、ステファンの行方が掴めなくなる。
 彼はデネロスに言った。

「俺はこれからカルロを追いかける。」

 え? と2人の大統領警護隊の隊員が驚いて声を上げた。危ないから駄目だ、と言われる前にテオはデネロスに言い聞かせた。

「”通路”は必ず”出口”があるだろう? それもセルバ共和国の何処かにあるに違いない。これが塞がったら、カルロを探すのが難しくなる。だから俺はこれからこの中に入る。君は夜明け迄待って、2人の二等兵を連れて基地へ撤収しろ。そして少佐に連絡を取るんだ。俺はカルロを見つけたら、ここに戻らずに少佐に連絡する。多分、その方が早いからね。」

 デネロスは彼の顔を見つめた。泣きたいのを我慢して、彼女は言った。

「”ティエラ”一人で”入り口”に入るのは無理です。」

 それまで黙って2人のやりとりを聞いていたギャラガは、”入り口”を見た。使ったことはないが、”ヴェルデ・シエロ”なら通れる筈だ。彼は思い切って言った。

「私が先導する。」

 デネロスが彼を見た。駄目だと言われるかと思ったら、彼女は言った。

「お願いするわ。テオを守って。必ず3人で戻って来て。」


第2部 涸れた村  12

  走りながらギャラガは拳銃をホルダーから抜いた。安全装置を外した。デネロスを見ると彼女はアサルトライフルを水平に構えて走っていた。遺跡を走り抜け、坂を少し上り、初めて見る大きな岩の手前で、地面に落ちている物を見つけ、彼は急停止した。思わずデネロスに怒鳴った。

「止まれ! 踏むな!」

 デネロスも何か見えていたのだろう、ピタリと足を止めた。
 砂の上に自然に落ちている筈のない物が散らばっていた。ギャラガは最寄りの物を拾い上げた。黒い革財布だ。中に入っていた紙幣がはみ出していたので、押し込めて、中身を検めた。名前が書かれた物はなかったが、見覚えがあった。
 デネロスも別の物を拾い上げた。こちらは誰の持ち物か明白だった。身分証が入ったカードケースだ。緑色の鳥の徽章も入っていた。彼女がギャラガに囁く様な低い声で言った。

「カルロの身分証よ。」
「こっちは財布だ。」

 地面を見ると何か引きずった様な跡が砂の上にあった。それは長くはなく、すぐに激しく乱れて砂を蹴散らした感じで、そして忽然と岩の前で消えていた。いきなり引っ張られて、抵抗して・・・それからどうなった?
 ギャラガは周囲を見回した。岩が点在しているが、概ね平坦な地面が少し低い位置に広がっていた。昔沼があった場所だ。
 デネロスが足跡を迂回して大岩に近づいた。彼女の目が金色に輝くのが見えた。

「ここに、”入り口”があるわ。」

 ギャラガがそこに近づいた時、遺跡の方からテオの声が聞こえた。

「おーい、何かあったのか?」

 振り返ると携行ライトの光が遺跡の中を動いていた。デネロスが自分のライトを点灯させた。

「ここです! テオ、足元に気をつけて!」

 テオが彼女のライトを発見してやって来るのがわかった。ギャラガは不思議に思えた。

「彼は”ティエラ”だろ? どうして何かが起きたってわかったんだ?」
「彼はわかるのよ。」

とデネロスが答えた。

「さっき私達が感じたカルロの気を、彼も感じたの。よくわかんないけど、彼は少佐とカルロが危険を察知したりする時に発する気の動きを感じ取るのよ。きっとグラダ族の気が凄く強いか、独特の波長をしているのだと思うわ。」
「それでも普通の”ティエラ”は感じる筈がないと思うが・・・」

