2025/03/28

第11部  神殿        6

  大広間を壁伝いに移動するのは時間がかかった。テオはママコナを追い越してはいけなかったし、近づき過ぎてもいけなかった。歩幅を狭くして歩くのは、疲れるものだ。
 テオは次から次へと頭に浮かぶ疑問、彼女に訊いてみたいことを、整理がつかぬままに質問にしてみた。

「俺は友人達から貴女が男の人を好きでないと聞かされていましたが、今、貴女は俺と普通に話をされていますね。怖くないですか? 俺は初対面の異人種ですよ?」

 ママコナが振り返った。足は止めない。

「貴方から敵意を感じません。それに貴方は一族の味方だと聞いております。以前、ここに白人の女性が来たことがあります。彼女も”通路”を通って来ました。女官や近衛兵が大騒ぎしましたが、&%$%%(テオには聞き取れなかった)が、彼女は私達の友達だと言いました。貴方は彼女の兄弟でしょう?」

 テオは、彼女がアリアナ・オズボーンのことを言っているのだとわかった。オルガ・グランデの地下洞窟から、彼女はロホに導かれて脱出したのだが、出口がこの地下神殿だったので、大騒ぎになった、と後にムリリョ博士が苦言を呈していたのだ。博士は「白人が神殿を汚した」と言っていたが、目の前にいるママコナはそんな考えを持っているのだろうか。

「俺は白人です。神殿を汚したことになりませんか?」
「それは頭が硬い年寄りの考えです。」

とママコナがあっさりと言ってのけた。

「穢れなら、同胞を爆裂波で傷つける人間の方がずっと汚れているでしょう?」
「仰せの通り・・・」

 ケツァル少佐や高齢の”ヴェルデ・シエロ”はママコナを世間知らずの箱入り娘の様に表現している。しかし、彼女は実際は聡明で機転が効いて、物知りなのではないか、とテオは見識を抱いた。そして心が広い。
 そしてもう一つ、ある謎が解けた。それは彼女が時々口にする”ヴェルデ・シエロ”の”真の名”をテオが聞き取れない理由だ。 ”ヴェルデ・シエロ”の真の名前は人間の言葉の「音」ではないのだ! 

 この人は、ジャガーの声で同胞の名前を呼んでいる・・・


2025/03/25

第11部  神殿        5

  テオとママコナはいきなり広い空間に出た。石に囲まれた大広間だ。中央に高い祭壇らしきものがあり、それ自体が頂点が平なピラミッドの様だ。壁には彫刻が施され、火が灯されている。テオは微かな空気の流れを頬に感じた。気流があるから、火を焚いても酸欠状態にならないのだ、とぼんやり思った。

「ここは祈りの間です。」

とママコナが説明した。

「暴風などの大きな災害が迫った時、ここで私と能力の強い者達が国土の安全を祈ります。」

 テオは以前ハリケーンが接近した時のことを思い出した。大統領警護隊の友人達は一晩中祈っていた。彼等は服を脱いでいた。
 テオはそっと訊いてみた。

「祈る時はナワルを使うのですか?」

 ママコナが彼を振り返った。

「見たことがあるのですか?」

 質問に質問で返したが、テオの質問に「スィ」と答えたも同じだった。テオは首を振った。

「ノ、しかし、以前ハリケーンが来た時、友人達が夜を徹して祈っていました。彼等は服を脱いでいましたので・・・」

 ママコナがクスッと笑った。

「変身しなければならないと言うのではないのです。祈りに夢中になって興奮状態になる人が変身してしまう、それが私達の体の厄介な問題です。」

 ママコナの口からナワルを「厄介な問題」と表現されて、テオはびっくりした。

「興奮が頂点に達すると、貴女の一族は変身してしまうのですか?」
「その様です。」

 ママコナは高い天井を見上げた。テオも見上げると、そこに竜の様な不思議な動物の彫刻があった。天井いっぱいに刻まれている。

「あれは私達の最高神です。」

とママコナは言った。

「名を呼ぶことを許されていません。私達は変身して神に呼びかけるのです、国を守り給え、と。」

 それから彼女は視線を壁の対面へ移した。

「これから、向こうに見えている通路へ行きますが、貴方は一族の者ではないので、この広間を横切ることは出来ません。時間がかかりますが、壁伝いに歩きますよ。」


2025/03/21

第11部  神殿        4

  テオはママコナに出会ったら質問したいことがいっぱいあった。しかし、今、実際に彼女を目の前にすると、そんな多くの疑問が真っ白になって、何も言葉が思いつかなかった。彼は黙って彼女の後ろについて階段を下って行った。
 時々ママコナは立ち止まり、1分ほどじっとしていることがあった。そんな時の彼女はボウッと白く輝いて見えた。何かしているのだ、とテオは思った。テレパシーで誰かと話しているのか、それとも彼女から何かを発して様子を探っているのか。
 不意にテオは一つ疑問が浮かんで、尋ねた。

