2021/12/21

第4部 悩み多き神々     20

 「明日は好きなだけ眠れるぞ。」
「遊撃班は気の毒ですね、あのまま続けて任務だ。」
「心配するな、警備班のルーティンの調整が出来たら、すぐに交代要員が行くさ。」

 食事が終わると、大統領警護隊はアルコールを楽しむでもなく、あっさり席を立った。ロホがケツァル少佐のカードを預かり、カウンターへ行った。

「精算してくれ。」

 バーテンダーではなく、店の支配人が素早くカードを受け取り、レジを打った。カウンターの少し離れた位置で、グラシエラがもたれかかって彼を見ていた。顔もルックスも身のこなしも一部の隙もない「完璧な王子様」だ。ロホが視線に気がついてこちらへ顔を向けかけたので、彼女は急いでトレイを持ち、バーテンダーが上げたグラスを載せた。客のテーブルに歩いて行きながら、彼女は少しばかり幸福を味わった。
 文化・教育省に行けば彼が働いている。それは承知している。しかし、用もないのに出かけて行って彼の業務を邪魔すれば、絶対に姉様に叱られる。しかし多分、姉様は休日に彼女がロホと話をしたり、デートすることは止めないだろう。問題は兄だ。兄とロホは仲良しだ。しかし、兄は彼女が軍人と交際することを嫌がる。己が軍人だから、危険と常に隣り合わせで働く男と妹を付き合わせたくないのだ。それに兄とロホの仲が、彼女が原因で拗れてしまうのも嫌だ。
 客にグラスを配り、彼女は顔を上げた。大統領警護隊は店を出て行くところだった。最後尾にいたテオ先生が、手を振ってくれたので、彼女も振り返した。
 姉様とテオ先生に何とか兄を説得してもらえないだろうか、とグラシエラは考えた。だが兄は、姉様に失恋したばかりだ。今、この話題を出すのは拙いかも知れない。
 バーテンダーがカウンターの向こうで呼んだので、彼女は急いで戻った。もう少し様子をみよう。ロホはまた店に来てくれるだろう。彼女がここにいると知ったのだから。
 大統領警護隊文化保護担当部は、帰りの車の配分を変更した。ケツァル少佐は彼女のベンツのハンドルを握り、ロホ、デネロス、ギャラガを乗せた。テオの車はアスルだけだ。アスルはテオの車に乗ると必ず寝てしまう。喋ることがないからだ。しかし話し相手がいない運転は睡魔を呼び込む。テオは満腹と疲れの攻撃に抵抗しながら、市街地に向かって走った。少佐のベンツは陸軍基地を大きく迂回して、大統領府の方向へ去った。先に大統領警護隊の官舎にデネロスとギャラガを送り届けるのだ。
 テオはマカレオ通りに向かって運転した。ロホもマカレオ通り北部に住んでいるが、何故か少佐は彼をベンツに乗せた。彼女の意図を何となくテオは察した。
 どうにか無事に自宅駐車場に車を乗り入れることが出来た。エンジンを切ると、アスルが目を覚ました。もう着いたのか、とブツブツ言いながら、彼は先に車を降りて玄関へ行った。いつもの様に鍵なしでドアを開けようとして、彼は動きを止めた。隣家の人が外へ出て来たのだ。長屋の住民達は、ドクトル・アルストが軍人とルームシェアしていると知っていたが、実際にアスルを見かけることが滅多になかった。アスルはさりげなく胸の徽章を手で隠し、隣人に「ブエナス・ノチェス」と言った。隣人はニッコリ笑って挨拶を返した。そしてテオとアスル、どちらへと言うこともなく、言った。

「昨日から何処かへ出かけていたのかい?」

 テオが愛想良く答えた。

「軍事演習があるって言うので、見学に行ったんだ。」
「そうかい、軍人さんも土曜日だって言うのに大変だね。」

 また明日、と言って隣人は車に乗り込んだ。
 テオが鍵を出して、ドアを開けた。家の中に入るなり、アスルはバスルームに駆け込んだ。テオはドアを閉め、アスルが玄関に置きっぱなしにしたリュックをリビングまで運んだ。くたくただったが、コーヒーを淹れた。コーヒーが出来上がり、彼がカップに注いで飲みかけたところへ、アスルが濡髪のまま現れた。勿論服も着ていない。

