ラベル 第11部 石の名は の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第11部 石の名は の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024/06/30

第11部  石の名は     25

 「それで、その”サンキフエラの心臓”は、今アスマ神官がお持ちなんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が尋ねた。翌日の夜だった。久しぶりにジャングル奥地の発掘現場監視を終えて彼女が戻って来たのだ。テオは喜んで、一緒に食事に行こうと提案した。しかしロホはグラシエラ・ステファンとデートの約束をしていたし、アスルとギャラガ少尉はサッカーの練習だ。それで結局ケツァル少佐と彼とデネロスの3人だけで、少佐のアパートでカーラの手料理を食べた。
 デネロスの遺跡監視の報告が終わってから、テオは不思議な石の話をした。彼の話に足りないところは少佐が補ったのだ。デネロスは人間の血を吸って病気を治す石の存在に興味深々だった。もしそんな石が遺跡で出てきたら、どうしよう、と心配もした。

「”サンキフエラの心臓”の様な石は複数作られたと思えません。」

と少佐が言い切った。

「恐らく、あれが唯一無二の石なのでしょう。」
「それなら安心ですけど・・・」

 デネロスは肉の塊を口に入れて、モグモグと食べてから、次の疑問を出した。

「どうして今頃”名を秘めた女の人”はその石を気に掛けられたのでしょう?」
「トーレス技師が拾ったからだろ?」

とテオが言うと、彼女は首を傾げた。

「それじゃ、石が拾われたことをピラミッドの中で知ったってことですよね?」
「石が拾われたから知ったのではなく、石が活動を始めたからわかったのでしょう。」

と少佐。「ふーん・・・」とデネロスは完全に納得が行った風には思えない相槌を打った。

「数千年も眠っていた石の目覚めを、察知されたんですね。ママコナは凄いですね。」

 何だか引っかかるような言い方に、テオは気になった。

「何が言いたいんだ、マハルダ。」
「別に・・・」

 デネロスは水を一口飲んだ。

「ただ何世代も忘れられていた石が急に復活して、”名を秘めた女の人”はさぞかし驚いただろうな、って思って・・・」

 テオは少佐を見た。そして少佐が何やら考え込む目をして空中を見ていることに気がついた。

「どうした?」

と声をかけると、彼女はテオを振り返り、それからデネロスを見た。

「貴女が疑問に感じるのも無理ありません。 ”名を秘めた女の人”は何故石の回収をあの場所にいた人達に命じたのでしょう? 彼女の声を正確に聞き取れる人はあの場に一人もいなかったのに・・・」

その時、デネロスの携帯電話が鳴った。彼女は「失礼」と同席者達に断ってから、電話を取り出して見た。そしてニッコリ微笑むと電話に出た。

「オーラ、アリアナ!」

 先方の言葉を聞いて、彼女は「わかった、神様がお守りくださいますように!」と言って通話を終えた。そしてテオと少佐に顔を向けた。

「アリアナがこれから病院へ行きます。赤ちゃんが生まれます!」



2024/06/28

第11部  石の名は     24

 「サンキフエラの心臓、ですか?」

 ケツァル少佐はその呼び名に驚いた。サンキフエラは蛭で、心臓はない。少なくとも、人間や獣や鳥のような脊椎動物が持つ心臓を持たない。アスマ神官が頷いた。

「奇異に感じるだろうが、そう呼ばれているのだそうだ。これは人の血を吸うだろう?」
「スィ。私の血も吸おうとしました。」

 貴方は平気なのかと訊こうとした彼女に、神官は微笑んで見せた。

「”ツィンル”の血を吸ったりしないから、安心したまえ。」
「”ツィンル”の血は吸わないのですか?」
「契約で吸わないことになっている。」

 神官は石を照明の光にかざして眺め、それから机のハンカチの上に戻した。

「これは大昔、カイナ族が”ティエラ”の求めに応じて作った物で、病を癒す目的を持つ物だ。」
「すると、やはり瀉血ですか?」
「スィ。」

 神官は眼鏡を外して石の横に置いた。

「身体の悪い箇所にこれを当てると、石が悪い気を吸い取ってくれる。但しその際に血も吸うのだ。だから使う際は慎重にしなければならない。昔はカイナ族の祈祷師が所有していて、守護していた地域の住民が誰かが病に罹ると病人を祈祷師の下に連れて行き、石の祈祷で治療してもらっていたのだ。石は血を溜めていき、飽和すると雨を降らせて軽くなる。現代風に言えば、オーバーフローしそうになるとイニシャライズする訳だ。」

 石が血を吸うことも、それで人間の病気が治ることも、石が雨を降らせて溜めた血を無しにしてしまうのも、常識的に考えれば信じられないことだ。しかし”ヴェルデ・シエロ”は彼ら自身の存在そのものが常識とは外れているので、ケツァル少佐はアスマ神官の説明を素直に受け入れた。

「すると・・・この石を砂漠で見つけた男性が死にそうになる迄血を吸われたのは・・・」
「その男は自身で気付かぬ大病を患っていたのだ。恐らく癌でも抱えていたのだろう。石は単純に彼の病を吸い取ったが、同時に働きに見合う量の血液も奪った。本来は祈祷を数回に分けて行うべき病だった筈だ。」
「私の友人の”ティエラ”もこの石を手に載せて、少し血を吸われました。彼は石を手に載せている間は気持ちが良かったと言っていました。 彼も病気だったのですか?」
「どんな病気だったのか不明であるが、恐らく石の治療を必要としない程度の軽いものだったのだ。疲労が溜まっていた、そんな類だろう。」

 アスマ神官の言葉に、ケツァル少佐は安堵した。

「そんな凄い力を持つこの石が、どうして砂漠に落ちていたのでしょう?」
「大昔に失われた物だったのだ。カイナ族が”ヴェルデ・シエロ”であることを知られないように身を隠す必要が生じた時代に、”ティエラ”達が祈祷師の魔術を手に入れようと反乱を起こした。カイナ族は平和的な部族だ。彼等は争いを避け、逃げる時に宝物を隠したり、捨て去った。石はその時に砂漠に落とされたのだろう。我等がカイナの兄弟は、この時代になってサンキフエラの心臓が現れたと聞いて驚いていた。」
「”名を秘めた女性”はこれの出現をご存知だったのですね?」
「彼女はカイナの女だからな、感じることがあったのだろう。」