 デネロスはテオが特殊な生まれの人間であることをギャラガに教えるつもりはなかった。ここで話す場合ではないと心得ていた。彼女はこれだけ言った。

「テオは文化保護担当部のお守りみたいな人なの。だから少佐はこの任務に彼を加えたのよ。」


2021/09/02

第2部 涸れた村  11

  近くにあった石垣が新しくなっていた。最近積まれたような感じで、雑草も生えていない。蟻塚も壁になっていた。人家だ。地面は石畳? 開けた空間だったのが、石の家並みに囲まれていく。ギャラガは足を止めた。やって来た方向を振り返ると、石の門が見えた。
 デネロスも立ち止まって周囲を見回していた。道の片側に溝があって水が流れていた。家の隙間から沼が見えた。岸辺に葦が生い茂る沼だ。人の気配はなかった。
 ギャラガはコンドルの神像があった区画へ行ってみた。そこに小さな祠があった。現代でもビルや家屋の外壁に扉付きの戸棚の様な祭壇がつけてあるのを見かける。そんな風な祠と言うかミニ神殿だ。現代の祭壇は、マリア像やキリスト像が祀られているが、ラス・ラグナスの小さな神殿はコンドルの神様が入っていた。派手な色で彩色されていた。干した魚や野菜が供えられている。何の神様なのだろう。
 ギャラガはデネロスを振り返って声をかけた。

「おい・・・」

 忽ち風景が消え去った。砂に戻ろうとしている廃墟が戻って来た。
 デネロスがガックリと肩を落とした。

「声を出さないでよ・・・折角精霊が昔の風景を見せてくれていたのに・・・」
「精霊?」

 ギャラガは戸惑った。”ヴェルデ・シエロ”が神として普通の人間達から崇められている様に、”ヴェルデ・シエロ”は目に見えない精霊を信仰している。それはギャラガも大統領警護隊に入ってから同僚達の会話で知っていた。だが本気で信じている人がいるとは思っていなかった。だから、ステファン大尉から文化保護担当部にいたと聞いた時、どうして大統領警護隊が遺跡保護の仕事なんか担当するのだろうと、彼は疑問を抱いたのだ。ステファンに連れられてロホのアパートに行って、ロホと大尉の会話を聞いていたら、悪霊がどうの、精霊がどうのと言う話ばかりしていた。盗掘品密売人を捕まえる仕事じゃなかったのか? とギャラガは不思議に思った。そして、彼自身納得がいかないのだが、ケツァル少佐に面会した時、彼女の美貌も理由の一つであったが、その強烈な気の大きさに、精霊は存在するのだと思ってしまったのだ。

「精霊は静寂の中でしか現れてくれないのよ。そんなことも知らないの?」

とデネロスが怒っていた。ギャラガは己の無知に腹が立った。だから彼女に八つ当たりした。

「そんなこと、知る訳ないだろ! 私は今まで警備の仕事しかしたことがなかったんだ。君みたいに遺跡に足を運んだり、考古学の勉強をした経験なんてないんだよ!」
「貴方のお母さんは、家で精霊を祀っていなかったの?」

 デネロスの言葉にギャラガは口を閉じた。家で精霊を祀る? それが”ヴェルデ・シエロ”の家の常識なのか? 
 デネロスが溜め息をついた。大統領警護隊全員が文化保護担当部の職務を理解している訳ではない、と彼女は反省した。ロホやアスルが行っている悪霊祓いや逃げ回る精霊を捕獲するのは非常に特殊な仕事なのだ。普段の自分達の仕事は考古学者達をゲリラや山賊から守ったり、盗掘されないよう見張ったり、遺跡泥棒を追跡することだ。

「ごめん」

と彼女が言った。

「貴方は文化保護担当部じゃないものね。修行した訳じゃないから、精霊の扱い方を知らなくて当然なんだわ。怒ってごめん。」

 急に謝られて、ギャラガはまた戸惑った。こんな時、なんて言えば良いのだ?
 その時、空気がビーンと張った感覚があった。彼はビクッとして遺跡の外へ顔を向けた。デネロスも同じ方角を見た。

