2021/08/23

番外編 1 雨の日 1

  小雨が降っていた。国内線の到着フロアの窓から外を眺めているカルロ・ステファン大尉は落ち着かなかった。雨は穏やかで風も吹いていない。セルバ航空の国内線旅客機がどんなにオンボロでも飛行に支障はない。彼が落ち着かないのは、フライト状況が心配なのではなく、これからやって来る人々と近くの売店でお菓子を物色している上官との対面の方が無事に済むか否か不安だったからだ。正直なところ、彼女を連れて来たのが正しい判断だったのか、彼は今迷っていた。
 この日、彼の母親カタリナと妹のグラシエラがグラダ・シティにやって来る。彼が貯金をはたいて購入した小さな家に引っ越して来るのだ。彼と友人達で考え抜いて選んだ家だ。きっと気に入ってもらえると自信はあった。オルガ・グランデの貧しい家から持ち出して来る物は殆どなくて、母も妹もそれぞれ鞄一つずつに詰め込めるだけ詰め込んだ衣料品だけが、引っ越し荷物なのだ。家具は購入した中古物件に付いている。もし気に入らなければ少しずつ買い替えていけば良い。交通費はステファンが出した。母親は旅費が安く済むバスで行くと言ったが、彼は飛行機の方が安全だと主張して、航空券を送ったのだ。セルバ航空は定刻に飛んだ試しがなかったが、今のところ無事故なのだ。パイロットが”ヴェルデ・シエロ”の守護を受けているのだと言う都市伝説があるが、多分それは真実なのだろうとカルロは思った。
 グラダ・シティに家を買ったから引っ越して来いと言ったら、母親は躊躇った。都会で暮らしたことがないと電話口で尻込みした。オルガ・グランデだってセルバ第二の都市だ、貧民街だって田舎の農村より垢抜けしていると言って説得した。妹に大学教育を受けさせたい、母を一人にしたくない、だからグラダ・シティに越して来て欲しいと訴えたのだ。結局、グラシエラが兄と同じ家に住んで大学へ行きたいと言ったので、母親は折れた。そして、カタリナは息子をドキリとさせることを言った。

「お前の上官に会わせてくれるのよね?」

 そうだ、大統領警護隊にスカウトされ、文化保護担当部に配属された時、カルロは嬉しくて母に電話で伝えた。新しい上官の名前はシータ・ケツァルだと。女性の少佐なんだよ、と。無邪気に電話の向こうで喋る息子の言葉を、母親はどんな気持ちで聞いていたのだろう、とカルロは今思っていた。母は父の正妻だ。しかし父には母と出会う前に愛した女性がいた。母はそれを父から聞いた。”心話”は嘘をつけないから、全て教えられた筈だ。父を夫として選ばなかったにも関わらず、父の子だけを望んだウナガン・ケツァルが、命と引き換えにこの世に残した娘の名がシータなのだと。あの時カルロはまだ父の本当の人生を知らなかった。父がどう言う生まれでどんな育ち方をして母とどうやって知り合って、どうして死んだのか。
 カルロは電話口で、母にやっとの思いで言った。

「彼女も最近迄何も知らなかったんだ。」

 母はそれ以上何も言わなかった。
 母と妹が引っ越して来るので空港へ向かえに行きたいと休暇を願い出ると、ケツァル少佐は平素の顔で許可をくれた。カルロは、母と妹が新居で落ち着いてから対面させようと思った。ところが、前日の夜になって雨が降り出したので、少佐が言ったのだ。

「天候が良くないので、私も空港へ行きましょう。パイロットの腕を疑う訳ではありませんが、着陸を見たいのです。」

 つまり、飛行機を守護したいと言ったのだ。少佐にとっては、最近迄名前すら知らなかった父親の、正妻と異母妹がやって来るのだ。それとも、ドライに部下の家族を出迎えてくれるだけのつもりなのか? 
 カルロは売店を振り返った。ケツァル少佐はアーモンドのチョコレートとマカデミアナッツのチョコレートを手に取って迷っていた。
 彼女は食べ物以外に悩むことがあるのだろうか・・・?


2021/08/22

星の鯨  16

  翌朝、シオドアはケツァル少佐の「起床!」と言う声で起こされた。バスルームへ行くと、彼の服は乾燥機の中で皺だらけになっていた。仕方がないので、少佐が豆を煮込んだり果物を切ったりしている間にアイロン掛けをした。そしてロホを虜にした煮豆をたっぷり食べて、少佐のベンツで大学迄送ってもらった。
 午前中の授業が終わり、彼が研究室に戻ると、客がいた。ステファン大尉だ。彼と大学で会うのは初めてだったので、ちょっと驚いた。

「いつ来たんだい?」
「8分前です。」
「生物学に興味でもあるのかな? それとも任務?」

 ステファンは躊躇した。シオドアはコーヒーを淹れる準備を始めた。客の為と言うより己の為だ。砂糖壺とミルクを先に机の上に置いた。ステファンはTシャツの上にジャケット、下はジーンズだ。多分、いつも通り拳銃を装備している。シオドアは彼が昨晩アリアナを病院職員寮へ送って行ったことを思い出した。彼女と何かあったのだろうか? と思った時、ステファンがやっと言った。

