2022/05/16

第7部 南端の家     14

  一夜明けて、大統領警護隊第7班と第8班は手早く格納庫内でのキャンプの撤収を始めた。朝食は作業が終わってからだ。忙しいので、ビダル・バスコ少尉は毛布にくるまったままのエステバン・トロイを遊撃班の場所へ連れて行った。まだ撤収指示が出ていない遊撃班は、キャンプの後片付けを後回しにして、朝食場所の設営を行なっていた。警備班の分も用意しておくのだ。管理人が来るのは食事が終わる頃になる。朝食準備は大統領警護隊が自分達で行うのだった。指導師の資格を持っているステファン大尉が簡略された食材清めの儀式を行い、隊員達がすぐさま調理に取り掛かった。床に下ろされたエステバン少年は目を覚ましており、大人達の作業を珍しそうに眺めていた。一晩暖かい場所で眠ってかなり落ち着いた様子だった。隊員達は誰も事件の話も昨夜の怪しい気配の話もしなかった。箝口令が敷かれていたのではなく、普段から無駄口を叩かないだけだ。それにまだ軍事訓練は本部に無事帰投する迄続いているのだ。
 キャンプの撤収が終わったが、朝食の支度はまだ終わっていなかったので、警備班の隊員達は格納庫の外に出てランニングをした。陸軍航空部隊や空軍も朝の日課をこなしているのが見えた。デランテロ・オクタカスは半官半民の飛行場なので、民間航空会社も格納庫を持っている。そちらは朝一番の便を飛ばす会社だけが扉を開き、プロペラ機の整備を行なっていた。他の会社はまだ仕事を始めていない。ロノイ大尉もアクサ大尉も部下達を指揮しながら、民間格納庫の様子を伺っていた。何か異変があればすぐに駆けつけなければならない。だが朝日が射す飛行場は平和そのものに見えた。
 ロノイ大尉はビダル・バスコ少尉をチラリと見た。半年前に部下の家族に降りかかった悲劇を彼はまだ覚えていた。だからバスコが森の中で保護した少年に未練を抱く感情はわかっているつもりだった。しかし大統領警護隊は個人的感情で行動を取ってはならない。特に現在のビダルは少年に感情移入しやすい精神状態だとロノイ大尉は判じていた。それは国民の安全を守るために集中しなければならない大統領警護隊にとって命の危険に関わることだ。常に第三者の目で物事を見なければならない。それ故、ロノイ大尉はビダルからエステバンを引き離すことを決断していた。少年のためではない、ビダルのためだ。
 飛行場のフェンスの向こうに人影が見えた。滅多に見られない大統領警護隊を見ようと集まったデランテロ・オクタカスの若者達だ。国民にとって畏怖の対象であり、憧れの存在である大統領警護隊。決してその期待に背いてはならないのだ。
 突然、その見物人の人垣の中で叫び声が上がった。ワーっとか、ギャーとかそんな悲鳴だ。大統領警護隊は一斉にそちらへ注意を向けた。第7班がそちらへ走った。ランニング中も抱え持っていたアサルトライフルを前に向けた。指揮官の命令を待たずに、誰かが発砲した。人垣が左右に分かれ、悲鳴は小さくなったが、騒ぎは収まらなかった。フェンスを跳び越えた隊員達が何かを取り囲み、若者達に怒鳴っていた。

「ここを離れるな!」
「騒動の発端を見た者はいるか?」

 ロノイ大尉は第8班に飛行場周辺の封鎖を命じた。

「その若い連中をどこにも行かせるな。事情聴取する迄足止めしろ。」

 部下達が散開すると、ロノイ大尉はアクサ大尉のそばへ行った。

「何があった?」
「あの男が見物人に襲いかかった。」

 アクサ大尉が顎で示した先に、地面に男が1人倒れていた。左肩を撃ち抜かれ、苦痛で呻いていた若い男は、血まみれの服を着ていた。地面に鉈の様な刃物が落ちており、別の男性数名が腕や顔から血を流しているのが見えた。怪我人は第7班が直ちに応急処置に取り掛かっていたが、撃たれた男はまだだった。その男は後ろ手に縛られるところだった。大尉達は、その男が、男と呼ぶにはまだ幼さが残る少年だと気がついた。ロノイ大尉が呟いた。