「感じた?」
「ああ・・・」
「あれは・・・カルロよ!」


第2部 涸れた村  10

  レトルトパックのシチューで夕食を取った後、小1時間ばかり仮眠した。チコとパブロはテオと大統領警護隊が遺跡を調べている間にキャンプ周辺に溝を掘っていた。溝で囲んだ内側は石を取り除き、蠍や蛇が隠れる場所を作らないように工夫した。”ヴェルデ・シエロ”達がいる間は安全だが、彼等が遺跡へ出かけると不安になるので、テオは砂漠に慣れた彼等の仕事に感謝した。
 仮眠から覚めると、大統領警護隊は遺跡へ出かけた。二等兵達に正体を知られたくないので、携帯ライトを照らして歩いて行ったが、キャンプより高い位置にある遺跡だ。焚き火の灯が見えなくなると、ステファン大尉達はライトを消した。

「マハルダとギャラガは遺跡の中を調べてくれ。私はテオが吸い殻を拾った辺りを見る。何か見つけたら声を出しても構わない。」
「承知。」

 デネロスとギャラガは心ならずもハモってしまった。
 ステファン大尉が遺跡の外へ出て、大昔の沼地跡へ歩いて行った。デネロスとギャラガは空間を眺めながら少しずつ歩を進めて行った。

「チコとパブロは私達が夜の遺跡に出かけると言ったら、変な顔をしていたわね。」

とデネロスが話しかけた。ギャラガは肩をすくめた。

「そりゃ、普通の人間はこんな暗がりを歩いて探し物なんかしないからさ。」
「私、その『普通の人間』って言葉、好きじゃないの。」

と彼女が言った。

「私は、私は普通だ、と思ってる。でも能力を隠して生きるのも、そんなに悪くない。大統領警護隊に入って気を制御出来る様になってから、”ティエラ”達が私を除け者にしなくなった。子供時代は作れなかった友達が、大学に入ってからいっぱい出来た。そして彼等に出来なくて私だけが出来ることがあるって思ったら、とっても嬉しくなっちゃう。私は普通の人間の一人で、ちょびっと皆より優れているだけって思うことにしているの。」
「君は前向きで良いな。」

 ギャラガは呟いた。

「私は普通の人間でなければ、一族でもない、中途半端な存在だ。”出来損ない”の”落ちこぼれ”だ。」
「どこが?」

とデネロスが少し怒った様なトーンで問いかけた。

「ちゃんと”心話”が出来るようになったじゃない。夜目も効くし、大きな気も持っている。カルロは昨年迄”心話”しか使えない人だったけど、兵士としての技量で頑張って大尉迄昇級して、それから能力が開花したのよ。貴方はまだ大尉より若いじゃない。これからいくらでも修行を積めるわ。」

 同輩に説教されて、ギャラガは黙り込んだ。デネロスの言う通りだった。ステファン大尉が大統領警護隊の中で一目置かれているのは、グラダ族の強い能力もあるだろうが、兵士としての戦闘能力が優れているからだ。たった一人で反政府ゲリラ”赤い森”を殲滅させたのは、少尉達の間で伝説に迄なっている。能力を使わずに、ジャングルの中で知恵を絞ってアサルトライフルと軍用ナイフだけで敵を倒したのだ。ギャラガは陸軍特殊部隊でゲリラと戦った経験があった。命懸けの経験はしていたのだ。仲間の兵士を守って戦った。敵も倒した。十分自信を持って語られる経験だ。大統領警護隊に入って劣等感に苛まれ、今までそれを忘れていた。
 自分に誇りを持て。
 ギャラガは己に言い聞かせた。
 デネロスにアドバイスの礼を言おうとして顔を上げると、遺跡の風景が一変していた。


第11部  神殿        12

 テオは用心深く尋ねた。 「白人の俺が、貴方方の秘密を知り過ぎると、生きてここから出られないような気がするのですが、俺は今どんな立場にいるのでしょう?」  最長老が近くの棚に心なしかもたれかかった様に見えた。 「貴方の立場は、ピラミッドの中に現れた時から危険な位置にあります。神殿...