「昨日、アリアナから言われたのです。その・・・少佐との・・・ことを応援すると・・・」

 ひどく言いにくそうに打ち明けた。シオドアは黙ってカップにコーヒーを注ぎ、彼の前に置いた。ステファンがハッとして彼を見上げた。

「昨晩、少佐のアパートに泊まったのですか?」

 後ろめたいことは何もしていないので、シオドアは素直に認めた。

「スィ。帰ろうにも足がなかったし、少佐は運転する気分じゃなかったから、泊まって行けと言ってくれた。」
「それだけ?」
「それだけじゃないな・・・客間でぐっすり寝かせてもらった。朝飯をご馳走になった。車で大学迄送ってもらった。」

 シオドアはステファンの嫉妬を感じて、ちょっぴり愉快な気分になった。だけど、どうしてバレたんだ? 彼は後学の為に質問した。

「どうしてわかった? 新しい能力を開発したのか?」

 ステファンがぶすっとした顔で答えた。

「貴方から少佐と同じ石鹸の香りがします。」

 シオドアは思わず声を立てて笑ってしまった。

「彼女に石鹸のブランドを訊いておこう。寮でも使ってみる。」
「揶揄わないで下さい。」

 ステファンが拗ねた顔でコーヒーに砂糖を入れてやや乱暴にかき混ぜた。

「私は貴方に宣戦布告に来たのです。」
「宣戦布告?」
「スィ。私は、まだ彼女を諦めていません。」

 シオドアは溜め息をついた。彼は前日考古学のケサダ教授に同父異母兄弟姉妹の婚姻について質問したばかりだった。ケサダは、セルバ共和国の法律では全血半血に限らず兄弟姉妹間の婚姻は禁止だと答えた。但し、と彼は言った。

「先住民に限り、同父異母兄弟姉妹間の婚姻は認められています。この場合の先住民は”ティエラ”も”シエロ”も一緒です。法律を作った人間が何者か考えれば、不思議ではありませんがね。」

 カルロ・ステファンは純血種ではないし、白人の血が入っているが、メスティーソが先住民でないとは言い切れない。父親は正真正銘の純血の先住民だったのだ。

「法律がどうあれ、俺は遺伝子学者として君の主張を認めたくないな。」

とシオドアは言った。

「それに、俺も彼女が好きだ。」

 遂に言ってしまった。勿論、大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は全員承知のことだろうけど。
 ステファン大尉は彼をじっと見つめた。しかし怒っていない、とシオドアは気がついた。

「俺と闘うつもりかい?」
「貴方が望むなら・・・」

 ステファンが微かに微笑んだ。

「我々はハンデがあります。私は彼女の”出来損ない”の弟だし、貴方は白人だ。双方とも一族の頭の硬い連中には、彼女に相応しくないと断じられるでしょう。」
「そうだな。ロホやアスルの方が遥かに彼女に相応しいだろうし。」
「ロホは最強のライバルですが、アスルは考えなくて良いです。アイツは彼女を慕っていますが、我々とは少しレベルが違います。」
「姉さんの様に慕っている?」
「スィ。」

 シオドアは吹き出した。

「昨夜、少佐が言ったんだ。複数の女性達が、君と俺を取り合っていると。」
「え?」
「争奪戦の参加者を訊いたが教えてくれなかった。彼女は恋人争奪戦のゲームだと言った。」
「アリアナは私に恋愛ゲームを仕掛けないと言いました。」
「それは君を忘れたいと言う意味だ。」

 シオドアはコーヒーを飲んだ。

「君達の恋愛観はよくわからない。と言うより、俺自身がまともな恋愛の経験がないだけで、大人の恋愛がどんなものかわかっていないのかも知れないな。本当に好きなら、血の濃さも関係なくなるのかも知れない。」

 その時、ステファンの携帯電話が鳴った。彼がポケットから出して見ると、かけてきたのはケツァル少佐だった。彼が出るなり、不機嫌な声が聞こえた。

ーー何処をほっつき歩いているのです? 4階から2階へ行くのに1時間もかかるのですか?

 ステファン大尉が情けない顔をした。

「申し訳ありません、ちょっと野暮用で外出しています・・・」
ーー早く戻って来なさい! さっさと報告書を上げる!

