2024/01/19

第10部  追跡       1

  アスルとアンドレ・ギャラガ少尉は一緒にミーヤ国境検問所があるミーヤの街中を歩いていた。南部では一番人口が多く、物流も盛んな土地だ。隣国との交易も盛んだから、人間の出入りも激しい。国境警備は大統領警護隊国境警備班とセルバ陸軍国境警備隊の合同任務で、彼等はミーヤ以外にも森の中の開拓地に検問所を持っていた。そちらは街道がなく、もっぱら森を抜けて行き来する密入国者や密輸業者の取締が主な仕事で、密猟取締はしていない。密猟取締は憲兵隊の仕事だ。アスル達は憲兵隊のミーヤ支部に行くところだった。
 ギャラガはアスルから目を離さないように気をつけていた。アスルはオラシオ・サバンの遺体発見現場で心を過去に飛ばし、サバンを殺害したと思われる人間の顔を見てきた。彼の報告では犯人は5、6人のグループで、アスルが見た時、既にサバンは死んでいた。遺体を地面に掘った穴に落とし、ガソリンをかけて火を付けるところを見て、アスルはすぐに現在に戻って来た。暫く地面に四つん這いになって、疲労感を隠そうとしなかった。嫌なものを見てしまったので、精神的な負担が大き過ぎたのだ。だから別行動を取ると決めた時、ロホはギャラガにアスルを守れと命じた。

「あの男は強がりだから、平気を装うだろうが、まだ心が本調子じゃない筈だ。暴走する可能性もあるから、もし言葉で言って聞き入れなければ、君は彼を眠らせるんだ。」

 ロホは密猟取締の本部であるグラダ・シティの憲兵隊本部へ行ってしまい、アスルとギャラガは現場の責任者と言うより、憲兵隊に一人はいるだろうと思われる一族の人間を探しに行くところだった。
 アスルはケツァル少佐とロホには過去に見た光景を”心話”で伝えたが、ギャラガには犯人の顔しか見せてくれなかった。年下の者に嫌なものを見せたくないと言う彼なりの思いやりだ。しかしギャラガは子供扱いされた気分で、ちょっと不満だった。どんな残虐な人間が相手なのか、知っておきたかったのだ。

「どうして一族の人間が”ティエラ”にあっさり殺されたのだと思いますか?」

 そっと質問してみた。アスルは雑踏の中を歩きながら、暫く黙っていたが、やがて聞き取るのがやっとの低い声で答えた。

「サバンの遺体は裸だった。彼は、ナワルを使っている最中だったんじゃないかな。」

 ギャラガは冷や水を頭からかけられた気分になった。サバンのナワルはきっとジャガーだったのだ。なんらかの理由で彼はジャガーに変身していた。そして密猟者はジャガーだと思って、彼を撃ち殺した。”ヴェルデ・シエロ”は死ねば人間に戻る。

「密猟者は、サバンが人間に戻るのを見たのでしょうか・・・?」
「一度は腰を抜かしただろう。そしててめぇらが神を殺したことに気がついた。それで慌てて痕跡を消そうと焼いたんだ。他の獲物は皮を剥いでそのまま埋めていたから、ただの人間も普通なら焼かずに埋めただろうが、殺した相手が神だったから、神の仲間に知られたくなかったに違いない。」

 ギャラガは思わず身を震わせた。

「”砂の民”がそれを知ったら、密猟者達は全員殺されます。彼等から話を聞いた人々も殺されますよ・・・」

 アスルが忌々しげに言った。

「だから気分が悪いんだ。大規模な粛清が始まるかも知れない。」

2024/01/17

第10部  穢れの森     20

  日曜日だったから、テオはロバートソン博士を自宅へ送り届けると、己も真っ直ぐに自宅へ帰った。シャワーを浴びて部屋着を着て、ケツァル少佐の区画のリビングでぼんやりテレビを見ているうちに眠たくなって寝てしまった。
 空腹で目が覚めたのは午後2時を回った頃だった。室内でいつ戻ったのか、ケツァル少佐が普段着姿で動き回っていた。彼女もシャワーを浴びて落ち着こうとしていた。

「おかえり。昼飯は食ったかい?」

 声をかけると、ノ、と返事が来た。それで2人で外に出て、坂道を下り、最寄りの商店街へ行った。急いで行っても最初の昼の客がまだ席にいるだろうから、ゆっくりと歩いて行った。