 アスマ神官は石を見た。

「ピラミッドに納めよう。今の時代に必要があるとは思えない。」


2024/06/27

第11部  石の名は     23

  古代大神官を務めていたグラダ族が絶滅して以降、セルバの”ヴェルデ・シエロ”達は大神官を持たなかった。残った6部族の中から選出された神官達が合議で祭祀を執り行ってきたのだ。
 アスマ神官はサスコシ族の出で、現在のところ神官達の議長的存在だ。ピラミッドの地下にある神殿で若い頃から働いていて、あまり世間のことはご存じでない・・・と言うのが、在野の”ヴェルデ・シエロ”達の認識だ。これは別に軽蔑しているのではなく、俗な問題から遠い人だと言うことだ。前任者の急死でそこそこ歳を取ってから神官になった人よりピュアな心の人とも言えた。
 地下神殿は長い階段を降りて行った先にあった。古代手掘りで造られた岩の神殿だ。迷路の様になっており、一般の”ヴェルデ・シエロ”は祈りの部屋しか入ることを許されない。
 ケツァル少佐が祈りの部屋の大扉の前に行くと、見番の兵士が既に連絡を受けていたのか、「こちらへ」と彼女を別室へ導いた。
 少佐はママコナに仕える侍女達の働く中を通り、曲がりくねった通路を通り、やがて薄暗い照明が灯った小部屋へ案内された。
 アスマ神官に面会するのは初めてだった。一般人は会えない人だ。仮面でも被っているのかと思ったが、普通に素顔を晒していたし、驚いたことに眼鏡をかけていた。
 案内の兵士が彼女を置いて部屋から出て行った。分厚いドアが閉じられた。
 神官は執務机の向こうで立ち上がった。挨拶を交わしてから、彼の方から声をかけて来た。

「仰々しいやり方の様に思えるだろうが、これが私とみんなが会う普通の方法なのでね、面倒臭いだろうが堪えて欲しい。」

 アスマ神官は40歳前後と思われた。眼鏡を取れば、顔色が悪いケサダ教授と言っても良い程度に、フィデル・ケサダに似ていた。勿論、彼等は親戚ではない。
 
「問題の石を見せて頂けるか?」

 少佐はハンカチに包んだまま石を机の上におき、布を開いた。石は透明でキラキラと薄暗い照明の光を反射して光った。

「これは何かとの問合せであったか?」
「スィ。人間の血を吸い、赤くなりました。今は透明に戻っています。」

 するとアスマ神官は尋ねた。

「この石が赤い時に雨は降らなかったか?」

 ケツァル少佐は驚いた。

「降りました。局所的なスコールでしたが・・・」
「この石の仕業だろう。」

 神官は石を己の掌の上に載せた。少佐は「気をつけて」と言いたかったが、彼は承知の上で行っているのだと思い、口を閉じたままだった。神官は石をじっくり眺めた。

「これはカイナの兄弟から聞いたことがある、サンキフエラの心臓だ。」


2024/06/26

第11部  石の名は     22

  テオが電話をかけた時、ケツァル少佐は大統領警護隊本部の司令部にいた。トーコ中佐に面会を申し込んで了承されたのだが、実際は待たされた。客ではなく隊員なので、待合室には通されず、廊下の椅子に座ったままだった。膝の上にハンカチに包まれた石が載っていた。石は布越しで悪さはしないようだ。しかし彼女は素手でそれを掴んだ時の感触を覚えていた。掌がくすぐったいような気がして、皮膚の下を吸引されるような感じがしたのだ。あの時、身の危険を感じて咄嗟に石を投げ出してしまったが、もしあのまま握っていたら、何が起きたのだろうか。
 電話はマナーモードにしてあったが、着信は分かった。見るとテオからだったので、周囲を見回し、誰もいないことを確認して彼女は電話に出た。

「オーラ、静かに願います。」

 小声で話せ、と要求した。テオは状況を想像してくれた。

ーーマレシュ・ケツァルが情報を持っていた。石は瀉血療法を行う道具みたいだ。

 彼の早口の伝言に、彼女は耳を疑った。

「瀉血療法ですか?」
ーースィ。悪い血を石に吸わせて病気を治す、と。彼女はサンキフエラと石を表現した。

 少佐は副司令官室のドアの向こうの気配を感じた。誰かが出てくる。彼女はテオに言った。

「グラシャス、参考になります。」

 そして電話を切った。
 ドアが開いた。中佐の秘書の隊員が彼女の名を呼んだ。少佐は返答して立ち上がった。秘書は彼女を室内に入れず、代わりに命じた。

「地下神殿へ行って下さい。アスマ神官が面会されます。」

 少佐は一瞬息を止めた。神官直々に面会するとは、滅多にないことだ。神官はママコナの代理人だ。その言葉は国政にも影響を及ぼす。
 少佐は敬礼で応え、体の向きを変えた。ちょっとドキドキした。


2024/06/24

第11部  石の名は     21

 「良い石ですか?」

 テオは驚いて、ケサダ教授を振り返った。教授も肩をすくめて見せた。テオは再び質問した。

「人の血を吸う石が、どうして良い石なのですか?」

 するとマレシュ・ケツァルはブツブツと彼女の言語で呟いた。息子が通訳した。

「母は言いました、『膝が痛いので、サンキフエラに悪い血を吸わせたい』と。」

 マレシュは皺だらけの手で、車椅子の上の己の膝をポンポンと叩いて見せた。テオはそれを見て、考えた。

「それは、もしかして、瀉血療法なのかな?」

 瀉血は、澱んだ悪い血液が病気の原因と考えられた時代の治療法だ。患者の体に傷をつけて血液を体外に出す。昔は西洋でも本気で治ると信じられ、19世紀ごろ迄行われていた。しかし、これは科学的根拠がなく、現代医学では否定されている。ジョージ・ワシントンは過度の瀉血で死期を早めたとさえ言われているのだ。

「瀉血療法で血を抜くと言う考え方があったことは、わかりました。しかし、何故石にそんな力があるのでしょう?」

 教授が再び通訳したが、もうマレシュ・ケツァルは喋る気力を失ったのか、ぼんやりとした目になっていた。教授が苦笑して、テオに言い訳した。

「母は、答えるのが面倒になると、いつも内に心を引っ込めてしまうのです。」
「了承しました。」

とテオも苦笑した。きっとマレシュ・ケツァルは実際にサンキフエラと呼ばれる石を見たことがないのだ。そして効能だけを噂で知っていた。だから、石が血を吸う仕組みも理由もわからない。わからないことは答えない。
 テオは教授に感謝の身振りをして見せた。