「まさか、アベル・トロイか?」


第7部 南端の家     13

  夕食の後片付けが終わる頃に、陸軍特殊部隊と憲兵隊の捜査車両がカブラロカ渓谷から戻って来た。ステファン大尉はエステバン・トロイ少年を宥めすかし、何とかビダル・バスコ少尉から引き離し、憲兵隊と共にオクタカス支部へ連れて行った。
 2時間後に再び少年を連れて戻って来た大尉は疲れた表情だったが、ビダルに「一晩一緒にいてやれ」と少年を返した。そして大尉自身はアクサとロノイ両大尉を促し、一緒に格納庫から出て特殊部隊の格納庫へ向かった。
 格納庫の外に現場から戻った陸軍特殊部隊第17分隊の隊長アデリナ・キルマ中尉が待っていた。簡単な挨拶を交わしてから、まずステファン大尉が保護した少年の情報を彼女に与えた。そしてロノイ大尉が現在世間で報道されている捜査内容を伝え、アクサ大尉が3時間前に格納庫の外に近づいた怪しい気配について伝えた。
 キルマ中尉はそれらの情報を暫く頭の中で吟味してから、現場の捜査情報を伝えた。

「被害者は渓谷の入り口でトウモロコシを栽培していた先住民カブラ族の農夫カシァ・トロイと息子カミロ、カミロの妻のマリアの3人。3人共に鋭い刃物で全身をめった斬りされていました。恐らく農業用の鎌を振り回されたのだと思われます。鎌は血で汚れた状態で畑の外れに放置されていました。殺害された順番は分かりませんが、カミロがマリアを庇う形で倒れていたので、夫婦は同時に襲われたものと推測されます。夫婦は家の中で殺害されており、床に血溜まりを踏んで付いた足跡が無数にありました。スニーカーの足跡です。一種類だけでしたから、犯人は1人と思われます。同じ足跡が外で死んでいたカシァの周囲にも残っていました。家の中に物色した跡はなく、物取りとは思えません。
 戸口に子供の勉強道具が入ったカバンが落ちていたので、下の子供が帰宅して現場を目撃したと思われました。エステバンと年上の息子の行方を探しましたが、見つからず、兄の方は事件発生日から学校にも友達のところにも現れていません。憲兵隊が指紋を数カ所から採取していますが、我々にはまだ情報はありません。」
「犯人を追跡出来なかったのか?」

 ロノイ大尉が、”ヴェルデ・シエロ”なら出来るだろうと言うニュアンスで言った。キルマ中尉は大統領警護隊の「上から目線」を無視した。

「樹木の葉などに付着した血痕や地面の足跡を追跡しましたが、カブラロカ川に犯人が入ってしまったようで、川から痕跡が途絶えました。」
「川か・・・」

 ステファン大尉が呟いたので、残りの3人が彼を見た。ステファンが思ったことを言った。

「犯人は川を歩いて下流へ向かったのだろう。ところが2日目に上流で遊撃班のキロス中尉と警備班のバスコ少尉が下の子供のエステバンを見つけ、川で子供の体を洗ってやった。犯人はエステバンの気配を感じ、追跡を始めたのだ。そしてここまで追ってきた。」
「そんなことが出来るのは、”ティエラ”ではないですね。」

 キルマ中尉が眉を寄せた。ロノイ大尉が囁いた。

「何か悪い物に取り憑かれた”ティエラ”なのかも知れん。例えば、行方不明になっている上の息子・・・」

 暫く4人の”ヴェルデ・シエロ”達は沈黙した。悪霊に取り憑かれて人を殺めた例は過去にもあった。どれも官憲に射殺されたり、捕まって精神病院に閉じ込められてそれっきりだ。憲兵隊も警察も、”ヴェルデ・シエロ”に救いを求めない。悪霊祓いをしてもらって正気に帰っても、世間が許さないからだ。どんな理由があっても人殺しは人殺しだ、とセルバ人は考える。正気に帰って社会に戻されても世間は受け容れてくれない。結局別の犯罪に走ったり、精神に異常を来したり、自死してしまうのだ。

「もし、犯人がアベル・トロイだとして、彼の犯行だと立証できなければ、憲兵隊は手を出せないだろう?」

とステファン大尉が言った。残りの3人はまた彼を見た。「元ケチなこそ泥」のステファン大尉は考えを述べた。

「アベルを我々が捕まえ、祓いをして正気に帰す。恐らくアベルには犯行時の記憶がないと思う。だから、そのままエステバンと共に残りの人生を生きさせる・・・」
「アベルはそれで良いかも知れないが、エステバンは何かを見たんじゃないか?」