「ケツァル少佐は、貴女にとって俺達の名前は意味をなさず、俺が少佐の名前を言っても貴女にはわからない、と言う意味のことを以前に言いましたが・・・」

 ママコナが立ち止まって振り返った。

「もし、私が少佐に出会ったことがなくて、貴方から彼女の名前を聞いても、私には誰だかわからないでしょう。でも私はシータ・ケツァルと会ったことがあるのです。ですから、現世の名前と彼女の”真の名”が結びつきます。」

 彼女は微笑んだ。

「私と普段接している女官や神官、近衛兵も同じです。大統領警護隊の指揮官に任命された人々は皆さん私に挨拶に来られますから、私は存じ上げております。今は貴方もその一人です。」

 そしてちょっと寂しげな表情になった。

「私はインターネットを使いますので、世間で私のことをどの様に言っているかも存じています。私は架空の人物であったり、ただの宗教上のお飾りであったり、正直なところ私にとって良い印象ではない言葉で表現されています。でも、私は選ばれた以上、私の役目を最後までやり遂げる覚悟で生きています。」
「貴女の役目?」
「セルバの民を守り、幸福に生きられるよう祈ることです。」
「貴女自身の幸せは?」

 言ってはいけない質問だ、と思ったが、テオは訊いてしまった。ママコナはニッコリ笑った。

「自己満足ですが、人民が私に感謝する声を聞くことです。 私自身は何もしなくても、彼等の心の支えになっている、それだけで十分です。」

 それは、貴女が本当の世界を知らないからだろう、とテオは思ったが、黙っていた。
 ママコナが前へ向き直った。

「もう少し下ります。疲れたら仰ってください。」


2025/03/19

第11部  神殿        3

 テオは少し混乱していた。あまりにも、あまりにも、ママコナが普通の女性だったからだ。女神様の様な輝く女性を想像していた彼は、前を静かに歩いて行く女性の後ろを用心深くついて行った。通路は薄暗く、冷たい石に囲まれており、下り階段になった。急勾配ではないが、大きく螺旋状で長い階段だ。

「地下へ行くのですか?」

と尋ねると、彼女は振り返らずに頷いた。

「地下へ向かっていますが、今は地上にいます。」
「え?」
「ここはピラミッドの中です。」

あ、と思った。ママコナはピラミッドの上部でお祈りでもしていたのだろうか。

「貴女がスペイン語を話せるとは思っていませんでした。」

 素直に感想を口にすると、彼女がちょっと笑い声を立てた。

「一族の人々もみんなそう思っています。私が声を発しないと信じている人も多いのですよ。」

 彼女は足を止めて振り返った。テオも立ち止まった。2人の間は10段ばかり離れていた。あまり近づくと、上にいるテオが失礼を働いている様な気がしたので、彼は離れていたのだ。

「一族が私に抱いている妄想は承知しています。汚れなく、世俗のことに関心を持たず、ひたすら一族とセルバの国の平和と幸福を祈って生きている・・・と。」
「でも、貴女は普通の人なのですね?」
「勿論です。」

 ママコナは微笑んだ。

「偉大なのは、このピラミッドを建設したご先祖様です。」

 彼女は両腕を大きく回して見せた。

「このピラミッドの最上階にあるお部屋で私は世界中の一族の動向を見ることが出来ます。心に話しかけることも出来ます。でも、部屋から1歩でも出ると、もうただの女です。」

 彼女は悪戯っぽく笑った。

「私は個室にパソコンを持っています。外には出られませんが、インターネットでいろいろな情報を得ていますし、言葉も勉強しました。英語やフランス語、中国語を読めますよ。芸能情報も政治や自然災害のニュースも知っています。外に出られなくても、毎日階段を昇り降りしているので、運動にもなります。最上階の部屋で日光浴もしています。」