 シオドアは声を立てずに笑うと言う困難な技を習得する必要がある、と思った。


星の鯨  15

  部下達とアリアナが去って、ケツァル少佐のアパートは静かになった。食器洗いは部下達がやってくれたし、椅子やテーブルも元に戻して帰ったので、少佐はのんびりソファに座って、シオドアが掃除機を床にかけるのを眺めていた。家事はあまりやらない主義だ。実家も自宅もメイドがいるし、家事らしきことをしたのは大統領警護隊の訓練生だった時くらいだ。金持ちが家事をやらないのは、メイドの仕事を取ってしまわないための心得だ。少佐が怠け者なのではない。それにその日は長い話を語ったので、彼女は疲れていた。元気な時ならワインかブランデーでも一杯やって寝るのだが、心臓の傷を気遣って彼女は我慢していた。だがシオドアには礼を言いたかったので、彼が掃除機を片付けてリビングに戻るとテーブルの上にブランデーの瓶とグラスを用意していた。

「メイドの仕事を取ってしまったお仕置きに、一杯召し上がって下さい。」
「そんな罰があるかい?」

 シオドアは笑いながら彼女の隣に座った。少佐が彼の前にブランデーを、彼女自身には水を入れたグラスを置いた。

「本当にアリアナがカンクンに行くことを知らなかったのですか?」
「知らなかった。」

 シオドアはグラスに酒を注ぎ入れた。少佐がつまらなそうな顔をした。

「やっと心が繋がりかけたのに・・・」
「そこで切れたりしないさ。電話でもメールでもしてやってくれよ。きっと喜ぶさ。」
「近くにいてくれた方が嬉しいのですけど・・・シーロも意地悪です。」

 少佐は同僚の愚痴をこぼした。シオドアは何となくロペス少佐がアリアナを国外へ行かせる理由に心当たりがあった。

「アリアナは少し異性関係にだらしないところがあった。カルロにもシャベス軍曹にも簡単に手を出した。今度の事件でスワレにそれを利用され付け込まれた。ロペス少佐はわかっていた様だ。放置しておいたら、”砂の民”を動かすことになってしまう。ロペス少佐は彼女を守るために、メキシコ行きを勧めてくれた。俺はそう信じる。」

 ケツァル少佐が水を一口飲んだ。

「ことは恋愛問題だけに収まらないと言うことなのですね。そう・・・”砂の民”が介入してきたら、ゲームも何もあったものではありませんから。」
「ゲーム?」

 シオドアが怪訝な顔をしたので、彼女はけろりとした顔で言った。

「恋人の争奪戦です。誰がカルロを取って、誰が貴方を取るか。」
「はぁ?」

 シオドアは彼女に向き直った。

「誰と誰が、カルロと俺を取り合っているんだ?」
「気になります?」
「気になる。」
「教えません。」

 少佐は立ち上がった。

「選択肢はもっと多いです。参加者も増えていきますからね。」

 訳のわからないことを言って、彼女はバスルームに向かって歩き出した。

「今夜は泊まって行かれます?」
「いや・・・寮に戻らないと、またロペスに叱られる。」
「でも、カルロは自宅に直帰です。私は今夜車を運転したくありません。帰りの足はありませんよ。」
「歩いて帰るさ。」

 少佐が足を止めて振り返った。見つめられてシオドアはドキドキした。

「ここから寮迄の距離を歩いて行かれるのですか?」
「・・・」
「路上強盗と言う言葉をご存知?」
「・・・」
「タクシーもこの時間はありませんよ。」
「少佐・・・」
「何です?」
「俺に泊まって欲しいのか?」

 暫く彼は少佐と目を見つめ合った。”心話”は通じなかった。彼は普通の男として、女の気持ちを考えなければならなかった。少佐は先住民で、先住民は単刀直入な物言いをしない。しかし、彼女はちゃんと意思表示をしたのだ。「今夜は泊まって行かれます?」と。
 シオドアは折れた。

「わかった・・・申し訳ないが、泊めてくれないかな・・・」

 入浴の支度をしてもらって、シオドアは風呂に入った。着替えはなかったが、乾燥機付き洗濯機があったので、そこに服を入れて洗濯した。バスローブだけ身につけてリビングに戻ると、少佐が客間を準備してくれていた。彼女の寝室ではないのだ。思い起こせば、以前泊まった時も彼は客間でロホはリビングだった。アメリカのセルバ大使館、ミゲール大使の私邸でも、彼女はステファンを彼女の部屋に入れたが、ステファンは彼女のベッドで彼女自身はハンモックだったのだ。
 少佐はアリアナではない。 シオドアは己の心に言い聞かせた。
 ベッドに入り、目を閉じた。アリアナとステファンは何事もなくそれぞれ帰宅したのだろうか。アリアナは己がメキシコへ行くことになった原因を理解した様だった。それなら今夜は何事もなく別れただろう。ステファンも彼女の誘惑に負けることはない筈だ。今以上に事態をややこしくしたくないだろうから。
 ブランデーが効いて彼は眠りに落ちた。 

星の鯨  14

  ロホとアスルはデネロスが運転する軍用ジープで大統領警護隊の官舎に帰って行った。アリアナはステファン大尉が病院職員寮へビートルで送ると言った。アリアナは躊躇したが、少佐がそうしなさいと勧めたので、素直に従った。シオドアは少し心配だったが、アリアナが大丈夫と目で言ったので、彼女を大尉に任せることにした。

「カンクンへ行く日が決まったら、必ず連絡しろよ。」

と彼は念を押して彼女を送った。
 ビートルの助手席に座ると、走り出して間もなく、大尉が彼女に話しかけた。

「向こうに行ったら、アメリカ人に気をつけて下さい。遺伝病理学研究所と繋がりがあるかも知れません。向こうはまだ貴女を諦めていない可能性もあります。」
「ロペス少佐はそれも考慮に入れて下調べをして下さった筈よ。」

 アリアナは前を向いたまま言った。

「私もいつまでも人に頼ってばかりじゃ駄目なのよ。自分で自分の身を守れるようにならないと。」
「頑張り過ぎても良くありません。」
「まだ頑張る入り口にいるのに、そんなことを言わないで。」

 彼女は笑った。そして、思い切って胸の内を打ち明けた。今言わなくて、何時言えるのだ?