 アクサ大尉が言った。

「憶測だけで我々が論じ合っても仕方がない。明日、警備班は本部に帰還する。後は遊撃班に任せる。」

 彼はキルマ中尉を見た。キルマ中尉は肩をすくめた。

「私の隊は憲兵隊の援護をしただけですから、捜査にこれ以上首を突っ込みません。少なくとも、ゲリラの仕業でないと結論を出しました。」

 一番年長のロノイ大尉が頷いた。

「では話はまとまった。それぞれの職務を果たそう。解散だ。」

 警備班の大尉達が格納庫に戻った。ステファン大尉は怪しい気配が現れたと思われる方角の森を眺めた。するとキルマ中尉が声をかけて来た。

「カブラロカの遺跡にクワコ中尉がいました。」

 ステファン大尉が振り返った。

「アスルが?」

 文化保護担当部時代から弟の様に可愛がってきた元部下だ。尤もアスルの方も2歳年上のミックスの上官を弟扱いしていたが・・・。

「元気そうでしたか?」
「スィ。すっかり指揮官が板についていました。」

 ステファンは微笑した。弟分の成長が誇らしくあり、またちょっと寂しかった。一緒に大きな遺跡で警備の指揮を執りたかったな、と思った。

「情報、有り難う。今夜はゆっくり休んで下さい。」

 キルマ中尉の豊かな胸にともすれば向いてしまいそうな視線を制御して彼は手を振り、背を向けた。



2022/05/15

第7部 南端の家     12

 「アベル・・・」

 エステバン少年がビダルの胸に顔を押し付けたままで呟いた。ビダルは彼の体を己の胸から離し、顔を見た。

「さっき、ここへ近づいたのは、アベル・トロイか?」

 少年が首を振った。違う、と。ビダルはステファン大尉に視線を移した。ステファン大尉は立ち上がって、ロノイ大尉と”心話”を交わしたところだった。アクサ大尉は自身が指揮する第7班と共に格納庫の外へ出て行ったので、姿が見えなかった。”心話”を終えたロノイがどこかに電話をかけた。
 数分後ロノイ大尉がビダルのそばへ来た。直属の上官が近づいて来たので、ビダルは少年の肩を抱き寄せる形で立ち上がり、指示を待った。ロノイ大尉はエステバンの顔を眺め、それから部下に視線を戻した。

「先刻の『何か』はその子を追って来たのかも知れない。デランテロ・オクタカスの憲兵隊にその子を任せるのは、ちょっと不安だ。」

 憲兵隊にも”ヴェルデ・シエロ”はいるのだが、デランテロ・オクタカス支部にはいない、と言うことだ。大尉達は先刻の「嫌な気配」が普通の人間や動物ではないと考えている、とビダルは察した。グラダ族のステファン大尉が滅多に発しない威嚇の気を放ったのだ。相手は尋常でないモノだ。ビダルは上官に質問した。

「この子をグラダ・シティに連れ帰るのでありますか?」
「ノ」

 ロノイ大尉は即答した。

「子供の面倒を見る暇は我々警備班にはない。大統領警護隊の役目でもない。憲兵隊がトロイ家の親族を探している。その子は教会が預かるそうだ。」

 教会に子供を預けるのは憲兵隊に任せるより不安ではないか、とビダルは内心思ったが、反論しなかった。その代わりに申し出てみた。

「親族が現れる迄、私がこの少年を護衛しましょうか?」

 しかし、その申し出はあっさり却下された。

「君には警備班のルーティンをこなしてもらわねばならぬ。その子の護衛は遊撃班が行う。」

 想定外の出来事に対処するのが遊撃班の任務だ。ロノイ大尉の言葉は理にかなっていた。ビダルは不満を押し隠し、頷いた。そこへアクサ大尉と第7班が戻って来た。

「逃げられた。だが、どう言う輩かは見当がつく。」

 アクサ大尉は、仲間に告げた。

「滑走路の向こうの藪に血の匂いが残っていた。人間の血だ。恐らく、殺人者がその子供を追跡して来たのだ。」

 大統領警護隊の隊員達は、エステバン・トロイを見た。第8班の隊員の一人が考えを口に出した。

「その子供はジープでここへ連れて来られました。殺人者はジープを追って来たのですか?」

 アクサ大尉はその質問に考えることもなく答えた。

「子供の匂いがジープのタイヤ痕の辺りで消えて、ジープは森の中の一本道を通ってここへ走って来た。恐らく他の車の轍が重なることはないだろう。だから安易に追跡出来たと考えられる。」
「わかりました。」