 テオはポカンとして彼女を見つめた。 ”名を秘めた女の人”のそんな素顔を知っているのは、どれだけいるのだろう。それとも、もしかしてこれは、「平行世界」で、俺は間違えて違う次元に来てしまったのだろうか?
 するとママコナが彼を現実に引き戻した。

「私に今の生活を与えたのは一部の女官です。ですから、貴方に出会ったことを私は誰にも言いませんし、貴方も言わないでください。女官達が長老会や”砂の民”から罰せられます。」
「誓って、誰にも言いません。」
「では・・・」

 彼女はくるりと前に向き直った。

「急いで下に降りましょう。貴方が仰った神官の問題を解決しなければ。」

 

2025/03/17

第11部  神殿        2

「ええっと・・・どこから話しましょうか・・・」

 テオは考えた。目の前の女性が何者なのかわからないが、敵ではないだろうと言う意識はあった。それで、自己紹介から始めた。

「俺はテオドール・アルスト・ゴンザレスと言います。 グラダ大学で教員として働いています。俺のパートナーは大統領警護隊のシータ・ケツァル・ミゲール少佐です。」

 女性は黙って彼の顔を見ていたが、怒っている様でも警戒している様でもなかった。穏やかに静かに彼を見ていた。テオは続けた。

「神殿の神官の中に問題を起こした人がいて、少佐は神殿近衛兵の女性達と神殿に出かけました。俺は自宅で留守番をしていましたが、大学の同僚のフィデル・ケサダ教授と話をして、少佐が把握している問題を起こした神官に仲間がいることがわかったので、彼女に教えたいと思いました。教授が彼の家に帰るために”入り口”に入りかけたので、神殿への連絡方法を聞こうと駆け寄ったら、いきなりここへ来てしまいました。」

 笑い声が起きて、テオはびっくりした。目の前の女性が可笑そうに声を出して笑っていた。

「まぁ、閉じる”入り口”に吸い込まれてしまったのですね! そして先導者なしのままに、最後に思った場所へ跳んでしまったのです。白人の身で、大したものです!」

 そう言うことか・・・テオは昔カルロ・ステファン大尉が北部のラス・ラグナス遺跡で”入り口”にうっかり手を突っ込んで吸い込まれた事故を思い出した。

「白人の俺が跳んでしまうなんて、想像もしませんでした。」
「タイミングが良かったのでしょう。少しでもズレていたら、貴方は永久に暗闇の中を彷徨い続けるところでした。」

 そう言われて、ゾッとした。出来れば教授の自宅に跳んだ方が良かったかも知れない。すると、女性が言った。

「その教授は自分で”通路”をコントロールしていたのですね。力が強いので、白人の貴方を巻き込んでしまう空間の渦を作ってしまったのでしょう。そんなことが出来るのは・・・」

 彼女は何かを口の中で呟いたが、テオには聞き取れなかった。
 女性は彼に再びニッコリ笑いかけた。

「少佐のところへ行きたいですか?」
「スィ。道を教えていただければ・・・」
「白人に一人で神殿内を歩かせることは出来ません。私が行ける所まで案内しましょう。」
「グラシャス。ところで、貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 すると彼女はなんでもないように答えた。

「名はありません。 少なくとも、他人に教える名前はないのです。」

 テオは心の中で叫んだ。

 げっ! ママコナだ!!!!!



第11部  神殿        1

 「待って!」

 テオは空中に消えて行くケサダ教授に駆け寄った。神殿にいるケツァル少佐にすぐに連絡をつけたかった。夢中で教授に向かって手を差し出し・・・
 いきなり両足が宙に浮いた感触があった。

 え?!

 次の瞬間、彼の体は冷たく固い物に叩きつけられた。幸い頭部を打たなかったが、暫く体がショックで動かなかった。

 なんだ?