「シャワーの湯が出ないぞ。」
「また故障か・・・明日修理する。」
「俺は冷水でも平気だが、あんたは嫌じゃないのか?」
「今日は水で構わない。暑いし、体もくたくただ。」

 アスルは彼の部屋となった客間へ入って行った。テオはコーヒーを飲み続けたが、アスルが戻らないので、ポットとカップだけテーブルに残して、自分の部屋から着替えを取ってバスルームに入った。
 入浴後にテーブルを見ると、ポットとカップはそのままだった。アスルは寝てしまったのだ。


 

第4部 悩み多き神々     19

  埃と汗にまみれた戦闘服姿のままで入れる店が、陸軍基地周辺に集まっていた。その中の、昼間から開いていて夜の早い時間に閉める稀な店を、ロホは知っていた。セルド・アマリージョ(黄色い豚)と言う中クラスのレストランで、客層は軍隊関係と民間人が半々。軍人の間では、安心してガールフレンドを連れて行ける店として知られていた。デートに使える店に演習後のドロドロの服で入るのはちょっと気が引けたが、他の店がまだ営業前だったので、文化保護担当部はセルド・アマリージョに押しかけた。
 ウェイターは一瞬ムッとした顔をしたが、客の胸に輝いている緑色の鳥の徽章を目にすると、急に愛想が良くなり、上席に案内した。店内に賑やかなポップが流れており、テーブルの半分が埋まっていた。客は若い兵士が多かった。新しく入ってきたグループに目を遣り、それが大統領警護隊だと気付くと、彼等は慌てて視線を逸らした。
 6人は丸テーブルに着いた。渡されたメニューを開くと、そんなに高い料理はなく、適度な料金でお腹いっぱい食べられるとわかった。テオはケツァル少佐の隣になり、少佐が指差す料理に全部頷いて見せた。少佐が上目遣いで彼を見た。

「本当に、これで良いのですか?」
「構わない。君が好きなものなら、なんでも・・・」
「スパイシーですよ。」
「大丈夫だろう。」

 テオはもう片側の隣のデネロスを振り返った。デネロス少尉は何故かデザートから見ていた。

「マハルダ、食事から先に選んでくれよ。」
「そっちにお任せします。私は甘い物担当。」

 男3人は別のメニューを眺めて、肉の大盛りメニューを選んでいた。そこへウェイトレスが来た。メニュー用タブレットを持って、彼女は操作しながら尋ねた。

「ご注文は?」

 その声に聞き覚えがあったので、テオは顔を上げた。同時にロホも彼女を見た。コンマ1秒ほど早く、ロホが相手の名前を口に出した。

「グラシエラ?」

 ケツァル少佐も顔を上げた。デネロス、アスル、ギャラガもウェイトレスを見た。若いウェイトレス本人も目を丸くして客を見た。

「シータ! それに・・・」

 彼女の頬が赤くなった。知っている人に出会って動揺しているのだ。テオが尋ねた。

「アルバイトかい?」
「スィ。土曜日の夕方だけ・・・友達のお兄さんがバーテンダーをしていて、その紹介です。」

 彼女はそっと姉を見た。”心話”で、母親には秘密にして、と要請した。ケツァル少佐が溜め息をついた。

「ママより兄貴の方が厄介だと思いますけどね。」

と彼女は囁いた。少佐はこの店を選んだロホを見た。ロホが急いで言った。

「私は彼女がここで働いているなんて、知りませんでした。」
「土曜日だけですから。」

とグラシエラも慌てて言い訳した。余程異母姉に知られたことが気まずいのか、動揺程度が半端でない。テオは店内を見回した。

「健全な店に見える。取り敢えず、注文を取ってくれないか?」

 それで各自食べたい料理を告げた。妹の手前、控えるつもりなのか、ケツァル少佐も1人前しか注文しなかった。
 グラシエラがカウンターへ戻ると、デネロスが内緒話をするかの様に、テオと少佐に顔を近づけて囁いた。

「グラシエラは、ロホ先輩を全然見ませんね?」

 え? とテオは思わず対面に座っているロホを見た。ロホはギャラガに、酔っ払いに絡まれた時の対処法を話し始めたところだった。アスルは厨房が気になる様だ。奥を何度もチラチラ見ている。
 ケツァル少佐が苦笑した。そして小さな小さな声で囁いた。