 素直に質問者は納得した。アクサ大尉の説が正しいとすると・・・とビダルは思った。追跡者はずっとエステバンを森の中で探していたのだ。ビダルとキロス中尉が少年を川で洗ったり、ステファン大尉達と出会って休憩させたりしている間に接近して来たのだろう。

「子供を事件の目撃者として、消しにかかろうとしていたのか?」

とロノイ大尉が呟いた。邪悪な気を放つ追跡者。大統領警護隊は厄介な敵がいると感じ始めていた。


 

2022/05/14

第7部 南端の家     11

  格納庫の管理人の1人がラジオから仕入れた情報で、殺人事件があったカブラロカ渓谷の民家の、行方不明になっている子供達の名前は、兄がアベル・トロイ、弟がエステバン・トロイだとわかった。ビダル・バスコ少尉がエステバンと呼びかけると、初めて少年は反応した。涙を流し、泣き出した。オクタカス地方の方言を話せる管理人が話しかけ、エステバン少年は自宅で起きたことをポツリポツリと話し始めた。
 彼が片道3時間の道のりを歩いて学校から帰宅すると、家の前庭で祖父が死んでいたこと。家に駆け込むと、母親と父親も血まみれで倒れていたこと。
 それだけを聞き取るのに10分も要した。少年の記憶が多少混乱していたのと、難しい語彙が上手く使えなかったからだ。管理人が質問者であるステファン大尉とビダルに標準語に通訳し直したのも、手間がかかった原因だった。
 両親が死んだことをエステバンが理解出来ていることが、大人達に彼を痛ましく感じさせた。

「誰が君のパパとママから命を奪ったのかな?」

 管理人が可能な限り穏やかな表現を使って質問した。殺人者を目撃したのか、と訊きたいのだ。
 エステバンは暫く黙っていた。床を見つめ、唇を噛み締めていた。犯人を知らないのではなく、知っているのだ、とステファンは思った。だが言いたくない。言わなければと言う気持ちと言いたくない気持ちが少年の幼い心の中で闘っている、そんな表情だった。だから、彼は想像した犯人を言ってみた。

「アベルがパパとママを死なせたのかな?」

 エステバンは再び泣き出した。物悲しい声を出して、悲痛な表情で泣いた。ビダルは彼を抱き締めてやり、上官を見た。ステファン大尉は背後で控えていたロノイ大尉とアクサ大尉を振り返った。ロノイが囁いた。

「憲兵隊に通報しよう。アベル・トロイを親殺しの罪で手配するべきだ。」
「だがこの少年は兄が親を殺すところを見た訳ではない。」

とアクサが待ったをかけた。

「重要参考人として手配させるべきだ。」

とステファンも意見を述べた。

「少なくとも、アベルを探し出して保護なり拘束なりしなければならない。真犯人が誰かは不明だが、少年の確保が先決だ。」

 ビダルは黙って上官達の話し合いを聞いていた。彼の腕の中で少年は少しずつ落ち着きを取り戻してきた感じだった。
 昔、親に叱られて泣く弟をこうやって抱き締めた・・・とビダルは思った。ビトは彼とそっくりの双子だったが、性格はビトの方がヤンチャだった。優等生のビダルは、奔放な弟を時に羨ましく、時に疎ましく感じた。だが、この世の誰よりも愛していた。彼はエステバンの背中を優しく撫でた。
 何かの間違いだ。お前の兄ちゃんは何かのトラブルに巻き込まれたんだ。お前の両親の死に関わっちゃいない。
 そう言ってやりたかった。
 アクサ大尉が携帯を取り出して憲兵隊に電話をかける声が聞こえた。
 格納庫内は静かになっていた。大統領警護隊の隊員達はビダル・バスコ少尉が抱き締めている子供を眺め、憲兵隊と話をしている上官の声を聞いていた。
 ステファン大尉が、ふと格納庫の壁へ顔を向けた。少し遅れて遊撃班の隊員達も同じ方向へ注意を向けた。警備班の隊員の中にも、銃を掴んで立ち上がりかけた者がいた。
 ”ヴェルデ・シエロ”の野性の勘だ。近くではないが、遠くとも言えない距離に、何か嫌な気配を感じ取った。ビダル・バスコは少年を守らねばと、エステバンを包み込む様な体制を取った。軍人ではない管理人達は感じなかった様子だったが、隊員達のほぼ一斉の緊張した様子に、ただならぬものを感じたのだろう、3人固まってビダルのそばに寄って来た。分散すると、”ヴェルデ・シエロ”達の守護に負担をかけると知っていたからだ。
 ステファン大尉から強い気が発せられるのをビダルは感じた。ステファンはミックスなので結界を張るのが得意ではない。その代わり強烈な破壊力を持つ爆裂波を出せる。その力を少しだけ放っているのだが、並の威力ではないので他の隊員達は気負い負けしそうになった。ステファン大尉は、格納庫に近づいて来た「嫌な気配」を威嚇したのだ。それ以上近づくとただでは済まないぞ、と。
 不意に「嫌な気配」が消えた。警備班第7班の隊員達が格納庫の外へ走り出て行った。