「知っていると思うけど、私、貴方のことが本当に好きなの。今も好き。だけど、貴方が誰を愛しているか知っている。テオは貴方の恋に批判的だけど、私は・・・貴方が彼女を諦めきれない気持ちがわかる。だから、貴方の邪魔をしたくないの。」
「邪魔とは・・・?」
「貴方に恋愛ゲームを仕掛けたりしないってこと。」

 アリアナは運転席の方を向いた。ステファンは前を向いたままだ。

「テオによく叱られるけど、私は時々自分を抑えられなくなる。多分、本当の恋愛をしていないからだと思うの。このまま貴方のそばにいたら、私はまたゲームを始めてしまう。貴方に少佐と私を選ばせようとするでしょう。負けるとわかっていてもね。そして貴方には気まずい思いをさせてしまうに決まっている。私はまた別の男性を摘み食いしてしまうわ。シャベス軍曹みたいな若い人を誘惑してしまうでしょう。」

 彼女も前を向いた。

「貴方とロホが、私のことをアスルが気に入っていると言ってくれたわね。私には彼はまだ子供に見えるの。だけど、今日、私は彼をもう少しで誘惑しそうになった。」
「そうは聞こえませんでしたが・・・」
「本当に誘いをかけようとしてしまったのよ。テオは気がついているわ。後で聞いてごらんなさい。」
「アスルにも経験は必要です。」
「でも貴方の代わりに、と言うのは良くないわ。だから、私はロペス少佐の提案を聞いた時に、貴方達と距離を置く良い機会だと思ったの。でもね、少佐とマハルダから離れるのは寂しいの。洞窟の中で少佐の手術を任された時、彼女が私を心から信頼してくれていることがわかって、本当に嬉しかった。だから、私は彼女が貴方を選んだら、絶対に応援する。テオが反対しても私は味方するわ。」

 ステファン大尉が小さく溜め息をついた。

「彼女が私を選んでくれるかどうか、私には自信がありません。今まで彼女が私に対して親しげに振る舞っていたのは、同じグラダ族の血が流れていたからだと、今回の事件で思い知りました。男としての信頼は、私よりロホの方へ置かれています。そして人として彼女はテオを信用しています。洞窟で敵に襲われた時、彼女はテオの背中に隠れたのです。私だったら、絶対に彼女はそんなことをしない。逆に私を守ろうとしたでしょう。男として屈辱です。」
「諦めちゃ駄目よ!」

 アリアナが力強く言ったので、彼はびっくりした。

「彼女はどんなことでも貴方に関することは細やかに気をつけて行動しているわ。貴方との本当の関係がわかる前から・・・彼女は貴方を愛している。彼女を信じてあげて。」

 ステファン大尉が苦笑した。

「遺伝子学者が、近親婚を奨励するのですか?」
「心の繋がりは誰にも邪魔出来ないのよ。」

 アリアナは心の中で呟いた。

 私は繋がりたい人が増えてしまったの・・・

星の鯨  13

 「明日からはまた普通の業務に戻るんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が尋ねた。 ケツァル少佐が頷いた。

「スィ。但し、アスルはまだ足が不自由ですから・・・」
「もう歩けます!」

 アスルが主張したが、少佐は無視した。

「アスルがしていた仕事をデネロス、貴女がして下さい。」

 え? と全員がちょっと驚いた。アスルは確実にショックを受けた。仕事を後輩に取られるなんて屈辱ではないか? シオドアは彼が可哀想に思ってしまった。しかし少佐は部下の抗議を受け付けなかった。

「短期間の業務内容の交換です。軍の警備隊の手配を承認が通った申請書に従ってデネロスが行います。アスルはデネロスがしていた申請書のチェックとデータ入力です。誰もが最初に行う業務ですから、まだ覚えているでしょう?」
「そうですが・・・」
「デネロスにも現場へ出る準備が必要です。彼女が手配した警備隊の最終確認はアスルがしなさい。」
「承知しました。」

 下っ端の仕事と指南役を命じられて、アスルは渋々承知したのだ。文化・教育省はエレベーターがない。脚を折ったアスルを4階まで何度も往復させまいと少佐なりの気遣いなのだろうけれど、その気になれば直ぐに傷を治せる”ヴェルデ・シエロ”にとっては却って嫌がらせだ。もっとも・・・