「彼女は、ロホがこの店に時々現れるので、友達に頼んで働かせてもらっているのです。」

 さっきの”心話”の時、妹の真意をチラッと感じてしまったのだ。テオとデネロスは顔を見合わせた。数秒後、2人はクスッと笑った。

「ああ、そう言うこと・・・」
「可愛いですね。」
「兄貴が知ったら、悩むぞ。」

 カルロ・ステファンは妹に平凡な人生を送らせたいと願っている。普通の市民と結婚して家庭を持って、平和な穏やかな暮らしをして欲しいと思っているのだ。だから、軍人や警察官との交際は駄目だと日頃から言っていた。しかし、兄貴の親友で優しくイケメンのロホを紹介された時、グラシエラは心に何か響く物を感じたのだ。こればっかりは、阻止出来ない。 ロホの方はどうなのだろう。
 テオとデネロスが見つめると、ロホが視線を感じて、ギャラガから対面に目を向けた。

「何か?」
「別にぃ・・・」

 その時、アスルが、ちょっと失礼する、と言って、立ち上がり、厨房へ歩いて行った。何だろう? と仲間達が見守っていると、彼は厨房入り口近くのカウンターにもたれかかり、バーテンダーに声をかけた。

「料理の過程を見学して良いか? 中には入らない。俺は埃だらけだから。」

 見学だけでしたら、とバーテンダーがドキドキしながら答えた。大統領警護隊の客は初めてだ。いや、ロホは今まで何度かここへ来ていたが、その時はいつも私服だったので、正体がわからなかった。イケメンの軍人らしき客、と言う認識だったのだ。
 バーテンは、他のテーブルへ注文を取りに行ったグラシエラを指した。

「彼女とは、お知り合いで?」

 アスルは本当のことを言った。

「我々の上官の妹御だ。少佐殿が溺愛されている。」

 成る程、とバーテンは頷いた。そして思った。あのウェイトレスに客が手を出したり絡まないよう、見張っていなければ、と。さもないと、客の命が危ない。

2021/12/20

第4部 悩み多き神々     18

  帰りは、ケツァル少佐のベンツをロホが運転し、アスル、ギャラガが乗った。テオの車には少佐とデネロスだ。ロホについて行けと言われて、テオは行き先がわからぬまま運転した。

「今日の遊撃班は1人足りませんでしたね。」

と助手席の少佐が言った。それでテオはいなかった隊員を思い出した。

「エミリオ・デルガド少尉だ。彼はハリケーンが上陸した日に休暇をとって、今実家に帰省中なんだ。」
「そうですか。」

 少佐が苦笑した。

「あの子がいなくて良かった。」
「どうして?」
「マーゲイは身軽ですから、単独で何処にでも侵入して来ます。大勢の敵が外から銃撃して来て、応戦している時に、マーゲイが1匹中に入り込むと、大変ですよ。」

 すると後部席のオセロットが口を挟んだ。

「私だって侵入出来ますよ。」
「貴女は駄目。」

と少佐が断言した。デネロスがほっぺたを膨らませた。

「どうしてですかぁ?」
「目立ちます。」

 少佐がキッパリ言い切った。

「可愛いから。」

 テオは笑い出した。デネロスも怒る気力を失って笑い出した。
 ベンツの中では、全く別の話題が話されていた。

「ケツァル少佐はカルロに厳し過ぎるんじゃないか?」

とアスルが疑問を呈した。しかし、ロホは、

「あれで良いんだ。」

と言った。

「兄弟で大統領警護隊に入っている人は少ない。それにカルロは一度外郭団体に出て、それから再び戻された。司令部もセプルベダ少佐も彼に目を掛けている。純血種で年上の万年少尉達の妬みを買いやすい。だから、ケツァル少佐は彼に恥ずかしい思いをさせてでも、他の隊員達と公平に扱っていることを見せなければならないんだ。」

 ギャラガは黙って聞いていた。彼もロホが言っている意味が理解出来た。警備班にいた頃は、能力がない偽”シエロ”と言われたり、”出来損ない”と蔑まれたりした。そして文化保護担当部に抜擢されると、今度はやっかみで皮肉を言われる。だから彼はそれ迄以上に規律を守って真面目に勤務しているのだ。
 助手席のアスルが肩越しに振り向いた。