第7部 南端の家     10

  管理人が格納庫の扉を開けてくれたので、ステファン大尉はジープをそのまま格納庫内に乗り入れた。ガランとした空間に、軍用車両数台が駐車しており、その間に大統領警護隊の隊員達が班毎に集まって休息を取っていた。建物の中でキャンプをしているかの様な状態だ。コンクリートを敷き詰めた床だから、その上に野営用の装備を広げて座ったり寝たりするのだ。椅子やテーブルもあるが、全て折り畳み式だ。グラダ・シティに帰る時は、全部持って帰る。管理人には彼等が使う車だけしか残らない。管理が楽だと言えば楽だが、誰も来ていない時は寂しいだろう、と隊員の何人かはそう思った。
 ステファン大尉が車を停めると、アクサ大尉とロノイ大尉が出迎えた。車内から一番格下のビダル・バスコ少尉が急いで降りた。直属の上官であるロノイ大尉の前に立ち、敬礼した。

「ビダル・バスコ、只今戻りました。」

 一瞬で”心話”による報告がなされた。迷子の情報を得たロノイ大尉は少々困惑してジープに視線を向けた。ステファンとデルガド少尉、そして子供を連れてキロス中尉が降りて来た。3人の大尉が互いに目を見て”心話”を交わし、それからアクサ大尉が管理人を呼んだ。3人の管理人は格納庫の隅に設けられた簡易厨房で大鍋に作ったシチューを隊員達に配膳しているところだったが、1人が急いでジープのところへ走って来た。アクサ大尉が命じた。

「その少年に食べ物を与えて、何処かで休ませてやれ。その子の処遇を決める迄、誰かが見張っていろ。」

 管理人が「承知しました」と応じ、少年について来いと声をかけた。しかし少年はキロス中尉の制服の端を握り、離れようとしない。キロスが少し強引に彼を押し離すと、今度はバスコ少尉に駆け寄ってしがみついた。ビダルは困惑して上官を見た。ロノイ大尉が溜め息をついた。

「最初に接触した者を頼りにしている。バスコ、今夜はその子のそばにいてやれ。」
「承知しました。」

 少年にしがみつかれたまま、ビダルは敬礼して、管理人の誘導に従って、少年と共に厨房へ歩き去った。
 少年が話し声を聞けない距離まで遠ざかったと判断してから、ステファン大尉がキロス中尉とデルガド少尉に、先刻ロノイ大尉とアクサ大尉から分けられた情報を口頭で伝えた。

「カブラロカ渓谷の入り口付近にある民家が何者かに襲われ、家人3名が惨殺されているのが、一昨日の午後に発見されたそうだ。昨日我々が見た陸軍航空部隊のヘリは、捜査の為に現地入りした特殊部隊と憲兵を乗せていた。殺害されたのは、5人家族の大人3人、10代と7、8歳の男の子供2人が行方不明になっている。」

 キロスとデルガドが一瞬顔を見合わせたが、”心話”は行わなかった。キロスが尋ねた。

「我々が保護した少年が、その年下の子供の方だと、大尉方はお考えなのですね?」
「恐らく。」

とアクサ大尉が答えた。

「まだ一言も喋らないそうだが、きっと親が殺されるところを見てしまったのだろう。恐怖心を和らげてやらねば、何があったのか語らないと思う。それに殺害事件の犯人に関する情報は今のところ何も我々には知らされていない。あの子供はここから出さない方が良かろう。」