「私もまだ本調子ではないので、大臣や他のセクションとの会議には、ステファン大尉に出席を命じます。」

 少佐もまだ階段の登り降りを頻繁にするのは辛いのだ。会議の席が苦手なステファン大尉が不承不精承った。恐らくロホに代わってもらいたいだろう。そのロホは発掘調査隊監視のスケジュールがぎっしり詰まっていた。少佐が駄目、アスルも駄目、ステファンも忙しいとなると、中間の彼が全部負うことになる。
 大統領警護隊文化保護担当部の業務打ち合わせが終わったと思われた時、アリアナが、「私も・・・」と声を出した。シオドアが振り返ると、彼女が遠慮がちに話し出した。

「私も職場を変わることになったの・・・」
「はぁ?」

 シオドアは思わず声を上げた。全然そんな話を聞いていない。と言うか、事件の後、亡命観察期間の住居に戻るのを拒否したら、シオドアとアリアナは別々の住まいに移されてしまい、あまり顔を合わせていなかったのだ。シオドアは送迎の必要がない大学の寮に入居させられ、アリアナは大学病院の職員寮に移された。互いの仕事に変更があれば連絡を取れば良いではないか、とシーロ・ロペス少佐に言われた。しかしアリアナは仕事に変更がある話をシオドアにしていなかった。

「変わるって、何処へ?」
「カンクンよ。」
「カンクン?!」

 メキシコだ。少佐とロホが顔を見合わせた。デネロスとステファンも戸惑った。

「セルバから出るの?」

とデネロスが不安そうな声で尋ねた。 アリアナはちょっと笑おうとして、おかしな表情になった。きっと彼女も涙が出そうになったのだ。

「国籍はセルバ共和国なの。カンクンの遺伝病研究施設へ出向になるのよ。半年の予定で、次のクリスマス迄には帰って来られるって、ロペス少佐が言うの。」
「シーロがね・・・」

と少佐がちょっと不機嫌な声を出した。誘拐事件の渦中にあったアリアナをスキャンダルから遠ざける為に考え出した策だろうが、彼女一人だけを遠ざけるのは最善策と思えなかったのだ。
 アリアナが無理に笑おうとした。

「ロペス少佐が意地悪をしたんじゃないのよ。内務大臣の弟の建設大臣のところの・・・」
「シショカ?」

とシオドアが名前を出した。”ヴェルデ・シエロ”達が彼を見た。アリアナが頷いた。

「そう、秘書のシショカって人が、私があまりにも事件の細部に入り込み過ぎたって言ったんですって。」

 シショカは”砂の民”だ。”ヴェルデ・シエロ”の秘密を知ろうとする外国人やセルバ共和国の国益に反することをする市民の抹殺を行う役目を負う人間だ。ステファン大尉がアリアナに優しく言った。

「ロペス少佐は貴女をシショカから守りたいと思っている訳ですね。」
「スィ。」

 アリアナがやっと微笑みらしい微笑を浮かべた。

「”ヴェルデ・シエロ”がいない国で、私が言語に不自由しなくて、出来るだけセルバ共和国に近くて、私の知識が活かせる職場を探して、カンクンの病院を見つけてくれたの。そこなら、私がもし何かの弾みにこの国の秘密を口走っても誰も気にしないだろうって。半年も経てばセルバ人は事件を忘れてしまうし、過去の詮索をしないマナーで噂も消えてしまうから、また帰って来なさいって・・・」
「何故君だけなんだ? 俺は放置しても平気だって思われているのか?」

とシオドア。

「貴方は大丈夫でしょう。シショカも寄り付かない。」

と少佐がぶっきらぼうに言った。なんで? とシオドアが問いかけるのを無視して、彼女はアリアナの手を取った。

「半年の我慢なのですね? 電話やネットでお話しするのは構わないでしょう?」
「ええ!」

 アリアナが頷くと、デネロスも尋ねた。

「私達が出張で訪ねても良いんですよね?」
「その筈・・・」

 出張? と少佐がデネロスを睨んだので、アリアナは思わず笑いそうになった。
 シオドアはアスルが静かなのに気がついた。アスルは黙ってアリアナを見ていた。

 コイツ、本当にアリアナのことが好きなのか?

 アリアナがシオドアの視線の先に気がついた。ちょっと躊躇ってから、アスルに目を合わせた。

「もし、機会があれば遊びに来て・・・一緒にメキシコの遺跡巡りとか出来れば良いわね。」

するとアスルは精一杯無愛想に言った。

「俺と一緒に歩くなら、サッカー場巡りになりますよ。」

 ロホが彼の後頭部をペンっと叩いた。しかしアリアナは笑ってアスルに言った。

「サッカー場の方が私の性に合っているかもね。」




 