「全部見つけました。」

と彼女が歩きながら囁いた。テオは黙っていた。

「埋められていたのは一人だけです。」

 それでテオは鑑定結果を告げた。

「骨そのものは分析出来る成分が残っていなかった。でも一緒に掘り出したコイン状の物が、アマン地区の女神のお守りだとわかって、オラシオ・サバンがいつも肌身離さず持っていたこともわかった。それでロバートソン博士と一緒にサバンの父親に会って、遺骨とお守りを渡して来た。」
「サバンの父親は何か言っていましたか?」
「いや・・・ロバートソンが一緒だったから、詳しい話は出来なかった。何かあれば連絡をくれるよう言ったが、多分俺には何も言って来ないだろう。」

 少佐が首を振って同意した。そして彼女の方でわかったことを言った。

「殺害者は穴を掘って遺体を入れ、ガソリンか何か油状の物をかけて焼いたようです。殺人の痕跡を消したかったのでしょう。結構深い穴でした。焼けた人間の他に焼かれていない動物の骨もありましたから、密猟者が日頃獲物の後始末に使っていた穴だと思われます。」
「すると、サバンは密猟者と出会してしまい、殺害されたのかな。」
「恐らく・・・でも、一族の者があっさりと殺されるなんて・・・」

 身を守るためなら、例え大罪を犯してでも爆裂波を相手に使うだろう、とテオも少佐も想像した。

「不意打ちだったのかも、な。」

とテオは呟いた。

「密猟者の方が先にサバンの存在に気がついて、先手を打ったんだ、きっと。」

 ケツァル少佐がさらに声を低くして言った。

「アスルが密猟者の姿を見るために心を過去に飛ばしました。彼は今、国境付近の憲兵隊に一族の者がいないか探しています。犯人の顔を伝えるために。」


2024/01/15

第10部  穢れの森     19

  テオが予想した通り、ティコ・サバンは骨が入っていると言われた箱に手を触れようとしなかった。お祓いをしていない遺骸に触れないと言う先住民(”ヴェルデ・シエロ”でも”ヴェルデ・ティエラ”でも)のしきたりだ。だからテオはそっと囁いた。

「マレンカの御曹司がしきたりに従って清めてくれました。」

 マレンカはロホの本名で実家の姓だ。そしてその名を知らないブーカ族はいない筈だった。一族の中で宗教的な権威を持つ家柄だったから。果たして、サバンはハッとした表情になり、テオの顔を見た。マレンカの名と意味を知っているこの白人は何者だ?と言う疑問を、テオはその表情から読み取った。しかしロバートソン博士が同席しているこの場で詳細を語ることは出来なかった。

「私は大統領警護隊文化保護担当部の隊員達と親しくしています。この遺骨とお守りも彼等と同行して発見し、私が持ち帰りました。」

 ロバートソン博士が何の話?と物問いた気にテオとサバンを交互に見た。サバンはテオともっと話す必要があるのかと考えたようだ。黙って水を口に含み、ゆっくり飲み下すと、静かに言った。

「息子を連れて帰って頂き、感謝します。」

 テオは長居無用と判断した。少なくとも、ロバートソン博士と同席している時にサバンと語り合うことは出来ない。彼は立ち上がった。

「セルバ共和国の自然保護の為に働いておられたご子息の無念を思うと、本当に心が痛みます。」

 ロバートソン博士も立ち上がった。彼女もこのアパートにこれ以上滞在するのは精神的に耐えられないのだろう。

「オラシオの荷物は整理して後で届けさせて頂きます。」

と彼女は告げ、そして耐えきれなくなったのか、ハンカチを出して顔に当てた。テオは彼女の肩に腕を回し、ドアへ導いた。そっとサバンを振り返ると、ティコ・サバンは箱を持ち上げたところだった。お祓いが済んだ息子の遺骨を迎え入れたのだ。
 テオは言った。

「グラダ大学の生物学部の遺伝子工学科に私はいます。」

 サバンが頷くのが見えた。

2024/01/13

第10部  穢れの森     18

  低い棚の上に写真が数枚額に入れて飾られていた。ティコ・サバンの若い時のものだろうか、一緒に写っている女性は妻に違いない。息子3人と一緒に写っている5人家族の写真、それぞれの息子の成長した晴れの日の写真、どれを見ても特別な先住民の様子はなかった。サバン家は多くの”ヴェルデ・シエロ”がそうして来たように、周囲に上手く溶け込んで生きてきたのだ。
 ティコ・サバンが水を入れたグラスを3つ持ってきた。お盆なしで上手に3つ、両手で支えて運んで来た。テオとロバートソンは礼を言ってグラスを受け取った。