 大尉達は指揮官用に設けられた場所へ行った。デルガドとキロスは遊撃班の休憩場所へ向かった。子供に関する情報は仲間内で拡散しても良いが、格納庫の外は駄目だ、と命じられた。事件発生に関する情報は既に全員が知っていた。地元のラジオが伝えていたのだ。恐らく憲兵隊は秘密にしたかっただろうが、ジャーナリストはどこでも鋭く事件を嗅ぎつけるのだ。だから子供を保護したことは決して外部に漏らしたくないのだった。
 ステファン大尉はカブラロカ渓谷の奥にある遺跡が気になった。遺跡があると言うことは、文化保護担当部に在籍していた頃に知った。まだ誰も手をつけていない未調査遺跡だ。発見した、あるいは存在を確認したのはムリリョ博士だろうか、それともケサダ教授だろうか、兎に角峡谷の奥にあるので今迄誰も発掘に行かなかった。海外には知られていない遺跡だ。ムリリョ博士が広くその存在を明かさなかったのは、装備に費用がかかるからで、何か呪いとか聖地だからと言う問題ではない、と以前ケツァル少佐が言っていたな、とステファン大尉はぼんやりと思い出した。殺人犯が遺跡に逃げ込んでいたら、嫌だな、と彼は思った。遺跡はどの民族が造ったにしても、神聖な先祖の遺構だ。汚されたくなかった。

 

2022/05/13

第7部 南端の家     9

  デランテロ・オクタカスへ向かう車のハンドルを握ったデルガド少尉は時々後部席の気配を背中で伺った。後部席では、少年がファビオ・キロス中尉とビダル・バスコ少尉に挟まれて座っていたが、半時間もするとどちらにともなく頭を傾けてうとうとし始めた。助手席のステファン大尉が囁いた。

「くたびれているんだな。」

 4人の大統領警護隊隊員は話し合った訳ではなかったが、少年が何か恐ろしいことから逃げて来たのだろうと想像をしていた。見知らぬ軍人に捕まるより、もっと恐ろしいことだ。

「この子をどうしますか、大尉?」

とビダルが質問した。キロスが答えた。

「決まっているだろう、憲兵隊に引き渡す。先住民に関するトラブルは憲兵隊の管轄だ。」

 自分達も先住民なのだが、大統領警護隊が「先住民」と言う時は、本当の”ヴェルデ・ティエラ”を意味する。つまり、白人や旧大陸のその他の人種の血が混ざっていないインディヘナで、”ヴェルデ・シエロ”でない先住民のことだ。
 ステファン大尉からもデルガド少尉からも異論が出なかったので、ビダルは黙り込んだ。少年を最初に見つけたのは彼だ。少年は何かに怯えているが、それが何なのか喋ってくれない。第一発見者として、ビダルは少年を助けたいと言う衝動に駆られていた。もしかすると、非業の死を遂げた一卵性双生児の弟ビトの代わりに少年を助けたいだけなのかも知れないが。彼は少年の耳元で囁いた。

「せめて君の名前がわかればなぁ・・・」

 携帯電話の電波が届く圏内に入って間もなく、ステファン大尉の携帯に着信があった。ステファンが電話を取り出すと、警備班第7班のアクサ大尉からだった。

「ステファン・・・」
ーーアクサだ。電話が通じる場所にいると言うことは、帰還途中と考えて良いか?
「問題ない。キロス中尉とバスコ少尉も一緒だ。」
ーー遅刻の言い訳は電話で聞ける内容か?
「電話で言えない程複雑な内容ではない。森の中で子供を見つけて保護していたのだ。」

 すると、電話が数秒間沈黙した。子供と言う予想外の単語に驚いたのかとステファンが想像すると、やがてアクサ大尉が言った。

ーーその子供は君達と一緒なのか?
「一緒に連れて帰るところだ。何も喋らないので、名前も親もわからん。」
ーー逃さないよう、注意してくれ。理由は君達が戻ってから話す。以上。

 唐突に電話が切れ、ステファン大尉は眉を顰めて電話を見た。短い通話では何もわからないが、子供の存在自体はデランテロ・オクタカスでは意外ではなかった様だ。子供が大統領警護隊と出会って保護されたことが驚きだった、そんな印象を与えたアクサの喋り方だった、とステファン大尉は感じた。
 キロス中尉が己の帽子を脱いで、不意に少年の頭に被せた。バスコ少尉が訝しげに彼を見ると、キロスが前の座席にいる上官にも聞こえる声で言った。