「どうだ、アンドレ、今日は思いっきり発散出来たか?」
「スィ!」

 ギャラガは苦手な先輩が白兵戦の時に何度か助けてくれていたことを知っていた。それに礼を言えば、却って照れ臭さを隠すために怒る先輩であることもわかっていた。だから、彼は素直に言った。

「思いきり暴れることが出来て楽しかったです。色々教授されることもあって、勉強にもなりました。また、こんな訓練をやりたいです。」
「よし、よく言った!」

 アスルが満足気に前を向いた。ロホに声をかけた。

「で、何処に行く?」
「肉が良いか? 魚が良いか?」

 アスルとギャラガは示し合わせた訳ではなかったが、声を揃えて叫んだ。

「肉!」



第4部 悩み多き神々     17

 撤収作業が行われた。大統領警護隊は薬莢も銃弾も残らず回収した。文化保護担当部も遊撃班も同じ作業だ。テオは民間人なのでしなくて良いと言われたが、アンドレ・ギャラガと一緒に作業した。

「”ヴェルデ・シエロ”は怪我の治りが早いのに、指揮官は部下の治療を行うのか?」
「ああ、あれは・・・」

 ギャラガは鉄板にめり込んだ銃弾を引き抜こうとペンチで引っ張った。

「気の爆裂での負傷は自力で治すのが難しいからです。」
「と言うと?」
「普通の怪我は筋肉が裂けたり、腱が切れたり、骨が折れたりするものです。そう言うのは自力で治せるんです。ちょこっと医療処置を施せば、”ティエラ”の数倍のスピードで治せます。」
「うん、知ってる。」
「気の爆裂での負傷は、細胞自体がぐちゃぐちゃに壊れてしまうので、自力で治そうとすれば時間がかかります。これは医療処置が困難でもあります。我々はこれを『呪いが残る』と表現します。『呪いが残る』のは爆裂を食らった時だけではありません。例えば、”操心”に掛けられた人の手でナイフで刺されたり銃で撃たれた時も、微力ですが物体から相手の気が伝わるので、傷つけられた人は肉体の傷が治ってもその後長期間苦痛を味わいます。ですから、気の放出を使う演習を行う場合は、必ず『祓い』が出来る上級士官が立ち合います。今日の場合は、遊撃班のセプルベダ少佐と文化保護担当部のケツァル少佐、それにロホ先輩です。」
「カルロはまだ出来なかった?」
「恐らくセプルベダ少佐から理論上は教わっておられた筈ですが、実践出来る機会がなかったのです。訓練で気の爆裂による負傷をしたい人なんていませんから。それで、先刻大尉自身の気の爆裂で負傷した少尉達を、2人の少佐とロホ先輩の監視の下で大尉が『祓い』で治療したのです。」
「それじゃ、ロホがそばに立っていたのは、カルロが失敗した場合の助っ人か?」
「スィ。下手に『祓い』をすると軽微な負傷でも部下を死なせてしまいますから、施術を行う上官は緊張の極地です。」

 テオは目で友人達を探した。すると、見覚えのある顔が遊撃班の中にいた。

「君は、ファビオ・キロス中尉じゃないか? オルガ・グランデの廃坑で出会ったことがある。」

 声を掛けられてキロス中尉が振り向いた。いかにも大統領警護隊のエリートらしく、彼は敬礼で挨拶の代わりにすると、無駄話をせずに作業に戻ってしまった。テオは苦笑した。

「出会ったのは2年近く前だしな、民間人から慣れ慣れしくされても困るだろうさ。」
「その境目が難しくて・・・」

とギャラガがボソッと言った。

「学校でどこまで学生達と付き合えば良いのかわかりません。」

 テオは彼を見て、大学の先生らしく優しく励ました。

「君自身の心に素直になって付き合えば良いのさ。学生達は勉強でライバルになることもあるだろうが、敵じゃないからな。気が合えば仲良く付き合えば良いさ。」
「グラシャス、准教授。」

2人の少佐は車の影に座って部下が集めてくる銃弾や薬莢の数をチェックしていた。1発でも取り残すと、後で面倒なことになるかも知れないので、慎重だ。もしこの廃工場で後に犯罪でも起きて、その時に演習の銃弾が残っていて発見されたら、警察の犯罪捜査に支障を来たす。ケツァル少佐は時計を見た。