 ケサダ教授に衝撃波をくらって突き飛ばされたのかと思った。だが顔を上げると、そこは初めて見る風景だった。暗い空間、疎に松明の火が灯っている。壁は大きな石組みだ。彼は床に手をついて立ち上ろうとして、床も石畳だと気がついた。空気が冷たく、ブルッと身震いした時、背後から声をかけられた。

「お怪我はありませんでした?」

 スペイン語だが、とても丁寧で、少し訛って聞こえた。テオは座り込んだまま、振り返った。暗がりの中に、ボウッと光る人形の様に、女性が立っていた。若い人で、年齢は20歳前後か? 純血種のインディオだ。マハルダ・デネロスをもう少し幼くした感じで、暗がりに溶けてしまいそうな茶色の服を着ていた。普通の裾が長いチュニックで、脚にスパッツを履いているようで、足はサンダルを履いていた。髪の毛は長いのかも知れないが、やや後ろでお団子に結っていた。

「あ・・・いきなり現れてすみません・・・」

とテオは謝った。

「驚かれたでしょう? 俺もここへ来るつもりはなくて・・・」

 彼は重大な疑問を思い出した。

「ここはどこです?」

 女性がクスッと笑った。

「貴方が最後に頭に思い浮かべた場所です。」

 つまり”空間通路”の仕組みを知っているのだ。この女性は”ヴェルデ・シエロ”だ。テオはもう一度周囲を見回した。暗くてわからないが、かなり広い空間の中にいる気がした。

「まさかと思いますが・・・神殿ですか?」
「スィ。」

 女性がニッコリした。すると、この女性は巫女の世話をしている女官なのか?
 テオは相手を怯えさせないように、許可を求めた。

「立ち上がって良いですか?」
「スィ。」

 テオはゆっくりと立ち上がった。空中から石畳の上に放り出された時に打撲したのか、お尻がちょっと痛かったが、他に怪我はなさそうだった。

「白人が立ち入ってはいけない場所に入ってしまいました。すぐ出て行きます。」

 すると、女性が尋ねた。

「貴方は、どうやってここへ来たのですか? 白人が”通路”を通れると聞いたことはありませんが?」
 

2025/03/14

第11部  内乱        31

  ケサダ教授は話を続けた。

「私のナワルを見ただけでは、私が何族の出なのか、誰もわからないでしょう。ジャガーに変身出来る部族のどれか、それしかわからない。だから、私の成年式に立ち会った長老達は、私が他人と違う色のナワルを持つマスケゴと思っただけなのです。私をグラダと結びつけて考えるのは、イェンテ・グラダ村の生き残りが3人いたと知っている人物だけです。多分、現在最長老と呼ばれる年寄りだけです。それなら、その身内の神官を搾り込めます。」

 テオはここにケツァル少佐がいたらなぁ、と思った。彼女なら神殿内部のゴタゴタを綺麗さっぱり解決してくれそうな気がした。
「ところで」と教授が彼を見た。

「貴方は半グラダ同士の婚姻で純血種が生まれる確率はどの程度だと思われますか?」
「難しいですね・・・」

 テオは考え込んだ。単純に考えれば4分の1だろう。しかし遺伝子の組み合わせはそんな単純なものではない。彼は言った。

「限りなくゼロに近いと思いますよ。」
「そうでしょう。」

 教授が頷いた。

「ゼロに近い筈なのに、ケツァルと私が生まれた。まるで奇跡ですね?」

 彼は何を言いたいのか? テオは教授の目を見ないよう努めて、相手の額を見つめた。教授は言った。

「イェンテ・グラダ村の住民は、実際はほぼ全員が純血種のグラダだったのです。」
「あ・・・」

と声が出た。そうだ、数千年何世代も近親婚を繰り返して、彼等はもっと早く純血種を生み出すことに成功していたのだ! だが・・・テオは思ったことを言った。

「彼等はグラダの力の使い方を知らなかった。誰も教えてくれなかったから。だから、力のコントロールに苦しみ、麻薬に頼った・・・」
「そんなところでしょう。」

とケサダ教授は冷めた目で言った。

「一族に頼ったところで、一族もグラダのことなんて、わかりゃしません。イェンテ・グラダの連中は自分達で何とかしようとして失敗したのです。麻薬で堕落した仲間を見限って、3人の若者が出稼ぎ名目で村を出て行った。事実上は村から逃げたのです。そして一族による殲滅作戦を免れた。エウリオ・メナクはメスティーソの妻を得て、カタリナが生まれた。私の母はヘロニモ・クチャかエウリオか、どちらかとの間に私を産んだ。私が純血種なのは、そう言う理由です。カルロ・ステファンが白人の血を引いていてもグラダの力が強いのも、同じ理由です。エウリオ、ヘロニモ、私の母は純血種だったのです。」