「大尉の電話が聞こえました。子供の顔が車外から見えない様にした方が良いかも知れないと思いましたので、帽子を被せました。」

 彼もアクサ大尉の声を聞いて、何か普通でないことが子供の身に起きているのではないか、と感じたのだ。デルガドが提案した。

「駐留施設へ行く道で”幻視”を使って子供が乗っていない様に見せましょう。」
「ノ」

 ステファンは彼の提案を却下した。

「大人に挟まれて座っている子供の姿は外からは見えづらい。敢えて疲れるようなことはするな。」

 デルガドは「承知しました」と答えた。
 大統領警護隊のジープは鄙びたデランテロ・オクタカスの街中を通らず、直接町外れのダートの滑走路を備えた地方飛行場へ向かった。滑走路の片側に格納庫と思われる蒲鉾型の建物が10棟ばかり並んでおり、1棟はセルバ共和国空軍、2棟はセルバ共和国陸軍航空部隊、1棟は大統領警護隊が所有していた。空軍と陸軍は実際に航空機を格納したり、整備したりする場所として使用していたが、大統領警護隊は軍事訓練用の準備・休憩施設として使っていた。普段は軍属として雇われている3人の血の薄い”ヴェルデ・シエロ”の子孫達が管理人として勤務しているだけで、隊員は訓練の時やゲリラ掃討の戦闘時にしか来ない。
 管理人達は純血種の隊員達から同胞扱いされたことがなかったが、最近はミックスの隊員が増えてきたお陰で人並みに話しかけてもらえる様になった。純血種達も昔と比べて人当たりが柔らかくなった、と彼等は感じていた。
 一足先に帰還した隊員達の食事の世話などをしていた彼等は、新しい遊撃班の副官が帰って来るのを見つけて、喜んだ。ミックスの幹部候補生だ。無事に帰って来てくれた、と彼等は安堵した。と言うのも、アクサ大尉達が仕入れたカブラロカ渓谷の殺人事件の情報を集めたのが、彼等だったからだ。



2022/05/12

第7部 南端の家     8

  仲間が去ると、演習場所は静かになった。ステファン大尉は仮砦だった空き地に残った切り株に腰を下ろし、抑制タバコを咥えた。火は点けない。気を抑制してしまうと、敵の奇襲に遭った時に気のコントロールが難しくなる。彼は白人の血を引いているので、純血種の同胞と違って超能力をコントロールするのにも精神力が必要だった。タバコを咥えるのは、ただ口寂しいからだ。
 デルガド少尉は近くの大木に登って太い枝が出ている箇所に座った。ナイフを研ぎながら周辺に気を配っていた。ステファンが低い声で話しかけた。

「バスコ少尉は単独行動だったのか? ロノイもアクサも彼の相棒らしき部下に触れなかったが・・・」

 デルガドが肩をすくめた。

「第8班は人数が奇数でしたから、一人余ったのでしょう。バスコは銃弾探索の開始時点から私達のそばにいました。ロノイ大尉も承知されていたと思います。」
「つまり、単独行動をしていたのではない、と言う言い訳か・・・」

 ステファン大尉はちょっと気に入らなかった。バスコ少尉は肌の色の違いで仲間外れになっているのではないだろう。人種ミックスなので、気の抑制に多少問題があるに違いない。ステファンも警備班にいた頃経験していた。純血種の隊員は、気の抑制が上手く出来ない人種ミックスの同僚と組むのを嫌がるのだ。己が危険に曝される恐れがあるから。大統領府で警備に就いている平時は良い。だがジャングルの中で軍事演習したり、実戦になると命が懸かってくる。”出来損ない”との組み合わせは御免だ、と言う論理だ。
 警備班総指揮官は面倒見の良い男だが、遊撃班や他の部署と違って部下が多過ぎる。人員管理を各リーダーに任せているので、一人一人の教育まで手が回らない。訓練所から卒業してしまうと隊員達は自力で実践力を学んでいかなければならない。バスコ少尉は身近に良いお手本となる先輩や同僚がいないのかも知れない。
 忍耐を強いられる「待つ」体制でいること2時間、やっと木の上にいたデルガド少尉が背を伸ばした。