「奥様は・・・?」

 ロバートソン博士が尋ねかけると、サバンは素早く答えた。

「妻は昨年から体調が良くなくて、次男の家族と一緒にグラダ大学の近くのアパートに住んでいます。大学病院に通院するのに便利なので。」

 もしかすると、彼は妻に息子の行方不明を告げていないのかも知れない。

「オラシオは長男です。」

とサバンは言った。

「あまり人付き合いの上手い人間ではなくて、動物の研究に明け暮れて森にばかり出かけていました。」

 ロバートソン博士が申し訳なさそうな顔で言った。

「彼は本当に熱心な研究者で、私が一番頼りにしていた助手でした。」

 過去形だ。サバンが彼女の顔を見た。

「息子は死んだのですね?」

 ズバリと言われて、テオは深呼吸した。そして薄紙に包んだコイン型のお守りを出した。

「これはオラシオの物でしょうか? 熱を受けてかなり刻印が読みづらいですが、女神の名前が刻まれています。」

 ティコ・サバンはそれを受け取り、紙を開いて中の物をつまみ上げた。じっと見つめた。

「同じ物を息子は持っていました。小さい頃に一度感謝祭の祭りで迷子になって、その後で妻が買い与えたのです。」

 テオは箱を出した。

「それは、この中の骨と一緒に森の奥で埋められていました。」

 

2024/01/12

第10部  穢れの森     17

  オラシオ・サバンの父ティコ・サバンは、見た目は普通の先住民系の親父だった。清潔に洗濯されたシャツとズボンを身につけて、頭も綺麗に刈っていた。いかにも以前は役所勤めをしていた人と言う印象を与えた。
 ロバートソン博士が挨拶をする前に、テオは素早く声をかけた。

「ブエノス・ディアス、グラダ大学生物学部の准教授テオドール・アルスト・ゴンザレスと、セルバ野生生物保護協会のフローレンス・エルザ・ロバートソン博士です。」

 もしティコ・サバンが厳格な”ヴェルデ・シエロ”の伝統を重んじる人なら、初対面の女性から声を掛けるのは好まないだろうと思ったのだ。ティコ・サバンは一瞬驚いた表情をしてから、頷き、ロバートソン博士に声を掛けた。

「ティコ・サバンです。貴女が先ほど電話を下さった方ですね?」

 ロバートソン博士が「スィ」と答えた。

「突然の訪問をお許し下さって有り難うございます。実は、オラシオについて確認して頂きことがあります。」

 サバンは室内を振り返り、それからまた客に向き直った。

「中へお入り下さい。」

 テオとロバートソンは素直にアパートの中に入った。中は涼しく、思ったより明るかった。採光の良い大きな窓がリビングの奥にあり、建物の反対側も庭の様な空間であることがわかった。建物自体は3階建てだったが、このアパートはどこかに階段があるらしく、サバンの部屋は1階だけだった。大きなリビングと、小部屋らしきドアが3つ、反対側に台所やバスルームなどの水回りがある様だ。床面積は広いが、家族の人数が多ければ狭いだろう、とテオは感じた。
 サバンは古いソファを指差して、客に座るよう促した。

「何か飲まれますか?」
「ノ・・・」
「お水をお願いします。」

 テオが断りかけたのをロバートソンが遮った。断るのは失礼だ、とテオは気がつき、彼も頷いた。

「では、私も水をお願いします。」

 ティコ・サバンは台所へ行った。テオはリビングを見回した。動物の研究をしている様な気配はない。それに大勢の人間が暮らしている気配もなかった。装飾は質素で、大学の男子寮の雰囲気だ。もしかすると、と彼は感じた。ここは父と息子の2人きりの家族だったのではないか。心が重たく感じる予感だった。

2024/01/11

第10部  穢れの森     16

  フローレンス・エルザ・ロバートソン博士は、テオが断ろうと試みたにも関わらず、アマン地区へ同行を要請して来た。仕方なくテオは時間を約束して一旦自宅に帰り、もう一度シャワーを浴びて服装を整えてから、遺骨を綺麗な紙箱に入れ替え、コインも薄紙に包んで、自分の車で出かけた。途中でセルバ野生生物保護協会に立ち寄り、ロバートソンを拾った。彼女は青い顔をしていたが、きちんとダーク系の色の服を着て、化粧も派手にならない程度にしていた。これから会うサバンの親への礼儀だ。
 テオは遺体発見時の話を車内でしたくなかったので、サバン家のことを質問してみた。しかしロバートソン博士は仲間の個人的な情報を余り持っていなかった。それは彼女自身が余り他人の生活に関心がなかったせいもあるだろうが、やはり”ヴェルデ・シエロ”だったサバンが家族の話をしなかったからだろう。
 