2021/08/14

星の鯨  12

  シオドア達がいなくなると、メナクはシャベス軍曹を連れて神殿へ入った。神殿は汚れていなかったが、血の匂いで満ちていた。それはケツァル少佐が決して万全の体調でないことを彼に伝えた。彼等は遠くへ行けない。そう踏んだメナクが神殿で休んでいると、声が壁の向こうから聞こえてきた。驚いた。シオドア達は、禁断の聖地を発見した様子だった。神殿の仕組みがどの様になっているのかわからなかった。もっとよく聞こうと壁に近づいて歩いていると、”入り口”を見つけた。巧妙に隠された様な狭い”入り口”だったが、メナクはシャベス軍曹を連れて通った。
 ”出口”から出たメナクはその場所のあまりの美しさと異様さに暫く動けなかった。その場所が何なのか理解出来なかった。キラキラ光る小さな点、金色に輝く湖、光に包まれた巨大な鯨型の島・・・正に、太陽の野に星の鯨が眠っている・・・風景だった。
 湖の畔でシオドアとケツァル少佐が何かをしていた。ステファン大尉の姿は見えなかった。やがてシオドアと少佐が荷物を置いた場所に戻った。”出口”の近くだ。動くものを見つけたシャベス軍曹が、地面に置かれたアサルトライフルを拾い上げた。女が先に気がついて動きを止めた。メナクの期待に反して彼女は声を出さずにシオドアに警告を発した。気を発して気温を下げたのだ。そしてシオドアは異変に気付いて振り返り、シャベスを見つけた。
 シオドア・ハーストはメナクの思惑に反して、シャベスの名を呼ばなかった。”操心”にかけられたシャベス軍曹を動かすキーワードは何かと考えたのだ。フリーズした様に見えた彼は、その時必死で難局打開を考えていた。先にケツァル少佐が行動を起こした。シャベス軍曹の目がシオドアを捉えていると判断すると、荷物の中から掴み取った使い捨てカイロを軍曹に投げつけた。シャベスがそれを撃った瞬間、シオドアが飛びかかった。シャベスは仰向けに倒れ頭部を岩盤に打ちつけてしまった。
 シャベス軍曹が動かなくなったので、メナクは軍曹は死んだと思った。手駒が無くなった彼は、自ら敵の前へ出て行った。相手は”ヴェルデ・ティエラ”の白人学者と手負の女だ。純血のグラダは油断禁物だが、彼女は白人の背後に隠れてしまった。”ヴェルデ・ティエラ”に守ってもらわなければならない状態だ。勝てるとメナクは確信した。
 ケツァルを渡せと言うメナクの要求を、シオドアが拒絶した。彼はメナクとスワレが同じ肉体を共有していたと知ると、シュカワラスキ・マナとエルネンツォ・スワレの死の真相を察した。誰が本当の殺人犯か分かったのだ。メナクはシオドアの喉を締め上げ、シュカワラスキと同じ方法で殺そうと試みた。
 突然、彼の背後から黒いジャガーが襲いかかってきた。湖の探索に一人で出かけたカルロ・ステファンのナワルだった。ステファンは島の反対側から戻ろうとした時に、岸辺でシオドアと少佐が何者かに襲われていることを知った。彼は咄嗟に水の流れに乗って下流へ流れ、岩伝いに水に入った場所へ戻った。変身は速やかに終了した。泳ぐために裸になっていたのでスムーズに出来た。メナクの背後から忍び寄って行くとシオドアが気がついたが、知らぬ顔をしてくれた。メナクがシオドアの首を締めにかかった時に、彼は襲いかかった。
 メナクは完全にパニックに陥った。彼が知っている黒いジャガーはシュカワラスキ・マナだった。彼は死者の魂が集まっている聖地に現れたカルロ・ステファンのナワルをシュカワラスキ・マナだと勘違いしたのだ。抵抗する気力が一瞬で消え失せ、噛みつこうとする牙から頭部を守ることで精一杯だった。シオドアと少佐がジャガーを制止しなければ、腕を噛み砕かれ、喉を裂かれて殺されていただろう。
 ジャガーは少佐の命令で動きを止めた。そして現れた長老会の命令でやっとメナクから離れた。メナクは恐怖で動けなかった。ジャガーの唸り声が続いており、シュカワラスキ・マナが怒っていると思うと、顔を上げる勇気もなかった。長老達と少佐とシオドアが話しているのが聞こえたが、彼の頭は理解する余裕がなかった。やがて女の手で縛り上げられ、長老の一人が薄刃のナイフで彼の目の下を切った。目を封じて技を使えなくしたのだ。
 メナクはグラダ・シティに連行され、ピラミッドの神殿で長老会の裁判にかけられた。”ヴェルデ・シエロ”の裁判は欧米的なものではない。弁護人はつかない。長老達が”心話”で被告人の罪状に対する情報を交換し合う沈黙の裁判だ。弁護は被告人が口頭で行うだけだ。メナクは多くを語らなかった。ただこう言った。