「セプルベダ、そろそろ本部へ帰る時間ではないのですか?」
「後1発、数が合わない。」
「こちらもあと2発です。私達で探しますから、撤収してください。」

 こんな場合、素直に相手の厚意を受け取るべきだ。セプルベダ少佐は、グラシャスと言い、部下に声を掛けた。

「集合!」

 遊撃班が一斉に彼の前に集まり、整列した。ステファン大尉が進言した。

「少佐、まだ1発銃弾が行方不明です。」
「文化保護担当部が捜索を引き受けてくれる。」
「もしよろしければ、私が銃弾を呼びます。」

 え?とテオは思ったが、ケツァル少佐以外の”ヴェルデ・シエロ”達も、え? と言う顔をした。しかし、ケツァル少佐が言った。

「お止めなさい。行方不明の弾丸は合計3発です。3方向から飛んできますよ。」
「大丈夫、出来ますって!」

 ステファンが弟の顔で言ったので、セプルベダ少佐が、ステファン!と怒鳴った。

「上官に口答えするな。」
「申し訳ありません!」

 ステファンがビシッと全身を強張らせて姿勢を正した。しかしその直後、その場にいた一同はもう少しで吹き出しそうになった。ケツァル少佐が弟にあっかんべーをしたのだ。そして彼女が喉を鳴らした。

 クッ

 テオも含めて全員がその場に伏せた。ケツァル少佐だけが空中にジャンプして、体を回転させながら腕を振り回した。地面に降り立った彼女は言った。

「直れ!」

 ”ヴェルデ・シエロ”達が立ち上がった。テオも慌てて立ち上がった。
 ケツァル少佐がセプルベダ少佐に握った手を開いて差し出した。

「お好きなものをどうぞ。」

 セプルベダ少佐が苦笑した。

「それは使ってはならぬ技だぞ、ミゲール。」
「上層部には黙っていて下さい。部下達は疲れています。今日はこれで本当に撤収しましょう。」

 遊撃班の隊員達は指揮官の合図で素早くジープに乗り込んだ。指揮官車がクラクションを鳴らすと、彼等は一斉に走り去って行った。
 敬礼で見送った文化保護担当部は、ホッと肩の力を抜いた。デネロスがケツァル少佐に尋ねた。

「カルロもさっきの技を使えるのでしょう? どうしてやらせてあげなかったのですか?」

 少佐が顔を顰めた。

「彼は、自分が気を放出する際に仲間を巻き込まぬよう結界を張るタイミングを、まだ完全にものにしていません。さっきも3人怪我をさせたでしょう? そんな人が複数の方向から銃弾を呼んだりしたら、誰かが大怪我をします。」

 彼女はデネロスを見た。

「貴女は結界を張るタイミングが上手になりました。オクタカス監視を安心して任せられます。」
「グラシャス。」

 デネロスは心から嬉しそうな顔をした。ギャラガも格闘の時に相手を妨害する気の出し方を習得したと、褒めてもらえた。
 アスルとロホからも2人の後輩にそれぞれ評価が与えられた。そのアスルは、頬をちょっと切っていた。少佐に視線を向けられて彼は言い訳した。

「今夜の晩飯をどうするか、考えてしまったので・・・」
「戦闘の最中にですか?」
「気が緩んでいました。」

 ロホがライフルの先で工場を指した。

「罰として1周してこい。」

 


第4部 悩み多き神々     16

  テオとデネロスが階段を下りて階下へ行くと、既に「戦闘」は終了していた。廃工場の駐車場に遊撃班と文化保護担当部の隊員達が集合しており、テオは地面に座り込んだ3人の隊員の前にステファン大尉が屈み込んでいるのを目撃した。彼はデネロスに小声で尋ねた。

「何をしているんだ?」
「今の段階は、多分、透視です。負傷の程度を調べています。」

 隊員達は距離を開けて立っていた。全員疲れているが、休めと言われていないので、直立不動で立っているのだった。アスルとギャラガも彼等の横で立っていたので、デネロスも急いでギャラガの隣に並んだ。テオはどうしようかと迷い、結局彼女の隣に立った。
 座り込んでいる隊員の向こうに、2人の少佐が並んで立っていた。テオはセプルベダ少佐を初めて見た。想像したより小柄だが、顔は映画で見る先住民の賢人の様な重厚な雰囲気を漂わせる風貌だった。何族だろう、と思わずDNAを気にしてしまった。
 座り込んでいる隊員を挟んでステファンの反対側にロホが立っていた。いつもの優しい顔と違って厳しい軍人の顔で、真っ直ぐ立っているが身構えている印象をテオに与えた。
 ステファンが1人を残りの隊員から離して座らせた。彼が隊員の左肩に手を当てると、ロホが隊員に声を掛けた。