「グラシャス、教授、少しわかった気がします。 ”名を秘めた女性”もあの石を邪悪な物として認識していないのでしょう。だが使い方を間違えると害になる。だから、貴方のお嬢さんやムリリョ博士に回収するよう声を掛けたのだと思います。」

 教授は頷いた。

「貴方は石を掴んだ時、少し気持ちが良くなった、と感じられた。多分、石は貴方の疲れを取る程度に働いたのでしょう。カサンドラの会社の技師は、もう少し体調の良くない箇所があった。だから石は大いに働き、気持ち良さに技師は石を手放せなくなった。そして石は無制限に彼の血を吸い続けた・・・」
「そうに違いありません。俺はこれからケツァル少佐に連絡を取ってみます。」

 テオは車椅子の女性にも声をかけた。

「グラシャス、マルシオ・ケサダさん。」

 彼女が微笑んだ。

2024/06/23

第11部  石の名は     20

 ケサダ教授は母親の目を見た。 ”心話”だ。 彼は直接件の石を見た訳ではない。同じ”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐やロホから目撃した情報を”心話”で伝えられたのでもない。彼が知っているのは、”ティエラ”のテオが体験を口で語ったことだけだ。テオがロホから聞いた情報を又聞きしただけだ。耳から得た情報を母親に伝えたのだ。
 マルシオ・ケサダ或いはマレシュ・ケツァルの名を持つ高齢の”ヴェルデ・シエロ”の女性はニコニコしながらテオを見た。そしてテオが理解し得ない言語で何やら言った。ケサダ教授が通訳した。

「母は言いました。『その石を欲しいわ』と。」

 テオは彼を見て、そして車椅子の上の女性に向き直った。

「あの石は何なのでしょうか?」

 ケサダ教授が古いイェンテ・グラダの方言で質問をした。マレシュ・ケツァルは答えた。

「サンキフエラ。」

 数秒間沈黙があった。テオはそれがスペイン語だと気が付くのに数秒要したのだ。ケサダ教授が確認するかの様に復唱して母親の顔を見た。

「サンキフエラ?」
「スィ。」

 頷く母親の目を覗き込んだ教授はちょっと顔を顰めて視線を逸らせた。どうやら単語そのものの嫌なイメージを母親に見せられたようだ。そしてテオに言った。

「お聞きになった通りの意味らしいです。」
「え・・・? すると、あの石は蛭(サンキフエラ)?」

 教授が頷いた。

「蛭の石だそうです。」
「それじゃ、やはりあの石は人の血を吸うのですか?」
「その様です。」
「じゃ、何かの呪いのために・・・?」
「ノ!」

とマレシュが首を振った。

「あれは、良い石です。」


2024/06/22

第11部  石の名は     19

  ケサダ教授とテオはそれぞれの車に乗り込んだ。教授はその日の残りのスケジュールが残っているのか、残っていないのか不明だったが、もう大学に戻る気はないらしかった。グラダ大学は国立大学で、教授もテオも一職員に過ぎないのだが、考古学者達は結構我が物顔に振る舞っている感があり、それはどうやら彼等が”ヴェルデ・シエロ”であり、またその弟子達だからだろう。テオは素直に車を運転してケサダ教授の後ろを付いて行った。
 いつかロホに連れて行ってもらった階段住宅が集まっている斜面地域に入った。グラダ・シティの市街地ではあるが、街路樹や樹木を植えた庭が多くて公園の中に家が建っている様に見える。そこにマスケゴ族が好んで住み着き、彼等の階段式住宅を真似た”ティエラ”の富裕層の家も多く見られる。一番立派な階段式住宅が、セルバ共和国最大手の建設会社ロカ・エテルナ社のオーナー社長アブラーン・シメネス・デ・ムリリョとその家族の自宅で、父親のファルゴ・デ・ムリリョ博士も同居している。アブラーンの末の妹コディアとその夫のフィデル・ケサダ教授は子供達と共にその邸宅の近所に小降りながらも綺麗な階段式住宅を建てて住んでいた。教授が門の前の駐車スペースに車を停めた。コディアの車の横の来客用と思われるスペースにテオも車を停めた。
 車を降りると、教授はテオに手招きして、垣根の隙間の通用口と思しき小さな門から敷地内に入った。正面玄関から入らないのは、正式な来客ではないから、と言う訳ではなく、子供達に見つかるとテオが懐かれて迷惑するだろうと言う、微笑ましい理由だった。テオは教授の娘達に人気があった。

「子供達は上階の部屋にいます。」

と教授が囁いた。

「見つかると煩いので、手早く用件を済ませましょう。」

 芝生の庭の向こう端、涼しい木陰に車椅子を置いて、高齢の女性が午後の風を楽しんでいた。眠っている様に見えたが、2人の男が近づくと、彼女は顔を上げて、黒い目で彼等を見た。息子を認めると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「お帰り、フィデル。」

 そしてテオを見た。

「テオドール・アルスト、お茶でもいかが?」

 教授が年老いた母親に優しく声を掛けた。

「お茶は後で頂きます、お母さん。その前に教えて頂きたいことがあります。」


第11部  石の名は     18

 「もし宜しければ・・・」

とケサダ教授が言った。

「これから、マレシュ・ケツァルにお会いになりませんか?」

え? とテオは耳を疑った。マレシュ・ケツァルは現在マルシオ・ケサダと名乗っている”ヴェルデ・シエロ”の女性で、グラダ族の血を濃く引くブーカ族とのミックスだ。一族の裁定で滅ぼされたイェンテ・グラダと呼ばれた村の最後の生き残りだ。そして、フィデル・ケサダ教授の実の母親だ。彼女の存在はムリリョ博士の判断で一族には秘密にされている。少なくとも、20年近く前迄は存在が確認されたが現在は行方不明、生死不明とされている。しかし彼女は健在だ。息子の家で息子の家族と一緒にひっそりと暮らしているのだ。半分夢の中に生きて、車椅子に座った状態で1日過ごしている。彼女と面会したケツァル少佐によると、彼女が話す言語は古いイェンテ・グラダ村の方言で、若い世代には理解が難しいとのことだった。恐らく彼女と会話が成立するのは、ケサダ一家と、遠い昔マレシュが子守りをしたカタリナ・ステファンだけだろう。テオは一回だけ偶然彼女と出会ったことがあった。グラダ大学医学部病院の庭だ。車椅子に座った彼女が、自分の方からテオに声を掛けて来た。息子の心を読んで息子の周辺にいる人々を記憶していたのだ。テオは彼女と会話をすることが出来なかったが、好印象を抱いてもらった様子だった。