 彼は苦笑した。

「私もケツァルも奇跡でもなんでもない、自然の摂理で生まれただけです。彼女の母親もきっと純血種だったのですよ。」

 「血にこだわるなんてくだらない」と教授は呟き、立ち上がった。

「私は私の子供達を政治に関わらせたくありません。子供達が成長して政治に興味を持つと言うなら、それは別の話です。今、神殿で起きていることは、大統領警護隊、長老会、神官達で解決して頂きたい。」
「わかっています。」

とテオは言った。

「貴方と貴方の家族のことを、今回の事件で出したりしません。貴方達は長老ムリリョの家族、それだけのことです。」

 ケサダ教授は彼を見て、微笑した。そして数歩後ろに退がって、空中に消えた。 見事な”空間通路”の使い方だった。

2025/03/10

第11部  内乱        30

  テオは味方である筈の人を目の前にして冷や汗をかいていた。ケサダ教授は己のナワルの秘密を誰にも知られたくないのだ。少なくとも、義父と妻しか知らないと思っていたのだ。
 下手に言い訳すると、却って泥沼に入るだろうと思ったテオは、素直に打ち明けることにした。

「実はバスコ兄弟の殺人事件の時に、セニョール・シショカが貴方に屈した理由を、ムリリョ博士から聞きました。貴方がシショカより強い理由を、です。貴方が本当の出自を明かさない理由です。」

 ケサダ教授はテオから視線を外し、暫く壁をぼんやり眺めていた。目はぼんやり、だが、頭の中では色々考えを巡らせているに違いない。テオは彼が何か言うのを待っていた。
 やがて5分も経ってから、教授が口を開いた。

「私が出自を秘密にしているのは、ムリリョ家が一族に私の出生に関して虚偽を言っている、と思われることを防ぐためです。」

と彼は言った。

「義父が私の母から私を預かった時、彼はただ幼い子供を大人の争いから守るつもりだけでした。私は既に神官の修行を始める年齢を過ぎていましたし、監視されて生きるのは誰でも苦痛です。だから彼と彼の妻は私を普通のマスケゴの子供として育ててくれました。私も彼等の努力を無駄にすまいと能力を隠して成長しました。成年式でナワルを見られたら、その時はその時です、博士は私の父親を知らなかったととぼければ、それで良かった。一族は私をグラダとして認定して終わる筈でした。しかし、私の毛色は黒くなかった。金色でもなかった。だから立ち会った長老達は、口をつぐんだのです。生贄など、誰もこの時代に行いたくないし、異常なカルトに教えたくもない。彼等は一族の平安のために、私の出自を隠しました。彼等の沈黙が私に『世に出るな』と命じたのです。」

でも、とテオは呟いた。

「誰かが、貴方の血筋を身内に教えた、あるいは、身内が長老の心を読んでしまった?」
「高齢で弱った長老と意思疎通を図った際に、秘密を読んでしまったのでしょう。 しかし、私をどうこうするつもりはないのです。たまたま最近私に息子が産まれ、世襲制の案を誰かが思いつき、誰かが己の先祖にグラダがいたと伝えらていることを思い出した、その3つでしょう。」

 ケサダ教授はテオに向き直った。

「恐らく、グラダの血筋を探せと言った神官、世襲制でグラダの血筋を持つ者を神官にしようと考える神官は、別の人間ですよ。」


2025/03/07

第11部  内乱        29

 「ムリリョ博士は、どんな返答をしたのです?」

 テオはちょっと不安になった。ケサダ教授の出自に疑問を持つマスケゴ族がいる。そして世襲制を提案した神官は、グラダ族の血を受け継ぐ神官が現れることを望んでいる。

「私も同じ質問を義父にしました。」

とケサダ教授は言った。

「義父は、『儂はオルガ・グランデの闘いに巻き込まれた現地の一族の女から、あの小僧を託されただけだ。義理息子の身元を知りたければ、”名を秘めた女”に訊けば良い』と答えたそうです。」
「それで神官は納得したのですか?」
「少なくとも、それ以上は食い下がったりしなかったようです。」