「お前達が儂の親兄弟を殺したから、こう言うことになった。」

 誰も同情しなかった。メナクにはその場で酒が与えられた。彼の親兄弟を死に至らしめた遅効性の毒が入った酒だった。

***********

「それで、イェンテ・グラダ村で生まれた人々は全てこの世から去りました。」

とケツァル少佐が締めくくった。
 アリアナが尋ねた。

「シャベス軍曹は助かったの?」
「スィ。」

 少佐がちょっとだけ笑って見せた。

「少し記憶障害が残っていますが、手術を受けて意識を取り戻しました。生命の危機を脱したので、来週には一般病棟に移れるそうです。」
「良かった・・・」

とシオドアが真っ先に言った。

「俺は人殺しになるところだった。」
「正当防衛でしょ。」

とデネロス少尉が言った。

「素手でアサルトライフル持った軍人に立ち向かったんですよ。罪になんか問われません。」
「法律じゃなくて、気持ちの問題だよ、マハルダ。」

 そうかなぁと言うデネロスはまだ若いのだ。生きるか死ぬかの体験をしたことがない。その証拠に、話題をすぐに変えた。

「太陽の野は死者の場所なんですね? 少佐と大尉はお父さんとお母さんに会えたんですか?」
「ノ。」

と少佐と大尉が同時に答えた。一瞬目を合わせてから、少佐が言った。

「多分、あの場所は英雄だけが休むことを許される場所だと思うのです。だからとても美しく心休まる空間です。」
「グリュイエがいたんですね。」

とアスルが言った。彼はまだ松葉杖を使っている。その気になれば少佐の心臓の様にスピード回復させられるのだが、司令官から普通の人間並の回復を求められているので、ギプスが取れないのだ。大尉が頷いた。

「いた。何だかのんびり空中を漂っていた。」
「そうですか・・・」

 アスルはちょっぴり感慨深そうな表情を見せた。若くして非業の死を遂げた後輩が、美しい地下の世界でのんびり漂っている。想像しただけで涙が出そうになった。デネロスがグリュイエって誰?と訊きたそうな顔をしたが、アスルの表情を見て質問を呑み込んだ。きっと尋ねてはいけないことなのだと彼女なりに理解したのだ。

星の鯨  11

  スワレ=メナクはブーカ族の名家の家長として、また長老会の重鎮として権力を欲しいままにしていたが、1人の体に2人の魂は時に厄介でもあった。スワレはブーカ族だから、己の一族が可愛い。しかしメナクにとっては親を殺した人々の身内だ。2人はしばしば対立することがあった。陰の気だ。それは肉体を蝕むことになった。スワレはメナクの消滅を願うようになったが、メナクに知られた。同じ体にいるのだから当然だ。メナクはスワレの肉体を己一人のものにしたかったが、もしスワレを消したら肉体も死ぬのではないかと心配だった。
 そのうちに、大統領警護隊のカルロ・ステファンが大尉に昇進した。敵が近づいて来ると彼等は焦った。もう一度手を結び、彼等は陸軍兵士カメル軍曹に”操心”をかけた。北米の博物館から中南米の古美術品を盗み出す任務に彼を参加させたのは、陸軍に顔が利くスワレだった。盗むべき美術品のリストを手に入れ、メルカトル博物館のオパールの仮面に目を付けた。ステファンが仮面を手に取った時、背後から心臓を刺して殺す。それが命令だった。心臓を汚して甦るのを妨げる古代の呪法だ。
 しかし、カメルは失敗した。彼は非業の死を遂げ、ステファンは思いがけず”ヴェルデ・シエロ”の能力を目覚めさせてしまったのだ。無事にセルバ共和国に帰国したステファンをスワレ=メナクは脅威と看做すしかなかった。しかし打つ手が見つからず、2人の魂は再び肉体の中で諍いを持つようになった。そんな時に思いがけない事件が起きた。美術品密売人ロザナ・ロハスの要塞を政府軍が攻撃した際、大統領警護隊文化保護担当部に反政府ゲリラだった従兄弟を殺された憲兵が逆恨みでステファンを狙い、それを庇ったケツァル少佐を撃ってしまったのだ。少佐はそれをステファン暗殺未遂事件と結びつけて考えてしまった。そしてその考えを打ち明けられたシオドア・ハーストがムリリョ博士に純血至上主義者の犯行ではないかと果敢に詰め寄り、ムリリョの古い記憶を呼び覚ましてしまった。正に寝た子を起こしてしまったのだ。
 ムリリョはシュカワラスキ・マナが空間通路での移送で死んだことを疑っていた。強大な力を持つ純血種のグラダが移送事故で死ぬ筈がないと考えた。そして兄をマナに殺されたトゥパルが事故を装って殺害したに違いないと推測したのだ。実際、そうだった。メナクは己の計画を蹴って逃げた裏切り者のマナを憎んでいたが、同じグラダだ、殺すつもりはその時まだなかったのだ。マナから空気を奪い殺害したのはスワレだった。スワレはムリリョに疑われていることに気づかず、ステファン暗殺だけに執着した。
 一方、メナクはスワレの肉体が老齢で体調も良くないことが気になっていた。新しい肉体が必要だと感じていたが、スワレにそれを告げることは出来なかった。メナクが欲したのは、限りなく純血種に近いグラダ系の体だった。但し、白人の血が混ざった体はごめんだった。彼の身近で一番条件に当てはまったのが、ケツァル少佐だった。女性だが我慢するしかない、と彼は思った。
 シュカワラスキ・マナの2人の子供を同時に誘い出し、1人を殺し1人の肉体を盗む。但し、肉体強奪はメナク一人の企みでスワレには内緒だった。彼等はケツァル少佐とステファン大尉の親しい友人となったシオドア・ハーストとアリアナ・オズボーンの家を襲撃した。高齢者と言えども”ヴェルデ・シエロ”だ。普通の人間の特殊部隊など赤子と同じだった。警護のシャベス軍曹はあっさり”操心”にかかった。シオドアが留守だったので、アリアナを攫った。
バスルームの鏡に暗がりの神殿の呪い文を書いたのは、地下の神殿がマナの子供を殺す絶好の場所だと思ったからだ。メナクもスワレも、その神殿の奥にある本当の聖地をその時点で知らなかった。
 オルガ・グランデの鉱山へは空間通路を使った。スワレがブーカ族だったので、これは簡単だった。だが高齢のスワレの体は、”ヴェルデ・ティエラ”を2人運ぶことでかなり消耗してしまった。暗闇の空間で彼等は獲物が来るのを待ち続けた。そのうちに彼等は面白いことを知った。”操心”にかけられていても人間は日常の会話や生活が出来る。攫われてきた2人の男女は暗闇の恐怖の中でも励まし合っていた。その内容からスワレはアリアナがステファンを好いていることを知った。だから”操心”をかけた。カルロ・ステファンに出会ったら彼の心臓を刺す、と言うものだった。そして遂にシュカワラスキ・マナの子供達が坑道へやって来た。
 スワレはアリアナを解放した。彼女は夢見心地で暗闇を歩いて行った。やがて彼等はロホの叫び声を耳にした。