「俺が彼女に会っても良いのですか?」

 テオは慎重に「貴方の母」と言う表現を避けた。世間一般には、ケサダ教授の母親はムリリョ博士の亡くなった妻と言うことになっている。
 教授は頷いて、駐車場を指差した。

「あまり時間は取らせません。恐らくこの時間、彼女は庭にいます。」

 殆ど有無も言わさぬ勢いでケサダ教授はテオを駐車場へ引っ張って行った。歩きながら携帯電話を出してどこかに掛けたが、どうやら相手は妻のコディア・シメネスらしかった。母親が庭にいることを確認したのだ。彼が電話を切ると、テオは歩きながら尋ねた。

「貴方は彼女が、件の石について知っているとお考えですか?」
「知っていると言うより、何に使われた物か見当がつくだろうと思うのです。」

 イェンテ・グラダ村は閉塞的な場所だった。位置的にはオルガ・グランデやラス・ラグナス遺跡から遠いのだが、古代の風習や言い伝えが残っていた可能性はあった。

2024/06/21

第11部  石の名は     17

  テオとケサダ教授は木陰のベンチに腰を下ろした。まだ日は高く、大学は賑やかだった。テオは授業を終えてその日の仕事を終了していた。ケサダ教授はまだ予定があるのかないのか不明だった。
 テオは大統領警護隊文化保護担当部に頼まれて鉱物分析に掛けたことを語った。何の変哲もない水晶だったのだ。そしてその時点で石は綺麗な透明だった。それを己の掌に載せた時の感触、色の変化、そしてケツァル少佐とロホがディエゴ・トーレスを救助した時に目撃した真紅の石の話も語った。
 聴き終わると、ケサダ教授は膝の上に両肘を置き、暫く両手で顎を支えて考え込んでいた。彼はオルガ・グランデの生まれだ。しかし10歳になるかならぬかでムリリョ博士に引き取られ、グラダ・シティで育った。恐らく故郷の伝説や風習は学生になってから学んだ筈だ。

「奇妙ですね・・・」

と教授が囁いた。テオが「え?」と振り返ると、彼もテオを見た。

「その石が本当に呪われた物であったなら、万民に災いを与える物であったなら、”名を秘めた女”は、私の娘やムリリョ博士にではなく、ケツァルかエステベス大佐に危険を伝えた筈です。」

 そう言えば・・・とテオも思い当たった。以前、死者の悪霊が憑依した少年が己の家族を惨殺した事件があった。大統領警護隊遊撃班のカルロ・ステファン大尉がその悪霊を木像に憑依させ、処分を上官に頼もうとグラダ・シティに持ちこもうとしたのだ。しかし、ママコナはそれを嫌った。ケツァル少佐に心の声を送り、汚れを首都に持ち込ませるな、と訴えたのだ。
 もし、今回の石も呪われた物なら、ママコナは未熟な少女や彼女の言葉を聞けないマスケゴ族の大人達にテレパシーを送ったりせずに、大統領警護隊に指図を出しただろう。
 テオは教授に尋ねた。

「もしかすると、俺達は、その石に対して、大きな勘違いをしているのかも知れませんね?」

 教授が頷いた。

第11部  石の名は     16

  大統領警護隊本部はグラダ・シティの”曙のピラミッド”のすぐそばにある。大統領府の敷地の半分が大統領警護隊の場所で、見た目より地下空間が広く、実際は大統領府より広大だ。ケツァル少佐は取り敢えず、当直の副司令官トーコ中佐に面会を希望する電話をかけて承諾を得たので、アスルをお供に出かけた。ロホは文化・教育省のオフィスに戻って事務所の片付けだ。テオは大学に残った。
 どうにも納得がいかなかった。あの石は鉱物で、生物ではない。それが吸血をするなど、想像もつかない。人の体に傷ひとつ付けずに、どうやって血を吸うのだろう。どんな仕組みになっているのだ。何のためにそんなことをするのだ。
 考えながら研究室を片付け、部屋の外に出た。カフェの方へ歩いて行くと、途中で考古学部のケサダ教授と出会った。簡単な挨拶を交わした後、テオは彼に質問した。

「アンヘレスは、石を見ていないのですよね?」

 ケサダ教授は無表情で彼を見返した。

「石? ああ、カサンドラの部下が砂漠で拾った呪いの石とか言う代物のことですか。」
「スィ。ママコナが彼女に何を伝えたかったのか、わからないのですよね?」

 教授は溜め息をつき、周囲をそっと見回して誰も2人の会話を聞いていないことを確認した。

「現在の”名を秘めた女”はカイナ族の女性で、彼女の心の言葉は生まれたての純血種の赤子にしか聞き取れません。カイナ族なら成長しても彼女と心の会話を続けることが出来ますが、その他の一族の人間には彼女の声は小さくて聞き取れなくなるのです。」

 部族が異なるとそんなものなのか、とテオは驚いた。これはもう少し脳機能の遺伝子を分析した方が良さそうだ。

「するとアンヘレナは彼女が声を掛けて来たことはわかっても、理解出来なかったと言うことですね?」
「純血種のグラダなら聞き取れたでしょうが・・・マスケゴの血では無理です。」

 ケサダ教授は、義父ムリリョ博士も聞き取れなかったことを暗に皮肉った。カサンドラ・シメネスは全然聞こえなかったのだ。テオはムリリョ家の内紛には興味がなかった。

「教授があの場にいらっしゃれば、聞けたのですね?」
「ケツァルがいればね・・・女は敏感ですから。」

 教授はテオの皮肉に切り返した。そして、素直に石のことを何も知らないことをテオに伝えた。

「ところで、その件の石を貴方は見たのですか?」

2024/06/19

第11部  石の名は     15

 「では・・・」

 テオは深呼吸して、謎の石を掴んだ。右手の掌に載せて、暫くじっとしていた。
 最初はひんやりとした鉱物の感触だけだった。やがて体温で石が温まったのか、冷たさを感じなくなり、温かい感じがした。石を眺めていると、なだらかなカット面がキラキラ光って美しい。少し頭がぼーっとしたが、それは一瞬で、すぐ元に戻った。右肩が幾分軽くなった感じだ。