「息を全部吐き出せ。肺に空気があると危険だ。」

 ハァッと隊員が息を吐くと、ステファンの顔が一瞬力んだ表情を見せた。空気が一瞬ビッと固くなった、とテオは感じた。隊員が全身の力を抜いて、ぐにゃりと体を崩しかけた。ステファンが両手で彼を支えた。

「大丈夫か?」
「大丈夫です、グラシャス。」

 隊員は立ち上がり、ステファンに敬礼し、それから2人の少佐、ロホの順に敬礼してから、整列している仲間のところに走った。
 ステファンは次の隊員にも同じことをした。2人目は肩ではなく腰だったので、地面にうつ伏せに横たわらせて行った。隊員は彼が力んだ時に、まるでお尻を引っ叩かれた様にピクンと体を動かしたが、すぐに立ち上がり、上官達に敬礼して、仲間のそばに戻った。
 3人目はかなり辛そうな顔をして座っていた。ステファンは彼が地面に横たわるのに手を貸した。

「骨は折れていない。内臓も大丈夫だ。だが腹部の筋肉が損傷している。」

 ステファンは彼に負傷の状況を説明した。隊員が何か言いかけたが、彼はその口を指で押さえた。

「喋るな。かなり痛いだろうが、私に治せる。耐えてくれ。」

 彼は己のスカーフを出して隊員の口に咥えさせた。そしてロホを見上げた。

「肩を押さえてくれ。」

 ロホは無言で隊員の頭の方へ行き、その両肩を押さえた。ステファン自身は隊員の腰の上に己の体重をかける姿勢を取り、両手を腹部の上に翳した。テオは一瞬空気が冷たくなったと感じた。1秒後に周囲は元の蒸し暑い南国の空気に包まれていた。
 隊員が起き上がった。額に脂汗を浮かべていた。彼は咥えていたスカーフでそれを拭おうとして、それが上官のものだったと思い出した。ステファンが彼の微かな戸惑いを察して言った。

「そのまま使え。」

 そして隊員と共に2人の少佐に敬礼した。次にロホにも敬礼した。セプルベダ少佐が頷いた。

「戻れ。」

 ステファンと3人目の隊員が遊撃班の列に走った。
 セプルベダ少佐がケツァル少佐に向き直った。

「今日はなかなか有意義な訓練を考えついてくれて、感謝する。」
「こちらこそ、若い少尉達に為になる攻撃を仕掛けて頂いて感謝します。」

 どっちが勝ったんだ?とテオは疑問を持ったが、少佐達はまるで世間話をする様に廃工場の建物を見上げた。

「所有者が警察を通して要望を言ってきたそうだ。」
「あら、なんて?」
「演習で使用するなら、本気で暴れて解体費用がかからないように徹底的に破壊して欲しいと。」
「それは残念。もっと早く言って欲しかった・・・」

 まだ原型を留めている工場の建物を見ながらケツァル少佐が笑った。

「迫撃砲を使う訳にいかんからな。」

とセプルベダ少佐も笑っていた。
 テオは我慢できなくなって、声を掛けた。

「この勝負、どっちが勝ったんだ?」

 ”ヴェルデ・シエロ”達が一斉に彼を見たので、テオは肝が冷えた。将校の会話に割り込んではいけなかったのか?
 最初に笑ったのはセプルベダ少佐だった。

「どっちが勝とうが負けようが、予算審議では遺跡監視費用増額に賛成票を入れる。遊撃班には仕事の機会を増やせるチャンスだからな。だが、ステファンは逃げたぞ。」
「ロホと私で阻止しました。ですから、こちらの勝ちです。」

 鬼の様に怖いお姉さんは、不甲斐ない弟をジロリと見た。

「それに、彼はまだ結界を張るタイミングが悪いです。3名も負傷者を出しました。」
「仰せの通り。」

 セプルベダ少佐にも睨まれて、ステファン大尉は肩をすくめた。だが、と遊撃班の指揮官は彼を擁護した。

「気の爆裂による負傷の対処方法を習得出来ていることが判明した。こればかりは、実際に怪我人が出ないことには、判定出来ないからな。実際の戦いではなく訓練の場であって良かったとしよう。」