「カルロ・ステファンが死んだ! シュカワラスキ・マナの息子が殺されたぞ!」

 長年の怨念が晴らされた。スワレは感激した。感激して、興奮して、彼の魂は消えて行った。
 メナクはスワレの死を感じ、慌てた。しかし幸いなことにメナク自身は消えなかった。スワレの肉体が遂に彼一人のものになったのだ。但し、老いさらばえ、ポンコツになった肉体だった。メナクはケツァル少佐の肉体を手に入れるべく、神殿に近づいたが、様子が変だと気がついた。
 神殿はロホの結界で守られており、近づくことすら出来なかった。そして殺された筈のカルロ・ステファンが生きて動き回っていた。倒れていたのは、ケツァル少佐の方だった。ステファンと白人のシオドアが彼女の手当てに奔走していた。
 スワレは失敗したのだ。ブーカの若造に欺かれ、メナクの大事な新しい肉体を傷つけられたのだ。怒りに駆られたが、メナクはそこで純血のグラダの恐るべき能力を目の当たりにすることとなった。心臓を刺されたシータ・ケツァルは死んでおらず、自らの力で治療に専念していた。そして半分グラダの腹違いの弟が姉の心臓から刃物を少しずつ引き抜く繊細な技に挑戦していた。メナクは彼等の能力に賭けることにした。新しい肉体を手に入れる為に、しかもそれは彼が愛したウナガンとよく似た女だった。
 メナクは一旦隠れていた坑道に戻った。シャベス軍曹に新しい”操心”をかけた。誰かがシャベスの名を呼んだら、そいつを撃つ、と言う簡単なものだ。”操心”の上の”操心”の上書きだ。それが限界だった。
 敵が疲弊するのを待っていると、かなり長い時間が経った。大統領警護隊は優秀な軍人達だ。疲れても一度に全員が休憩することはなかったし、結界は張られたままだった。最初にブーカの若造を始末するべきかと迷っていると、ケツァル少佐が復活してしまった。手負であるにも関わらず、彼女はロホを休ませ、仲間にも気づかれぬうちに結界を張った。
 メナクは自分達がとんでもない者を相手にしているのだと気が付き始めた。純血種のグラダは彼の様な混血には決して追いつけない途方もなく大きな力を持っているのだ。メナクは作戦を変えるべきか、続行すべきかと迷った。迷っているうちに、大統領警護隊は2手に分かれた。ロホと”操心”が解けて少佐の手当てに活躍したアリアナが救援要請と報告の為に神殿から出た。メナクには、彼等をもう一度襲って捕虜を得る余力も、ブーカ族の若者と戦って勝つ気力もあまり残っていなかった。メナクは彼等を見逃した。長老会がこの場所へ来る迄に、女を手に入れることが先決だと思ったのだ。
 ケツァル少佐はステファン大尉とシオドアを連れて神殿の奥へと歩き始めた。何処へ行くのか、メナクには見当がつかなかった。

第11部  神殿        12

 テオは用心深く尋ねた。 「白人の俺が、貴方方の秘密を知り過ぎると、生きてここから出られないような気がするのですが、俺は今どんな立場にいるのでしょう?」  最長老が近くの棚に心なしかもたれかかった様に見えた。 「貴方の立場は、ピラミッドの中に現れた時から危険な位置にあります。神殿...