「キロス中尉とバスコ少尉の気を感じます。ええっと・・・誰か連れていますね。」

 ステファン大尉はタバコをポケットに仕舞い、立ち上がった。自分達の存在を伝える為に鳥真似をした。キロス中尉が応えた。
 演習場だった空き地に、ファビオ・キロス中尉とビダル・バスコ少尉が姿を現したのは10分後だった。2人に挟まれるようにして、10歳に満たないと思しき先住民の少年が1人一緒だった。
 キロス中尉は上官以外の仲間がいなくなっていることで、自分達の遅刻が仲間を困らせたと理解した。彼はステファン大尉の正面に立ち、敬礼した。

「遊撃班ファビオ・キロス中尉、警備班第8班ビダル・バスコ少尉、只今戻りました。遅延により隊にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした!」

 ステファン大尉は少年を見た。少年がバスコの手を握っていることに気が付いた。顔手足は綺麗だが、服は破れ、汚れている。ステファンはキロスに声をかけた。

「言い訳を聞こう。」

 キロス中尉は「はっ」と敬礼し、”心話”を求めた。ステファン大尉はそれに応じた。
 ビダル・バスコが少年を見つけ、キロスが駆けつけると少年が逃げ出した。2人はジャングルの中で彼を追いかけ、捕まえた。少年は狂気の如く暴れ、泣き喚いたので、彼を落ち着かせる為にキロスはバスコに水場を探せと命じ、残して来た相棒のデルガド少尉に川へ行くと声をかけた。キロスとバスコは少年に何処から来たのかと尋ねたが返事をもらえなかったので、川を探し、水で少年を洗い、落ち着かせた。水を得ると少年は気を鎮め、バスコが所持していた干し肉を貪り食べた。成人相手なら”操心”で事情を説明させるが、子供には使わないのが大統領警護隊の規則だ。子供の柔軟すぎる心に精神波を送ると悪影響を与えると考えられていたからだ。子供は口を利かなかったが、バスコが「兵隊が大勢いる所へ行くか?」と訊くと頷いた。それでキロスとバスコは少年に時々声をかけながら演習場所に戻って来た。
 それらの事情を一瞬で報告されたステファン大尉はちょっと戸惑った。子供の相手は滅多にしたことがない。彼はジープに行き、車内から装備品のビスケットを取り出した。それを水筒と共に子供に渡すと、子供はまた食べた。食べている子供の相手をバスコ少尉に任せ、ステファン大尉はキロス中尉に尋ねた。

「迷子にしては、場所が奇妙だな。」
「スィ。親が近くにいる気配がありません。それに・・・」

 キロスは声を小さくした。

「川に近づいた時、あの子は怖がったのです。上流を見て、ママと呟いたのですが、決してそちらの方へ行こうとはしませんでした。」
「上流にママがいて、しかし、怖いものもいるのか?」
「川に沿ってカブラロカ渓谷の奥へ向かう道があります。数台の軍用トラックが通った跡がありました。まだ新しく、今朝のものと思われます。昨日、陸軍航空部隊のヘリコプターが飛んでいましたが、関係があるでしょうか?」

 ステファン大尉は考えた。陸軍が訓練やゲリラ掃討作戦を行うと言う情報は全くなかった。カブラロカ渓谷で何か想定外のことが起きたのかも知れない、と彼は考えた。カブラロカ渓谷の奥に遺跡があると聞いたことがあるが、遺跡絡みなのか、それとも、森で暮らしている先住民に何かあったのか?
 彼はバスコ少尉に声をかけた。

「その子はまだ何も喋らないのか?」
「ノ、何も・・・」

 バスコ少尉は少年を気遣うように顔を見たが、少年は彼と目を合わそうともしなかった。しかし、バスコが立ち上がると、彼も慌てて立ち上がり、バスコの手を握った。それを見たステファン大尉は、樹上のデルガド少尉に声をかけた。

「デランテロ・オクタカスへ引き上げるぞ、エミリオ!」

 そしてキロス中尉とバスコ少尉にジープに少年を乗せるようにと命じた。

第11部  神殿        13

 目の前にいる最長老は、ケサダ教授を知っているのだろうか。 テオは出来るだけ彼を特定されない程度に情報を出してみた。 「俺の友人は既婚者で子供もいるのです。」 すると意外なことに、最長老はこう答えた。 「では、彼の妻に相談しましょう。勿論、その時が来た場合です。」  そして彼女は...