 そしてテオの話を促した。

「この話と今起きていることはどんな関係があるのですか?」

 それで、テオはどこから話そうかと迷った。

「これは、神殿の醜聞、貴方の一族の醜聞になるかも知れません。」

と前置きして、神官が世襲制の案を出したことから、一連の騒動が始まったことを話した。神官の世襲に反対した大神官代理ロアン・マレンカが世襲派のカエンシット神官、アスマ神官、エロワ神官の呪いを受けて、重体になっていること、3人の神官は神殿近衛兵の女性だけをエダの神殿に連れて行き、どうやらそこで世襲制の子供の母親を近衛兵から選ぶつもりだったらしいこと、ケツァル少佐とデネロス少尉が大神官代理の行方を探す手がかりを求めてエダの神殿に行き、女性近衛兵達と合流して、神殿を封鎖していた3人の神官を捕縛したこと、他の神官と彼女達はグラダ・シティの神殿に戻ったが、ムリリョ博士がテオのアパートに来て、まだ世襲派の神官や協力者がいる筈だと言い、文化保護担当部は神殿に向かったこと。
 ケサダ教授は暫く黙っていたが、やがて尋ねた。

「神官が世襲制の考えを持つに至ったのは、長老会の誰かがそんな案を口にしたから・・・それが最初ですね?」

 テオは思わず自分が語った話を頭の中で再考した。

「スィ・・・そうです・・・」

 教授が溜め息をついた。

「私の成年式を見た長老は全員この世にいません。しかし、話を聞いたことがある身内がいるのかも知れない。」
「すると・・・」

 テオはドキリとした。 白いジャガーを見た話を聞いたと言うことだ。

「白いジャガーとグラダを結びつけるのは早急では?」

 と彼が言うと、ケサダ教授が彼をジロリと見た。

「誰が白いジャガーですって?」

 え?とテオは戸惑った。教授のナワルが白いことを知っている、と彼は教授に言ったことがなかった・・・のか?


 

2025/03/06

第11部  内乱        28

 「教授、貴方って人は・・・」

 テオは床に尻餅をついたまま文句を言った。

「本当にお茶目だ。」

 ケサダ教授は微笑んで、彼に手を差し出し、立ち上がるのを手伝った。服装は昼間のダンディな彼のイメージと違って、深い緑色の無地のTシャツにラフな綿パンだ。完全に部屋着姿だった。
 テオは彼をソファに座らせ、キッチンからコーラの缶を2つ持って来た。

「博士の来訪を教えてくださって有り難うございました。」

 開口一番に礼を言った。教授は肩をすくめた。

「文化保護担当部がすぐに捕まる場所は何処か、と義父に訊かれたので、貴方のアパートを教えたのです。すると彼は直ぐにガレージに走った。だから、貴方に連絡しました。」
「博士は少佐に電話をかけなかったのですか?」
「恐らくかけたのでしょうが、繋がらなかったのだと思います。彼女は何処かへ出かけていたのですか?」
「エダの神殿と言う所です。」

 テオの返事を聞いて、教授が眉を上げた。ちょっと驚いていた。

「そこは・・・新しい大神官や神官を選ぶ場所です。」
「スィ、大神官代理が病気なのです。」

 ケサダ教授には初耳だったようだ。黙ってテオを見返したので、テオは腹を決めた。教授を呼び出したのは自分だ。何も教えない訳にいかない。

「凄く厄介な事態が神殿で起きています。文化保護担当部と俺は、ある意味、それに巻き込まれてしまいました。もし、貴方が面倒なことに巻き込まれたくないとお思いなら、俺はそれ以上喋りません。」

 すると、ケサダ教授がニヤリとした。

「お茶目な人間は面倒にちょっかいを出したがるものです。」

 そして、こんな質問をした。

「先日マスケゴの神官の一人が、ケサダの家系の出なのですが、その男が博士にこんな相談を持ちかけました。先日生まれた私の息子を養子にもらえないか、と。それと今回の面倒は関係ありそうですか?」

 テオはびっくりして、そして一瞬考え、電話を出した。教授に「失礼」と断ってからケツァル少佐にメールを送った。

ーーマスケゴの神官に用心しろ。

 それから、彼は教授に向き直った。

「博士はその相談を断ったのですね?」
「勿論です。私の血筋を簡単によその家系に与えたりしません。私の血筋とケサダの家系は何の繋がりもないのですから。」

 彼はさらにこう言った。

「義父が断ると、その神官は義父に質問しました。『貴方はあの娘婿をオルガ・グランデで拾って来たが、あの男の親は何者なのか? ケサダを名乗っているが、ケサダの家系に、あの男の親に該当する人間はいない』と。」