 彼は時計を見た。

「撤収にちょうど良い時間だ。では、次の機会を楽しみにしている。」
「次はこちらが攻撃する側になりたいですね。」

 おいおい、と男性の少佐は苦笑した。

「勘弁してくれ、ミゲール。守備より攻撃の方が簡単なのだぞ。」






2021/12/19

第4部 悩み多き神々     15

  階段の中ほどで座っているケツァル少佐が見守る中、アンドレ・ギャラガは3人の遊撃班隊員を相手に打ち合いをしていた。大統領警護隊は拳銃や軍用ナイフを所持しているが、訓練で格闘や打ち合いをする場合は流石に模擬弾装填の銃と模造刀を使う。それでも怪我は避けられない。相手の武器や拳が体に当たる寸前に気を放って避ける訓練だ。
 アスルは6人を相手にしていた。盗掘美術品密売組織の悪党達を10人まとめて病院送りにしたアスルだが、やはり同じ大統領警護隊相手だと手こずった。向こうも彼が格闘技の達人だと知っているから傾向と対策は練っている。それでも彼は巧みに相手に攻撃を仕掛け、遊撃班が気で彼の動きを鈍らせるのを防いでいた。
 ケツァル少佐は相手の人数を数え、遊撃班は現在指揮官を含めて26名だった筈、と考えた。セプルベダ少佐は彼女同様工場跡地の何処かで部下達の戦いぶりを観察している。1人は2階で縛ってある。人質だ。だから15人が外にいる。
 2階ではデネロスが4面のそれぞれの窓に結界を張って、屋根からの侵入を妨害していた。遊撃班は、午前中と違って彼女ではなく壁やガラスを銃撃して、彼女の注意を逸らせようと仕掛けてくる。格闘になると複数の男相手に1人の彼女はちょっぴり不利になるから、彼女は結界で相手の接近を防いでいた。
 ロホは屋根を警戒していた。デネロスの訓練の為に結界を張っていない。敵がそれに気がついて屋根を破って襲撃してくる場合を想定して、天井を睨みながら2階の床を歩き回っていた。
 テオは心臓がぱくぱくする緊張を感じていた。相手は”ヴェルデ・シエロ”なので遠慮せずに拳銃を撃てと言われても、やっぱり人間に向かって発砲するのに慣れていない。事務所の窓を順番に警戒していると、後ろで手首を縛っていた革紐を金属片で断ち切ったステファン大尉が静かに立ち上がった。目隠しを取り、両手首を擦ってから、テオの後ろを通り、事務所から出ようとした。事務所の外でロホが怒鳴った。

「テオ、後ろ!」

 テオが振り返ると同時にステファンが事務所から飛び出した。テオは発砲したが銃弾は壁に当たった。ロホが遠慮なくステファンにアサルトライフルを撃った。パンっと音がして空中で火花が散った。ステファンがフンッと鼻を鳴らして、窓を突き破り、屋根の上に飛び降りた。

「デネロス!」

とロホが叫んだ。

「ここは良い、下へ行け!」

 そして彼自身はステファンを追って窓の外へ飛び出した。
 テオは何が何だかわからず、窓に駆け寄った。デネロスがそれに気づき、咄嗟に事務所の窓に結界を張った。そして事務所の中に駆け込み、テオの服を引っ張った。

「窓から顔を出しちゃ駄目!」

 テオはそれでも外が気になって屋根を見た。
 外に出たロホは途端にカルロ・ステファンが放った強烈な爆風に襲われた。彼は両腕を交差させて頭部を守り、爆風を押し返した。押し返された爆風をステファンは耐えたが、近くにいた味方が3人吹き飛ばされ、屋根から転げ落ちた。

「馬鹿者、結界を張って仲間を守れ!」

と中尉のロホが大尉のステファンに怒鳴りつけた。チッとステファンは舌打ちし、身を翻して屋根から飛び降りようとした。そして脚を何かに掬われてその場で転倒した。下から壁を駆け上がって来たケツァル少佐が彼の顔の前に立った。

「愚か者、私から逃げられると思っているのですか!」

 ステファンは屋根の縁から下を見下ろした。さっき屋根から落ちた3人が地面に座り込み、そばにセプルベダ少佐が立って屋根を見上げていた。

「ミゲール!」

と彼が声を掛けた。

「今日はこれで終わりにしないか? ステファンの風が味方を打ちのめした。」

  ケツァル少佐は彼を見下ろし、それから弟を見て、呟いた。

「力だけは強いんだから・・・」


第4部 悩み多き神々     14

  ジープの座席で丸くなって昼寝をしていたセプルベダ少佐の携帯電話が鳴った。彼が電話の画面を見ると、エルドラン中佐からだった。少佐は直ぐに姿勢を正して電話に出た。

ーーまだ文化保護担当部は片付かんのか?