「何も起こらないが・・・」

 しかし、”ヴェルデ・シエロ”達の反応は違った。少佐が囁き掛けて来た。

「石を下に置いてもらえますか?」
「スィ」

 テオは石を机の上に戻した。そして初めてロホとギャラガが険しい目つきで石を見つめていることに気がついた。少佐も表情が固かった。

「どうした?」
「貴方は何も感じませんでしたか?」

 逆に問われて、テオは首を傾げた。

「特に言及しなければならないことはなかった・・・」

 ギャラガが石を指差した。

「よく見ないとわかりませんが、少しピンク色になっています。」
「え?!」

 テオは上から見たり、横から見たり、机の面の高さから見て、本当に微かに石に色がついていることを確認する迄5分ほど要した。

「そう言われれば、色がついている気がする・・・」
「ついています。」

 ギャラガが言い張った。テオは掌を見た。傷も何もない。

「俺の血の色か? 吸われた跡はないが・・・」
「獲物に傷をつけずに血を吸い込むのでしょう。」

とロホが恐ろしいことを口にした。

「こんな石は初めてです。」

 少佐が石を麻袋に入れた。

「本部に持って行きます。私達の知識では手に負えないと判断します。」

第11部  石の名は     14

 「ただの石だ。石英の塊だよ。」

とテオが言った。机の真ん中に紙を敷いて洋梨型のキラキラ光る透明の石が置かれていた。
 故買屋の家で回収されたその石は、ロホが悪霊が憑いた石や彫像などを入れるのに用いる麻袋に入れて、グラダ大学に持ち込んだ。説明を聞いて、テオは彼とケツァル少佐とギャラガ少尉を己の研究室に待たせて、地質学科へ石を持って行った。そこで鉱物分析に掛けてもらったが、何の変哲もない水晶の塊だと言う結果を得ただけだった。地質学科の知人には「友達が買った石が本物の水晶かどうか確認して欲しい」と言い訳したので、知人は正直に結果を教えてくれたのだ。

「普通、水晶をそんな大きさにカットして装飾品にしたりしないと思うけどね。」

と知人は言った。宝石かも知れない石を扱う為に彼は手袋を着用していたので、吸血被害は受けなかった様だ。
 テオが自室に帰ると、大統領警護隊の隊員達はカフェで買ったコーヒーを飲みながら待っていた。テオは袋から石を出して机の上に置いた。

「石に咬まれた訳じゃないだろ?」
「咬みません。」

と少佐がツンツンして言った。

「でも掌から何か吸い上げられる感覚がしたのです。」
「それに、その石は盗まれる前は真紅だったのです。」

とロホ。

「同じ石かい?」
「同じ石です。」

と”ヴェルデ・シエロ”達は言い張った。
 テオは少し考えてから、ナイフを出し、自分の左手の親指の腹を切った。痛かったが、彼は常人より傷の治りが早い。傷口から出た血液を石の上に落としてみた。血液は石の表面をゆるゆると流れて紙の上に落ちた。石は少し汚れたが、染まった感じはしなかった。
 ギャラガが気を利かせて絆創膏をリュックから出して、テオに渡した。テオは指に絆創膏を撒きながら、次の提案をした。

「俺が素手でそれを握ってみよう。何か変化があったら、すぐに俺の手から取り上げてくれ。」

 彼の体を張った実験に、少佐は止めもせず、「グラシャス」と言った。

2024/06/17

第11部  石の名は     13

 故買屋ホアン・ペドロ・モンテと言う男の店舗兼自宅はグラダ・シティの旧市街地にあった。狭い路地に面した店は間口が狭い道具屋で、日用品が所狭しと積み上げてあった。警察が張った規制線の黄色いテープを跨いで、3人の大統領警護隊は中に入った。警察官や付近住民とのゴタゴタが面倒なので、3人とも制服を着用だ。緑色に輝く胸の徽章の威力で、誰も何も言わずに彼等が建物の中に入るのを眺めていた。 
 警察は表に面した店には手を入れていなかった。盗品は店の奥の部屋にあったので、そちらは散らかっていた。ガサ入れの後だ。金目の物は大方警察が没収している。被害者が警察に被害届を出していれば、警察に行って品物を確認出来る。盗まれた物があれば、それは故買屋と被害者の間での交渉次第で戻ってくるし、戻らない場合もある。

「例の石は警察が持って行ったんじゃないですか?」

とギャラガが言外に「無駄じゃないですか」を滲ませながら言った。

「あれは宝石じゃないからな。」

とロホは言った。

「故買屋は救急隊員から安く買い叩いた筈だ。高価な石と一緒に置いたりしないだろう。」

 彼は棚の中や引き出しを検めていた。ギャラガは気が乗らないらしく、ケツァル少佐に囁いた。

「いつかの弾丸みたいに石を呼べないんですか?」

 少佐はチラリと横目で彼を見た。

「石は呼べません。」

とあっさりと答えた。

「そんな芸当が出来ていたら、過去の盗品探しはすごく楽だったでしょうね。」

 ギャラガは首を縮めた。

「申し訳ありません。真面目に探します。」

 ロホが後ろでクックッと笑った。
 2階の故買屋の自宅部分も探したが、石は出て来なかった。いや、見つからなかったのは、紅い石で、透明の水晶の様な、大きさも形も件の石とそっくりな物は見つけたのだ。

「よく似た石ですが、色が違いますね・・・」

と少佐が己の掌に載せて石を眺めた。ロホも眺めた。

「色さえ違わなければそっくりですね。それにこれはそんな邪悪な物を感じません・・・」

と彼が呟いた時、少佐がいきなりその石を床に落とした。まるで女の子が蛙か蜘蛛でも払い落とすような、そんな表情だ。ロホとギャラガは思わず上官の顔を見た。

「どうされました?」
「その石が何か?」

 ケツァル少佐は深呼吸した。そして言った。

「この石、私の血を吸おうとしました・・・」


2024/06/16

第11部  石の名は     12

  セフェリノ・サラテから折り返しかかってきた電話は、ロホをがっかりさせた。オエステ・ブーカ族の祈祷師も長老もラス・ラグナス遺跡や遺跡にまつわる言い伝えは知らないと言う返事だった。ロホは石にまつわる話が何かないかと期待したが、サラテは

「”ティエラ”の祭祀に関心を抱く者はいないでしょう。」

と締め括った。考古学に興味がなければ、そんなものなのだ。大統領警護隊でも一般の隊員は古代の呪いや神様の祟りなど無縁だ。彼等が心配するのは、現代の爆弾やサイバーテロや生物兵器のことで、その対処方法や防止策を学ぶのに忙しい。’人の血を吸ったかも知れない石’のことを追いかける文化保護担当部が「緩い部署」と呼ばれるのも無理はない。
 電話を終えて、ロホはシエスタ終了迄自席で目を閉じて座っていた。石の正体がわからないことより、目の前で石を盗まれたことが悔しかった。
 ケツァル少佐に電話!と隣の遺跡文化財担当課から声がかかった。責任者会合はもう終わったのだろう、少佐が素早く自席の電話に向かった。