 テオはドキリとした。神官はケサダ教授の出自を疑っているのだ。


第11部  内乱        27

  ケツァル少佐の部屋にいた神殿近衛兵達は、彼女達には縁遠い”現代の女性の部屋”に感動していたが、そこへ少佐と男性達がやって来た。

「休む時間がなくなりました。これから神殿へ行きます。」

と少佐が宣言した。

「”通路”がないので、車を使います。近衛兵は私の車に、デネロスと男達はロホの車に乗りなさい。」

 テオは留守番だ。仕方がない、彼は大統領警護隊ではないし、”ヴェルデ・シエロ”でもない。神殿に近づくことすら許されない。
 身支度は1分も掛からなかった。彼等はテオに「おやすみ」と言って、コンドミニアムを出て行った。アッと言う間だった。
 いきなり静かになったリビングに、テオは一人残された。こんな時は寂しいし、己の無力さを感じた。何か能力があれば、協力出来ただろう。いや、彼等は”ヴェルデ・シエロ”でない彼がこの事件に関わるのを許さない。事件の舞台そのものが神殿だから。
 一人で待つのは嫌だった。だからと言って、話し相手がいない。こんな時、話が出来る人と言えば・・・。
 テオは電話は迷惑だろうと思い、メールを送った。

ーーまだ起きておられますか?

 すると、即答で返事が来た。

ーー大丈夫です。

 テオは思わず微笑んでしまった。ケサダ教授はムリリョ博士がテオ達の家に行くことを知らせてくれた。恐らく、その後どうなったのか、彼も気にしているのだ。博士の用事を教授は知らないだろうし、その後の展開も知らないだろう。
 テオは駄目もとで尋ねた。

ーー今から会えますか?

 すると、思いがけない返事が来た。

ーースィ、これからそちらへ行きます。

 そして、いきなり空中からケサダ教授が現れて、テオを心底驚かせた。

第11部  内乱        26

  互いの情報を交換し合った。テオと男性隊員達は少佐の報告を聞いて、先刻のムリリョ博士の言葉の裏付けを取った気分になった。少佐の方はムリリョ博士の言葉を聞いて、硬い表情になった。無理もない、まだ9人の神官の中に、3人の反乱分子の仲間がいるとムリリョ博士は言ったのだから。

「長老会はその隠れている世襲派の神官が誰か、見当をつけているのですね?」
「博士は俺達の質問に答えてくれなかった。しかし、あの人と長老会のことだ、きっと何か確信があるのだろう。」

 するとロホが思いがけない発言をした。

「”名を秘めた女の人”は、我々の頭の中を読めるんですよ・・・」

 テオ、少佐、アスル、そしてギャラガが彼を見た。ロホは続けた。

「あの女性は声ではなく心で会話をされます。だから、こちらの頭の中を全部読まれるのです。もし世襲制を考えている神官やその仲間が良くない連中だと、彼女が判断したら、長老会に彼女が不穏分子の排除を命じる・・・そうではないですか、少佐?」

 ケツァル少佐が頷いた。

「スィ・・・もしかすると、彼女は大神官代理が世襲派に襲われた時から、神殿内の不協和音に気がついていたのかも知れません。でも彼女は具体的に何をすべきか、すぐには判断出来なかったのでしょう。世俗のことは何もご存じない方です。誰に命じるべきか、何を命じるべきか、考えてしまい、時間が経ってしまったのだと推測します。」
「そしてやっと長老会に事態を教えた?」
「恐らく・・・隠れた世襲派の神官は”名を秘めた女の人”の力を忘れていたことに気がついたかも知れません。悪くすると・・・」

 テオはハッとした。

「”名を秘めた女の人”が狙われる?」

 彼はロホを振り返った。

「ロホ、ウイノカ兄さんに連絡を取れるか?」

 ケツァル少佐が電話を出した。彼女が誰かにかけた。

「キロス中尉? 神殿に出られましたか? すぐに”聖なる部屋”へ行けますか?」


2025/03/03

第11部  内乱        25

 テオが彼自身の寝室に入ってすぐに電話に着信があった。見るとケツァル少佐からだった。

ーー1人ですか?
「ノ、ロホ、アスル、それにアンドレがリビングにいる。」
ーーでは、1分後に行きます。

 テオは急いで寝室を出てリビングに向かった。そこでは大統領警護隊の男性隊員達が寝る体制に入っていた。アスルがソファに横になり、その側の床にシュラフに入ったギャラガ、ロホはクロゼットから引き出したマットレスを床に広げたところだった。
 そこへ、いきなり空中からケツァル少佐、デネロス少尉、そして男達が知らない女性兵士が3名湧いて出た。