「お父さんは普通の勤め人だと言っていました。グラダ・シティの地区役場に勤務して、定年で引退したのだと。お母さんは地区の小学校の先生だったそうです。」

 どれも過去形だから、両親はどの仕事でも現役ではないのだ。もしかすると虚偽なのかも知れない、とテオは思った。セルバ共和国では労働者を採用する時、親族が何をして生計を立てているかなど、余り問題にされない。テオが国立大学の准教授になれたのも、そう言うお気楽な風土のお陰があったのだ。
 アマン地区は商業地区ではなく、庶民の住宅と小さな町工場や商店が混在する、普通の街だった。日曜日だからキリスト教会へミサに行って帰る人々が歩く中を走り、やがてロバートソン博士がサバンの実家に電話で教えてもらった住所に着いた。
 庭がない、道路からいきなり立っている壁に付けられたドアの前に駐車して、車から降りた。路駐の車がずらりと並んでいて、駐禁で取り締まられることはなさそうだ。
 ドアを開くと、そこはちょっとした公園みたいになっていて、囲むように建っているアパート群の中にサバン家は住んでいた。テオが以前住んでいたマカレオ通りの平家造りの長屋を縦に伸ばした感じだ。
 ロバートソン博士は深呼吸して、テオをアパートのドアの一つに案内した。

「聞いた番地はここです。」

 ドアには番地の数字しか書かれていなかった。だが、テオは番地表示のプレートのすぐ下に、獣の爪跡のようなものを見つけた。

「これ・・・」

と指差すと、ロバートソンもちょっと目を見張った。

「大きなネコ科の動物が引っ掻いた様なあとですね。」

 流石にネコ科の研究者だ。テオは確信した。これはジャガーに変身する”ヴェルデ・シエロ”が一族だけにわかるように付けた「表札」だ、と。


2024/01/10

第10部  穢れの森     15

  テオはセルバ野生生物保護協会のロバートソン博士の携帯電話にかけてみた。協会は日曜日なので休みの筈だ。ロバートソン博士はまだ朝の家族団欒で食事中だった。電話の向こうから聞こえる物音に、テオは悲しい要件でかけたことを後悔した。
 簡単に挨拶してから、彼は尋ねた。

「オラシオ・サバン氏は、アマン地区の出身でしょうか?」

 ロバートソン博士はちょっと驚いた。

ーーそうです。どうしてご存知なのですか? 彼の家族にお会いになったのですか?
「ノ、会うのはこれからになりますが、先に確認しようと思いました。彼はもしかするとお守りを持っていませんでしたか? 女神アマの迷子防止のお守りを・・・」

 するとロバートソン博士の声が震えた。

ーー彼は、ええ、いつも持っていました。小さなコインの形のお守りで、ネックレスのヘッドにして首から下げていました。

 テオが数秒間黙り込むと、彼女は急かすように質問して来た。

ーーお守りを見つけたのですか? どこにありました? サバンは無事ですか?

 テオは深呼吸した。

「まだ確定した訳ではありませんが、サバン氏ではないかと思われる遺体を発見しました。」
ーーどこで?!
「コロン氏の遺骨が発見された場所から1キロほど南へ入った森の中です。まだ大統領警護隊が調査中ですが・・・」
ーー憲兵隊ではなく、大統領警護隊が見つけたのですか?
「スィ。」

 ロバートソン博士の啜り泣く声が聞こえた。大統領警護隊が見つけたのなら、それは本当にサバンなのだろう、と思ったに違いない。
 テオは彼女が落ち着くのを待って、言った。

「お守りをサバン氏の家族に見せて確認したいのですが、会えるでしょうか?」

 

第11部  神殿        11

  テオは恩人でもあるこの最長老に嘘をつきたくなかった。しかし友人を裏切ることも出来ない。 「もし、純血種のグラダの男性がいるとしたら、どうなさいますか?」  質問で相手の質問に返した。最長老がどんな表情をしたのか、仮面が邪魔でわからなかった。彼女は少し間を置いてから答えた。 「...