「オーラ、ミゲール少佐・・・」

 少佐が電話の相手と少し喋ってから、「グラシャス」と言って通話を終えた。そして部下達を見た。

「警察から連絡がありました。故買屋の家を我々が捜索しても良いそうです。」

 ギャラガが目を開いて、顔を上げた。上官をチラリと見ると、すぐにカウンターの下からプレートを出し、上に置いた。窓口休業だ。大統領警護隊文化保護担当部お得意の臨時休業。隣の遺跡文化財担当課の職員達が苦笑するのを横目で見て、彼は肩をすくめた。
 ロホも机の下からリュックを出した。外で活動する時の必需品だ。隣の課は大統領警護隊が盗掘品の捜索に行くと思っている。実際、遺跡周辺で拾った物は盗掘された物と見なしても構わない。
 少佐も外出の準備を手早く済ませて、3人はオフィスを出た。

2024/06/14

第11部  石の名は     11

  テオ、ガルソン中尉と別れてロホは大統領警護隊文化保護担当部のオフィスに戻った。ケツァル少佐は先に戻っていて、同じフロアの各部署の責任者達と集まって話をしていたが、石に関係することではなさそうだった。大統領警護隊と言えば普通のセルバ市民から畏敬の念で対応されるのだが、この職場、このフロアでは同じ仲間だ。少佐の意見に真っ向から反対する人がいれば、彼女のつまらない冗談に大袈裟に、しかし真剣に笑う人もいる。少佐も同様で、和気藹々とした様子だった。
 ロホは己の机の前に座ると、カウンター前の席にいるギャラガを見た。少尉はカウンターにもたれて昼寝中だった。まだシエスタの時間だから、誰も文句を言わないし、客もいない。
ロホは電話を出して、ガルソン中尉から教えられたセフェリノ・サラテの番号にかけてみた。以前別件でサラテと会った時、彼はガルソンを不祥の甥として話していた。大統領警護隊に入隊して村の子供達の憧れであったのに、不祥事を起こして降格・転属になり、後進の人々を失望させた、と悔やんでいたのだ。ガルソン自身は故郷に未練がなさそうで、夫の不祥事で村に居づらかった妻と子供達をグラダ・シティに呼び寄せて安定した生活に甘んじている。それでもサラテの連絡先を覚えているのは、やはり血縁を大事に思っているのだろう。
 オルガ・グランデもシエスタの時間だったらしく、サラテは少し眠たそうな声で電話に出た。ロホが名乗ると目が覚めたのか、声の調子が変わった。

「ブエノス・タルデス、お元気ですか?」

 セルバの礼儀として当たり障りのない世間話を始め、ロホは辛抱強く付き合った。そして、適当な話の切れ目に要件を出した。

「ところで、セニョール、貴方は北部の砂漠にあったラス・ラグナスの遺跡について何かご存じですか?」
「ラス・ラグナス?」

 サラテはちょっと間を空けてから、「ああ・・・」と言った。

「水源が枯渇して移転した村がありましたね。その近くに遺跡があったと聞きましたが・・・一族とは関係ないでしょう?」

 一般の”ヴェルデ・シエロ”は”ティエラ”の文化に無関心だ。どうして「神」が「人間」のやることに注意を払わねばならないのか、と言うレベルだ。守護しなければならないレベルでなければ、関心がない。ロホは苦笑した。

「一族と関係ありませんが、昔のことを知っている人がいれば教えて頂きたいのです。」
「つまり、長老とか祈祷師を?」
「スィ」

 するとサラテは少し時間が欲しいと言った。この「少し」がどの程度の長さの時間なのかわからないが、ロホは承諾して電話を終えた。


2024/06/10

第11部  石の名は     10

 シエスタの邪魔をして申し訳なかった、とロホは年上の部下に謝罪した。ガルソン中尉はそんな低姿勢の彼にびっくりした様だ。そして工場のポットからコーヒーを汲んで、3人はやっと昼食を始めた。
 テオは世間話がしたくなった。そちらの方がガルソンもロホも気楽だろうし、工場の人々に聞かれても問題なさそうだ。

「パエス少尉とは、あれから連絡を取り合っていますか?」

と尋ねると、ガルソンは首を振った。

「彼と私は特に話すこともないので、あれから接触はありません。しかし妻同士は同じアカチャ族です。夫が転地させられた軍人の妻同士と言う仲間意識もあるのでしょう、頻繁に電話やメールのやり取りをしている様です。だから双方の夫の行動も互いに筒抜けです。」

 彼が苦笑したので、テオとロホも笑った。民間人の妻が夫達の任務内容を把握出来る筈はない。彼女達がわかる範囲の噂話の交換なのだ。パエスの妻は北部国境の町で起きる小さな事件などの話をするのだろうし、海がもたらす食材の話もするのかも知れない。ガルソンの妻は大都会の生活の苦労などを語るだろう。そして互いの子供達の成長の話もするだろう。パエスの子供達は妻の連れ子で”ティエラ”だ。普通の人間だ。しかしガルソンの子供は父親が”シエロ”で、子供達も半分”シエロ”だ。だからガルソンは、”ヴェルデ・シエロ”のことを何も知らない妻に代わって一族のことを子供に教えなければならない。しかし軍人である彼は普段は家に帰れないので、代わりに教えてくれる人を得た。彼が以前勤務していた大統領警護隊太平洋警備室の元指揮官カロリス・キロス中佐だ。キロス中佐はある事件で失態を犯し、さらに体調を崩して、除隊した。そしてグラダ・シティで子供相手の体操教室を開いている。普通の人間の子供を対象としているが、ガルソン中尉の様に普通の人間と結婚して生まれたミックスの子供達の”シエロ”としての教育も引き受けてくれているのだ。 

「中佐は本当に子供の扱いがお上手で、私は安心して子供達を任せています。」

とガルソンが穏やかに言うと、テオとロホもその話に熱心に耳を傾けた。テオは”ティエラ”だ。 ”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐との間にもし子供が生まれれば、やはりキロス中佐の様な教育をしてくれる人が必要になる。それはロホも同じだった。彼の恋人はケツァル少佐の異母妹で、彼女は白人の血と普通のメスティーソの血も受け継いでいるミックスだ。当然子供もミックスだから、やはり純血種の様な教育は十分ではない。