と中佐が尋ねた。セプルベダ少佐は欠伸を噛み殺して、「まだです」と答えた。すると中佐が言った。

ーー1700に大統領が南部国境へ出かけられる。
「それはまた急なことで。」
ーー当日に言われると警備班のシフト変更が間に合わない。1600迄に撤収して戻って来い。大統領の警護を頼む。
「承知しました。」

 一旦電話を切ると、セプルベダ少佐はケツァル少佐に電話をかけた。相手もまだシエスタの途中だったので、不機嫌な声で応答した。文句を言われないうちにセプルベダは要件を告げた。

「ミゲール、訓練の予定を変更しなければならん。大統領が急な外出をされる。」
ーーそれは仕方ありませんね。刻限は何時です?
「1600には本部に帰りつかねばならん。」
ーーわかりました。では、シエスタ終了次第、総攻撃をかけて下さい。

 セプルベダ少佐は時刻を確認した。まだ27分眠れる。

「承知。では、27・・・26分後に。」

 電話を切ると、彼は再び目を閉じた。
 廃工場では、ケツァル少佐が部下に声を掛けた。

「予定変更! 敵は1600迄に撤収しなければならない。総攻撃をかけてくる。心しておけ!」

 オー!と声を上げ、文化保護担当部の面々が持ち場に散った。テオは再びステファンの手を縛り、目隠しをした。革紐の痕が生々しく痛そうだったので、気持ちだけ緩めて縛った。階段を上り、事務室に入った。午前中と同じ椅子に大尉を座らせ、彼も机の上に座った。

「終了予定が早まって助かったよ。」

と彼は囁いた。

「朝からずっと戦場にいる気分で、耳が銃声でおかしくなりそうだ。」
「私もこんな長時間銃器を用いた訓練をしたのは、陸軍時代以来です。」

 と言いつつ、ステファンは昼食時にこっそり入手した平たい金属の破片を袖口から出した。手の感触だけで向きを持ちかえ、革紐を擦り始めた。テオは気が付かずに、事務所の外の作業場所跡を歩いているロホの姿を窓から眺めた。

「まさかグラシエラはこんな危険な遊びをしないだろうな?」
「彼女は普通の女の子として育ちましたから・・・」
「だけど、君とケツァル少佐の妹だぞ。 君のお母さんだって、お父さんに会いに井戸を上り下りした人だろ? お淑やかに見えても、活発なんじゃないのか?」

 半分揶揄い目的だったが、ステファンは「そう言われるとね」と目隠しをしたまま苦笑した。

「あの子も近所の男の子達とよく喧嘩したり、探検ごっこしていましたから。」
「この前キャンパスで出会った時、どんな教師になりたいのかって訊いたら、僻地の学校で教えたいって言っていたぞ。ゲリラとか怖くないのかって訊いたら、へっちゃらだって。」
「へっちゃら? 気も使えないのに・・・」

 ステファンは口元から微笑を消した。彼は呟いた。

「まさか・・・」
「まさか? 何だ?」
「いえ・・・祖父さんの封印が解けたのかと・・・しかし、あれは掛けた人でなければ解けませんから。」
「彼女の気力が強いってことだろう。恋人でも出来たかな?」
「それなら、私に、」
「滅多に家に帰らない兄貴に言うかな?」
「・・・」

 その時、階下で大きな音が響いた。銃声と怒鳴り声。アスルだ、とテオが思ったら、ステファンが「再開だ」と言った。


第11部  神殿        16

  夜が明けたが、誰も帰って来なかった。テオは一人で朝食を取り、ケツァル少佐の携帯に電話をかけてみたが、繋がらなかった。電源を切っているらしい。それとも神殿は外から繋がらないのか?  もやもやした気分だったが、仕事に行かなければならない。身支度していると、ドアチャイムが鳴った。防...