「ワッ!」

とアスルが、彼らしからぬ叫び声を上げて跳ね起きた。ギャラガはシュラフからすぐに出られなくて、転がって物陰に身を隠した。ロホは荷物の横に置いた拳銃に手を伸ばし、そこで固まった。

「少佐・・・」

 テオは己の胸に落ち着け、と声をかけた。少佐とデネロスの後に続いた女性兵士は野戦用の服装だが、持ち物は大統領警護隊のリュック、ライフル、それに槍・・・槍だって?
 床の上に転がり出た女性達は素早く立ち上がった。少佐が先導者らしく、仲間に欠落がないか名前を呼んだ。

「デネロス!」
「スィ!」
「ナカイ!」
「スィ!」
「セデス!」
「スィ!」
「マリア・アクサ!」
「スィ!」
「よし、全員いますね。」

 ケツァル少佐は頷いてから、テオに向き直った。

「エダの神殿から戻って来ました。初顔合わせだと思いますが、3人の少尉は神殿近衛兵です。」
「神殿近衛兵に女性がいるのか?」

と思わず尋ねてから、テオは偏見で役職を見ていたな、と気がついた。

「事情は説明してもらえるのかな?」

 少佐はロホ達を見てから、デネロスを振り返った。

「マハルダ、3人の神殿近衛兵をあちらの部屋へ案内しなさい。向こうで一晩休みましょう。」

 テオはすかさず声をかけた。

「夕食の残りがあるから、食ってもいいぞ。俺達の朝飯のことは心配しなくて良い。」

 デネロスがニッコリ笑って、グラシャス、と言うと、少佐にもグラシャス、と言って3人の新しい仲間を率いてテオの区画を出て行った。近衛兵達はロホ達には挨拶もしなかった。ロホ達もそれを不満に思う様子はなかった。部署が違うと任務遂行中は上官の指示がない限り交流しないのだろう。
 ケツァル少佐が、アスルが退いたソファに腰を下ろした。

「では、手短に話しましょう。そちらも何かありましたか?」

 

 

2025/03/02

第11部  内乱        24

  ムリリョ博士が去ると、室内に張り詰めていた緊張感が一気に緩んだ。凶悪な犯罪組織と戦う時でさえ余裕の大統領警護隊でも、一人の年老いた大先輩は苦手なのだ。テオはアスルがドサリと音を立ててソファに腰を落とし、ギャラガが床に座り込むのを見た。ロホさえ脱力してソファにもたれかかった。

「大神官代理は呪いで癌になったのか?」

とアスルがロホに尋ねた。 ロホはそれまで内緒にしていた事情を知られて、ちょっとバツが悪そうな顔をした。

「本当は癌ではなく、細胞を痛めつけられているんだ。爆裂波を受けたからさ。だが誰にも手の施しようがない。ロアン様は、神官の誰がカエンシット達の仲間が掴み切れていなかったから、指導師を呼ぶことが出来ず、やむなく神殿を出て白人の医療に頼るしかなかったのだ。その前に、アスマ神官がケツァル少佐から預かったサンキフエラの石を試して治すふりをした。あの石は”ティエラ”のために作られたから、ツィンルには効かない。それをカイナ族のエロワ神官は知っていて、ロアン様には黙っていた。石に効力がないのかも知れない、と疑ったふりをしたエロワ神官が大統領府の厨房を人体実験をやらかして大騒ぎになった。ツィンルには効果がない石だと判明したので、ロアン様は諦めて、ビダル・バスコ少尉の母親の診療所へ行かれた。バスコ医師は指導師ではないから、治せないが、呪いだと見破った。彼女はロアン様に神殿を出て神官達から遠くへ行くよう進言し、大学附属病院に彼を入院させた。病名を癌と偽ってね。
 私がロアン様から頂いた情報は以上だ。神官が犯した犯罪だから、下手すると君達に害が及ぶかも知れないと思い、少佐が戻られるのを待ってから報告するつもりだった。」

 テオは苦笑した。

「そんな気遣いは無用だ、と言いたいが、守ってくれて礼を言うよ。俺達は神官がどの程度の範囲で権力を使えるのか、わからないからな。」
「長老会が毒されていないことは幸いだったな。」

とアスルが呟いた。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...