「キロス中佐にはこれからもお元気で子供達の教育に励んで頂きたいものだ。」

とロホが囁いた。

「私の子供もいつかお世話になるやも知れない。」


2024/06/09

第11部  石の名は     9

 「生贄?」

 テオは眉を顰めた。しかしロホには予想がついていたのか、表情を変えなかった。

「貴方の部族の習慣ではなかった、言い伝えを聞いたことがある、と言うことだな、中尉?」
「スィ。それも昔話として、村の年寄りから聞いた程度です。水が少ない土地で雨乞いに生贄を捧げていた、と。」

 ガルソン中尉はちょっと視線を空に向けた。ビルとビルの谷間の広場の様な空間だ。雨さえ降らなければ、車両整備工場はこの広場いっぱいに車両や部品を広げて作業する。スコールが発生しやすい夕刻迄にその手の作業をやってしまって、後はガレージに車を入れて最後の仕上げをするのだ。そしてその日ガルソン中尉が持ち込んだジープが広場の真ん中に鎮座していた。テオが見たところ、ヘッドライトが片方取り外されているだけで、他に故障はなさそうだった。ランプ切れなのだろう。大統領警護隊は簡単な整備もこの工場に依頼しているのだろうか。
 晴れ渡った空から、ガルソン中尉は視線をロホに戻した。

「オエステ・ブーカの現族長セフェリノ・サラテの連絡先を教えましょうか?」
「セフェリノ・サラテ?」

 テオはどこかで聞いた名だ、と思った。するとロホが言った。

「面識がある。ドクトル・アルストと一緒に会いに行ったことがある。」

 彼は自分の携帯を出して、記録を検索し始めた。テオも考えた。そして、どこでその名の人物と会ったのか思い出した。

「『七柱のテロ』事件の時に、ロホにお祓いを依頼して来た人だな?」

 ロホが指で画面を繰りながら頷いた。

「村の川が殺人事件で汚されて、お祓いを頼まれました。」

 怪訝な表情のガルソン中尉にテオは彼の記憶を呼び覚ます説明をした。

「ほら、貴方がパエス少尉を爆弾捜索の助っ人として本部に紹介してくれた、あの事件ですよ。」
「ああ・・・」

 ガルソン中尉はテロ事件を思い出したが、それが故郷の族長とどう繋がるのか、理解出来ないらしい。ロホは検索に飽きたのか、手を停めて、中尉を見た。目を見て”心話”で事情を伝えた。ガルソンが「なるほど」と頷いた。

「セフェリノ・サラテは私の叔父の一人です。言い伝えの詳細は知らないと思いますが、村の古老を知っていますから、紹介してくれると思います。既にサラテとお会いになっているのですから、私の紹介は必要ありませんな。連絡先だけ教えます。」

 ロホは自分の携帯をガルソンの方に差し出した。

「申し訳ない、サラテの番号を見つけ出せない。それから中尉、貴方の番号も教えて頂きたい。これからも西のことで相談したいことがあれば、助けて欲しい。」

 年下の上官から頼まれて、ガルソン中尉は穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。

2024/06/08

第11部  石の名は     8

 「石が雨を降らせた?」

 テオは驚いて声を上げてしまった。広場の反対側で弁当を食べていた車両工場の従業員達が振り返ったので、彼は慌てて声を顰めた。

「紅い石は雨を降らせる石なのですか?」
「私は詳しくありません。」

とガルソン中尉は予防線を張った。

「言い伝えと言うより、噂話のレベルで聞いてください。オルガ・グランデの北の砂漠地方に住んでいた種族に伝わっていた雨乞いの儀式の話です。」
「ラス・ラグナスはオルガ・グランデの北の砂漠地方にあった遺跡です。」
「そうですか・・・その・・・ラグナスと言うからには、大昔は沼でもありましたか?」

 テオはロホを見た。ロホもテオを見た。それからガルソン中尉に向き直った。

「これは別件で私の後輩達がその遺跡に出かけた時に見た、精霊の仕業だ。」

 そして相手の目を見た。再び”心話”だ。恐らくマハルダ・デネロスとアンドレ・ギャラガが遺跡で見た往古の農村の”夢”だ。ラス・ラグナスの土地の精霊が2人の”ヴェルデ・シエロ”に見せた大昔の村が栄えた時代の景色だった。芦原と水を湛えた沼と平和な農村の姿。
 「おお・・・」とガルソンが溜め息を漏らした。

「精霊が若い隊員にそんな風景を見せてくれたのですか・・・」
「空の神と大地を繋ぐ役割のコンドルの神像の目を盗まれたので、精霊が人に助けを求めたのだと思う。だが、コンドルは人に危害を加えなかった。」

 ”心話”を使えないテオは”ヴェルデ・シエロ”達がどんな素敵な風景を見たのか、わからなかった。こんな時、ちょっぴり悔しい。

「俺には、コンドルの神様と、血を吸う紅い石が同類とは思えないな。」

と彼は言った。ガルソンも頷いた。

「私も”心話”で見た限り、その石に邪悪なものを感じました。神聖なものとは思えない。」
「それで・・・」

 ロホが先ほどの話の続きを催促した。

「中尉が聞いた雨乞いの儀式とは、どんなものなのですか?」

 するとガルソン中尉は吐き捨てる様に言った。

「生贄を捧げるのですよ。古代史では珍しくないでしょうが・・・」

第11部  石の名は     7

  大統領警護隊警備班車両部のホセ・ガルソン中尉と出会うのは、案外簡単だった。車両部は警備班だけでなく大統領警護隊全部の車両を管理・整備している部署なのだが、隊員は僅か5名で、毎日誰かが修理が必要な車両をグラダ・シティの下町にある契約工場に持ち込んで、工場が作業している間監視しているのだ。5人だから単純にシフトを考えると5日に1回はガルソンが工場にやって来る。軍隊だから週末に休む訳ではないので、家庭持ちのガルソンが2週間に1日休日をもらうことを考慮に入れても、適当に工場に出かければ彼と出会うことが出来たし、彼の同僚に託けすることも出来た。また、大統領警護隊と契約している車両工場は、当番の隊員がいつ来るか教えてくれなかったが、こちらも伝言はしてくれた。
 会議があったその昼過ぎに、テオの電話にガルソン中尉その人からかかってきたので、ちょっと質問したいことがあるので会えないかと訊くと、丁度工場に着いたところだと返事があった。それでテオが、持ち場を離れられない中尉の為に昼食を買って持って行く、と告げると、中尉は喜んで待っていると答えた。
 ロホに伝えると、彼もすぐに行くと答えたので、結局テオは大学のカフェで3人分のサンドウィッチを買って出かけた。
 車両工場へ入っていく路地の入り口でテオとロホは出会った。

「大学のカフェの食い物だけど、かまわないよな?」

とテオが言うと、ロホが笑った。

「私は母校の食事を気に入っていました。ガルソン中尉が本部から持って来る弁当はどうせ固いパンだけですから、喜びますよ。」

 ガルソン中尉は工場長と車の前で打ち合わせをしていた。工場はシエスタに入っていたので、工場が再稼働する迄時間があり、中尉にも時間があった。監視は、工場の人間が悪さをしなければ閑職なのだ。
 大尉まで昇進したのに、不祥事を起こして中尉に降格になったガルソンは、10歳以上も年下の大尉であるロホに敬礼して挨拶した。ロホも相手に気を遣わせたくなかったので、素直に受け入れて、上官として振る舞った。

「まず、複数の人間を通して私に伝わった情報を知ってもらいたい。」

とロホは”心話”でガルソン中尉にことの経緯を伝えた。上手に情報をセイブして、個人名が伝わらないように注意を払った。だからガルソンが受け取った情報は、「一族の人間がラス・ラスラグナス遺跡に出かけ、連れの”ティエラ”の男性が山で石を拾った。その男性は数日後自宅でミイラ同然の姿になって大統領警護隊文化保護担当部に保護された。彼は水晶に似た真っ赤な石を握っていたが、その石は現在行方不明である。石は呪いの道具であると思われるので、早く回収されることが望まれる。」 だった。ガルソンは、カサンドラ・シメネスが見たディエゴ・トーレスが石を拾ったと思われる動作を見て、ミイラ同然のトーレスを見て、トーレスの手から転げ落ちた石を見た。
 ”心話”は一瞬のものだが、終わるとガルソン中尉は不思議そうにテオとロホを見た。

「あの石が”ティエラ”の男の生気を奪った?」
「俺は見ていないので、なんとも言えない。」

とテオが言うと、ロホも肩をすくめた。

「正直に言うと、まだあの石の正体がわからない。だが、男が死にかけた理由があの石だと思えるだけなのだ。」

 黙り込んだガルソンにロホが尋ねた。

「貴方は知らなくても、何かそんな伝説を耳にしたことはなかっただろうか? 一族の伝説でなくても良い。ラス・ラグナスは”ティエラ”の遺跡だから、オルガ族やアカチャ族の言い伝えでも構わない。」
「私は20年近くアカチャ族と暮らしましたが・・・」

 ガルソン中尉は首を傾げた。それからロホを見た。

「その”ティエラ”の男が死にかけた以外に、何か変わったことは起きませんでしたか?」
「ノ、特には・・・」

 ロホもトーレスを保護した時のことを思い出そうと試みた。

「石を救急隊員が盗んだことしか・・・あ、変わったことではないが、その時、いきなりスコールが来て、それで救急隊員が患者を雨から守るものを、と2階へ上がったのだ。」
「スコール?」

 ガルソン中尉が反応した。

「何時のことです?」
「だから、昨日の午後、トーレスの家で彼を見つけた後・・・」

 ガルソンがテオを振り返った。

「昨日、スコールがありましたか?」

 テオも首を傾げた。

「俺は大学の研究室にいたが、雨は降らなかったぞ。」
「私も本部にいましたが、雨は降っていません。」

 ロホが驚いた。

「いや、しかし、急に土砂降りになって、家から救急車へ患者を運ぶのもままならない程で・・・」

 ガルソン中尉が言った。

「その石が降らせたのです。」

2024/06/07

第11部  石の名は     6

 「祖父様は忙しくて会ってくださらなかった。父も同じだ。しかし、祖母様が・・・最近は寝てばかりなんだが、私のことは結構可愛がってくださる人で、私が実家に帰ると会いたがる。それで、彼女の部屋に行って、石で人を呪えるかと訊いてみた。」

 ケツァル少佐が身を乗り出した。マレンカ家の大刀自様は知恵と知識の宝庫だ。ロホは申し訳なさそうな顔をした。

「祖母も知らないそうです。ただ、彼女はこう言いました。」

 ロホは祖母の口真似をして、一族の言葉を囁いた。テオは”ヴェルデ・シエロ”の言語を未だに理解出来ないが、知っている単語を一つだけ聞き取った。だから口を出した。

「お祖母さんは、オエステ・ブーカが知っている、と言ったのか?」

 文化保護担当部の隊員達が彼を見た。ちょっと驚いている様子だったので、テオは自分の勘が当たった、と確信した。
 ロホが大きく頷いた。

「スィ! 祖母は西のことは西の連中に訊け、と言ったのです。勿論、西の連中とはマスケゴやカイナではなく、オエステ・ブーカ族のことです。」

 少佐が腕組みした。

「オエステ・ブーカが東海岸から西へ移動したのは遥か遠い昔のことです。ラス・ラグナスはその頃はまだ栄えた村だったと思われます。オエステ・ブーカの先祖が彼等と接触したのかどうか、調べて見る必要がありますね。」
「オエステ・ブーカなら、本部に一人いるだろう?」

 テオは車両部で勤務しているガルソン中尉を頭に浮かべた。少佐も同じ男を思い出した様だ。

「ガルソンは祈祷師の家系ではありません。でも彼は純血種ですから、彼の実家で何か伝わっているかも知れません。或いは彼方の祈祷師を紹介してくれるかも知れません。」
「私はガルソンと親しくありません。」

とロホが残念そうに言った。 ”ヴェルデ・シエロ”の習慣で初見は誰かの紹介があった方がスムーズにことが運ぶのだ。少佐がテオを見たので、テオは頷いた。

「俺がガルソンに顔を繋ぐ。彼も故郷の話をするのは嫌いじゃないらしいから。」

第11部  太古の血族       2

   泣く子も黙るファルゴ・デ・ムリリョ博士をパシリに使うのか? ギャラガは呆れてアンヘレス・シメネスを見つめた。しかし高校生の少女は臆することなく祖父を見ていた。ムリリョ博士は溜め息をつき、彼女に向かって手を差し出した。アンヘレスは右肩から斜に下げていたポシェットから薬袋を取り...